第6話

「一体どうなってるんだ!」


 ハルは怒りに任せ、生徒会長室のドアを弾き飛ばした。


「何やってるの! ノックぐらいしなさい!」


 セイラが怒鳴る。セイラは扉を開けたすぐのところに立っていた。


「ノック? 百万年後でもいい案件のときにはしましょう。だが今の俺はそうじゃないぜ! 何ですこれは!」


 ハルは怒りに任せて叫び散らし、先ほど届けられた用紙を突き出した。

 それは鏡華から持ち込まれたもので、昨日セイラから受け取った総合格闘クラブ立ち上げ申請書のコピーだった。ただ、そこに会長印が押されている。つまり、GOサインが出ていた。

 これを持ち込んできた鏡華は怒り狂っていた。ハルも怒り狂った。

 鏡華はこの馬鹿げた案件を、ハルの責任だと言うように突き出してきたのだ。


「エヒン、エヒン」


 背後から、犬が鼻に飯を詰まらせたような咳が聞こえてくる。振り返ると、一人の中年女が座っていた。

 その顔を見た瞬間、ハルの胸に焼きつくような激情が噴き上がった。


(ババア……)


 ハルは火炎のような胸の感情を、どうにか吐き出すことを堪えるため、口の中で歯を食いしばった。


「すみません、叔母様――お見苦しいところをお見せしました」


「元気一杯なのね。驚いちゃったわ」


 中年女がハルを見上げて微笑む。

 かけている眼鏡は薄っすらと紫色で、フレームからは金色のチェーンが伸びている。口紅は血みたいに真っ赤。着ている黄色いブラウスは素人目にも良い物だとわかったが、ブヨブヨの二の腕が見える袖口がいただけない。

 しかしハルにはそんな姿は見えていない。

 ハルの眼に映っているのは、四年前、喪服姿だった女の姿。礼を言えと頭を押さえつけられる自分にむかって、「まだ小さい子だもの仕方ないわ」と笑っていた香の匂い。つまらないと愚図る息子を「ごめんなさい、こんなとこ退屈だったわね」とあやし撫でていた手。

 それらがありありと目の前に蘇っていた。


「セイラちゃん、紹介していただけるかしら。きっと私のこと、誰かわからないのよ」


「春乃君は初めてお会いするかしら。こちら理事長の妹にあたる望月ノブヨさん――つまり、私の叔母にあたる方よ」


「よろしくね、春乃くん」


 女――ノブヨが座ったまま会釈する。それから、何かを期待するようにセイラを見た。

 ほんの一瞬だけ、セイラが嫌気の差した顔をした。あまりにほんの一瞬だったので、ノブヨは気づいていないようだった。


「知っての通り、我が望月家は望月製紙の創始者、望月嵐もちづきあらしの家系で、叔母様は嵐お祖父様のたった一人の娘であると同時に、今は望月製紙社長夫人でもいらっしゃるの。この学園にも大変な理解を示していただき、毎年多大な寄付金を納めてくださっているわ」


 セイラはそれだけのことを一息に言った。


「〝私達〟の町に育った子供達のためですもの。当然のことよ」


 ノブヨがホホと笑う。その横で、セイラが冷たい目をしているのをハルは見つけた。


「春乃君、今日は叔母様が貴方にお話があるみたいなの。貴方が騒いでいる件でね――春乃くん? どうかした?」


「……いえ」


 長いことノブヨから視線を外さなかったせいだろう、セイラに訝られる。

 ハルは一度瞬きをして、蘇ってきた過去と感情を追い払った。


「このふざけたクラブのことで、どんな話があるんです?」


「エヒン」


 ノブヨがまた咳をする。


「春乃君、お客様の前よ。言葉遣いを気をつけなさい。でないと、叔母様は貴方を〝そんな人〟だとお思いになるわよ?」


「それは一体どういう――」


「そんなことないわよセイラちゃん」


 ノブヨが話しを遮る。


「その子はちょっと興奮しているだけよ。私にはわかるわ。私も〝少し〟強引なやり方をしてしまったから。ね? そうでしょ?」


「強引なやり方ってのは、この印鑑のことですか?」


 ハルはセイラに向けていた申請書をノブヨに向きかえた。


「そうなの」


 ノブヨが眉を八の字に寄せて悲しそうにする。ハルにはとても癪にさわる顔だった。


「こんなのいけないと思ったわ。でも、マー君がとても急いでいるみたいだったから」


「真相を言えば、それは生徒会長印じゃないわ」


 セイラが入ってくる。


「それは叔母様の家系印――望月家の認印よ」


「何だって?」


 ハルは申請書を見た。しかし、間違いなく生徒会長印だ。


「違いなんてないわ。だって、会長印はもともと、望月家の認印なんだもの」


「つまり――」


「そう……そこに押されているのは、私の印じゃなくて、叔母様の印よ」


「ごめんなさいね」


 ノブヨが十代の乙女がするように、上目使いで見つめてくる。

 ハルはその顔に向かって、申請書を丸めて投げつけてやりたいのをグッと堪えた。


「でもね、マー君が言うのよ。〝正しい〟ってわかりきっていることを、事務処理を待って行えないなんて、馬鹿げているって。そういうお役所体制を変えていきたいって――私ね、その通りだと思ったわ」


 ノブヨは最初こそ申し訳なさそうにしていが、途中からは自慢話になって、最後には目を輝かせていた。


「貴方もそう思わない?」


 ノブヨが興奮気味に尋ねてくる。


「そうですね――けれど、その〝正しさ〟を判断するのが事務処理だと思いますけれど」


 ハルはウンザリしながら答えた。


(このババア、相変わらず頭がわいてやがる)


 身内のセイラに呆れられるのもわかるというもの。


「だけど今回に限っては、その事務処理が必要なかった。だって正しいんだもの」


「どうしてです」


「どうして?」


 ノブヨがキョトンとする。


「だって、貴方も知っているでしょ? これはマー君の案なのよ? 間違ってるわけがないじゃない」


 ハルはセイラを見た。セイラは恥部を見つけられたように、顔を逸らした。


「貴方のことを無視して、勝手に印鑑を押してしまったのは謝るわ。でも、もちろん、貴方もこの案には賛成なんでしょ?」


「俺は――」


「もちろんそうよね。私、聞いてるわ。貴方は生徒に理解のある、とても聡明な方だって。決して生徒のお願いを無下に断るような人じゃない――特に今回はマー君のことなんだものね。私、お父様にもお伝えしなきゃって思ってるの。貴方がどれだけ素晴らしい生徒なのか」


 ハルはノブヨの話しを聞いて、大反対の一言を飲み込んだ。


「セイラちゃんから聞いたのだけど、貴方、次期は生徒会長になるんですってね」


「ええ、そうですよ叔母様。彼が本命です。このまま〝順調〟に行けば」


 セイラがハルを見て、ニヤと笑う。

 彼女は自分の荷物をハルになすりつけたことを確信したのだ。


「凄いわ。生まれにも負けず、頑張り屋さんなのね。私からも、ぜひ、お兄様にお勧めするつもりよ。貴方がマー君のお手伝いをしてくれたって――それでね、セイラちゃんも貴方さえよければ、書類の印鑑を認めてくれるって言うのだけど」


 望月学園の学内生活の運営は生徒会に一任され、いかに教員と言えどもその決定に背くことはできない。ただし、以下の二例に関してはその限りではない。


 一、学園理事長・望月時待もちづきときまち

 彼は生徒会長に対しての指導権と、監査権をもつ。

 

二、観察院。

 彼らは生徒会長に対しての交渉権を持ち、申し出が受け入れられなかった場合、全校生徒に対して生徒会長の支持を問う「全校投票」を開催する権利を有する。

 そこで生徒会長の支持率が八割に届かない際には、生徒会長の罷免権を行使できる。


 つまり。

 生徒会長に口だしできる大人は理事長と観察院だけであり、現役生徒会長をクビにできるのは観察院のみ。

 この観察院。他で言うのならばPTAと呼ばれる保護者団体である。

 これに睨まれれば、勝ち取った生徒会長の座も砂上の楼閣。

 望月ノブヨは観察院の現会長を務めていた。

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