ロゼール

私――ロゼールは、やっぱり同じクローレン王国の西の国境沿いにあるホリア村で生まれた。なだらかな丘の斜面にできた小さい村だ。

父と兄、そしてメル市へ出稼ぎに行ってよく不在にする母がいる。父は私の前世イザベラと面識があるが、私が生まれ変わったことには気づいていないようだ。なんてことのない、普通に幸せな家族だ。


2つ分の人生の記憶によって、聖女は地獄であると私の心に深く刻まれた。確かに聖女は、民衆からは信仰の対象となっており、国にとっても様々な災害の根源となる瘴気を振り払うために必要不可欠な存在である。瘴気に満ちた世界では、人は生きていけない。私は、私にしか助けられない人をほうっておくのは嫌だ。でも、私の人生を捨ててまで人を助けられる精神は、持ち合わせていない。

私は4歳のときにこのことを思い出した。そして聖魔法を試し打ちしたら使えてしまった。その時に強く固く誓った。今回こそは絶対聖女にならない。結婚して家庭を作って、みんなに囲まれて幸せに暮らしたい。普通の人として生きて、普通の人として死にたい。


だから、私は9歳の時に数え切れないほど多くの人間を見殺しにした。きっかけはホリア村のすぐ北にある森に瘴気が出たことだった。土を固めて作った小さい自宅の前を何人もの村人が走り回っているのを眺めていると、後ろにいた母が「危ないからあの森に入っちゃダメだよ」と言っていたのを覚えている。

王都から大勢の騎士が来て、森の中に入ったらしい。北の森はここから丘の頂上を挟んだ先にあり、頂上には兵営があった。


1週間後、確かに森の瘴気は取り払われた。しかしそれと引き換えに、数え切れないほどの兵士が動けなくなっていた。私は無意識に兵営のテント郡の向こう側を覗き込んだことがある。大勢の騎士が横たわっていて、うめき声をあげていた。明らかに瘴気が体を蝕んでいた。

私だったら助けられる。私でないと助からない。あれを助けられるのは私だけ。ほうっておくと死んでしまう。でも、私が聖魔法を使っているところを見つかったら聖女にされてしまう。些細な失敗をしただけで人生が終わる。そうでなくても、相手は王都から派遣された騎士だから、王に報告がいくはずだ。すると王国からこの村や私を徹底的に調査される。このクローレン王国のあちこちで瘴気が増えているという話は聞いていたから、現職の聖女は機能していないだろうし、王国は『本物の聖女』を渇望しているのだろう。

前世で誰かが言っていたけど、人類は聖女なしには生きていけない。私が見逃されることは絶対にない。そして、たとえ公爵の権力があっても何もできない。


嫌だ。嫌だ。嫌だ。

絶対嫌だ。

聖女なんて嫌だ。

なりたくない。


私はずっと寝室にこもっていた。昼明るかったのに外に出ることもなかった。友達が遊びに来ても全く返事しなかった。食事は父が寝室に持ってきてくれた。父や兄は私を咎めることもなかった。何度も私の頭を撫でて慰めていた。父が「お前は絶対に守る」と言っていた。普段は私のことを名前で呼ぶのだから、その時の父は私の扱いに困っていたと思う。


そして騎士たちが兵営を取り払い村を去ったあと父と一緒にふらふらと道を歩いていると、あの騎士たちのほとんどが死んだことを村人たちの噂で聞いた。私は気がつくと、丘の上の一本木で泣きわめいていた。草を掴みながら「ごめんなさい! ごめんなさい!」とひたすら繰り返していたことを覚えている。


   ◇


騎士の一件から1か月後の夕方、私はその赤く照らされた一本木に、兄ジャックと一緒にいた。


「‥‥それで、話って何だ?」


ジャックは不器用だけど、私のことを思ってくれる一番の兄だ。だから私は意を決して打ち上げることができた。


「今まで黙っていたけど、私、実は聖女にしか使えない聖魔法が使えるの」

「そんなの、みんな知「それでね、私、決めたの」


自分の決意が途中で曲がるかもしれないから、私はできるだけジャックの言葉を聞かないようにした。もちろん、私にはまだ恐怖がある。私の気持ちを伝えるだけでも、恐怖で押しつぶされそうだった。でも何もしないままだと、私はきっとイザベラのときよりも深く傷つく。取り返しのつかないことになる。その一心で、私はひたすら言葉を付き足した。


「私、国の聖女にはなりたくない。でもこの前の騎士たちのように、私にしか救えない人を見殺しにしたくない。だから個人的に活動したい」

「個人的に?」

「うん。私は浮遊魔法を使えるから、それで隣の町まで一時間で移動できる。毎週一回、夜中に隣の町まで行って、聖魔法を使って人々を助けたいの」


ジャックは「そうか」と短く返事するだけだったが、私の瞳をじっと見つめたままだった。


「それで、なぜ俺にそれを伝えた?」

「手伝ってほしいことがあるの」

「俺は聖魔法なんて使えないぞ」

「うん。私が出かけている間、ここにいるお父さんをごまかしてほしいの」

「それだけか?」

「あと、服選びも手伝って欲しいかな。正体がばれないよう体を隠す服は何と何を組み合わせたらいいか、相談に乗って欲しい」

「分かった」


ジャックはあっさり頷いた。私は「ありがとう‥」と答えて、それからすぐ違和感に気付いた。


「‥‥ねえ」

「どうした」

「どうして、私が聖女になりたくない理由は聞かないの?」


今、このクローレン王国はあちこちで瘴気が増えているという話を知っている。国は聖女を強く求めているはず。聖女が増えれば、国全体はもとより、他の街に野菜を売っているこの村も潤うはず。ジャックにとっても利益になる。なのに聖女にならないと言った私を引き留めようともしなかった。それが引っかかった。


「‥‥別に、興味ないし」


ジャックはそっけなく首を振った。‥‥でも私には、その返事が嬉しかった。目先の利益をなげうってでも、家族の私を大切にしてくれるジャックが好きだった。


私は、ロゼールとして生まれて初めて他人に秘密を打ち上げた。私の秘密を知るのは、ジャック1人だけ。‥‥のはずだった。私はずっと、一本木の裏に隠れてくすりと笑っている少女の影に気付かなかった。

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