第36話 呪い
まだ寝ている2人を起こさないように…ゆっくりと身体を起こして、ベッドから降りる。
もしかしたら・・・
この幸せだった日常は…今日で最後になるかも知れない。
だったら・・・せめて…今日という日を春人と春香、2人にとって…最高の1日にしたい。
キッチンに行き、昨日の晩にセットしておいたご飯が炊けているのを確認して、冷蔵庫から鮭を取り出してグリルに火を入れる。
おにぎりは…春香の好きな鮭のおにぎりと、
春人の好きなおかかのおにぎりにしてあげよう。
初めて春人にお弁当を作ってあげた時…
おにぎりの具は何が良い?って尋ねたら、「うーん、おかかかなぁ?」って言われて・・・
私は知らなくて…初めて食べて美味しいなって思って、それから好きになったのよね…
お弁当のおかずは・・・唐揚げと卵焼きかな。
昨日、鶏肉は下味をつけて準備しておいたから、あとは衣を付けて揚げるだけ。
卵焼きは2人の好きな甘い卵焼き。
ボウルに卵を割り入れて、多めの砂糖と塩とみりんと牛乳を入れて、かき混ぜて。
カシャカシャとかき混ぜる音がキッチンに響いて・・・食べてくれる2人のコトを考えながら料理をするのが…大好きだった。
今だって・・・そうなのに…涙が出てしまいそうになる。
もし毎日を今みたいな気持ちで暮らしていたなら、あんな過ちは犯さなかったんだろうな…
でも…きっと普通に暮らしていたなら…
私は気付かなかったんだろうって思う。
焼き上がった鮭を取り出して、冷ましている間に、朝ご飯も一緒に作り始めて…
そんなコトを考えながら料理をしていると、時間が過ぎるのはあっという間だった。
お弁当箱におかずを詰め終わり、お味噌汁のいい匂いが部屋に漂い始めた頃・・・
リビングのドアが開く音が聞こえて、
それと一緒に愛しい人の優しい声が耳に届く。
「涼香…おはよう。」
「うん。あなたっ、おはよう。」
あと何回…この会話をするコトが出来るのだろうか。
そう思うと胸がズキズキと痛んで…一つ一つの言葉を宝物のように噛み締める。
「涼香・・・起きるの…早かったね。
あっ…お弁当を作ってくれてるんだ・・・」
「うん、今日は動物園に行くんだものね。折角だから・・・作ってみたの。急だったから…特別なモノとかは作れなかったけどね・・・」
私がそう言うと、春人は優しく微笑んで、
「ううん…いつもの…いつものお弁当がいい…
俺も…何か手伝うよ。」
そう言ってくれた。
「そう・・・なら…良かったわっ。じゃあ…
久しぶりに一緒におにぎりを結ぶの…手伝ってくれる?」
「ああ、分かったよ。そしたら先に顔を洗ってくるね。」
それから…
洗面所から戻ってきた春人と並んで、一緒におにぎりを結んだ。
一つ一つ丁寧に…心を込めて。
その間…会話はほとんど無くて・・・
でも多分・・・
春人の気持ちは…痛いくらいに伝わってくる…
きっともう・・・終わりなんだ…
昨日…浴室から出てきた春人の顔を見て…
春人の浮気は・・・私と違って…本気なんだと分かってしまった。
あんな苦しそうな顔・・・
その顔を見たら・・・
どうにかしようとか・・・
私は考えられなくなってしまった…
春人のコトだから・・・
すごく苦しんでいるんだろうな・・・
でも…まだ私達のコトをそれだけ思ってくれているんだなって…
私は・・・
春人の決断を受け入れようと思った。
諦めたとか…そういうのではなくて…
これ以上・・・春人の苦しむ顔を見たくないって…そう思った。
「これでおにぎりも結び終わりっ。春人…ありがとねっ。」
「いや・・・俺の方こそ…お弁当ありがとう。
それじゃあ…春香を起こしてくるよ。」
そう言って春人は寝室に向かって行った。
私はその間にバッグにお弁当を入れて、出掛ける準備をして。
「ママー、おはようー!」
春人に抱き抱えられた春香の嬉しそうな声を聞いて、
「春香、おはよう。今日は朝から元気いっぱいねっ。」
「うんっ、今日は動物園行くんだもんねっ!」
はしゃいでいる春香を見て・・・
またズキッと胸が痛むけれど…せめて今日一日は悲しい顔をさせたくなくて、
「そうよ〜。いっぱい楽しみましょうねっ!」
出来る限り明るく振る舞って。
それから3人で朝ご飯を食べながら、春香の話を春人と一緒に笑って聞いて…
もう最後かもしれないのに・・・
何故だか…とても気持ちが穏やかだった。
ご飯を食べ終わって、春人と2人で春香を着替えさせて、3人一緒に家を出る。
ふと上を見上げて、
この青過ぎる空も…
ぽつりぽつりと浮かぶ白い雲も…
こうやって3人で手を繋いで歩く道も
全部・・・全てが愛しく思えて…
こんな気持ちはいつ以来だろう・・・
きっと・・・こんな気持ちになるコトは…
もう無いんだろうなって。
それから電車に乗って動物園に行って
はしゃいでいる春香を春人と2人で見守って
みんなでお喋りしながらお弁当を食べて
ずっと、ずっと、手を繋いで歩いて
この時間がずっと、
永遠に終わらなければいいのにって・・・
残り少ない…
この時間をとても大切に過ごした…
帰りの電車の中で、はしゃぎ過ぎて疲れて眠ってしまった春香をおんぶした春人と…
家までの帰り道を並んで歩く。
「あなた・・・ありがとうっ。」
「えっ・・・?」
「ふふっ、春香ったら…すごく気持ち良さそうに寝ちゃってる。」
「ああ、そっか・・・なぁ…涼香?」
「なぁに、あなた?」
「今日は・・・楽しか……」
本当にあの時と…
水族館の時と同じだなって…
春人の続く言葉を遮って、私は答えた。
「ええ…すっごく…すっっご〜〜く、楽しかったわっ♪
ずっと…ずっと・・・本当に゛っねっ・・
とってもっ゛幸せだったぁ゛〜〜〜」
明るく言おうとしたのに…瞬間…
今まで思い出が…駆け巡ってしまった・・
最後まで泣かないって決めていたのに・・・
私はどこまでも馬鹿な女だなぁって・・・
せっかく春人にとって・・・最高の1日になるようにって頑張ったのに・・・
全部…台無しになってしまう・・・
「涼香・・・」
そんな悲しそうな顔しないで欲しいなぁ゛…
ずっと嘘ついて・・・隠してた女だよぉ゛…
最後の最後で・・・
未練が・・・
執着が・・・
恋慕の情が・・・
溢れ出して…それは濁流のように・・・
先程までの決意を押し流して・・・
どこまでも自分を醜くさせて・・・
私は・・・
「ねぇ゛、私達のトコロに゛っ、帰って…来て…くれる゛なら゛っ・・・
--------それでっ…いいから゛っ…
あなたっ゛…全部っ、全部…愛してるっ゛…」
私が吐露した想いは…その言葉は・・・
きっと呪いだ・・・
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