第11話 呪物 其之弐

「なにやってんだよ、智巳」


 金庫にお札を貼ろうとする御坂を、慌てて省吾が引き止める。


「なにって、この中にある呪物(※呪われた物品)から、呪いが漏れ出るのを防ぐのじゃよ」


「いや、そうじゃなくてさ。もし呪物をこの屋敷に持ち込んだ犯人が金庫の鍵を盗んだのなら、証拠隠滅のためにここに戻ってくるんじゃないかと思うんだ。

 その時、金庫にお札が貼ってあったら、警戒されちゃうじゃないか」


「ああ、そうか。見かけによらず頭がいいのぅ、省吾は。

 であれば、机の下に目立たぬよう盛り塩だけでもしておくとしよう」


 盛り塩を済ませた御坂は、岡野の方を振り返った。


「とりあえずこの部屋には、元通り鍵をかけておいた方が良いじゃろう。無関係な者が下手に呪いに近づいては、更に被害が広がるやもしれぬ」


「わかりました。ではこれから先の相談は、先ほどの客間に戻ってからいたしましょう」


 スライドさせた本棚を元に戻す岡野の顔は、何を思ってか先ほどより険しいものとなっていた。



         ※      ※      ※



「まずお聞きしたいのは、あの金庫の中身についてです。何が入っているのか、できるだけ詳しく教えて頂けませんか?

 呪物の正体も知りたいですし、もしかしたら他にも見られたくないものがあって、金庫の鍵を隠したのかもしれませんから」


 客間に戻った時、その場を仕切っていたのはなぜか御坂ではなく省吾だった。


「はい、剛三様が収取した美術品と、いざという時のためにしたためておいた遺言状。あとは重要な契約書類が幾つかございました」


「じゃあ、その美術品の中に呪物が混ざっているのかな智巳」


「まぁ、そうじゃろうな。といっても断言はできんし、どんな美術品かも今はまるで想像はつかんがの」


「どの美術品かは、ある程度絞れるんじゃない? 剛三さんが体調を崩してから死ぬまでおよそ5日間、その息子の敦彦さんが死ぬまでも5日間ですよね、岡野さん?」


「はい、正確には敦彦さんがお亡くなりになったのは、剛三さんがお亡くなりになった丁度1週間後です」


「なるほど、となると症状が出てから死ぬまで5日と……」


 省吾はスマホを取り出して、先ほどから何かを打ち込んでいる。何もせず、手ぶらで話を聞いてる御坂とは対照的だ。


「智巳はメモとんなくていいの?」


「いや、メモといっても、どの情報をどう整理していいものか分からんのじゃ。怪異がらみの話なら、要点はすぐわかるのじゃが」


「昔っから推理物は苦手だったからな、智巳は……。

 で、岡野さん、剛三さんと敦彦さんが、一緒に金庫の部屋に入ったのは何時ですか? 剛三さんが死ぬ数日前に、2人であの部屋に入っていた筈です」


「……確か剛三様が亡くなる3日前に、あの部屋の近くで2人をお見掛けしました」


「となると、敦彦さんの死んだ日付から逆算して呪物に触れてから死ぬまでおよそ10日間、剛三さんの亡くなったのが3週間前だから、その日付から逆算して遅くとも1か月前には、屋敷に呪物が持ち込まれていたという事になりますね。

 何か心当たりはありませんか、岡野さん?」


「流石に、それは……後ほど、屋敷に届けられた品物の記録が残ってないか、調べておきましょう。剛三様を殺した犯人も、それで分かるかもしれません」


(……?)


 御坂はこのとき、岡野に対して強い違和感を抱いた。御坂がお祓いのため呪物の特定と金庫の鍵の行方に心を砕く中、岡野はむしろ犯人の特定を急いでいるような、そんな印象を受けたからだった。


「どうやら岡野殿には、犯人の心当たりがあるように見受けられるが?」


 御坂が心の中の疑問を吐露すると、より一層岡野の表情が曇る。


「……はい、一応の心当たりはございます。

 とはいえそれは、田宮家の内情をさらけ出さねば語れぬ事。本来はここまで話す予定はなかったのですが、金庫の鍵が一刻も早く見つからなければ、お屋敷全体に呪いの被害が及びかねないこの状況では、致し方ありません。

 ですが、これから先は只で話すという訳に参りません」


 岡野は近くの棚から2枚の覚書を差し出し、朱肉を用意する。今2人を見る彼の眼差しからは、有無を言わさずこの書類にサインさせようという意志が、無言の圧となって溢れ出ていた。


(田宮家に不利になる事は、決して口外いたしません……か。こんなものまで出てくるとは、用意周到じゃのう)


 覚書が2組も用意されていたという事は、御坂が助手を連れて来る可能性を見越していたか、もしくは常日頃から来訪者にこの内容の契約を迫っていたのか、そのどちらかであろう。


「お二人の覚書は、私がお預かり致します。こちらがお二人にお渡しする覚書の控えとなりますので、こちらにも拇印を……」


 複写用紙で岡野と2人のサインが青く印字された覚書の複製を、笑顔の岡野が差し出してくる。先ほど見せた顔とはえらい違いだが、これが彼の営業スマイルなのだろう。


「これ、省吾が持っててくれ」


「なんで俺が智巳の分まで? まぁバックに余裕があるからいいけどさ」


 拇印を終えた複製を、御坂は面倒そうに省吾に預けた。岡野は既に二人の覚書をファイルに閉じて、書類棚へと閉まっている。


「では、話を再開いたしましょうか……」


 岡野は客間のソファーに先ほどより深く腰掛け直して、二人の方へと向き直った。



         ※      ※      ※



 剛三の遺産相続問題がこの事件の根底にあると考えていたためだろう、岡野はまず田宮家の家族構成を説明するところから話を始めた。それを知らなければ、剛三氏と敦彦氏が死ぬと誰が得をするのか、金庫の中にある遺言状が出てこなければ誰が得をするのか、その辺りを理解する事ができないため、その必要に迫られてのものだと最初にそう断ったうえで。

 故・剛三氏と付き合いが長かったという岡野は、遺言状の中身を予測しながら、この屋敷に住む田宮家の人々について、その人物評を二人の前で順に披露していく。

 省吾のメモを元に、以下にそれをまとめてみよう。


①田宮孝則 29歳 バツイチ

 剛三の次男、敦彦の弟。公私ともにいい加減な性格が災いし、剛三の紹介で結婚した妻と離婚。それ以来、父剛三との仲は険悪。

 遺言に従えば遺産の分配が最も不利であろう孝則を、岡野は犯人と疑っている。


②田宮絵里 26歳 未婚

 剛三の長女、敦彦・孝則の妹。剛三に恋人との仲を反対され、喧嘩中だった。近々田宮家を出て独り立ちする予定。また、絵里との喧嘩の最中に、剛三は遺言状の内容を修正している。

 岡野は彼女に対しても、一定の疑いの目を向けている。


③田宮文江 27歳 未亡人

 敦彦の妻。敦彦の子、剛三の孫である田宮真(現在3歳)の母。

 剛三の遺言状に従えば、現在最も有利な立場にあるのが彼女であろう。遺言状に従うのなら恐らく剛三の遺産の殆どを受け継ぐのが敦彦であり、敦彦が死亡した今となっては妻の文江に、その遺産が相続される事になるからである。

 剛三の孫にあたる真に将来の田宮家を継がせるのが理想的だと、岡野は考えており、母の文江の事も信頼している。

 ただし、”金庫の鍵を隠した犯人と、剛三・敦彦を呪物で殺した犯人が別人であるとすれば、容疑者から外すべきてはない”という省吾の主張に対し、岡野も否定はしなかった。


 また、岡野の立場も地に足が付いていないのだと、彼自身が最後に付け加えた。故・剛三氏からこの屋敷の管理と、この屋敷で行う仕事の一部を補佐を命じられていたのだが岡野だった。

 剛三氏が亡くなった今、本来であれば遺言状に従ってこの屋敷を相続した者が、新ためて屋敷の管理体制を定める筈なのだが、敦彦殺しの混乱と遺言状が未だ取り出せない事もあり相続の手続きが終わっていない。そのため当面は岡野が、屋敷の管理を引き続き行っているのだという。


「しかし相続税だって山ほどかかるだろうし、人殺しまでして遺産が欲しいものじゃろうか?

 遺言状の内容が岡野殿の予想道理だと仮定すると、剛三氏の遺産はまず敦彦氏に引き継がれ、敦彦氏の遺産が奥さんの文江さんに渡るわけじゃから、事と次第によっては相続税が倍取られる羽目になるのではないか?」


「私は法律にそこまで明るい訳ではありませんが、御坂さんの言う通りだったとしても、剛三様の遺産は莫大なものです。相続税対策に、海外に税と無縁な隠し資産も蓄えてありますので」


 突如、省吾が興味深そうに岡野の顔を覗き込んだ。


「もしかして、それはタックスヘイブンってやつですか? 噂には聞いてたんだけど、本当にあるもんなんすねー。

 ……ってことはもしかして、金庫の中にある重要な契約書って……」


「はい、タックスヘイブンに作ったペーパーカンパニー関連の資料も入っています。

 そのため業者に頼んで金庫の扉をこじ開けるのも躊躇われるのです。万が一この書類が彼等の口から洩れようものなら、どんな騒ぎになることか。あの大金庫は剛三様が特注したもので、こじ開けるとなれば只でさえ大仕事になるでしょうし」


「おい、わしにも分かる言葉で話してくれんか? タックスヘイブンなんて横文字は、聞いたこともないんじゃぞ、わしは」


 御坂が、省吾を脇から突く。こういう仕草を彼女が見せるのは、ごく親しい間柄の人間だけだ。


「しょうがないなー智巳は、俺が分かりやすく教えてやるよ」


 ここぞとばかりに得意気に笑う省吾に釣られ、御坂もクスリと笑みを漏らす。彼のこういうところが憎めないというか、どこか可愛く御坂には感じられてしまうのだ。


「タックスヘイブンっていうのは、租税回避地のことだよ。税金の安い海外にペーパーカンパニーを作って、そこに資産を預けておけば税金を殆ど払わなくて済むだろ。

 租税回避地となる国も、ペーパーカンパニーに目を瞑り、富豪達の資産を集めておこぼれを頂戴してるって仕組みなんだよ」


「なんじゃ、要するに脱税ってことか」


 興味なさげに御坂が呟く。御坂も省吾も宗教関係者であり、税とはほぼ無縁の人間なのだ。


「剛三様の名誉のため、一言断らせて頂きます」


 が、軽い口調で会話する二人を威圧するかのように、岡野は不愉快そうに語気を強める。そこには恐らく、二人を黙らせたいという、岡野の意志が込こめられていたに違いなかった。

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