「言葉の地獄」


前を行き、振り返るのは恐ろしく───


「言葉は刃物、って先生が言ったんだよ」


昭和三十三年、下町の小学校。

作文が得意だった少女・綾子は、ある日、担任にそう言われた。


「君の言葉は人を切る。もっとやさしく、あたたかくなさい」


その日から、綾子の作文は誰にも読まれなくなった。

けれど──彼女は書き続けた。


それはもう、作文ではなかった。


祈りのようで、呪いのようで。

言葉がねじれて、重なって、傷つける場所を探しているようだった。



あるとき、綾子は一冊のノートを「ともしび文芸賞」に投稿した。


その作品は、たちまち噂になった。


「読むと声が出なくなる」

「意味がわかっても怖い」

「意味がわからないのに怖い」


編集部には、原稿の返却を求める手紙が相次いだ。


最後に届いた一通には、こう記されていた。


「あの言葉は、読むものではない。

──あれは、“音のない悲鳴”である」



それから数年後。

図書室の奥の棚に、作者不明の一冊のノートがあった。


表紙には何も書かれておらず、

ただ、1ページ目に赤いインクでこう記されていた。


「読んだら、声を出してはいけません」


図書委員の少年が、それを読んだ夜。

家の中で、誰かが口元を塞ぐ音がしたという。


翌朝──少年は、一言も話せなくなっていた。



ノートは、消えた。


だが、少年が最後に書き残したメモには、こう記されていた。


「言葉が、まだ喉の奥で笑っている──」



【余韻】


言葉は時に、命より重く、

そして時に、音もなく地獄を連れてくる。


もしあなたが、

書かれた“意味”ではなく、“音”に違和感を覚えたなら──

それはもう、地獄の入り口かもしれない。



昭和怪談集 ともしび

──声にならない叫びは、紙の上で今も息をしている。

あなたの目が、それを読もうとした瞬間から。


…それは、もう始まっているのです。

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