昭和怪談集 ともしび
最中
「赤い糸」
前を行き、振り返るのは恐ろしく───
それは、昭和の終わりごろ。
ある街外れの下町で、ひっそりと囁かれていた噂がある。
商店街の奥、くぐるようにして入り込む細い路地の先に、古びた木造アパートが建っていた。
壁も床も軋む造りで、部屋の奥には、きしむ音をたてながら昇る古い階段が続いている。
その階段に、一つの奇妙な“もの”があった。
──「赤い糸」だ。
いつも決まって、手すりに絡むように結びついているその糸は、
誰が見ても不自然で、けれど誰も触れようとはしない。
色は新しいかのように鮮やかな赤。
昼は目立たぬが、夜になるとふとした瞬間、揺れているのが見えるという。
ある晩、アパートの住人である中年の男が、酔って帰宅した。
ふらつく足取りで階段をのぼりながら、
男は何の気なしに、その赤い糸に手を伸ばした。
指先に触れた瞬間──糸が、生きているように手に絡みつき、締めつけてくる。
驚いて振り払おうとした刹那、階段の奥から声がした。
幼い女の子の、すすり泣く声だった。
酔いが醒めた男は、恐怖に駆られて逃げ出そうとするが、
糸は切れず、手にまとわりついたまま離れない。
そして、赤いスカートをはいた小さな影が、階段の奥からじわじわと──浮かび上がってきた。
翌朝、男の姿はどこにもなかった。
誰にも気づかれることなく、静かに、いなくなっていた。
それでも、赤い糸は変わらず階段に絡まり続けている。
気づいた者は、やがて“いなくなる”という噂だけが、残されていた。
今夜もまた、知らずにその糸に手を伸ばす者がいるのだろう。
「いなくなりたい人が、糸を結ぶんだよ」──と。
昭和怪談集 ともしび──触れたのは糸か、誰かの願いか。
ほどけぬままに絡まり続ける、それは終わりのない招き。
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