5. 予言者マーリン

 繊細な彫りで縁どられた二人用の木製の丸テーブル。その上には金貨やアクセサリーが所狭しと積まれている。同じ木から彫り出された美しい一対のアームチェアには、豪華な金糸の刺繍がされたビロードのクッションと背当てが張られていた。


 そのテーブルを挟んで座り、カードを片手に銀のカップでワインを飲むのは、妙齢の美女二人。


「また寵臣を追い出して新しい男を囲ったとか。女王さんはまだまだお盛んじゃ」


 外見に似合わないしわがれ声を出したのは、肩までストレートの黒髪の女。黒いフード付きのケープの下に、透けるような絹の衣装を身につけていた。前髪は眉上で切りそろえ、額の真ん中には大粒の真珠をあしらった金の髪飾りを掛けている。ほっそりとした手は小麦色に色づいていた。


「別に女がいたのだ。女王を愛人にしようなど、十年早い」


「ほっほっほっ。母子ほども歳の離れた男たちに、それを言うのか」


 女官との密通を理由に地方に飛ばした寵臣セオドアも、実母の宮廷追放に連座させた寵臣デヴァルーも、女王より二十歳以上は若い。


「余計なお世話。自分こそ、その姿は何のつもりか。まるで南国の娼婦」


「なんと。わしの若い頃の評判を知らんのか。この鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていたんじゃよ」


「バカバカしい。鼻じゃなくて、その丸出しの乳首が男を嵌めたのであろう。色キチガイも甚だしい」


「失礼じゃな。これは古代エジプトの美姫の装束ぞ」


 口を尖らせながら 、黒いケープの女がカードを1枚だけ交換する。そして、手札を確認してほくそ笑むと、真珠の髪飾りを取ってテーブルに置いた。女王はガーネットの指輪を外して、その上に重ねる。


「それで? お前が王の前に姿を現すのは、王家の大事に関わることであろう」


「いかにも」


「呪いか。それとも祝福か」


「どちらとも」


 彼女はブリテン島の王に助言をする魔術師。時空を越えて歴史を見届ける役目を負う偉大な賢者だ。女王の前に初めて現れたのは、実母アン・ブーリン処刑の前夜。王家の歴史が動くときだった。


「相変わらず意味が分からぬ」


「予言じゃよ。謎解きが必要じゃ。直ぐに分かったら、わしは要らんじゃろが」


 女王はため息をつく。予言の謎を理解できた試しはない。アーサー王の御世から、予言は王家に都合よく解釈されてきただけだった。


「まあ、よい。それで、今回はどんな予言か」


「『宿命の乙女と選ばれし者』についてじゃ」


「ほう。吉兆か?」


「いかにも。または凶報」


 女王の顔が曇る。後継者となる男児を得た喜ばしい時期に、その未来に暗い影を見たくはない。彼女は女王の責務と同時に、愛情深い祖母として孫が治める世界の平和と幸福を願っていた。


「その『宿命の乙女』とは誰か」


「女神の巫女」


「では『選ばれし者』とは?」


「三人の運命の男」


「ふん、何人もの男を手玉に取る魔女ビッチの話か」


 魔術師は被っていたフードを取った。黒曜石のように濡れた瞳が、蝋燭の灯で揺らめく。


「魔術師に向かって、そのような俗語を。女王さん、あんた遠慮がなさすぎるぞい」


「女神とはケルト信仰であろう。堕落した巫女が偽の神託をでっちあげる。150年前にフランスにも出た」


「オルレアンの乙女のことかい。女王さん、意外と鋭いのお」


 ジャンヌ・ダルクは百年戦争末期にフランスを勝利に導き、やがて捕らえられてイギリスで異端審問を受けた軍人だった。不遇の王太子だったシャルル7世に、己が命を捧げた処女。19歳で火刑に処された彼女は、13歳で神の啓示を受けたという。


 不吉な数字。娘が13歳で懐妊することを女王が黙認したのは、処女でなければ神にも悪魔にも魅入られないという迷信のせいだった。巫女も魔女も狩られて、末路は悲惨なものとなる。ブリテン島土着の信仰とはいえ、輪廻転生を唱えるケルトも当然異端であった。


「偉大な魔術師マーリンよ。王家はもはや予言には関与しない。そのまま持ち帰えられよ」


「謎解きはよいのか。その意味を問うのは、王の特権ぞ」


「よい。避けられぬのなら、知らぬほうが幸せやもしれぬ」


「じゃろうか。女王さんも老いたのう」


「おばば様には言われたくない」


 おばば様と呼ばれた美女マーリンはカラスのような声で笑うと、あっという間に黒装束の老婆になった。その皺だらけの外見からは、もう男か女かすら見分けがつかない。


「さ、勝負じゃよ。女王さんの手はなんじゃ?」


 マーリンがテーブルに置いたカードを見て、女王は不敵な笑みを湛える。エリザベス女王が強運の持ち主であることは、その人生において証明されていた。マーリンは名残惜しそうに、テーブルに積まれた宝物を見下ろす。その真珠は若き日の戯れの恋の思い出。ローマの執政官から贈られたものだった。


「わしの負けじゃな? しかたないの。ほれ、持ってゆけい」


「いや、これは王家からの贄としよう」


「しかし、それでは賭けの意味がのうなってしまう」


「気にするな。神殿への供物と思えばよい」


 女王の言葉にマーリンは喜んでテーブルの上の金銀をかき集める。


「して、対価は?」


「いらぬ。お前のその予言こそ、我への献上品であろう」


 持ちきれないほどの金品を抱えて、マーリンはその場から姿を消した。それを見届けてから、女王は自分のカードをテーブルに投げる。

 それはなんの役もないハイカード。完全な負け札だったが、その手を狙って作ることはむしろ勝つことよりも難しいと思われた。

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