第24話

  ◆◆◆◆◆◆


「それでは、この温泉を作るまでの話をご説明ください」

 審問官の口調は丁寧で、今の所拷問をして自白を引き出すといったような苛烈な尋問は無い。

 しかし今日で同じ説明をするのは十回目になる。

 自分の行商人になってからの半生をほぼすべて筆頭審問官のロレンツに説明していた。

 けれど審問官の反応は笑うでもなく泣くでもない。

 この十日間ほぼ同じ行動をしている。前日に知らされた時間に取り調べの部屋に連れて来られ、先ほどの様なロレンツの一言から延々自分の半生を語り続ける。

 時折前日と話している内容の時期がずれたり前後したりしたものもあったように思うが、ロレンツは何も言わずじっとタシムの話を聞くばかりだった。

 昼過ぎにその尋問が終わると、毎回別の審問官に促されながら、ノルホ温泉郷の中を証言に沿ってあちこち巡って説明などを行う。


 正直、噂に聞く異端審問局の苛烈な取り調べの噂に絶望していたタシムだったが、この十日間の不気味なほど単調な日々に別の意味で恐怖を感じていた。

 次の朝起きたら噂の拷問が始まるのでは?温泉郷内の説明を終えて帰ってきたら、拷問官が待ち構えているのでは?審問官の背中に見える壁の向こうでは、いつでも出て来れる様に拷問官が四六時中待機しているのでは?――――

 見えない恐怖に怯えながら、表面上変わらない日々を淡々と過ごす。日が経つにつれ、早くこの不安に駆られる状況から逃れたいと思うものの、他の人たちの今の状況は判らず、何を疑われ、何をさせられているのかも知らない。


 その後も同じような日々が続き、十五日間、毎日同じ事が繰り返される。


 心の中の大部分を早くここから逃れたいという思いが覆い尽くす。

 もう嘘でもこの場を誤魔化して逃げ出せるなら、言いなりになってしまった方が良いのではとすら思えた。

 同じく拘束されているであろうペリコ氏やディーナ夫人、もしかしたらロッシ司祭も同じ目に遭っているのかもしれない。いや、もしかしたら早々に嫌疑が晴れて、今こうして尋問を受け続けているのは自分だけかもしれない。

 もしかして自分だけに全ての嫌疑を押し付けて、皆逃げおおせたかもしれない。

 もしかしたらはじめから、自分をいい気にさせて祭り上げ、役目が終わったら消し去るためにこんな仕打ちを受けているのかもしれない。

 もしかして…………


 尋問十七日目となるこの日、いつもと同じように尋問が始まったが、一言も話す事ができずに俯いて、焦点の合わない目で虚空を見つめている自分自身をタシムは認識できていない。

「ようやく話す気になりましたか?」

「え?」

 尋問が始まって初めて今までと違う言葉を使ったロレンツにタシムが反応する。

「あなたの上辺の話なんてもう良いんです。そろそろ本心を語って頂けませんかね?」

 そう言ってじっとタシムを見るロレンツの目は、相変わらず突き刺さるような鋭さを持っている。

 本心と言われても、タシムにしてみれば別に今までだって何かを隠して話したわけではない。

 真意は何か困惑してロレンツを見るが、相変わらずじっとタシムを見ているだけで、補足の説明をする訳でもない。判っているのは『本心を語れ』と言っている事だけだった。


 でも、本心とはいったい何だろう?

 その後タシムは自分の本心とやらが何なのか考え続ける。優に二時間はその沈黙が経過したが、ロレンツは微動だにしない。

 段々タシムの中に待ち続けるロレンツに申し訳ない思いが沸いてくる。

 多少の焦りと共に、語るべきはこれまで話してきた自分の半生で、人に語るべきでないと思っていた事を今ここで正直に話す事ではないかと思い至る。

 それはとても恥ずかしい事で、いくら神職の人間とは言え呆れ失望されても仕方が無い事なのかもしれない。けれど、きっと求められているのはそう言う事と、タシムは覚悟した。


 意を決したタシムの態度に、ロレンツが一瞬目を細める。

「まずはノルホ温泉郷を作るきっかけは、今まで話した通りたくさんの人にここに来てもらい、体の不調を直し、気持ちを楽にしてもらいたかったのは確かです。けれど、僕のその、個人的な、やりたい事もありました……」

「……続けて」

 ロレンツは事態が動くことを確信したが、タシムの態度と切り出し方はどこかズレている様な、聞かないほうが良いような直感が働いた。

 しかしこの状況では職業意識が優先し、タシムに続けるよう促してしまう。

「そのやりたい事は……奥さんと一緒に風呂に入る事です!」

「……………………は?」

 一瞬ロレンツの鉄面皮が崩れ、書記官は噴き出しそうになるのをメンツに懸けてこらえ、羽ペンをへし折った。

 しかし必死なタシムはそんなロレンツたちの反応を見る余裕などない。


 その後も記憶を遡り、様々な出来事があった時にいかに自分がよこしまな考えを抱いていたり、人として恥ずべき魂胆を抱いていた告白した。

 けれども話を聞かされる二人には、親離れできていない悪童が、親の気を引きたくて行う悪戯程度の行いにしか感じられなかった。

 聞きたいのはこんな話ではないと思ったが、いかにも大罪人が罪を告白して許しを請うようなタシムの話を、止めるのも何だか忍びない。

 けど途中で遮ってしまえば良かったと後悔したのは、タシムがインファとの初夜の際に自分がいかに欲望に忠実であったかを語り出したときだった。

 運が悪いというか、事情聴取という形でロレンツと書記官は昨日インファと面会していた。それだけに二人の情事の想像が否応なしに脳内を駆け巡る。

『これ…………記録しますか?』

『しなくていい!適当に誤魔化してくれ』

 そんなアイコンタクトをロレンツと書記官は交わし、さしものロレンツもタシムを正視できずに横を向いて生返事を繰り返し、聖職者は純潔であれという貞操観念の強い書記官は、赤裸々な話の内容に聖職者となった事を人生で初めて後悔した。


「……これがここで僕がお伝えすべきと思った、『本心』というものです」

「……ありがとうございました。本日の尋問は以上とします」

「……はい」

 ああ、明日も続くのかというタシムの絶望感はロレンツと書記官にも伝わったが、二人にしてみればそれどころではない。

 二人は部屋を出ると、ロレンツは両手で顔を覆い、書記官は羞恥心に嘆息する。

「ロレンツ筆頭審問官、私は明日、彼を正視できる自信がありません……」

「心配するな、私も同じような物だ……」

 ちっとも心配が無くならない回答に、書記官は安堵した。ああ、この鉄面皮の人も、心惑わされることが有るのだと知れて、少し嬉しかったのだ――――


  ◆◆◆◆◆◆


 異端審問局は、国境を越えて要請のあった場所に出向いて行き、教圏の保護と統制を行うための組織である。

 世間では容赦ない取り調べや苛烈な刑罰で認知されているが、実のところはそんな暴力機関とは程遠い。

 国家をまたぐ広域犯罪への対応が主であり、教圏を一つの連邦国家とみた場合、その連邦内の治安を守る警察官、とも捉えられる組織だ。

 取り調べは公平厳粛が旨であるが、暴力的な尋問や拷問も確かに行う。

 しかしそれは被告の犯罪内容が悪質重大であったり、諸事情により短期に供述を得る必要とする場合などに限られていた。

 世間一般に流布される『容赦のない取り調べを行う恐怖の組織』という認識は、教圏の秩序維持を行う上で都合が良いため、敢えて訂正もせず放置している事情もある。

 ただ、職務上異端審問局の職員は感情を表に出すことが殆どなく、穏便な内容であろうが苛烈な拷問の最中であろうが基本表情を変えない。その事が異端審問局の存在の世間一般への恐怖や畏怖を増幅する事に一役買っていた。


 今回ノルホ温泉郷が捜査対象になった理由は、リュージュ村の湧水を使った化粧品が『神の泉』を名乗り、いまや周辺各国にまで流通範囲を広げていた事と、ノルホ温泉郷は初手から国境を越えた宣伝を行っていた事に起因する。

 告発者たちはこの状況に、『禁止薬物を使った化粧水で婦女子を悪魔憑きにし、村に来させて入念に洗脳して元の場所に送り返す。そしていつか来る神への反乱蜂起の準備をしている悪魔的組織』などという文章を付けていた。


 タシムはこの時知らなかったが、リュージュ村にも馬車二台分の審問官がやって来ており、街道に通じる道は随伴の騎士団により封鎖されていた。

 これは村ぐるみの組織犯罪だった場合に備えての事で、犯罪者や異教徒の集団だった場合は、拷問する事も全員煉獄への招待も辞さない覚悟で臨んできていた。


「長時間の聴取へのご協力、ありがとうございました」

「え?」

「タシム氏をはじめ、嫌疑を掛けられていた方々の訴訟内容の裏は全て取れました。皆さんの無実は我々が全て確認をしております」

「あの、では……」

「はい。聴取はこれで終了となります。いくつかの書類にサインを頂くことになりますが、タシム氏文字は……」

「あ、大丈夫です」

「では書類関係の説明を行いますので、確認後に同意いただければ署名欄にサインをお願いします」

「はい、わかりました」

 さりげなく『尋問』を『聴取』に言い換えて、唐突に捜査の終結を宣言するロレンツに、タシムは面食らいつつも内心ほっと胸を撫で下ろす。

 半分くらい何を言っているか解らないロレンツの説明を受け、同意の回答を口にすると署名欄を指示してくる。

 そんな単調な繰り返しは三十分にわたり行われた。


「それでは聴取は以上です」

「は、はい、ありがとうございました」

 別に礼を言う立場ではなく、むしろタシムは冤罪に対する抗議もあっていいはずなのだが、そんな発想も出てこない精神状態だった。

「それにしても……」

「な、なんでしょうか?」

「いえ、タシム氏はここ十年間でそれ以前と随分と違う人物になったような印象です」

「そうで……しょうか?毎日見ている自分の事ですので……正直どう変わったとか、わからないので……」

「確かに、なにか意識していなければ変化など解らないものですよね」

「ですね」


 照れ笑いを浮かべるタシム。

 何かの導入のようでもあり、世間話の延長のようでもあるロレンツの話に、タシムは無意識に警戒心を高める。

「ああ申し訳ない、これは聴取の延長でも何でもない、ただの雑談です」

「いえこちらもすみません……ええと、そうですね十年前までと今ですか……何かを変えたりとかは、覚えてる限り特に何もないのですが……」

 確かに、事前の内偵や情報収取などでもタシムの身辺に何か外部の要因で大きな変化を起こした形跡はなかった。

 資料を見た限りでは、奥方のインファの作る髪飾りがペリコ氏により買われたというの事がきっかけとなり、現在までの付き合いになった事がある。

 だがしかしそれは変化というよりも、偶然が重なった事による『転機』だとロレンツは考えている。

「ああ、でも、不思議な事はありましたね、そういえば」

「不思議な事と申しますと?」

「ええとですね、あのころよく寝床を借りていたシャーンの教会でですね、教会の門の所に、不思議な水色の幕が出てきたことがありまして、確かその後……ああそうだ、なんだろうと思ってその幕を触ったら消えてしまったので、未だにあれが何なのかよくわかっていないのですが……」

 どことなく現実感の無い話に、タシムが昨夜見た夢でも語っているのだろうかとロレンツは考えたが、話の内容に妙な既視感を感じてもいた。

 まさかねと思いつつ、その幕の話について聞いてようかという気になっていた。

「それで、その幕とやらは何度か見られたことが有るので?」

「いえ、十年前に一度見たきりです」

「何かの見間違えの可能性は?」

「それはあると思います。今でも僕がそこにあったと思い込んでいるだけで、本当は何もなかったのではないかと思たりしますし……」

 そのときロレンツはようやく修道会で学んだ神の奇跡の中にある『天恵の門』についての記述を思い出していた。

「もしかしたらそれは、天恵の門ではないでしょうか?」

「え?そうなんです?」

 尋ねられたタシムにすれば、昔ロッシ司祭が語ってくれた天恵の門とあの時見た水色の幕が一致しない。

 そもそもあれが門なのかという気がする。天恵の門と言う位だから、教会の門柱の所に立派な門扉が現れるくらいの感覚だった。


 その後ロレンツと書記官がタシムに聞こえないようひそひそ話をいくつか交わした後、少し青い顔になりながらそそくさと席を立つ。

「これからタシムさんは村に帰るのですか?」

「ええ、これで終わりなら、そうしたいのですが……」

「ああ、かまいません。ご協力に感謝を」

 そう言ってロレンツは手を差し出し、タシムはほっとしてその手を握る。

「ところで先ほどの天恵の門らしき話を詳しく聞きたいのですが、後日また我々の関係者が伺う事になるかと思います。それまで混乱を避けるため、天恵の門の話は誰にも話さないでいてもらいたい」

「え…………」

「できれば先触れか手紙でご連絡となるかと思います。そのためタシムさんの可能な限り所在が分かるようにして頂けるとありがたい」

「あの……それって……」

「ええ、ここで話を伺った私も恐らくは同席……ですかね?」


 もうこれで終わりという淡い期待が潰えたことを、タシムは悟る。

 急ぎ出ていくロレンツと書記官を見送った後、タシムは膝から崩れ落ちた。

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