第20話
◆◆◆◆◆
化粧水売り込みの反応は、タシムがドン引きするような勢いだった。
いったんリュージュ村に引き上げたタシムが水の樽を積み込み、再びダフネ村に来た時に、デミレル商会の従業員が早馬で駆け込んでくる。
何事かと集まった面々の前で馬から転げ落ちた彼は、シャーンの街からの急報で、ありったけの化粧水を持って来いとの伝言を伝えて道路にひっくり返った。
取り敢えず在庫を荷馬車に積めるだけ積んでタシムがシャーンの商会に駆け付けると、店の前には殺気立ったご婦人方が集まり、何やら騒ぎになっていた。
遠くから今か今かと荷物が届くのを待っていた従業員がタシムを見つけ、このまま乗り付ければ混乱になると予想した彼らは、丁稚を走らせてタシムに裏口から入るよう慌てて知らせに来る。
「タシムさん、正面ダメ!裏に来て、裏!」
「え?じゃああの表の人だかりって……」
「その荷物の化粧水買いに来た人たち!見つかったら殺されるかも!」
必死の形相の丁稚に驚きつつ、タシムは丁稚を隣に乗せて裏口に回る。
裏口では待ち構えていた従業員が扉を開けると、馬車が入るなりすぐさま門を閉じた。
その後タシムが急き立てられて荷をほどき、化粧水の入った木箱を店の裏に持ち込んだ時……
ちらっと見た店の表のその光景を、タシムは忘れられそうにない。
きれいに着飾った貴族のご婦人やご令嬢、市場や取引先で見かけたことのあるご婦人方やお嬢さん連中、どこぞのお屋敷の執事や家令…………そんな人々が混然一体となって商会のカウンターに押し寄せ、鬼の形相で化粧水を寄越せと叫んでいる。
店の前の人だかりが中に入れなかった人たちなんだと気が付いて、タシムは戦慄する。
美にかける女性たちが作り出す地獄のような情景に、慌てたタシムはありったけ運ぼうとしてテオドーロ氏に慌てて制止される。
「まだ出すな!とてもじゃないが足りないんだ、慎重にいかないと暴動になりかねない!」
なんでこんなに人が押し寄せる事になったのか、タシムはテオドーロに聞かずにいられなかった。
「ディーナ夫人とインファは、どこまで売り込みに行ったんですか?」
「いやほとんど行っていない!一昨日どこぞの茶会で母さんが売り込んだんだけど、リュージュ村に住み始めて肌つや良くなってるのを『これのおかげ』と言ったもんだから、その場で取り合いになったらしくて……次の日には領主様の奥方様が店に来て……」
テオドーロの半ば涙目になりながらの説明にタシムは同情する。
店の裏手の一角では、ディーナ夫人が悠然と構えて従業員に次々指示を飛ばし、インファが配達先の書かれた札を化粧水に取り付けていた。
「タシムお疲れ様。すごいねお客さん」
「いやあ、……うん、そうだね……」
従業員もお客も大パニックになっている中、インファだけはいつも通りのほほんと自分の仕事をしていて、取り乱したような素振りもない。
おかげでタシムも周囲に呑まれる事無く冷静になれたが、インファの肝の座り方に畏敬の念を抱いた――――
「例の化粧水が店に入ったと聞いた!領主様直々に所望している品である。早急にお渡し願おう」
「ああっ!もう来た。早すぎますよもう!」
焦ったように駆け込んできたのは領主様の家臣のようだった。
ちょうど店頭に出せる化粧水が店に出たのはその直後。裏手にまで聞こえてくる怒号と悲鳴に、裏手の人々は一瞬怯む。
戦場の喚声も霞んでしまうような女性陣の罵声と雄叫びは、領主様の家臣の連れてきた兵士すら後ずさりする迫力があった。
「このままでは死者が出かねません、どうしますか?」
青い顔の従業員がディーナ夫人に縋るように指示を求める。
「お買い上げいただいたお客様は裏手から外に出しなさい。いいこと?一人ずつ落ち着かせて誘導なさい」
「そ、そんな事よりディーナ夫人、領主様の……」
先ほどの勢いをそがれた領主様の家臣が、ディーナ夫人に被せるように声を掛けると、ディーナ夫人にひと睨みされ、「ひっ」と思わず口に出てそのまま後ずさる。
「混乱が収まるまでお待ちくださいませ。今表に出てその化粧水をひと箱抱えて歩いていれば……どうなるかわかりませんよ?」
「いやこれは領主様の……」
「殺気立った群衆、しかも綺麗になりたい一心の女性方がどうなるか……ご家族の様子からお判りでしょう?」
その一言に領主様の家臣は思い出したくもない記憶を刺激されたのか、顔色をなくして下を向く。よく見ればこの家臣、頬に切り傷があり、目元の青タンを化粧でごまかしているようだった。
「すまない、我々もその……」
『こわいんだ……』という、領主様の家臣の心の声が聞こえた。
店にやって来た客の修羅と化した有様が、きっとこの家臣の家や領主様の館でも繰り広げられているのだろう。
ここで在庫を押さえられなければ確実に誰かの首が飛ぶのが、彼らの態度からありありと判った。
◆◆◆◆◆
その後この狂騒は二か月ほど続く事となる。
タシムも水の入った樽を必死にリュージュ村とダフネ村を往復する日々が続く。
村に出来たデミレル商会のゲストハウスも、完成して即予約が延々埋まる事態となる。
ディーナ夫人も当初は商会のお得意さんや新規顧客への接待会場程度に考えていたが、異国情緒あふれる家並みと食事、そして清廉な湧き水とその水を使った浴室を整備した事で、シャーンの街の婦女子の心を鷲掴みにしてしまった。
予約の殺到ぶりに商会のゲストハウスは後日また整備する事にして、ディーナ夫人はここをホテルとして運営する事にした。
そのホテルを美肌が約束された宿として喧伝した事で、近隣都市にまでリュージュ村の名前と、名水の地としての名声が轟くことになる。
おかげでホテルの予約はますます取りづらくなり、少々予約争奪戦に出遅れた領主様一家は、ようやく取れた予約が二年先となったのに地団駄を踏む事になったという……
そしてもう一つ大切な事があった。それは水源の湧き水について、リュージュ村とデミレル商会で水利権についての取り交わしが行われたのだ。
ペリコ氏に言わせれば、お人好しな村民に水源管理を任せていれば、今後村にやって来る人々に好き勝手されるのは火を見るより明らかだとのこと。
デミレル商会からすればそれは起こり得る事態と思えたし、彼らに任せていたらこの貴重な水源も環境も破壊され、商会の安定的な収益源も失う事となる。
そのための先手を打った対策だった。
これらの協定の締結とシャーンにいる領主様への根回しは、化粧水の売り出し前に終えて置き、知名度が上がった後に介入してくる輩を『領主様も含めて』排除する事に成功した。
デミレル商会の独占の代価は、水源を使った商品の売り上げ額の二割の納税と、リュージュ村内の水源地の保全の義務だ。
実はこの『リュージュ村内の水源地』とわざわざ書いたのにも意味がある。
通称村の水源地と言われていた湧水池以外にも、小さいながらも村内には結構あちこちから水が湧いている。
水量はそこまででないにせよ、普段の生活に使う分には十分な量なので、そういった場所もデミレル商会は水の利用権を得て、保全の義務を負った。
おかげでディーナ夫人が建てさせたホテルにも、水源の一つを独占的に活用しいつでも湧き水が飲めるという、この国ではとても贅沢な環境を宿泊者に提供している。
「はあ……難しい事は分からないのでお任せします。その……税金とかもお任せして申し訳ない位ですし」
「いや村長、デミレル商会としてもきっちり儲けさせてもらっているから、そんな恐縮する話ではないのだ」
来月には珍しく税吏が来ると連絡があった日、湧き水関連の今年の売り上げと納税額をまとめて、ペリコ氏が村長宅を訪ねていた。
「ペリコさんが来るまでは、納税なんて麦だけでしたからねえ……蕎麦は貰っても仕方ないからと言われちゃいましたし……」
「まあ、領主様や貴族の方々は食べないでしょうし、ありがたく村で食料にすればいいでしょう」
「持ち込んでくれたタシムに感謝ですなあ」
「あのガレットとかいうの、中々に美味でしたなあ」
「村の女衆も調味料が使えるようになったと喜んどります。本当に、皆さんのおかげですよ……」
「商会の従業員も、納めた商品が美味い料理になって帰ってくると喜んでいましたし、こちらも従業員を可愛がって下さって感謝ですよ……よし、これで計算合いました。村長、ご確認を」
「はいはい、それでは……」
ちなみに納税はライ麦と大麦120束、装飾品が金貨15枚、そしてデミレル商会関連で金貨140枚だった。
「……!!ひゃっつく……よんじゅう!?」
「……?村長どうした?ちょっと、え?誰か!ばあやか誰かいないか?村長が気を失った!」
納税額が軽く十倍くらい増え、村長は暫く帳面を見るのが怖くなった――――
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