第16話
◆◆◆
その後も度々市場の関係者を通じて取引の際のキックバックを求められたが、タシムはすべて断った。
「一年もしないうちに後悔する事になるよ……」
直接タシムの元にやって来て脅しをかけてきたレイノ商会の従業員は、そう言い捨ててタシムを睨むと去って行った。
それからの攻防はタシムにとって辛い選択の連続となる。
宿に泊まれば積み荷を荒らされたり盗まれたりするようになり、仕方なく教会に寝泊まりするようになる。
直接手は下されないものの、街中を歩いていると後ろを付きまとわれ、ガラの悪い連中に煽られたり、取引の邪魔をされたりする事もあった。
ゼーレンも最初はいつも通りの取引に応じてくれたが、圧力を掛けられたのか徐々に麦の取引額が安くなってゆく……
栗の実もシーズンを過ぎれば流通は無くなった。来年までに失った信用の回復に務め、受注や予約に繋げようと頑張ってみた。
しかし度重なる流言や出回ってしまった粗悪品の悪評のせいで、取引に応じてくれた市場関係者は少なく、伝手を頼って直接シャーンや他の街の飲食店などに卸す事で、少しずつ販路を広げるしかなかった。
そんな中糊口をしのぐのに支えとなったのが、インファをはじめとする村の女性陣による装飾品の売り上げだった。
装飾品が領主からの受注を得たという事が大きな宣伝材料となり、店を構えて徐々にシャーンの街で頭角を表してきているペリコ氏は、どちらかと言うとレイノ商会とは敵対関係になる。
そういった事もありタシムの窮状にも理解を示してくれて、市場と関係しない取引先や顧客の斡旋など、色々な手助けをしてくれた。
あれから四カ月が経過して年も越せたが、タシムの旗色は相変わらず良くない。
取引から締め出される事も多く、意図的に偽情報を流されたり、逆に何も知らされないで煮え湯を飲まされることもある。
そして割に合わないからと長年リュージュ村にやって来なかった徴税人が告発され、レイノ商会の息のかかった官吏が新たに徴税執行官に任命された。
その官吏により、過去数十年分のリュージュ村が納めるべきだった税の取り立てが行われそうになった。
幸いペリコ氏を通じて領主に経緯を説明出来た事で、過去分の追徴課税は免除されたが、他の町や村の手前今まで通りとはいかず、今後は相応に納税を行う事となった。
徴税が行われることにタシムもリュージュ村の人々も納得はしていた。しかし嫌がらせのように金ではなく物納を求められ、しかも輸送は村の負担で行う様に強制される。
タシムは黙って従うしかなかった。おかげで年二回の輸送は納税のために行う事となり、また一つ村の収入が減る要因を増やすことになった。
そんな日々の中、タシムはやがてこの逆境で支えてくれる人たちが少なからずいる事に目が向くようになる。それらはタシムが今まで積み上げてきた実績や信頼が結実したものだった。
彼らは、何があっても裏切れない。
何より自分の守るべきものを思い浮かべた時に湧いてくる使命感を胸に、毎日の理不尽を耐え忍び、前を向いて相対する人に笑顔で語りかけようと努力した。
それらはやがて、タシムの見えなかった所で徐々に変化を生み、流れを変え始める――――
◆◆◆
「そば……ですか?」
「うん、蕎麦の実というものらしい。痩せた土地でも育つという事で、最近うちの教会にも種が廻って来てね」
すでにここ数カ月の定例となったロッシ司祭との晩酌の席で、タシムに手渡されたのは小袋に入った種子と、木版印刷による栽培指南書だった。
「こんな貴重な物、僕に渡されましても……」
「いや、この蕎麦というやつは確かにどこでも育つものなのだそうだけど、肥えた土地ではむしろ育ちが悪いという植物で、残念ながらシャーンの街近辺では全然需要が無くてねえ……」
「なるほど……それでこれ、どういった食べ方が出来るのですか?」
「基本は大麦なんかと同じで、そのまま茹でたり、煎って食べたりするそうだ。粉にして小麦粉のような使い方もできるらしい」
「えーと、『らしい』というのは?」
「タシム君、私が料理出来るとでも?」
「思っていませんが、ノール君でしたっけ?助祭の。彼なんか手先が器用そうですし……」
タシムの言葉にロッシ司祭は張り付けた様な笑顔で言葉を続ける。
「ここに来るまで鉈の振り方も知らなかった箱入り息子で……」
「あぁ……それはすみません」
「いや、いいんだけどね」
この蕎麦の実、教会が救荒作物として大々的に頒布しているらしいのだが、殆どの所で不評を買っているのだとか。
理由は単純で、一番需要があるはずの地方の寒村は、ほとんどが何か儀式や祈祷をお願いしたいときに、村民がその地方の中心地にある教会に頼みに行く程度の繋がりしかない。
つまり、蕎麦の実の頒布先は特に必要な町や村にしか行き渡らず、本来届けるべき貧しい村や集落には情報すら行っていない。
「栽培を軌道に乗せるには時間がかかるだろうし、司祭たち全員が農業に明るい訳では無い。結構貴族出身者が多い世界だからね、教会関係者。そもそも農業に興味ない事が殆どだ」
そして教会で出世しようとすれば、結果が出にくく時間もかかる農業指導などは後回しにされがちになる。信者の獲得を優先させたり、商人や領主貴族から喜捨を募る方が効率が良いのだという。
生臭い教会の内情にタシムは少し眉を顰めるが、それはそれ、だ。むしろ誰も手を付けていない作物となれば、先んじて市場を作る事だってできる。
ただ、そもそもの話、ちゃんと栽培できるものであったならばなのだが……
「たしかに偶々僕がここに出入りしているから頂けた話なのでしょうが、この蕎麦というもの、リュージュ村でちゃんと育つのでしょうか?」
「うーん、資料を読んだ限りでは、結構向いていると思うんだよね。リュージュ村って土地は痩せ気味で気候は冷涼。斜面地で水はけもいいんだろ?」
「ええ、大体そんな感じです」
「じゃあ行けると思うよ。まあ連作障害に気を付けないといけないのはほかの作物と同じだ。あと根や茎はそのまま肥料にもなるらしいから、最悪休耕地対策にもなるし、栽培を試してみて欲しいんだ」
「わかりました。どれだけ作付け出来るか判りませんが、試してみたいと思います。この資料はお貸し頂けるのですか?」
「うん。この教会にあっても誰も見ないから、暫く預けておくよ、いざとなれば教区長にまたもらえばいいし」
「と、いいますか……こういった資料って持ち出し禁止な物が多い気がするのですが?」
「あははは、まあ、私は物と知識には適材適所というのがあると思うのさ。教会で後生大事に持っていても実りにはならないだろう?少なくとも私はそういう風に考える人間なんでね」
タシムとしては有り難いのでロッシ司祭の言葉に甘えるつもりなのだが、本当にこれで良いのか首をひねる所でもある。
ロッシ司祭は大らかというか大雑把というか、四角四面な対応が多い気がする教会関係者の中で、少々枠から外れたタイプの人ではある。
その後レイノ商会が最近シャーンの街の中でも発言権を大きくしており、他の商会や店、工房から徐々に嫌われつつあるという話題に移る。
教会にも寄付をちらつかせながらタシムを追い出すよう『お願い』をしに来たらしく、背教者扱いしてやるぞと諭したら慌てて逃げて行った話を教えてくれた。
レイノ商会は執拗にタシムを追い詰めるべく包囲を狭めている。
その事にまんじりとしない思いを抱えつつ、ロッシ司祭の変わらない態度と優しさに、タシムはその日何度も感謝を捧げた。
◆◆◆
次の日、タシムは市場の人々が小麦の生育具合に不安が広がっている話を小耳に挟みつつ、ゼーレンとも厳しいやり取りを繰り返してどうにか一息つける所まで持って行けた。
その後ペリコ氏の店で納品作業をしていると、ニコニコ顔でペリコ氏が何かを抱えてやって来た。
「タシム君、面白いもの見つけてきたよ」
「こんにちはペリコさん、なんです面白いものって?」
新しい物好きのペリコ氏は方々で新しい商売や物品の話を聞いて来ては持ち帰り、色々な人とディスカッションしながら有用性や市場性を探る人だ。
一般に流通する前の物も数多く、タシムも楽しませてもらいつつ、色々な知識や見識を学ばせてもらっていた。
「これ、ガラス瓶でね、まあ、ガラス瓶自体今までもあるにはあったんだけど……」
そう言って包みから出してカウンターに置く。
子供が一抱えするくらいの大きさの瓶にはコルクの蓋が付いており、ある程度密封も出来るようになっている。
タシムの認識では、ガラス瓶は貴族や大商人などが大事な物を保存するための容器だったり、装飾品などに使っているものという考え方だ。
「これ、今迄のガラス瓶の三分の一くらいの値段なんだよ」
「え?じゃあ銀貨一枚にもならないってことでは?」
「そうだね、その体感で間違ってはいないね」
改めてタシムはそのガラス瓶を見る。
重さも陶器ほどではなく、厚みも同じくらい。何より中身が見えるというのが物凄い利点だと感じた。
「凄いなあ、綺麗だし」
「形もそろっていたし、結構分厚いので頑丈だから、輸送もしやすいと思いますよ」
なるほどとタシムは感心する。そして頭の中で同じ形で作れるなら物は荷馬車で運びやすいという事に頭の中の回路が繋がる。
興味津々でガラス瓶を眺めるタシムにペリコ氏は満足そうな笑みを浮かべ、タシムが教会で蕎麦の種を貰ってきた話をすると、何か少し思案した後で、とある提案を行ってきた。
「どうですかねタシムさん、あちらの交渉は私がつける事も出来ます」
「それは非常にありがたいですし、私にとってはいい話なのですが、正直ペリコさんにはあまり利益のある話ではないように思いますが?」
「フフフ、この取引単体で見れば確かにそうですが、当然私にも他の目的があるからですよ」
「その目的、お伺いしても?」
「構いませんよ。目的は二つあります。一つ目は私の商会の取引の拡大と後ろ盾の確保、二つ目はレイノ商会の影響力拡大の阻止です」
「なるほど……」
正直タシムにはレイノ氏の提案がそんな事に繋がるようには思わなかったが、今年はどのように栗の実を捌こうかと思っていた所だったので、有難くその話に乗る事にした。
◆◆◆
タシムの商売は自分の利益というよりは村の利益という性格が強い。
行商を始めた頃、売り上げの二割はタシムが手にするが、残りは村長の手で分配するようにしてきていた。
しかし去年レイノ商会に目を付けられる前、村長は村への還元は置いておいて、行商人として本格的に一本立ちし、将来的には店を開く方向を目指してはどうかとタシムに提案した。
タシムにも野心はある。インファにもいい恰好したい。
そういった欲もあり、色めき立ったタシムは村長の言葉に甘えて、商売人としての自立を目指して動いた。
結果二か月後に栗の実の納入時のトラブルで大赤字となり、こんな状態が続けばタシムが立ち行かなるだけではなく、村の存亡の危機になりかねない状況になった。
タシムは独立の話は返上し、再び村の利益中心に立ち回る事になる。
そして存外、欲を出して独立して利益を得るより、村に帰って自分が得たものを皆と分かち合う方が性に合っているように感じていた。
市場の行商仲間はそんなタシムの話を小馬鹿にしたように聞いていた。
けれどタシムが自分の思いや感じた事に従おうと思ったとき、そんな周囲の事は気にならず、雑音程度にしか感じなかった。
日に日にその思いは強くなり、そうこうするうちにまた栗の実を市場に持ち込む季節になる――――
今年も栗の実の粗悪品がシャーンの市場に出回り、捨て値であちこちの店頭に並んでいた。元より注文すらまともに取れなかったタシムに売り込み先がある訳もなく、この日は大麦とライ麦、そして少量の蕎麦粉をタシムは売り込み、なんとか利益を得る事が出来ていた。
「栗の実はもう諦めたのかい?タシム君」
「元々注文も頂いていませんので……」
時折タシムの後ろをレイノ商会の雇ったチンピラに付きまとわれつつ、小麦の量が例年の半分もないのをタシムは確認しながら歩いた。
「いい加減意地を張るのも止めちまえよタシム君、俺たちもお前さんに付き合い続ける暇なんてねえんだよ」
「他に何か割のいい仕事があるなら、むしろそちらにいかれては?」
「…………」
無言で返って来る返事は、『そんな美味しい仕事はない』と言っているようなものだった。
それから一月が過ぎて、タシムはライ麦と大麦の出荷も抑え、インファたち女性陣がせっせと作る装飾品中心に商売を進めた。
市場にも疎遠になりつつあるタシムにレイノ商会は苛立ちつつ、どうせ長続きしないと高を括ってのんびり構えていた。
レイノ商会が状況が変化してゆくのをようやく捉えたのは年末の頃。
小麦の不作から値を釣り上げて取引していたのも限界を迎え、ライ麦や大麦、果ては燕麦まで値上がりが始まる。
市場の不安は買占めとなって顕れ、レイノ商会も重要顧客の注文をまともに捌けなくなりつつあり、信用問題に直面していた。
「小麦は無理でも他で何とかしろ!何のために市場を押さえてると思ってんだ!」
レイノ商会の事務所で番頭の怒号が飛ぶ。
「けれどないものを搔き集めるなんて無理ですよ」
「無理でも何でも搔き集めてくるのがお前らの仕事だろうが!商人名乗るなるなら簡単に泣き事言うんじゃねえ!気合入れてそこいらの村の在庫買い叩いてこい」
そういった混乱は日に日に深刻度を増していた。
折しも隣国との緊張が高まって、シャーンの街からも国境地帯への派兵の話が浮上する。
兵糧確保のためにシャーンの筆頭商会たるレイノ商会には領主からかなり強めの要請が再三寄せられ、商会長の焦りはそのまま組織内に伝播していた。
軍の出立直前に何とか用立ては出来たが、無理した影響で商会の倉庫は空になる。
その後派兵された兵士たちは戦闘に巻き込まれる事無く帰還できたが、レイノ商会には感状の一枚寄越すでもなく、日々は過ぎて行った。
あれほどこき使われて何もないのは如何なものかとレイノ商会は上から下までいきり立っていたが、どうやら領主に呼ばれて表彰を受けたのが最近ペリコの設立した商会だったと判明し、愕然となる。
後日久々に市場にやって来たタシムを捕まえ、いつものチンピラを引き連れたレイノ商会の番頭が問い詰めに来た。
「おいタシムさんよ、領主様にどうやって取り入る真似したのか知らないが、俺たちに一言あっても良かったんじゃないのか?」
「取り入るとは、何の話です?」
本当に聞かれた事の真意がわからないタシムはきょとんとして答える。
「惚けるとはいい度胸だ。先般領主様の軍が国境警備に行った折、物資の調達に功ありと表彰されてたよな?お前も一枚噛んでいたんじゃねえのかよ?ああん?」
「噛むも何も……この不作で兵糧が確保できないのを何とかならないかと、在庫になっていた栗の実や、売り物にまだなっていない蕎麦をペリコさんに引き取って頂いたんですよ?」
「え……?」
タシムからはむしろ恨みがましく問い詰められた番頭は絶句する。
ここの所の穀物の高騰で、タシムの持ってくるライ麦と大麦も、隣村の連中に買占めされている情報はレイノ商会でも掴んでいた。
しかし、シーズンを外れた栗の実が流通している話は知らない。穀物類の動向に情報網は集中していたため、完全にノーマークだったともいえる。
「まさか……いやでもどうやって季節外れの栗の実を……いや待て待て待て、あんなもの兵糧になるのか?栗の実が?」
「どうと言われましても……僕たちが出来た事って言えば、ペリコさんに協力いただいて、保存が利くように栗の実を加工して瓶詰にしただけですし……蕎麦はまあ、小麦の代用品として、小麦粉と混ぜて使えば野営地では十分使えると評価いただいたようでして……」
「…………」
番頭は目まぐるしく思考を働かせる。
レイノ商会が必死に領主の要請に応えるべくあちこち駆けまわっていた間、ペリコの商会は『代わりに活用できるもの』を中心に調達を行い、不足する穀物類を補完したという事だ。それは発想の柔軟さで自分たちが完敗している事を番頭は悟る。
また、瓶詰が保存食になるのは番頭も知識で知っていた。栗の実が保存がきくとなれば、その有用性は格段に高くなる。ましてやリュージュ村の栗の実は元々高評価を得ていたもので、レイノ商会が独占すべくタシムに対して妨害を仕掛けていたのだ。
これから先、領主の評価という後ろ盾と、恐らく戦地で口にした兵士たちの口コミが街中に広まる。
そうなれば瓶詰めされた栗の実も蕎麦とやらも、一定の市場価値が今後生まれる事になる。
そしてその新たな商売のタネをレイノ商会は扱えず、恐らくペリコに独占される未来図が番頭には見えた。
番頭は力なく項垂れ、帰るぞと後ろのチンピラを促し、戸惑うチンピラを無視するようにその場を後にした。
後日、レイノ商会の番頭は、ペリコ氏の商会がタシムの情報を元に周辺の寒村にあちこちの教会からかき集めた蕎麦の種を渡し、休耕地などを利用して栽培を始めていた事も耳にする。
村々にしてみればいざという時の食糧のつもりで栽培したら思わぬ現金収入となった訳で、領主様からの感謝状が出たのは、貧しい村々の生活改善を図った功も含まれての事だった。
そこで番頭は今回の商売に完敗した事を悟り、報告を上げるべく重い足取りで商会長の部屋の前に立ってドアをノックする事となった……
対するタシムと言えば、領主様の軍隊相手の商売はそれなりの規模の商談となり、大きなお金も動いたが、要求も経費もそれなりに大きなおかげでたいして儲けも出ないものなのだと考えていた。
そしてこの件以降、タシムへの嫌がらせはずいぶんと減った――――
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