Episode6 掃いて捨てるほど~前編~(「勇者、故郷に帰る。」シリーズ13作目)
あの日あの時、勇者のパレードさえ見に行かなければ……とケイティは幾度となく後悔していた。
いいや、彼女が今現在、置かれている状況を思えば”後悔”といった言葉での表現はあまりにも浅過ぎた。
残照が差し込む薄暗い部屋。
ケイティの瞳からは幾度となく流した涙が伝う。
「助けて……」
だが、彼女のこの叫びは誰にも届かないし、届いたとしても誰も助けには来てくれない。
そう、彼女の母ですら。
孤立無援の状態に置かれた彼女は、地獄のごとき責め苦を他でもない勇者から受け続けているのだから……。
【1】
パレード当日。
城下町で母と二人暮らしのケイティの元にも、魔王を倒した勇者が故郷へと帰る前にパレードを行うという知らせは耳に飛び込んできた。
聞くところによると、故郷とはいっても勇者様は隣の都市の出身であり、物理的に世界の裏側ほどに距離のある場所に帰られるというわけではないらしい。
しかし、自分たち民にとってはもはや雲の上の人となった存在であり、お目にかかることができる機会は一生に一度しかないかもしれない。
一目でいいから勇者様のお姿をこの目で拝見してみたい……と、多くの民たちが連れ立ってパレードへと向かったようであった。
ケイティと母も、パレードへと向かった。
空では勇者の栄光を称えるがごく、太陽が燦燦と照り輝いていた。
白馬に乗った勇者の姿が大きくなってくるとともに、ケイティの周りにいた民たちの歓声もその勢いを増していった。
遠目に見ても、勇者はかなりの長身であり、また筋肉に包まれた頑強でありながらも均整のとれた肉体をしていることが見て取れた。
やがて、その顔もはっきりと見えてきた。
抜きんでた美男子というわけではないが、十分に並以上の容姿をしていた。
「なんていい男なんだろうねえ」と近くにいた誰かが呟いた。
彼の功績という後光も加わってか、その姿は実際よりも数段凛々しく、精悍なものとして民たちの目に映っているのかもしれなかった。
ケイティとふと目線を横に向けた勇者の目が合った。
ただ、それだけだった。
ケイティは見物人の民のうちの一人にしか過ぎず、ほんの一瞬、交わっただけの視線などすぐに逸れるものだと思っていた。
けれども、勇者はケイティのみならず、その場にいた誰もが予測のつかない行動をとった。
パレードの最中であるにもかかわらず、彼は馬を止めて下りてきた。
そして、ケイティと母のいる方向に……いや、ケイティ一直線にズカズカとやってきた。
誰もが「???」となっているのにも構わず、彼はケイティの両手をガシッと掴み、「結婚してくれ」と言ったのだ。
公衆の面前でのプロポーズ。
しかも、勇者様から。
傍から見ると、これぞまさにシンデレラストーリーといったところであるだろう。
勇者はケイティが自分と同い年であることと独身であることを聞いた後は、再度結婚を申し込んできた。
「結婚していなくて良かった。だが、すでに人妻であったとしても奪ってやるつもりだったからな」とも言っていた。
唐突であり熱烈な勇者からのプロポーズ。
しかし、ケイティはそれを断った。
他に心に決めた人がいるわけではない。
勇者の功績は素晴らしいと思うし、民の一人として大変に感謝もしている。
仮に自分が男に生まれていたとしても、同じことは逆立ちしたってできやしないだろうとも。
だからといって、勇者のプロポーズを受けるか受けないかはまた別の話だ。
なぜ、私なの? とケイティは幾度も首を傾げずにはいられなかった。
謙遜でも何でもなく自分でもそれほど美人か? と思う。
整っているか整っていないかと言われれば整っている方かもしれないし、幼い頃から容姿を誉められることも多々あった。
しかし、身なりにお金をかけられるか、かけられないかで男女ともに美貌の階級はかなり変動する。
食べていくための労働が必要不可欠なのはもちろんのこと、身分も財産もなく母一人娘一人で狭い家で暮らしているケイティは貧困層に属しているため、身なりにお金をかける余裕などあるはずない。
人を好きになるのは理屈ではないというが、目が合ったあの一瞬でいったい自分の何が勇者の心に突き刺さってしまったのか、いくら考えても分からなかった。
パレードの最中に勇者にプロポーズされたこと、そしてそのプロポーズを断ったことでケイティもまた、一挙に有名人となってしまった。
興味本位か嫉妬とやっかみか、連日にわたり様々な者がケイティを見に来るのだ。
ジロジロ見に来るだけならまだしも、中にはわざとケイティに聞こえるように「どんだけ美人なんだろうと思っていたけど、あの程度なの? たいしたことないじゃない」とか「よく勇者様からのプロポーズを断れたもんだなぁ。自分をどれほどの女だと思ってんだか」などといったことを言ってくる者もいるのだ。
ケイティは美人ではあるものも掃いて捨てるほどいるレベルの美人、身分も財産も父もなく母一人娘一人の家庭、さらには周りの民度自体もあまり良くないという条件が幾重にも重なり、ケイティと母への風当たりは日に日に強くなってきた。
挨拶をしても返してくれなかったり、買い物に行っても物を売ってくれなかったりなどといったことに加え、勇者からの連日の熱烈なアプローチも止むことはなかった。
ケイティの仕事場にまで押しかけてきたため、ケイティは裁縫の仕事を解雇されてしまった。
解雇を言い渡された時も、以前よりあまり仲が良くなかった年上の女性同僚からの「これからはずっと勇者様に食べさせてもらえるじゃない」とか「超上昇婚ね。私にもそんなチャンスないかしら?」といった、嫌味たっぷりの言葉が餞別代わりであった。
疲れ果てたケイティは、母に言った。
この町を離れて、どこか遠くで暮らしましょうよ、と。
慢性的な貧困の中にいたとはいえ、新天地を切り開けるぐらいのお金はコツコツと貯め続けてきた。
こんなことで大切なお金を使いたくないが仕方ない。
勇者から逃げるには、物理的な距離をとるしかないのだ。
しかし、母は首を横に振った。
「どこに逃げるっていうんだい? あの男のあんたへの異常な執着は分かるだろ? どこに逃げたとしても、すぐに見つけ出されて連れ戻されるのがオチだよ」
母は勇者を勇者様ではなく、”あの男”と呼んでいる。
そのことからも、母も勇者に好感を持っていないのは明らかだ。
「でも、こんな……」
「少しは私のことも考えとくれ!」
母が大きな声を出した。
狭い部屋のささくれだった狭いテーブルに目線を落としたままの母は、ケイティの顔を見ずに続ける。
「あんたは勇者からの要求を突っぱねた。これからも突っぱね続けるつもりだろう。あんたはそれでいいかもしれない。でもね、あんたがそうし続けることで、周りから私への風当たりもより強くなってくるんだよ。……人の敵意や悪意というものは普通は目には見えない。でも、それらもひとかたまりとなると力を持ち、見えない獣と化すんだよ。その獣は、こっちの心を痛めつけ傷だらけにして、苛めば苛むほど喜ぶんだ。……私はただ静かに暮らしていきたい。それだけなんだ」
母が一番恐れているのは、勇者本人ではなく民たち――勇者を崇め奉る民たちからのひとかたまりとなった敵意であり悪意――だった。
何も母親だから全身全霊で命をかけて子どもを守って当然とまではケイティもさすがに思ってはいないし、 裕福ではない暮らしのなか、育ててくれた恩だってある。
何より母親である前に一人の人間であり全知全能の神でないことだって理解している。
けれども、唯一の母ですらも自分の苦しみには寄り添ってはくれないのだ。
【2】
数日後の夜。
ケイティは以前にも増して、なかなか眠りにつくことができなくなっていた。
やっと眠りにつけたとしても眠りが浅くなっているのか、ちょっとした物音や気配ですぐ目が覚めてしまう。
ケイティはその日も母と同じ部屋で寝ていたはずだった。
ケイティがベッドで眠る自分を覗き込む者の気配を感じて目を覚ました時、そして、その者が母ではないことに気づいた時にはもうすでに遅かった。
――!!!
大きくて固い輪郭を持ったその影が、バッと手を伸ばしてきたと同時にケイティの意識は途切れていった。
ついに勇者は実力行使に出てきた。
再び目を覚ましたケイティは、自分は天国に見せかけた地獄へと連れてこられたのだと悟った。
煌々としたランプの光に照らされた広い部屋に目も眩むような豪華できらびやかな調度品、そして自身が転がされていたベッドのシーツの光沢と肌触りも今までの人生では到底縁がなかったような上質なものであった。
しかし――
「目を覚ましたか?」
目の前に勇者がいること自体が、ここが地獄であることの何よりの証明だ。
自分はこの男に拉致された。
窓から見える外はまだ闇に包まれている。
自宅から拉致されて、まだそれほどの時間は経っていないし、ここは距離的にもそう離れた場所ではないのだろう。
「一応、お前の母親……いや、お義母さんには挨拶をしておいたぞ。『娘さんをください』ってな」
そうだ。母の手引きがなければ、この男は寝室にまで忍び込めやしなかった。
「しかし、あんなボロ家に住んでいたにもかかわらず、俺がいくら金を渡そうとしても断固として受け取らず、『娘をどうかよろしくお願いします』ってそればかりをペコペコしながら何度も繰り返してきたんだが……」
母はお金を受け取らなかった。
だが、それが何だというのだ。
母は娘がこの男にどんな目に遭わされるのかを分かっていながら、娘を引き渡したんだ。
「……お願いします! 家に帰してください! このことは誰にも喋りません! だから……」
ケイティは懇願した。
もうすでに声が震えているのが自分でも分かった。
「何を言ってる。せっかくこうして二人っきりになれたのに家に帰すわけないだろう。それに、このことを誰かに喋ったとしてもお前の母親含め、お前の味方をしてくれる者など誰もいやしないことぐらい、いい加減に理解しろ。なんてったって俺は勇者様なんだからな」
「勇者様なのに……魔王を倒せるほどの人なのに、どうしてこんな……!?」
勇者がククッと笑う。
「魔王を倒せるほどの人か……まあ、魔王は弱くはなかったが、全く歯が立たぬほどに強過ぎるわけではなかったわけだが。第一、俺自身も世に比類なきほどに強いわけじゃない。この広い世界を探せば、俺と同程度の身体能力やそれ以上の身体能力の男は掃いて捨てるほどいるだろうよ。俺はその点、客観的に自分を見ている。俺が勇者になれたのは、掃いて捨てるほどいたその男たちが単にやるかやらないか、すなわち魔王に立ち向かっていくかいかないかの違いだったろうよ。ま、誰しも命は惜しいしな。立ち向かっていった男たちの中で、外ならぬこの俺が勇者としての栄光を真っ先に掴んだ。それだけのことだ」
功績と人格は比例しない。
歴史は与えてはならぬ者に勇者としての名誉を与えてしまった。
それに、この男が魔王に立ち向かっていくか行かないかの違いであったのなら、ケイティにとってはこの男に出会ってしまったか出会うことはなかったかの違いだ。
「そもそもだ。こんな話をするためにここに連れてこられたわけではないことぐらいは分かるだろう?」
そう言った勇者は服を脱ぎ始めた。
ケイティは逃げようとした。
だが、男の力に適うわけがなく、ケイティの涙も叫びもすべて夜の闇へと吸い込まれ……消えていった。
その夜の幾度目かに分からぬ力任せの激しい暴行にケイティの意識が途切れる寸前、ケイティはどこかで”すすりなく少女の声”を聞いた気がした。
空耳であったのか、それとも何も知らなかった頃の……少女時代の自分の泣き声が蘇ってきたのかは分からなかった。
西日が差し込む部屋の中で、ケイティは痛む体を起こした。
もう日が沈む。
いったいどれぐらいの時間、気を失っていたのだろう。
部屋の中には勇者の姿も見えず、気配も感じられない。
あたりを見回すと、一着の女性用ガウンがポールにかかっていた。
もともとケイティが着ていた物はすでに襤褸切れ同然となって床に散らばっていたため、仕方なしにそれを着るしかなかった。
部屋の扉には当然、鍵がかかっている。
幾つかある窓も全て中から開けられない状態にされているし、仮に開いたところで、生きてここから逃げ出すのは明らかに不可能な高さだ。
助けて……お母さん……!
その時だ。
部屋の鍵を外からガチャガチャと強引に搔きまわすような音が聞こえてきた。
あの人が戻ってきた?!
ビクッと飛び上がったケイティであったが、扉からぬうっと顔を出してきたのは勇者ではなかった。
しかし、その男の顔を見たケイティは、最悪の状況には際限などないことを思い知らされた。
ケイティはこの男を知っていた。
この男は、城下町ではある種の有名人だったからだ。
皆に”バカのホレス”と呼ばれていた男。
図体はやたら馬鹿でかく力も強そうだが、頭が少し弱くて町のごろつきどもの縄張りにすら入ることを許されず、いわば野良のならず者だ。
何よりも、皆がこの男を避けている理由はその容貌にあった。
知性や思考力の欠片も見られず、下劣さと浅薄さをこれでもかと煮詰めたかのような、顔を見た者に嫌悪のみならず恐怖すら抱かせる何とも言えぬ顔立ちをしていたのだから。
悪口の中には「あれは人間との化け物との間に生まれた子じゃないか」というものもあったが、ケイティもそれを聞いた時は生まれつきの容姿など自身の力ではどうすることもできないことをそこまで言うのはさすがに言い過ぎだと感じていた。
しかし、実際にこのホレスの顔を見ていると、それも中らずと雖も遠からずであるのではないかと思わずにはいられなかった。
そんなケイティの嫌悪と恐怖を知ってか知らずか、ホレスはニタニタしながらガウンを着たケイティの全身を嘗め回すように眺めてきた。
「いやあ、昨夜は本当に激しかったなぁ。一晩に五回もとはさすが勇者様だ。鍵穴から覗いていた俺もすっげえムラムラしちまったよ」
――後編へと続く――
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