11人目『警護傭兵』過去の傷~レヴァント・ソードブレイカー

 ■序章: 痛みを超えて


 深夜の静けさが支配する訓練場。


 歳は若いが少女はいえない。


 背中で結ばれた亜麻色の髪。

 前髪を汗がつたい、頬を伝って落ちる。

 無駄な筋肉のひとつも無い、そのボディに密着した皮鎧の形状から戦士は女性だとわかる。

 


 ほの暗い空気を切り裂くように【レヴァント・ソードブレイカー】はひとり、命を賭けたかのような訓練を繰り返していた。


 鋭い音を立てて空を切る鉄の剣。

 死神がその刃を振るうかのように。

 無駄な力が入ることはなく、冷徹に、無慈悲に。手にした剣が次々と攻撃を繰り出すその姿は、まるで剣と一体化した機械のようだった。


 彼女の目、深緑色の瞳は、すべてを見透かすようであり、鈍い光を湛えている。

 次々と飛んでくる矢をイメージしているのか地に伏せ、そこから地を滑り這うように低く跳躍する。

 その鋭さは、今や並の敵は寄せつけないだろう。


 だが、誰もが見逃している一つの事実。

 それは、彼女自身も気付いているかは分からない。


 —— 彼女は、傷の痛みを超えるために戦っていることを ——


 過去の記憶、家族の死、仲間の裏切り、すべてが彼女をこうして鍛え上げてきた。 しかし、傷はまだ癒されることなく、内側で静かに膨れ上がり続けている。

 

 その痛みを忘れるかのように、感情を抑え込む。

 強くなることで、過去に縛られることなく生き抜くために。


 ―― だが、それで本当に救われるのだろうか ——


 その問いが彼女の頭をよぎるが、すぐに振り払う。感情に浸っていては、強さを手に入れることはできない。

 自分の弱さを認めることは、死を招く。無理矢理にでも感情を消し去ることが必須だ。


 その時、遠くから足音が響いてきた。レヴァントは剣を振るう手を止めず、ただ耳を澄ませる。それは、決して知らない者のものではない。

 レヴァントは気づいた。


 ――アーネストだ


 彼の姿が、訓練場の暗闇にひときわ明るく映し出された。

 五歳年下の【アーネスト・ウルフローラン】は、息を切らしながらも、きっと彼女に伝えたい言葉があるのだろう。


 痩せ身だが、レヴァント同様に鍛え抜かれた体を誇る彼は、レヴァントにとっては大切な存在であえるのかもしれない……そう、現在のところ彼女が唯一『わずか』に信頼する者だった。


「レヴァント!」

 アーネストの声が、静けさを破った。レヴァントは警戒を切らずに振り返る。

「セルドグ商会から、護衛の依頼が来たんです。

 荷物の輸送馬車を守る仕事が」

 アーネストの言葉は急ぎ気味だが、どこか慎重でもある。


 レヴァントは何も言わずに、ただアーネストを見つめる。

 その表情は、感情を一切浮かべない、冷徹そのもの。

 しかし、冷酷に美しい表情に潜む心の奥底では、掴みがたい何かが渦巻いているのをアーネストは感じ取っていた。


「依頼は受ける」


 レヴァントが静かに言った。

 言葉は少なかったが、彼女の心はもう決まっていた。

 この仕事が、今の自分を支える唯一の意味だったからだ。

 生きる意味を見失わないために、依頼をこなすこと――それが彼女の全てだった。


 アーネストは安堵した表情を浮かべるが、すぐに不安げな顔になる。

「レヴァント、あなたは――」

 言いかけた言葉をレヴァントの冷徹な視線が遮る。


「何か?」

 レヴァントの問いに、アーネストは少しの間、言葉を詰まらせた。


「いや、何でもない」

 彼は少しだけ下を向き、そう答えると、訓練場の外へと向かって歩き出す。

 レヴァントはその後ろ姿をじっと見つめながら、再び剣を構え、何も言わずに訓練を続ける。



 ■第一章: 血の中の誓い


 沈黙を破ったのは、木々を揺らす風の音と、遠くで響く鉄馬の蹄の音だけだった。

 薄曇りの空、ゼルドグ商会馬車の護衛隊は静かに道を進んでいた。レヴァントの赤い皮鎧が陽の光に照らされ、血に染まった戦士にも見える。


 亜麻色の髪が風に揺れ、可憐な深緑の瞳は前方の道をじっと見つめていた。彼女の冷徹な表情は、まるで世界の全てを捨てたかのようにさえ感じる。


 その隣を歩くアーネスト達は、彼女の後ろで不安げに視線を巡らせる。

 彼の目にはレヴァントがただの護衛役ではなく、ある意味で恐れられ、同時に尊敬すべき存在であることが強く印象づけられていた。

 だが、彼の心の中には、レヴァントがどこか壊れた人間のように感じる部分が多くなってきた。

 それが不安を呼び、胸を締めつけるのだ。


「ここから先は、ちょっと危険だな」

 アーネストはぼんやりと呟いた。

 道の先に薄暗い森が広がっており、何かが潜んでいそうな気配があったからだ。彼はその直感を信じた。

 だが、レヴァントは答えることなく、ただ冷たい眼差しで前を向いたままだった。


 その時だった。商会の荷物を積んだ馬車が、突如として揺れた。アーネストが目を凝らすと、影がひと塊となって一斉に現れた。盗賊の一団だ。


「やれやれ、何だってこんな場所で盗賊に遭遇するんだ……上手く交渉できればいいが」

 アーネストは舌打ちした。

 盗賊への対処として、いくらかの金銭も商会から預かっている。人的被害は商会も盗賊たちも、どちらにとっても少ない方が良いに決まっている。


 盗賊たちは人数こそ少なかったが、どこか訓練された気配を漂わせていた。彼らは荷物を狙っており、手には鋼鉄の刃を握っている。

 アーネストはすぐに自分の剣を手に取り、護衛団の仲間に合図を送った。

 しかし、レヴァントは動かなかった。彼女はただ一歩も引かず、無言のまま気配を沈め立ち尽くしていた。


「レヴァント、何してるんだ!?」

 アーネストが急かすと、レヴァントは一瞥をくれる。その表情に、少しの迷いも、恐れも見えない。


「交渉の余地なんてない」

 彼女の声は冷たく、無慈悲だった。続いてその視線が盗賊たちに注がれる。

「私は、この任務を完遂する。敵、全員を排除するわ」


 それから、レヴァントがとび出すと戦闘が始まった。


 レヴァントは動きが速く、ほとんどの盗賊は気づく間もなく倒れていった。彼女の剣は、確実に相手を仕留め、動きを封じていく。

 その冷徹なまでの手際に、アーネスト達は呆然と立ち尽くしていた。刀が鋼を裂き、血が飛び散る中、アーネストの心は不安と驚きで満たされた。


「止めろ!」


 彼は叫んだ。しかし、レヴァントはその声を無視し、容赦なく一人また一人と盗賊たちを屠っていった。

 彼女の戦いの姿は、まさに理性を持たない獣のようで、何の躊躇もなかった。


 戦闘が終わったとき、荒れた風が血の匂いを運んできた。倒れた盗賊たちが無惨に転がり、荒れた道には血が滲んでいる。

アーネストは息を呑み、思わず目を伏せた。


「レヴァント……やりすぎだ」

 アーネストが顔をしかめながら歩み寄ると、レヴァントは無表情でそのまま立ち上がった。


「やりすぎ?」

 彼女の声は驚くほど平静だ。

「私の任務は、これで完了なのだが? 私が戦っている間、お前は何をしていたんだ?」


 アーネストはその冷徹かつ挑戦的な答えに、胸が締めつけられるような思いを抱いた。

 彼の心の中で、レヴァントが何を背負っているのか、どれほどの闇を抱えているのか、少しずつ分かってきてはいた。

 しかし、それでも彼はこうしたやり方には納得できなかった。


「交渉の余地も、あっただろう。命を取る前に、他の方法もあったはずだ」

 アーネストは続けた。


「私は、命を取ることが仕事だと考えているの」

 レヴァントは淡々と答えた。その冷たい言葉に、アーネストは言葉を失った。


「戦場で傷つかないためには、相手を完全に排除することが必要なのよ」

 レヴァントは犬歯をみせるように言い放ち、そして長い亜麻色の髪を掻き上げると、再び先を歩き始めた。

 彼女の背中には、無言の重みがあった。


 アーネストはその姿を見つめながら、心の中で何度も呟いた。彼女は一体、何を抱えているのだろう?

 なぜ、こんなにも冷徹で、無感情に戦い続けられるのだろう?


 彼の胸にあるのは、言いようのない痛みだった。



 ■第二章: 壊れた心の影

 

 街の食堂は静かなランプの光で満たされていた。

 長いテーブルには仕事を終えた職人や数人の兵士が座り、無言で夕食を進めている。その中に、アーネストとレヴァントもいた。

 

 アーネストは目の前に広げられた料理に手を伸ばすことなく、ちらちらと隣の席に座るレヴァントを見やった。

 レヴァントは食事を必要最低限だけ取っていた。淡い煮込み料理の皿の中から、小さな一口を取ると、ゆっくりと噛み締めるように食べる。

 彼女の目はどこか遠くを見つめ、食事に集中しているわけではない。ただ体を保つためだけに摂るかのような、その姿勢にアーネストは少し違和感を抱いていた。


 アーネストはそっと彼女の視線を追う。彼女の手元にはワインが提供されているが、レヴァントはそれを一切口にしない。

 水を一口飲んだ後、彼女は再び無言で食事を続ける。

 アーネストはその様子に、彼女が自分の心を閉ざしていることを感じ続けていた。


「レヴァント、ちょっと話せるか?」

 アーネストがゆっくりと言った。その声に、レヴァントは微かに目を細め、食器を置いた。


「話すことなんてないよ」

 レヴァントの答えは簡潔で冷たかった。


 アーネストはしばらく黙ったまま、彼女の冷徹な表情を見つめていた。その目には、痛みと無関心が交じり合っているように見えた。



 アーネストの心には、レヴァントの過去の姿がちらりと浮かぶ。


 ———— 遠い昔、アーネストの故郷を守るために戦い、命をかけて自分を守った……故郷を襲撃した敵国の兵を相手に躍動した彼女の剣のきらめき ————


 その彼女が今、こんなにもくすみ無感動に見えるのはなぜだろう


「レヴァント、かつてあなたは……」

 アーネストは少し声を震わせながら言った。

「俺の故郷を守ってくれたじゃないか? あの時のあなたには優しさがあった、でも、今のあなたは……」


 しかし、レヴァントはその言葉を鋭く退けるように、無表情で答える。


「過去に何をしたとしても、私は今を生きるしかない」


 彼女の声は冷徹で、まるで感情を切り捨てたかのようだった。


「それが私の選んだ道だ」


 アーネストはその答えを飲み込み、しばらく黙っていた。彼女の目の中には、確かに昔の彼女の面影が残っている。

 しかし、それは今、遠くから見守るだけの存在のように感じられた。心の中で、彼女の痛みを少しでも分かろうとする自分に、彼は答えを見つけられなかった。


「でも……」

 アーネストは再び口を開く。あきらめないと決めたように。

「俺だって、レヴァント…・・・あなたのためにできることがあるはずだ」


 レヴァントは無言でアーネストを見つめ、その後、ふっと短く息を吐いた。

「自分のために生きろ、アーネスト。誰のためでもない、自分の人生を生きるんだ」

 その言葉が、アーネストの心に深く刺さる。


 ただ、彼女がまだどこかで誰かを求めていることを、アーネストは感じ取っている。

 それは彼女の心の奥深くに閉じ込められたままなのだと、理解していた。


 その日は結局、二人はほとんど言葉を交わさず、食事を終えた。アーネストの心に、レヴァントへの思いが一層深く残ることになった。



 ■第三章: 対立の果てに


 護衛の仕事を終えた後、アーネストとレヴァントは、ふたたび食堂でひとときを共にしていた。

 テーブルの上には、簡素な料理が並べられている。レヴァントは食事を前にしても、必要最低限の量だけを取る。

 ほんの少しの肉と、冷えたパン、そして水だけが彼女の皿を埋めている。


 灰色のシャツに、緑色のズボン姿のレヴァント。

 普段着の飾り気のなさと、痩せて引き締まった体には女性であるかを象徴する胸のふくらみだけがあった。

 アーネストは妙にそこを意識してしまい、レヴァントの手先へと視線をあわてて動かす。


 食べ過ぎないようにと、意識的に少量を口に運んでいるその姿に、アーネストは胸を締め付けられる思いだった。


「レヴァント……あなたは、いつもそんなに少ない量しか食わないで大丈夫なのか?」

「無駄に肉が付かないようにな、食べ過ぎないようにしてるんだ」


 レヴァントが冷たく返す言葉に、アーネストはますます不安を覚える。アーネストは少し沈黙を破り、言葉を続けた。


「大丈夫なのか?というのは、身体ではなくて、その、あなたには……昔みたいに、もう少し……明るくいてほしいんだ」

「はあっ? 明るくだと? 戦士がそんな感情に流されてどうする」

 レヴァントの言葉は短く、鋭かった。

 彼女は視線を向けもせず、無感動な声で言った。


「アーネスト、戦場で感情なんて無駄なの。

 全てを切り捨てなければ、いつか自分が壊れるわ」

「それでも、あまりに無感情になったら、いずれ心が壊れるぞ。

 俺は、俺は……あなたを守りたいと思ってる。昔、あなたが故郷や家族を守ってくれたように」


 アーネストは必死に言葉を続けたが、レヴァントはそれを遮るように、冷たく言い放った。


「お前に何がわかる」


 その声には、深い冷徹さが含まれていた。アーネストの胸の中で、何かが裂けるような感覚が広がった。

 レヴァントの心の奥底には、誰にも触れられたくない深い傷がある。


 それを知っているからこそ、アーネストは彼女を支えたいと思うのに、彼女はそれを拒絶し続ける。


 その時、食堂の扉が勢いよく開き、ブルーストーン傭兵団のボス【ダリウス・ガンボルド】の巨体が登場した。彼は豪快な笑い声を上げながら、アーネストとレヴァントの間に割って入る。


「おいおい、二人ともまたケンカか?」

 ダリウスは、無遠慮にレヴァントの肩をなんども叩き、そしてアーネストを見て笑った。

「お前ら、これじゃまるで母ちゃんと息子、いや失礼、そうだ! 姉と弟みたいだな!」


 レヴァントは顔をしかめ、肩に乗ったままのダリウスの手を振り払おうとしたが、ダリウスはそれをお構いなしに続けた。

「でもな、ケンカもほどほどにしないと疲れるぜ~」

 ダリウスは陽気な表情を崩さずに続けた。

「お前たち、ケンカしてる暇があったら、ほらほら! 今をもっと楽しめよ」


 その言葉に、アーネストは思わず肩をすくめ、レヴァントは面倒くさそうに目を細めた。

 ダリウスは二人の間に立って、空気を少しでも和らげようとしているようだったが、アーネストとレヴァントの間には、依然として硬い緊張感が漂っていた。


 アーネストはそのままダリウスに目を向け、少しだけ呆れたように言った。

「ダリウス、あんたは本当に空気を読まないな」

 ダリウスは顔の筋肉を総動員させたように大袈裟に笑顔を作ると「読まないからこそ、こうやってお前らの緊張を解こうとしてるってわけだ」と言った。



 レヴァントは、少しだけ黙ってその様子を見ていたが、やがてわずかなため息を吐く。

「ダリウス……すまないな、わかってるよ」


 まるで自分を納得させるように言った。


 だが、二人の間に残る不穏な空気は消えることはなく、アーネストは心の中でレヴァントの傷を感じるしかなかった。

 彼女が自分を頼りにする日は来るのだろうか。少なくとも、今はそれを待つことしかできなかった。


 ダリウスが二人の間にわずかな微笑みをもたらしたかのように見えたが、アーネストとレヴァントの心は、依然として冷徹に硬直していた。



 ■第四章: レヴァントの過去

 

 食堂の片隅で、ブルーストーン傭兵団のボスであるダリウスと出会ったアーネストは、何気ない会話から突然、レヴァントの過去に関する話を切り出された。


「お前、レヴァントのことをよく知らないだろ?」


 ダリウスは目を細め、軽くワインを一口含みながら続けた。

「あいつの過去は、言葉で表すには余りにも重すぎるんだ」

 彼の声は穏やかだったが、その表情には何か思うところがあるようだった。


 アーネストは黙って耳を傾けた。ダリウスの目は遠くを見つめるように、過去の記憶を辿るかのように深く沈んでいった。


「レヴァントは、多くの活躍とともに、同じくらい多くの仲間を失った。

 裏切りに遭い、戦場では数えきれない死を目の当たりにしてきた。

 家族、仲間、そして人々を守ろうとして、その度に彼女の心は少しずつ削られていったんだ。


 気づいた時には、あいつは、もう誰も信じられなくなっていた」


 アーネストはその言葉に驚きの表情を浮かべた。レヴァントの過去にそこまで重い影があったとは知らなかった。


「そうか、だから……」

 アーネストは言葉を続けられなかった。心の中で、レヴァントが抱える痛みを少しずつ感じ取っていった。


 ダリウスは続けた。

「巡り合わせの悪さがあったのかも知れん、俺達も大変な時期でな、誰もレヴァントを支えることができなかった。

 アイツは一人で戦い、耐え、ただ強くなることを選んだ。


 俺から見ると、アイツが壮大に心をこじらせているだけだとも言えるが……とにかく、気にはしているんだ」

 ダリウスの顔に、どこか哀しみが滲んでいた。


 アーネストの胸に、何かが刺さった。彼女はその冷徹さを装って、ただ強くなることで心を守っていたのだ。

 そう、戦うことによってしか自分を保てなかったのだ。


「俺……」

 アーネストは目を閉じ、深い息をついた。

「俺、レヴァントを支えたい」

 その言葉は、心から溢れ出た本音だった。彼は自分の気持ちに正直になり、言葉にした。


「レヴァント、俺はあなたが頼れる相手になりたい」

 彼は真剣な眼差しをダリウスに向けると、すぐに立ち上がった。

「レヴァントに、少しでも心を開いてもらいたい!」


「お、おい、待てよ!アーネスト!」

 ダリウスが制止する間もなくアーネストは駆け出していた。


 その決意を胸に、アーネストはレヴァントの元に向かう。


 彼がレヴァントの部屋の木の扉を叩くと、冷徹な彼女が扉の向こうで待っていた。

 アーネストはその目を見て、心からの言葉を投げかける。


「レヴァント、俺を頼ってくれ」


「はあっ?」

 レヴァントは無表情で一言発すると、しばらく黙って彼を見つめていた。

 アーネストの真剣な眼差しに、何かを感じ取ったのか、少しだけその瞳が揺れた。だが、彼女の口から出た言葉は冷たかった。


「突然やってきて、なんなんだ……お前は馬鹿か? お前など必要ない」

 その一言で、彼女は再び心の扉を閉ざした。


 アーネストは一歩後退し、肩を落とした。

 だが、その瞬間、彼の心には確かな決意が芽生えていた。レヴァントがどんなに拒絶しても、彼女を支えるために自分がいると、改めて確信したのだ。


「レヴァント……」

 アーネストは静かに呟いた。その言葉には、彼女に対する深い想いが込められていた。


 その後も、レヴァントはどこか冷徹で、他人を寄せ付けないような態度を崩さなかった。

 しかし、アーネストの心には、少しずつ変化が生まれ始めていた。彼女の冷たい外面の裏に隠された痛みを知り、彼はその痛みに寄り添いたいと強く願うようになっていた。


 どんなに彼女が拒絶しても、アーネストは諦めない。

 彼の決意は揺るがない。



 ■第五章: 闇に潜む陰謀


 アーネストはずっと、心のどこかに『故郷を守ってくれた、英雄であり尊敬する女戦士』レヴァントの存在があった。

 彼女の冷徹な強さは、周囲のすべての尊敬や好意を無力にし、その不敵な態度は誰をも遠ざけていた。


 しかし、それでも彼はレヴァントに近づく。


 レヴァントは自分や故郷を守ってくれた英雄であり、そして何よりも大切な存在だ。

 だからこそ、自分が彼女を守らなければならない。



 その日、アーネストは情報屋から驚くべき情報を耳にした。

「ゼルドグ商会のオーナーが、お前の仲間――レヴァントを排除するつもりだって話だ。

 あの女は商会との付き合いも長い。知りすぎたんだ、秘密を握りすぎているんだよ」


 理由はそのとおり単純な話――レヴァントが「秘密を知りすぎた」というだけのことだ。その「秘密」とは、商会が抱える不正や裏の取引に関すること。

 

 ゼルドグ商会のオーナーにとって、レヴァントの存在は大きな障害になりつつあった、意図せずとも長年の雇用契約の付き合いで、彼女が知ってしまったことが、もはや彼にとって耐えがたい脅威となっていた。


 アーネストはその情報を、心の中で必死に消化しながら、急いでレヴァントの元へ向かった。彼の足音が静かな路地に響く。心の中で何度もその言葉を繰り返していた。


 「レヴァントを死なせるわけにはいかない」

 そう心に誓いながら、彼は彼女の部屋に足を踏み入れる。


「レヴァント、ちょっと話がある」

 アーネストは亜麻色の前髪から覗く冷徹な瞳を見つめ、いつものように無表情でいるレヴァントに言った。

 彼女は向き合うように、木の椅子に足を組み座っている。手元の文書に目を落としたままだった。

 襟元からは、鎖骨と胸の丘陵がのぞいており、アーネストの目を強く引いた。


「ゼルドグ商会のオーナーが、あなたを排除しようとしているらしい」


 その言葉を聞いても、レヴァントの顔には微塵の変化もなかった。彼女はただ静かにアーネストを見つめ、続けた。


「ふぅん、そうか」


「なんだよ、その反応は」

 アーネストの声には緊張が混じり、手が震えていることを彼自身も感じていた。


「なあ、冗談で済ませられる話じゃない。命が狙われてるんだ。あいつら、自分の利益を守ろうとして、レヴァント、あなたを排除しようとしてるんだ!」


 レヴァントはしばらく黙ってアーネストを見つめていたが、やがてゆっくりと唇を開いた。


「私が強ければ、すべて問題ないわ」

 彼女の声は投げやりであるが、しかし、その言葉がすべてであるかのように響いた。

「お前も知っているだろう、私のやり方はこうだ。危険ならそれに対応するまで。

だから、心配する必要はない」


 アーネストはその言葉に納得できなかった。

 彼の内心には、レヴァントを守りたいという強い思いが渦巻いていた。

 それは、ただの心配事ではない。彼女が死んでしまうのではないかという恐れが、彼の胸を締め付けていた。


「レヴァント、分かってるだろ?」

 アーネストの声が震え、だんだんと力が入っていった。

「あなたが死ぬと、悲しむ者がいるんだ! 少なくとも俺やダリウスがそうだ! 

 あなたはそんなこと考えもしないだろうけど、俺はあなたが死んだら耐えられないんだ!」


 その言葉が、レヴァントの心のどこかにほんの少しだけ触れた。彼女の瞳に、僅かに動揺の色が浮かんだ。

 ほんの一瞬、彼女の中にあった冷徹さが揺らいだのを、アーネストは確かに感じた。

 しかし、それもすぐに消え失せ、レヴァントは無表情を取り戻す。


「お前は私が死ぬと、悲しいのか」

 レヴァントはそう言うと、視線を外し、より体をかがめ再び手元の書類に目を落とした。その冷たい一言が、アーネストの心に突き刺さった。


 しかし、アーネストはその場を離れなかった。彼はレヴァントのそばに立ち、少しも引こうとはしなかった。


「レヴァント、お願いだ。少しでも危険があるなら、俺に頼ってくれ。

 頼れる相手がいないのは、俺だって知ってる。でも、俺はお前を守るためにいたいんだ」


 それでも、レヴァントは再び沈黙した。彼女と自分を隔てる空気が、どこまでも冷たい壁のように見え、アーネストの心は次第に疲弊していった。


「アーネスト、お前がもっと強ければ、何の問題もないだろ?

 もっと強くなれば、私など簡単に守れるだろう」

 目も合わせずに言うレヴァントの声は、それ以上何もないと告げているように響いた。


 

 ■第六章: 激闘の先に


 ついにレヴァントとアーネストは二人で輸送護衛の任務中、ゼルドグ商会から送り込まれた凄腕の暗殺者集団に襲われた。


 夜の闇に潜むように現れた彼らは、隠密の技術と恐るべき殺気でアーネストとレヴァントを取り囲んでいた。

 

 無意識の内に呼吸がそろう。

 レヴァントは無表情に剣を抜き、アーネストもその隣で短剣を構える。

 互いに一言も交わさず、戦闘の準備が整う。


「レヴァント、気をつけろ」

 アーネストが冷静に言った。彼の目は鋭く、周囲を警戒している。レヴァントは無言で頷くと、瞬時に戦闘を開始する。


 鋼のような鋭い音が響き、刃と刃が激しくぶつかり合うと火花も飛ぶ。

 レヴァントの剣さばきは、目にも留まらぬ速さで敵の一人ひとりを撃退していく。   

 しかし、暗殺者たちはそれを上回る戦闘技術を持っており、次々とレヴァントに迫ってきた。

 敵の数が多ければ多いほど、彼女の動きに隙が生まれやすくなる。



「アーネスト、逃げるんだ! 私はどうにかなる」


 レヴァントがアーネストに叫ぶ。しかし、アーネストはその言葉に応じることなく、必死に彼女を支えようとする。


「逃げない、あなたは俺が守る!」

 アーネストの声は強いが、レヴァントはそれを無視して次々と敵を斬り伏せていく。だが、ついに疲れが剣の振りを鈍らせた。暗殺者の一撃を受け彼女は膝をついて倒れ込む。


 アーネストは冷静に、その瞬間を見逃さない。

 彼女が倒れたことに動揺せず、アーネストは敵の一団を引きつけながら、レヴァントを自身の胸元へと寄せる。

 「レヴァント!しっかりしろ!」


 レヴァントは苦痛に顔をしかめており、何故かその表情は息をのむほど可憐なものに見えた。

 彼の心は激しく動揺し、恐怖が胸を締めつけた。


 その時――


「おい、お前ら、何をやっているんだあ~?」

 突然、背後から豪快な声が響く。

 アーネストが振り返ると、そこにはブルーストーン傭兵団のボス、ダリウスの巨体が堂々と現れ、同じく巨体の数十人とも言える配下を引き連れて立っていた。


 ダリウスは、その巨体を揺らしながら、どこか不敵な笑みを浮かべている。


「ナイスタイミングだ、ダリウス! 前金はずんだ甲斐があったよ」

「がっぽり依頼金を払ってもらったからな、こっからは、俺たちの仕事だ!

 依頼金以上のサービスがモットー、ブルーストーン傭兵団の働きをとくとご覧あれ!」

 豪快に叫ぶと、これまた巨大な太刀を振り下ろし、暗殺者集団を一掃し始めた。

 彼の一撃一撃が大地を揺るがし、敵の体が次々と地面に転がり落ちる。


「アーネストは、レヴァントお姫様をしっかりと護ってやれい!」

 ダリウスは豪快に笑いながら言う。

 その笑い声に、アーネストは胸の奥で暖かいものを感じた。レヴァントのピンチが、あっという間に解決されたのだ。


 戦闘が終わり、静けさが訪れる。

 アーネストは彼女を優しく抱き起こし、「レヴァント、大丈夫か?」と心配そうに声をかけた。


 レヴァントは目を開けると、少し微笑んだ。

「危機を見越して、傭兵を雇ったのか……お前、よくやったな」

 そう言うと、彼女の硬い表情にわずかな柔らかさが浮かぶ。


 その時、ダリウスが二人の元にやってきて、アーネストの肩を叩いた。

「お前ら、相変わらず面白いじゃねぇか。

 お前らに頼られるってのは、悪くないもんだな」

 そう、軽く言いながら笑った。


「レヴァント、仲間や、金だってそうだ。この世界には頼れるものはけっこうあるんだ……」

 アーネストは、さりげなくその言葉を伝える。レヴァントはじっと聞いていたが、何も言わず、ただ目を伏せる。


 ダリウスも腕組みしたままニヤリと笑う。

「まあ、レヴァントには今まで頼れる相手がいなかっただけだろう。でも、これからは違うんじゃねぇかあ?」


 その言葉に、レヴァントは短い間、黙って考え込むように目を閉じる。そして、静かに答えた。

「……お前たちの力を借りることが、時には必要だということを、少しだけ理解した」


 その言葉に、アーネストは胸が熱くなるのを感じた。レヴァントは、ほんの少しだけだが心を開いたようだった。

 だが、彼女の心の奥底にある深い傷はまだ癒えぬままであり、彼女が完全に心を開くには、まだ時間がかかるだろう。


 それでも、アーネストは信じていた。

 これから先、レヴァントが少しずつ自分を頼るようになることを。

 そして、彼女が再び心から笑える日が来ることを。



 ■終章: 静かな夕餉、そして前進


 戦闘を終えた翌夜、レヴァントとアーネストはゼルドグ商会を警戒し、少し離れた街の静かな宿に身を寄せていた。

 宿屋の一角にある小さな食堂で、二人は向かい合って夕食をとっていた。

 蝋燭の淡い光が、粗末だが温かみのある木製のテーブルに揺れている。


 レヴァントは黙々とスープを口に運んでいたが、その目はどこか遠くを見ているようだった。アーネストはそんな彼女の様子を見ながら、言葉を選ぶようにして声をかけた。


「レヴァント、今日は……ありがとうな。あなたがいなかったら、俺もあいつらにやられてたかもしれない」

「……お前が、金でブルーストーン傭兵団を雇わなければ、私がここに座っていることもなかったわ」

 短くそう返すレヴァントだったが、その声にはいつもより柔らかさがあった。


 しばらくの静寂の後、彼女は目を伏せながらぽつりと言葉を漏らした。


「……助けてくれて、ありがとう。こうやって、お礼を言うのは今夜が初めてかもしれないわね」


 アーネストは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。

「いや、そんなの気にしないで。

 あなたの剣には何度も助けられてるんだから、これでおあいこってことで」


 その微笑ましい空気を破るように、食堂の扉が勢いよく開いた。

 豪快な笑い声とともに、ブルーストーン傭兵団のボス、ダリウスの巨体が、同じく巨体の団員たちを引き連れて現れた。

 彼らの大声が小さな食堂に響き渡り、他の客たちが圧倒される。


「よっ、色男とお嬢さん! しけた顔してないで、もっと楽しめ!」

 ダリウスは大きな声で言いながら、足音うるさく二人のテーブルに向かってきた。


「ダリウス、何しに来たの? 騒々しいのよ」

 レヴァントが眉をひそめて尋ねる。

「お前らの活躍を祝ってやろうと思ってな! それに、俺たちもたまにはいい飯を食いたいんだよ」


 彼は図々しく椅子を引いて腰を下ろすと、テーブルに肘をついていやらしくもニヤリと笑った。

「ところで、お前ら、さっそく仲良くイチャイチャやってんのか? んんん?」


「何の話だ?」

 レヴァントが冷たく言うが、ダリウスは気にする様子もなく笑みを深める。


「いやいや、二人とも見てりゃわかるだろ。お前ら、本当お似合いだよなぁ。

 アーネスト、お前、朝までリードしてやれ。レディを泣かせるなよ! いやまて、泣かせるのも男の仕事かな!?」


 アーネストは顔を赤くしながら、「ダリウス、そういうのはやめてくれよ」と苦笑した。


「おいおい、照れるな! いいか、男ってのはこうだ。黙って抱きしめてやれば、あとはなんとかなるんだよ!」

 ダリウスがわざとらしくレヴァントに覆いかぶさると、彼女は困ったように身をかわす。

 ダリウスの下品なジョークに団員たちが大笑いする一方、アーネストは呆れたようにため息をつく。


 しかし、その豪快な態度に毒気を抜かれたのか、レヴァントの表情にはわずかな笑みが浮かんでいた。アーネストもそれを見逃さず、心の中で安堵の息をついた。


「いいか、俺様からの命令だ、今日は二人とも腹割って話せ! な? お前らの夜はまだ長ぇんだからよ、げっへっへっへ」

 ダリウスは声を張り上げ、下品な動作をすると周囲の笑いを誘った。


 最後に、ダリウスは立ち上がり、両手を広げて豪快に宣言した。

「よし、俺たちは引き上げる! 

 繰り返し命ずる!アーネストとレヴァント、お前ら、今夜は二人でじっくりと過ごせよな!」


 嵐が過ぎ去るようにダリウスは団員たちを引き連れて立ち去った。彼の背中を見送るレヴァントは、ふっと息を吐き出した。


「……まったく、困った男だな」

 レヴァントが呟く。

「ああ、でもあいつのおかげで助かったしな。悪い奴じゃないさ」

 アーネストがそう言うと、レヴァントは少しだけ笑った。


 アーネストは目を見開いた。

 その笑顔は、これまでアーネストが見たことのないものだった。

 静かになった夜の中、二人の間には少しずつだが確かな絆が生まれ始めていた。








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