浪子燕青 侠客行

天 蒸籠

第一章 縮地法

 む? 今誰かの声が聞こえた気がしたが・・・・・・

 山間の街道を足取り軽く登っていた若者の足がぴたり、と止まった。

初秋、好天。

 中華、宋国北東部、薊州けいしゅうの山道。

 第八代皇帝徽宗きそう御代みよ宣和せんわ五(一一二三)年のことである。


 年の頃なら二十代前半、長い髪を黒の布でくるんで頭頂でまとめ、灰色のうわぎに同色の褲子ずぼんと黒の帯という、地味だがこざっぱりした服装に、行嚢こうのうを負い、黒革の半長靴はんちょうかで足拵えをしている。

 身の丈五尺三寸(百六十cm弱)と、小柄ではあるが、引き締まった体つき。色白の肌の胸元から、鍛えられた筋肉の上に極彩色の牡丹の彫り物がちらり顔を覗かせる。

 細く整えられた眉の下に切れ長の目、深い瞳の色に意志の強さがうかがえる。と同時に、何とも言えぬ色気の漂う、まさに眉目秀麗びもくしゅうれいな美丈夫。

 といって取っつきづらさは微塵みじんもなく、気安く声をかけたくなるような親しみやすさが口元に浮かぶ。

 一言で言えば、気の置けぬ小粋な色男、なのである。

 若者が辺りを見回すと、草むらの中に隠れるように石段がある。声はその上から聞こえるようだ。

 若者は、どうせ急ぐ旅でもなしと、好奇心に任せて素早く石段を登っていったが、不思議なことに足音一つ聞こえなかった。 

 どうやら廃棄された道観どうかん(道教の寺院)があるらしい。

 門の前で立ち止まり、耳を澄ますと中から数人の喚き声が聞こえる。覗きこむと、武器を持った男が四人、素手の大男がひとり。その五人が一人の子供を取り囲んでいる。

 子供は身の丈四尺五寸(百三十五cm)ほど。男たちの胸ほどもない。若者に背を向けていて顔は見えないが、腰まである長い艶やかな黒髪から少女だろう。

 背に白黒で太極図の描かれた長い濃紺の袖無し羽織を着、その下には白地に黒の袖口、裾に金糸で刺繍のある道服。濃緑の半長靴はんちょうかを履いている。そしてひときわ目を引く、羽織の上に斜めがけされた三尺ほどの長剣。

 あんな長剣を、あの小さい子が抜けるのかね?

 若者は妙なことを気にしつつ耳を澄ませた。

「だからあたしはこの道観に住みついた魔物を退治しに来たんだって。危ないから出てってよ!」

「わかんねえガキだな。俺たちが先にここで休んでたのに、後からのこのこやって来て、出て行けたぁ何様のつもりだ」

 弓矢、短槍たんそう、六尺棒、朴刀ぼくとうを持った男たちは皆、にやにやと、取り囲んだ中に立つ道士の少女を嘲り笑っている。

「じゃあいいわよ、あたしは御廟ごびょうで仕事するからそこどいて!」

 聞いて男達は顔を見合わせ、にやりと笑い手を広げ少女の行く手を阻んだ。

「おおと、そうはいかねぇ、中にゃあお宝が置いてある。行かせねえよ」

「お宝ってなによ」

「がはは、教えてやろう、俺たちがこの先の村からいただいてきた金目かねめの物よ。この界隈で押し込みの袁五兄弟えんごきょうだいと言やあ、知らぬ者のねえおあにいさんたちだ」

「気の毒に、これを聞いちまった以上お嬢ちゃんもう無事にゃあ帰れねぇぞ。見りゃあガキだしがりがりで胸はつるぺただけど、どっかの好きもんには高く売れるだろうぜ、へへっ」

「おまけに何だか変な目の色してるけどよ。つらぁ悪くねえしな、何なら売っぱらう前に俺たちが味見してやるか。ふひひっ」

 聞いて若者は小さく舌打ちした。大体の事情と、この袁五兄弟らが押し込み強盗やら人さらさらいやら、救いようのない悪党であることが分かったのだ。

 この娘を見殺しにしたんじゃ「きょう」がすたるってもんだ

 道士らしき少女を助けることに決め、飛び出そうとした瞬間、少女がこちらを向いた。 

 んっ!?

 少女の顔を見た若者は一瞬動きを止めた。

 緊張のせいか歯を食いしばっているが、きりっと引き締まった顔立ちで、背丈や体格からみるに十歳くらいの、美しい少女だった。

 そしてその勝ち気そうに光る目は、右が黒曜石のような漆黒、左は泉のごとく透き通ったみず色の、いわゆる異色眼オッドアイだったのだ。

 話には聞いたことがあるが、珍しいな・・・・・・

 若者が気を取られたのと同時に、少女は素早くその場にかがみ込んだ。

 古道観の前庭には玉砂利が散らしてあり、その幾つかを両手で拾い上げ、少女は立ち上がった。

 周りを囲んだ男たちは、じりじりと少女との間を詰めてくる。間隔が二丈半(七m強)ほどに迫った瞬間、少女の両袖がひるがえった。

「ぐわっ!」

「痛ぇっ!」

 少女の前にいた四人の男達は、得物ぶきを持った手の甲や指を押さえて、次々にその場にうずくまった。悶絶している様子から骨が砕けたらしい。

 飛礫ひれきか!

 若者は息を呑んだ。飛礫とは要は石つぶてだが、少女の飛礫の威力と正確さは目を見張るものがある。

 むう、没羽翦ぼつうせんの兄貴ほどではないが、凄い使い手だ。

 若者は、知己なじみの飛礫の名手を思い出した。没羽翦ぼつうせんとは「羽の無い矢」の意であり、それほどの威力を誇っていたのだ。

 少女は男たちの囲みを抜けて、頭目らしき大男に向き直った。

「よくもあたしの眼を馬鹿にしたわね! おまけにつるぺたって! 次は顔面にお見舞いするよ!」

 少女が眼を怒らせ、握った玉砂利を見せつける。

 そのとき、黙っていた五人目の大男が、のっそり前にのりだしてきた。

 他の四人より明らかに頭一つ大きい。六尺三寸(百九十cm弱)はあろうかという巨体である。薄汚れた白いうわぎの上に、猪か熊らしき丈夫そうな胴衣を着込んでいる。

 よく見るとうわぎのあちこちに、古いもの新しいもの入り混じって、血の跡らしき茶色い染みがついている。そのうわぎの合わせ目を押し広げるように、分厚い胸板が見えている。上腕は少女の腰ほどもあり。こぶしは何を殴ってきたものやら、ごつごつとした胼胝たこだらけ、切った張ったの荒事あらごとの中で生きてきたに違いない。

 厳つい顔に笑みを浮かべ、顎髭あごひげを掻きながら大男が少女に話しかけた。

「嬢ちゃんよ、ちいとばかしやり過ぎたな」

「何よ、あんたたちがあたしを攫うとか脅してくるから悪いんじゃない!」

「ああ、訂正するぜ。さっきまで攫って売り飛ばすつもりだったがやめた」

「え?」

「兄弟の骨を砕かれたとあっちゃ、売り飛ばすじゃ済まされねえ! なぐさみ者にしてから、一寸試し五分試し、バラバラに切り刻んで鍋にして食ってやらあ!」

 大男が獅子吼ししくし、両腕を持ち上げて顔の前で交差させた。

「投げてみなよ、そんな小石当てられても、頭以外なら屁でもねえ」

「だったらこれはどう!」

 少女は小石を捨て、長羽織の内側から長さ五寸ほどの「飛刀ひとう」を抜き出した。細い短剣の後ろに、短い布が結わえ付けてある暗器あんき(隠し武器)である。

 大男は一瞬怯んだ様子を見せたが、またニタリと笑った。

「いいぜ、使ってみなよ、本当にそれが打てるならな」

「何言ってんのよ! 小石なんかよりずっと打ちやすいんだからね!」

「そうかもな。だが俺が言ってるのはそういうこっちゃねえ。嬢ちゃんに人が殺せるのか、ってことよ」

 言われて少女の表情がさっとこわばった。大男がさらにたたみかける。

「そんな若さで平気で人を殺せるわきゃねえよな。当たり前だ。だが俺たちは違うぜ。人を殺すなんざぁ屁とも思わねえ。あのお宝も、昨日八人くれえ叩っ殺していだだいてきたものよ。行き掛けの駄賃でガキを一人追加してやるぜ。さあ、お前に人が殺せるのか?」

 少女は苦しい表情で言い返した。

「できるわよ! いざとなったらあんたの頭に打ち込んでやるわ!」

「嘘だね。俺を殺すつもりならなぜ背中の剣を抜かねえ? そいつははったりか?」

「こ、これは・・・・・・」

 少女は顔色を失い、飛刀ひとうを構えたまま後ずさりを始めた。

 座り込んでいた男たちは勢いを取り戻し、口々に罵声や卑猥な言葉を投げかけ始めた。

「やっちまえ兄貴!」

「やいチビ、糞ガキ! てめぇの穴という穴に突っ込んでやるから覚悟しろい!」

「どうした、投げてみろ!」

 大男が大喝した瞬間、少女が雑草に足を取られて尻餅をついた。

「きゃっ!」

 いかん! 

 次の瞬間、若者は門の影から飛び出し、今にも殴りかかろうとする大男の前に立ちはだかった。


 大男は、玉砂利の上を音もなく走り寄ってきた若者に驚き、後方に跳び退いた。

 いったいどっから現れやがった? 何にしてもこいつの軽功けいこう(身軽で素早い功夫カンフー)は油断ならねえ。

 少女は少女で、尻餅をついたまま、目の前に現れた若者の背中を、ぽっかり口を開けて見つめている。

「てめえ何者だ、そのガキの仲間か?」

 大声を張り上げる第男に向かい、若者は拱手きょうしゅ(片拳を掌で包むようにする挨拶)し、極めて穏やかな表情を作り、静かな口調で話しかけた。 

「袁の兄ぃ、お初にお目にかかります。私は小乙しょういつてえ通りがかりの者でさ。まぁちょいと気を鎮めなすって」

 大男は気勢をそがれ両手を下ろした。少女ははっと我に返り、急いで立ち上がって小乙しょういつの背後に隠れた。飛刀ひとうは構えたままだが、剣を抜く様子は見えない。

「たまたま聞こえちまったんですが、この子は魔物退治に来ただけで、別にあなた方袁兄弟と揉めたいわけじゃなかった。それなのにいきなり攫うだの手籠めにするだのと脅さなくても」

「そうよそうよ! あんたらが悪いんじゃない、自業自得よ!」

 元気を取り戻した少女が小乙の背中から囃し立てる。

 小乙は、内心せっかく落ち着かせて、なんとか穏便に済ませようとしてるのに黙っててくれよと、背後で手をひらひらさせて制しようとしたが、少女は開放感からかますます強気になり、大男に向けて赤んべえをしている。

「それにここいらで名高い袁兄弟が、子供相手に本気にならなくても。ほんの十歳になるかならないかの小さな・・・・・・痛っ!」

 少女が握りこぶしで小乙の背中を叩いたのである。

「失礼ね! これでも十三歳なんだから、子供じゃないわよ!」

 絶対十三には見えないって。

 小乙は心の中でぼやいた。

 大男は顔を真っ赤にし、

「ふざけやがって、やい、小乙しょういつとか言ったな。俺ぁ袁大朗えんだいろうてえ、ここいらじゃちいと知られた顔だ。ガキの頃から兄弟揃って、強請ゆすりたかりかっぱらい、押し込み火付け強盗人殺しと、やりたい放題やってきたんだ。てめえみてえなチビの若僧が何言おうが、はいそうですかと聞くかよ。ガキと一緒に切り刻んで、一斤いっきん(約六百g)いくらで肉屋に売ってやるから覚悟しやがれ!」

 と啖呵たんかを切り、両手を挙げて構えを作った。

 どうやら穏便に済ませられそうにないな。 

 小乙は覚悟を決め、少女を離れさせて足場を固めた。

 戦いになると見た他の四人も、てんでに若者をあおりはじめた。

「頼むぜ兄貴、そんなチビ相手にもならねえだろうがよ」「やい色男、カッコつけてできたが、おめえ死ぬぜ」「おいガキ、助かったとか思ってんじゃねえぞ、そいつのあとはおめえだ。俺たちのお仕置きはキツいぜえ、へ、へへ」「やい、兄貴はでかいだけじゃねえぞ、少林拳の使い手なんだぜ」

 それを聞いた小乙は構えを解き、「兄ぃは少林門なのか?」と呼びかけ、足を揃えて両手を持ち上げ、「昂頭独立こうとうどくりつ」の「開門式」を行った。

「開門式」とは、拳法の流派によって異なる套路とうろ(修行で行う型)の最初の部分で、これを見ればどの流派の系統なのかがわかる。小乙がおこなったのは、大男と同じ少林拳の開門式である。同派ならば争いが避けられるかもしれない、と考えたのだ。

 だが大男は構えを解かず、「やい、てめぇの師匠は誰だ?」と聞いた。

 小乙は「虎田こでんべい」と応えた。袁大朗は少し考え、「か、知らねえな」とせせら笑った。

「虎田の皿」は、「盧」の字を分解した一種の隠語である。もし師匠を知っていれば争いを避けられるかとも思ったが、それも叶わぬようだ。

「行くぜ!」

 大朗だいろうは叫ぶと同時に、滑るような歩法あしさばきで小乙に向かって跳び込んできた。

 左、右と、次々音をたてて拳が小乙の顔面、胴体を襲う。小乙は顔は避け、胴体は払い、全ての拳をいなしていく。

 下から大朗だいろうの左足が跳ね上がり、胴体に強烈な前蹴りが飛んできた。

 小乙が軽く後ろに跳ぶと、大朗の蹴りは空を切った。かと思うとその足がそのまま下に降り、同時に右足が入れ替わって前に出る。そのままの勢いで大朗はさらに距離をつめ、右拳で上段がんめんを、左拳で中段みぞおちを同時に狙い、猛烈な勢いの剛拳を繰り出した。大朗の絶技「排山倒海はいざんとうかい」である。

「死んだ!」見ていた少女は目をつぶった。が、肉を打つような音は聞こえない。少女が目を開けると、小乙は大朗の両拳を「双推手そうすいしゅ」で外側にはじき出し、そのまま「蛇纏手じゃてんしゅ」、軽く曲げた掌で手首を押さえ込んでいた。

「ちいっ!」

 大朗は素早く拳を引きつけ、そのまま左の掌底しょうていあごに、右の掌底を胴体に突き出すと同時に、右足を伸ばし小乙の金的こかんに蹴りをとばした。三カ所を同時に攻める技であるが、その瞬間小乙は身を屈め、片手で大朗の蹴ってきたかかとを跳ね上げ、そのまま片足立ちになった左足を丸く刈り込むように「後掃腿こうそうたい」で払いとばした。

 たまらず仰向けに宙に浮いた大朗の手首を捕らえ、巻き込むように背後に捻じあげ空中で体を半回転させ、そのままうつ伏せに押さえ込んだ。

「くそ、放せ、放しやがれ!」

 ジタバタと藻掻もがけども、小柄な小乙の、どこにそんな力があるものか、ピクリとも動けない。

 これは「擒拿術きんなじゅつ」といい、関節をめたり、経穴つぼや急所を押さえて相手の動きを制圧する技である。

「なぁ袁の兄ぃ、別にあんたと揉めたいわけじゃねぇ、諦めてここから出てってくれねぇかい?」

 背中に乗り、腕をねじり上げながら小乙が聞く。

「それとも、このまま死ぬかい?」

 小乙は大郎の太い首の後ろの「気兪穴きゆけつ」の経穴つぼを、じわじわと親指で押し込みながら尋ねた。膝でも背骨の「命門穴めいもんけつ」の急所を押さえつけている。

 小乙の親指が五分(一、五㎝)ほど首にめり込んだかと思うと、

「ぐわぁ痛てぇイテェ! わかった! 諦めて出てく! 出てくから放してくれぇ!」

 大郎ほどの豪胆な大男が、耐えきれずボロボロ涙を流しながら叫んだ。

「動くな!」

 少女の声が響き、「ぐふっ!」といううめき声。

 小乙が振り返ると、さっきまで座り込んでいた男が腹を押さえて悶絶し、胃液を吐き散らしていて、その足下に矢をつがえたままの弓が落ちている。こっそり後ろから小乙を射ようとしたのに気づいた少女が、玉砂利を土手っ腹に打ち込んだのだ。

「他の奴らも、妙な動きをしたら同じめにわすよ!」

 少女が「どうだ」と言わんばかりに、掴んでいる玉砂利を男たちに見せながら睨みつける。


「……んー、あー、え~と、……お嬢さん?」

 なんと呼びかけたらよいか戸惑いながら、小乙は声をかけた。

「ということで、こいつらは放してやっていいかな?」

 と聞くと、

「えぇ? こいつらって押し込み強盗で八人も殺した悪党なんでしょ、 放したらまた悪いことするんじゃないの? 殺しちゃったら?」

 すっかり余裕の表情を浮かべた少女は、なにやら物騒なことを言いだした。、

「んー、まぁ悪党といえば、俺も実はそれほど褒められた人間じゃないんだ……やいお前ら、これに懲りて悪さをめるか?」

「止めます止めますう」

 男たちはひざまづき地面に何度も頭をこすりつけた。

 小乙は 、こいつら絶対この場だけ取り繕えばいいと思ってやがるな、と見たが、捕まえて役人を呼ぶのも面倒だ。また、役人を呼ぶと、こっちも厄介なことになりかねない。かと言って五人全員殺すほど、直接害を受けたわけでなし。押し込みにあった八人は気の毒だが……と思いを巡らし、

「殺すのは御免だな。お嬢さんが殺すってんなら権利もあるし止めないけど。どうする?」

 と、少女に結論を振った。

 それを聞いて少女は、わざとらしく大きな溜息をついて、

「しょうがないわね、わたしも寝覚めが悪くなるし、そもそも若いうちに人を殺すと仙術が濁るからやめとけって師父しふに言われてるし。今回は見逃してあげる。有難く思いなさいよね!」

 むふー、と小鼻を膨らませる。まぁその鼻息の荒いことといったら、意外とお調子者のようだ。

 「と、いうことだ、袁の兄い達、出ていってくんねぇ」

「わ、わかった。廟の中に俺たちの荷物が置いてあるんだ。取ってくるから待ってくれ」

 五人の男はすごすごと御廟の中に入っていった。

「危ねぇところだったな。確かにお嬢ちゃんの飛礫ひれきは大した腕前だが、子供のうちからあんまり無茶するもんじゃないぜ?」

 聞いて少女はぷっと膨れて、

「な、なによ! 別にあんな奴ら、あんたに助けてもらわなくても、あたしの飛刀ひとうでやっつけられたんだからね! そもそも子供じゃないし!」

 真っ赤になって言い張った。小乙は笑いをこらえながら、

「そうかそうか、そりゃ済まなかった。余計な手出しをしちまったようだな、お嬢ちゃん。」

「……しじょう」

「ん? 」

「私の名前! 祝四娘しゅくしじょうっていうの!」

 少女の勢いにすこし怯んで

「お、おぅ、そうかい。」

 祝四娘しゅくしじょう ……はて? 

 何かひっかかるものを感じたが、、

「上から四番目の子か。渾名あだなとかはあるのかい?」

「ん……あるけど、笑わないでよね」

「ふふ、俺の知り合いにも、たくさん妙な渾名の人がいるぜ。鼓上蚤こじょうそうとかよ。それよりも変なのか?」

「変じゃないけど、みんなお似合いだって笑うんだもん!」

「笑わないよ、何て言うんだ?」「……しょうゆう」「しゅくしょうゆう? いい名じゃないか。どんな字なんだ?」

 少女は地面に木の枝で字を書いた。

祝小融しゅくしょうゆう

 それを見た小乙は、ついプッと吹き出してしまった。四娘は顔を真っ赤にして、握った両拳で若者の背中をぽかぽか叩く。

「もお! 笑わないって言ったのに!」

「ごめんごめん、でも確かにお似合いだ。飛刀使いの小さな祝融しゅくゆうか。ふふっ」

 祝融しゅくゆうとは、後漢の時代の戦乱を描いた「三国志」に登場する、南蛮国の王「孟獲もうかく」の妻で、飛刀ひとうを使う女豪傑の名である。

 四娘しじょうは、ふくれっつらでぷいっと小乙に背を向けてしまった。

「ははは、すまんすまん。でも祝融夫人は美人だったらしいから、小融もきっと将来美人になるんじゃないか?」

 とおだてると、四娘は少し機嫌を直したらしく、

「そ、そんなの当たり前じゃない。なにをいってんのよ今さら」

 と、また小鼻をふくらませて薄い胸をはる。

 小乙は、見た目の割には賢いようだが、案外チョロいなと、そっと胸をなで下ろした。

「ところで、私も名乗ったんだから、お兄さんも本名を教えてよ。小乙ちびすけなんてどうせ偽名でしょ?」

 小乙と名乗ったこの若者、はたと困った。確かに偽名なのだが、本名を伝えて良いものなのか。

「う~ん、まぁいいか。俺の名は」

 覚悟を決めて言いかけたその瞬間、廟の中から凄まじい絶叫が響いてきた。

「うあぁなんだこの黒いのはぁ!」「助けてくれぇアニキぃ!」「ダメだ矢が刺さらねえ!」「虎二、ぶった切れぇ!」「やってるうがっぉおべごれ……」「野郎、よくも虎二を食いやがったな!くたばれこのぼごごばぐヴっぅう!」

 四娘は血相を変え、廟の階段の下まで駆け寄った。小乙も後を追う。

 突然喚き声が消え、あとから何か固いものをかじ齧る音、咀嚼そしゃくする音、すする音が二人のところまで聞こえてきた。

 ごり、ごり、ぺちゃ、ぺちゃ、じゅる、じゅる、くちゃ、くちゃ・・・・・・

 修羅場を数多く経験してきた小乙しょういつでも、聞くに堪えない身の毛もよだつ音である。だが四娘はおびえる様子もなく、妙に落ち着いている。

 さっきは大郎の話を聞くだけで青ざめていたのに、これは平気なのか? 小乙は首をひねった。

「出たわね」

 四娘は、すっと表情を引き締め、背中の剣の柄を掴み、ひっこ抜いて空中に投げ出した。剣は空中でふたつに分かれて落ちてきた。

 ひとつの鞘に二本の剣が収められている「雌雄一対の剣」「双剣」と呼ばれる形のものだった。柄の部分が半円状になっていて、合わせるとひとつの柄のように見えるのだ。片方の柄は白い皮、もう片方には黒い皮が巻いてある。ところが、小乙は剣を見て驚いた。

 双剣の刀身は金属ではなく木でできていたからである。

「おいおい、木剣ぼっけんなんかでなにをしようってんだ?」

「これは魔物まもの専用の武器なの。人は切れないけど、魔物や妖物あやかしを祓うことができる剣なんだ、まぁ見ててよ。」

「おい! 危ねぇぞ!」

 小乙が止めるのを振り切り、四娘は廟の階段を駆け上がっていく。

「待てったら!」

 廟の入り口で追いつくと、四娘は堂内の薄暗がりをのぞき込んでいる。

「……全部で三匹。さっきの男たちはみんな食われちゃったみたい。自業自得だけどね」

 先程までのあどけない表情は消え、愛嬌のあるくりくりとした丸い眼は細められまなじりが上がっている。だが、真剣な眼差しとは裏腹に、口角が上がり、まるで楽しんでいるかのように見えた。

 小乙も薄暗がりに目をこらすが、床一面に袁兄弟のものと思われる血だまり、腕や脚などの残骸が散乱していて、他には何も見えない。

「何も見えないんだが、やっぱり魔物がいるのか?」

「ああ、そうか」

 四娘は自分の左目を指さして言った。

「こっちの眼だけ青いのがわかるでしょ?」

「うむ」

「悲しいけどこれ『浄眼じょうがん』なのよね」

「じょうがん?」

「そう、あたし実は『見鬼けんき』なんだ」

「けんき?あの幽霊とかが見えるってヤツか?」

「うん、この『浄眼じょうがん』のせいで、昼間でも夜でも、や魔物が、見たくもないのにはっきり見えちゃうんだ。ねぇ、さっきの奴も言ってたけど、この眼って、やっぱり変? 気味が悪い?」 

 四娘は小乙を正面からのぞきこみ、少し不安げな、そして寂しげな表情を見せた。 

 ははあ、なるほど。この娘は、この左右違う色の眼で気味悪がられてきたのだろう。でも気にしなければ、ちょっと生意気で、年の割にチビだけど、おもしろくて可愛い女の子だ。

 小乙はすっかりこの祝四娘という不思議な少女に興味を引かれていた。

「いや、今言われるまですっかり忘れてた。別に気にならないぜ。将来美人になること請け合いの、飛礫ひれきの名手の女の子なんだろ?祝融しゅくゆう夫人みたいな」

 とからかうと、聞いた四娘はぱあっと明るい表情になり、少し頬を染めイタズラっぽい目で小乙を見た。

「ふふっ、予約するなら今のうちだからね」と笑ってから真面目な顔になり、

「よし、日が落ちる前に祓っちゃいますか」

 背筋を伸ばし、二本の剣を廟内の虚空に向けた。

「ここだと日の光が届くから、奴ら簡単には出てこないけど、中に入ったら襲ってくると思うから、気をつけて」といい、廟に一歩踏み込んだのである。


 小乙も遅れて廟の中に足を踏み入れた。正面の石造りの床に大きな血溜まりがあり、むっとするような鉄臭い匂いと、酸っぱいようなかび臭いような臭いが混ざり、あたかも瘴気しょうきが充満しているかのようである。小乙は思わず鼻と口を覆い、息を止めた。

「どうやらあれは『猲狙かっしょ』のようね。けっこう大きい。こっちの様子をうかがってる」

 猲狙かっしょ。古い中国の地理書「山海経せんがいきょう」に曰く、「獣あり。その状は狼のごとく、赤き首、鼠の目、その音は豚のごとし。名づけて猲狙かっしょという。これ人を食う」とある。

 暗がりに眼が慣れてきたところで、小乙にも気配、というか濁った気のかたまりらしきものが感じられた。

「あそことあそこ、それからあの柱の横辺りに何か嫌な感じの塊があるように思うんだが」と指さすと、四娘はちょっと驚いた様子で小乙を見た。

「へぇ……それだけ感じられるなんて凄いね。さっきの拳法といい、小乙おにいさん何者?」

「おほ褒めにあずかり光栄だね。それにしても凄い瘴気だ」

「今祓うわ」

 四娘は双剣を体の前で交差させ、小さく咒文をつぶやきはじめた。

「巽下巽上 巽為風そんいふう。重巽、以申命。剛巽乎中正而志行、柔皆順乎剛是以小亨。利有攸往、利見大人……さんっ!」

 気合い一閃、双剣を大きく両側に振るうと、突如廟内に旋風つむじかぜがおき、澱んでいた空気が吹き飛ばされていった。小乙は大きく息を吸い、そして見えたのだ。

 床に二つ、正面の祭壇に一つ、黒い雲のような塊がはっきりと。

 先程小乙が感じていた「気の濁り」が、明確に可視化されたのだ。

 床にいた二つの黒雲が四娘の方へ向かって滑るように近づいてくる。四娘は黒雲に双剣の切っ先を向け咒文を唱えた。

「震下坎上、水雷屯すいらいちゅん 屯剛柔始交而難生、動乎險中。大亨貞、雷雨之動滿盈。水雷発現、水剋火すいこくかはっ!」

 呼応するように剣から黒い帯が稲妻のように飛び出し、そのまま黒雲に吸い込まれていく。たちまち雲散霧消し、中から狼のような姿の二匹の魔物が出現した。

 これが猲狙かっしょであろう。

 猲狙は狼、犬の系統で、五行で言うと「」の属性になる。

 陰陽五行の仙術において、「すいを消し、ごんを溶かし、ごんもくを切り裂き、もくに根を張り、すいを飲み込む」。

 この互いに力を弱める属性の関係を「五行相剋ごぎょうそうこく」といい、四娘の門派では体内で煉った各属性を打ち出す術を「らい」と呼んでいる。四娘は双剣を媒介にして、すい属性の「らい」を、「」の属性の猲狙に放ったのである。

 たまらず猲狙が姿を現したのを見て、四娘は双剣を左手にまとめて持ち、右手で長羽織の内側から飛刀を二本抜き出し、すいの属性を付け加えた。

 「水雷付与すいらいふよこく!」現れた二匹の猲狙に向けて次々腕を振った。飛刀が凄まじい早さで猲狙の額に突き刺さったかと思うと、けたたましい「プギャー!」と豚のような鳴き声が聞こえた。

 猲狙はだらだらよだれを垂らし、禍々しい牙の生えた口を開け、豚のようにフゴフゴ声をあげながら苦しげにのたうち回り、やがて動きを止めた。

 飛刀のささった魔物の姿はボロボロ崩れだし、灰の山を作り、そして散っていった。

 小乙が唖然として見つめていると、四娘が

「もう一匹!」

 双剣を両手に持ち替え、祭壇の上の一丈(三m)ほどのひときわ大きな黒雲に剣先を向けた。

「来るっ!」

 黒雲が急に祭壇から浮き上がり、ぐるぐる渦を巻きながら細く尖り始め、その形のまま弾かれたように飛びかかってきた。小乙は横に跳んで避けたが、四娘少しも動かず、柄の黒い木剣を右手に顔の前に真っ直ぐ立てて、黒雲を受け止めると、木剣にもかかわらず、ガチン、と金属音がした。四娘は柳眉を逆立てて叫ぶ。

「『東王父とうおうふ発能はつのう水剋火すいこくか!」

 途端に木剣の刀身の色が「すい」の属性を帯びて黒く変わり始めた。徐々に黒雲は消え、猲狙の姿が現れてきたのだが、先ほどの二匹と比べると段違いに大きい。どうやら三匹の親玉だったらしい。

 最初は互角に見えたが、さすがに四娘の体の大きさでは、牛のような猲狙の圧力に徐々に押されてきている。これはいかんと、小乙が落ちていた朴刀ぼくとうを拾い、横から切りつけようとした。が、それを見た四娘が大声で「ダメえっ!」と制止する。

「あたし一人で大丈夫だから手出ししないで!」

 と叫び、さらに「『西王母せいおうぼ発能はつのう金生水きんしょうすい!」と、柄の白い木剣を柄の黒い木剣の後ろにあてがった。

 二本の剣が交差したかと思うと、二つの刀身が、内側から光りはじめ、やがてまばゆいほどに白く輝きだしはじめる。

「木は擦れて火を生み、火は物を焼いて土を生み、土は中から金属を生み、金は表面に水滴を生み、水を与えれば木を生む」。この互いに力を与える属性の関係を「五行相生ごぎょうそうしょう」という。東王父の「水」の属性を、「西王母」の「金」の属性がさらに強めたのだ。

 猲狙は唸り声をあげながら、涎をだらだら垂らし、四娘が構えた木剣にがっしりとかじりついている。垂れた涎が石造りの床にぽたぽた落ち、しゅうしゅう音を立てて白煙が上がる。どうやら強力な酸のようで、床に穴があいている。だが光る木剣は何の影響も受けていない。数秒間膠着状態が続いたが、木剣の光はますます激しくなり、やがて、ぞぶりっと音を立て、噛み付いている猲狙の口を切り裂き始めた。

ぉぉぉおお!」

 四娘は双剣を握ったまま猲狙の横を駆け抜けた。尻のところまで駆け抜け、振り返ると猲狙は真っ二つに切断され、どさりと床に落ちた。

 崩れていく猲狙を見ながら、四娘は鞘を腰に回し、双剣を収めてまた背中に背負い直した。すっかり見とれていた小乙は、つば音ではっと我にかえり、四娘に話しかけた。

「生まれて初めて魔物を倒すところを見たが、凄まじいものだな」

 四娘は緊張が解けてふっと肩を落とし、前髪を左目の前に下ろしてから、照れくさそうに笑った。

「えへへ、実はひとりで祓うのは初めてなんだ。いつもは師父しふ師兄しけいが付いて、二人以上でやってたんだけどね」

「しかしこんなこんな小さい子にたったひとりでやらせるなんて、お師匠さん度胸があるというか無責任というか」

「違うの、わたしがひとりでやらせてほしいって頼んだの! もう十三歳になったし、独り立ちさせてほしいって!」

 ははぁ、それでさっき、手出ししないで、と言ってたんだ

「ひとりで祓えたら、師父しふに一人前と認めてもらえるんだよ」と、ご満悦である。

 ううむ、さっきの技は凄かったし、飛礫や飛刀もかなりのものだが、魔物よりも人間相手の方が心配だなぁ。世間知らずだし。

「独り立ちするのは、もうちょっと世間を知ってからでいいんじゃないのか?」

 とたんに四娘膨れて

「なによ! 見たでしょわたしの実力! もう十三歳だし、ひとりでやっていけるわよ!」

 と右目だけで睨む。

 まぁ確かに余計なお節介かな、と思いつつ、

「けれど実際、さっきは危なかったぞ。あの袁大朗えんだいろうって奴、一応勝ったけどありゃあかなりの功夫カンフー(修行で身につけた力)だったし。下手したら今頃売りとばされてたかもよ?」

 それを聞いて四娘、急に落ち着きを失って

「あ、あの、お願いがあるんだけどさ、あたしが危なかったの、師父には黙っててくれない?」

 いや別にお前の師匠になんて会わないし。そもそも俺はもう行くし。

「危なかったなんて知られたら、もう二度と一人旅に出してもらえなくなっちゃう。ね、この通り」

 両手を合わせ、必死に頼み込む姿に、小乙は微笑ましいものを感じたが、まさにその時、門の方からはや囃し立てるような、薄笑いの声が聞こえてきたのだ。

「いったい何をお願いしてるのかなぁ~ん~ 小融しょうゆうぅ~?」

 振り返った四娘は、「げっ!」と仰け反った。

「し、師父しふ! な、な、なんでここにぃ!」


 門から現れたのは、払子ほっすを持ち、痩躯そうく、白法衣、禿頭とくとう、白長眉、白長髯、という、絵に描いたような仙人然とした老人である。にこにこ愛想良く笑いながら近づいてくるのだが、対照的に四娘はどんどん青ざめ、脂汗をだらだら流しながら小刻みに震えている。

「ほっほっほっ、うまく祓えたようじゃの? ん、小融しょうゆう?」「は、はぃ」「で……一人でやれたんじゃの? え? 誰の助けも借りずに? たった一人の力で、のぉ? ほっほっ」

 笑顔をぴくりともうごかさず、老人はしじょう四娘の顔を覗き込む。

「え、えとあの、その……はぃ……」四娘は眼をそらしながら答える。

「あ~?  聞こえんなぁ~。一人で! 誰の助けも借りずに! やり遂げたんじゃの? ん?  ん? ん?」

 回り込みながらしつこく顔を覗き込みまくる老人。

 小乙は見ていられず、笑いをこらえながらブルブル震えている。

 この老人、いい歳してなかなかに底意地の悪い師匠である。とうとう耐えきれず四娘、完全に下を向き、半べそをかきながら

「ずびばぜん師父しふ、あのびどのだずげをりばじだ」と小乙を指さした。

「知っとるよ、最初から見とったからの、ほっほっほっ」

「えっ! 最初って……どっから?」

「お前が五人に囲まれたところからじゃの。こりゃいかん、と思ったが、そちらの若者が助けてくれそうじゃったから、後ろから見させてもらっておったわ。ほっほっ」

 ……ほんっとに意地の悪い皮肉ジジイめ! いつか見てなさいよ! と、心の中で毒づく四娘。一方、

 ・・・・・・全く気配を感じなかった。さすがに師匠と呼ばれるだけある。

 小乙は少し悔しかったが、とはいえいざという時のために、こっそり見ていたのだとしたら、意地悪そうに見えて、案外弟子思いなのかも知れないな、と思った。

「さて、小融が嘘をつきよったことは、また後で詳し~く聞くとして」

 ちらっと四娘を見る。もうこうなると四娘は生きた心地がしない。小さな体をさらに縮めている。まさに穴があったら入りたい、という状況やつ

「改めて小融を助けてくれたこと、礼をいいますぞ。ところで」

 小乙に近づき、顎に手をあてながら、しげしげと顔を見てから、小さな声で

「はて、おぬし、『星持ち』じゃな?」

 小乙は息をのんだ。弟子の四娘でさえあれほどの術力を持っているのだから、その師匠がさらに上をいくのは当然として、ひと目で「星」のことを見抜かれるとは、想像していた以上にすごい力の持ち主だぞこの老人……大人気おとなげないけど。

 小乙が驚いて身じろぎもしないのを見て老人は、「失礼ながら、お助けいただいた礼に一席設けたいのだが、いかがかの?」と笑顔で誘ってきた。

 はっと我に返った小乙、今後の行く末も含め考えを巡らせた。

 特に急いで行かなければならぬ目的地はない。というかそもそも恩人や仲間と別れてから、この先どうするか何も決めていない。路銀も十分あり、流浪の旅に出るくらいしか考えていなかった。ちょっと寄り道をして、この不思議な老人の話を聞くのも面白そうだ。

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

「そうかの。いや、実はわしのところにも、もうひとり『星持ち』がいるのじゃ。おぬしも知っている男だと思うが」

 あれだけいた仲間も、今では三分の一に減ってしまたが、はて、誰のことだろう。

「失礼ながら、ご老人のお名前をお聞かせ願えますか?」

「ほっほっ、隠すほどのことでもない。人はわしを『羅真人らしんじん』と呼ぶ」

 この方が羅真人さま! ということはつまりもう一人の「星持ち」とは・・・・・・「入雲龍」の兄貴か! 

「羅真人さまでしたか。驚いた、実は近々、二仙山にもお伺いしようと思っていたのですよ」

「ほう、左様か、偶然とは恐ろしいの。では急ぎ山へ戻るとしよう。これ小融、ぼさっとしとらんで縮地法しゅくちほうの準備をせい!」

 言われた四娘、庭に跳び降り、地面に木の枝で何やら奇妙な文様を描き始めた。それを見た羅真人、小乙を振り返り

「と、その前に、おぬし済まんが、さっきの袁兄弟とやらがくすねてきたお宝を探して持ってきてくれんか」「え?」「いや、貧乏道観としては、弟子どもを食わせていくのもなかなかと物入りでな」

 おいおい、たとえ強盗がみんな食われてしまったからと言って、お宝を返すでもなく横取りするのかよ? 真人さま意外と現実的だな。

 金銀が入った大きな麻袋を一つ、廟の奥で見つけ、それを背負って庭に戻ってみると、どうやら「縮地法」とやらの準備が出来たらしい。

 中心に太極の図、その周囲に八卦はっけの模様が描かれてあり、さらに方角に合わせて「青龍、朱雀、白虎、玄武」の四神、それぞれの間に「黄龍」と記されてある。

 その中心、太極図柄の「陽」の部分に羅真人、「陰」の部分に祝四娘が立っていた。

「おお、来たかの。ではお前さんもこちらに立つがよい」

 招かれた小乙も円の中に入り、羅真人の隣に立った。

「では今から二仙山に飛ぶとしよう。揺れたりせぬが、間違ってこの陣から出てしまうと、別の次元ばしょに飛ばされてしまい、二度と戻ってこられなくなるから気をつけるのじゃぞ、ほっほっほ。小融、帰るぞ」

 羅真人はさらりと恐ろしげなことを言う。四娘は会わせた袖の中で何やらいんを結びつつ、咒文じゅもんを唱えだした。

「彖曰、旅、小亨、柔得中乎外而順乎剛、止而麗乎明是以小亨旅貞吉也。旅之時義大矣哉……」

 太極の外側、八卦を描いた枠が、光を発しながら徐々に廻りはじめた。やがて文字が読めなくなるほどの速さになったかと思うと、一瞬周囲が暗黒に包まれた。

 六十数えるほどの時間が経ち、徐々に暗黒が薄れ明るさが増してくる。

 廻っていた光の速度が段々遅くなってきて、やがて完全に動きを止めると、周囲の様子がはっきりと見えてきた。

驚いたことに、三人は全く別の場所に転移していたのだ。

 山の中なのは同じだが、明らかに先程までいた山より遙かに高い、白雲に包まれた険峻けんしゅんな山奥なのである。

 足元は平らな石畳で、周りを見回すと、綺麗に手入れされた別の古道観の中庭だった。小乙は目を白黒させている。

 「ついたぞ。ここが二仙山じゃ。わしや小融や、公孫勝が修行しておる場所じゃよ。もっともわしはもうそろそろ、公孫勝あやつに後釜を譲ろうと思っているところよ。それにしても小融」「は、はぃ……」「縮地法の紋様、ずいぶん上手く描けるようになったのぉ、ほっほっほ」「そ、そうですかぁ、いやぁそれほどでもぉ、でへへ」

 と、得意満面の笑みを浮かべたところへ、

「……ところで、さっきの祓いのことについてじゃが」

「夕食の準備手伝ってきまーす」

 脱兎のごとく逃げ出す四娘。その後ろ姿を笑って見送る羅真人。

 やっぱりなんだかんだ言っても四娘あのこが可愛いんだな。



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