第19話

 雄樹と友達になって、どうにか中学生生活を生き残った秀治は、三年生に進級した頃に進路指導の先生から、県内でも随一の県立の進学校を受験するよう勧められた。自分の成績がどの程度なのか、そんなこと気にする余裕もなかった秀治だったけれど、成績は良かったようだ。


 三者面談のはずなのに教師と二人きりで進路の話をした秀治はふと、雄樹はどの高校へ進学するつもりなのかと尋ねた。


「舘岡は、どうかなぁ、五組だからわからないなぁ」


 教師は苦笑交じりに、ごめんなと言った。秀治は今年も雄樹と同じクラスになれなかったことを呪いながら、とりあえず、今日の帰り道に進路の話をしてみようと思った。


「まぁ、野中先生は舘岡もかなり成績は良いって言ってたから、頑張れば同じ高校に行けるかもな」


 教師は五組の担任の名を出して、そう言った。


「あ、そうなんですね」


 秀治は淡々とした口調でそれだけ言ったけれど、心の内側が少し熱くなっているのを感じずにはいられなかった。




「一緒の高校に行けそうなんだ。行けたらいいね」


 三者面談の話をすると、雄樹はいつもの快活な調子でそう返してきた。


「うん、そうなるといいね」


「頑張ろう」


 二言、三言交わしただけで、その話題はなんとなく打ち切られた。別に気まずい話題というわけではないけれど、それ以上広げられるような話でも無かった。


「そういえばさ、秀治君、なんか背伸びたよね」


 不意に、雄樹が方へ目を向けて言った。


「え、あぁ、うん。身体測定で百七十㎝超えてたけど、どうしたの、いきなり」


「ううん、なんとなく。顔つきも強そうになってるし、なんか大人っぽくなってて凄いなぁ」


 そう言って笑った雄樹の顔は、いつもの無邪気さを見せていた。いつも一緒にいるのに、いまさらのように秀治の背が伸びたことに驚く雄樹。こんな感じでも成績は良いんだなと、秀治は楽しそうな雄樹の横顔を見て思った。


 そのあとは、いつもの通り荒江四つ角の交差点まで雄樹が一方的にしゃべり、秀治はたまに相槌を打つ程度の時間を過ごした。雄樹にさよならを言い、交差点の横断歩道を渡ってから自転車に乗った秀治は、ゆらゆらと不安定に揺れる自転車ですれ違う通行人を危なっかしく避けながら、アパートを目指した。


 アパートに着くと、秀治はすっかり昼夜逆転した生活を送る姉を起こさないようゆっくりと玄関のドアを開けた。


 アパートの中はすっかり静まり返っていたけれど、襖一枚を隔てた部屋の奥で微かに布の擦れる音がするのを秀治の耳は捉えた。思ったとおり姉は眠っているらしい。今日も仕事に出ていくのかはわからないけれど、まだ起こしてはいけないと思い、秀治は慎重にドアを閉めた。


 不意に、ドアの正面に配置された食器棚のガラスに映った自分の姿が、秀治の目に入った。その姿に、秀治は思わず一度強く目をつむり、そしてもう一度じっと、ガラスの向こうにある自分の写し絵に目を凝らした。


 薄く、透き通るような姿しか映し出されてはいないけれど、ガラス面に反射した秀治の顔は、異様に鋭い目つきとそれに劣らない鋭角の顎が際立つ“ 男の顔 ”をしていた。


 自分の頭の中にイメージとして焼き付いている、幼いが可愛げのない少年の残像が一瞬で上書きされた。


 まだ大人とまでは言えないけれど、少年というにはあまりに骨ばった頬とエラの辺りに、秀治は無意識に手をやっていた。


 そうしながら、秀治は昨日仕事に向かおうと起きてきた姉が、自分の顔に驚きと、そしてどこか恐怖を感じたような表情を見せたのを思い出した。


「?、どうしたの…」


 口調だけはたどたどしい少年のまま、秀治はじっとこちらを見据える姉に尋ねた。


「あんた、お父さんに似てきたね。ちょっとどきっとした」


 そう言った姉の顔からは、多分本人も上手く言葉に出来ないような緊張感が伝わってきた。それ以上姉は何も言わず、逃げるようにして秀治のそばを離れ家を後にした。


 今、秀治は昨日の姉の言葉と表情を、自分の心で理解した。弱いくせに、もしくは弱いからこそ、もっと弱い者へ暴力を与えることで自分の自尊心を保った父親の面影を、姉は秀治の成長した顔立ちに感じ取ったに違いない。


 秀治はその考えに嫌悪感を抱くと同時に、どこか奇妙な充足感を覚えた。


 父が弱い人間であることはよくわかっていた。しかし同時に、あの誰にも心を許していないような陰湿で刺々しい目付きが、周囲の人間に威圧感を与えていたこともよく記憶していた。それが良いことだとは思わないけれど、とても大きな武器を与えられたような気が、秀治はした。


 秀治のアパートは古く、居間とダイニングしかない。そして居間には、姉が万年床の状態にしてある布団が残されていた。


 秀治は布団の敷かれていないスペースに座り、日々の習慣に従って鞄から教科書やノートを取り出し、出された宿題に取り掛かった。勉強が特に好きなわけではないけれど、他にすることもないので、時間の空白を埋めるためにこうして日々課された課題を淡々とこなしている。


 この作業が大変だと感じたことはないけれど、こういう積み重ねが自分の今の成績と、そして未来を形作っているのだと思うと、決して無意味な単純作業ではなかったのだと思えてうれしかった。


 同時に、この程度のことを継続することが、自分をもっと先へ、高い位置へ連れて行ってくれるのなら、いくらでも時間と労力を捧げられると、軽快に動くペンの先を見ながら秀治は思った。


 あいつもこんな風に、日々ストイックに勉強をつみかさねてきたのだろうか。秀治は三年生になっても相変わらず子犬のような雄樹の顔を頭に思い浮かべた。


 なんだか想像がつかない。興味の対象が風に舞う落ち葉のように流転していく雄樹が、一つのことに集中する姿を思い描こうとしても、秀治には無理だった。そして心の中でとはいえ、雄樹のことをあいつと呼んだ自分に少しだけ違和感を覚えた。


 実際に呼んだわけではないけれど、無意識に、ためらいなく“ アイツ ” と心のなかで言ったのだ。どこか軽蔑のニュアンスを込めて。


 とりあえず、宿題を終わらせてしまおう。秀治は気持ちをすぐに切り替えた。

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