第6話

 私と純季はしばらく道なりに歩いて、市の運営する博物館の駐車場の手前を右に曲がった。


 病院はすぐ目の前に見え、狭い駐車場では数台の自動車がせせこましく動いていた。私達は駐車場の真ん中を横切って、病院の扉の前に立った。


 表玄関は総ガラス張りで、病院のエントランススペースの無垢な白さが目に入った。自動ドアが静かに私達を迎え、受付の職員が私達に軽く会釈した。純季はまっすぐに受付に向かい、反応の鈍そうな、いかにも社会人一年生といった感じの男性職員に何事か話していた。


 私は扉の側で待っていたから、純季が何を話しているのかはわからなかったけれど、彼の応対をする受付職員の表情を見るに、何か無理のあることを言っていることはわかった。職員は一端席を外し、奥の机で事務作業をしている年配の女性職員に、面倒くさそうな表情で何事か話をしていた。純季とのやりとりを話しているのだろう。


 年配の職員の方も少し困った様子で、机に肘をつき、顎に手を当ててしばらく何か思案していた。二人がそんなやりとりをしている間も、純季は少しも表情を変えず、ただじっとその様子を見つめていた。


 すると、年配の職員の方が純季の視線に気づいたのか、軽く会釈をした。それからおもむろに立ち上がると、小さなずんぐりとした身体を揺らし、純季のほうへやってきた。職員は純季に軽く頭を下げながら、二言三言喋って、近くにあった内線電話でどこかへ電話をかけていた。


 電話がつながると、職員は受話器を持つのとは反対の手で口の辺りを覆い隠すようにした。それから二、三度頷く素振りを見せ、受話器を置いた。そうして職員は改めて純季の方へ向き直ると、手元にあったファイルを広げ何かの説明をし、またすぐにファイルを閉じた。


 純季は愛想よく応対する女性職員と、まだぼんやりとした表情でこちらを見ている若い職員へ小さく頭を下げた。それからこちらを振り返ると、私にエレベーターのある方角を視線で示した。そっちへ向かえ、ということなのだろう。随分ぞんざいな扱われ方だった。気に入らないとは思いつつ、私はエレベーターホールへ向かった。


 別に純季が私を軽んじているわけでも、特別冷たくしているわけでもない、それは良くわかっている。あれがあいつの普通なんだ、誰に対してもあんな風に接するのだ、あんなふうに感情の読めない顔で。


 エレベーターのボタンを押したのと丁度同じタイミングで、純季がエレベーターホールにやってきた。ゆっくりと下降するエレベーターの階数表示。純季も私も何も言わず、というより何も喋る話題などないまま、ただ二人並んで、エレベーターの扉が開いてくれるのを待った。


 なんとか間を持たせようなんて気遣いは、私も純季も持ち合わせてはいない。というより、その方が居心地がいい。互いに干渉せずにいる空間が快いと思っているのは、私も純季も同じだった。


 エレベーターから到着を告げる音がした。扉が開いて、私たちは目に痛いほど白さを見せつける箱の中へ入った。純季は五階のボタンを押し、他に乗り込んで来る人の有無も確認せず、扉を閉じるボタンを押した。幸い、エレベーターに乗り込もうとする人はいなかった。


 五階に着くと、純季は私に外へ出るよう私に目配せした。私は黙ってそれに従った。せめて ”降りろよ ”くらい言ってくれてもいいだろうと思ったけれど、純季とはこういう奴だ。


「私、まだあんたと先輩との関係聞いてないよ」


 エレベーターのそばにある地図を見ていた純季に、私は尋ねた。


「何の関係もない人のお見舞いに来るなんて、普通に考えればありえないでしょ」


 病院の場所探してあげたんだから、そっちも教えてよ。私は純季の背中にそう言葉を投げた。純季は病院内の配置図から離れ、一度天井を仰ぎ見た。それから低く唸るように息を吐いて、こちらを振り返った。


「聞きたいか?」


「どうしても言いたくないなら、別にいい」


 純季の一言にチクリと小さな棘を感じた私は、それが気にいらず、思わず刺し返すような言葉を投げた。そしてすぐに、少しきつい言い方だったかもしれないと思った。


 しばし沈黙が流れて、私も純季も次の言葉に迷っていた。黙して語らぬ時間は嫌いではないはずなのに、私にはそれが無限の時間に思えて耐え難かった。


 けれど、私が堪らず口を開こうとした寸前に、純季が言葉を発した。


「舘岡先輩には、一年生の頃に仲良くしてもらってた。今は疎遠になってるけど、見舞いくらいはしようと思ったんだ」


 そんだけだよ、と言い添えて、純季は病室の並ぶ廊下の方へ歩き始めた。私は彼の背中を追った。


「友達いたんだ、意外」


 私は背の高い彼の横顔を眺めた。血が通っているとは思えないほど白い肌に、切れ長の目が際立っていた。


「居ないと思ったか?」


「別に、まぁ一人くらいは居ただろうね。想像つかないけど」


 私は純季の隣に立った。彼は相変わらずやる気の無さそうな表情のままだった。


 けれど一瞬だけ、その横顔に疲労とも悲哀ともとれない影が指したような気がして、私はもう一度、彼に視線を向けた。


「俺は中学を卒業してからこっちに越してきた。だからこの辺に知り合いなんていないし、高校に入ってからは完全に孤立してた。べつに、俺はそれで構わないと思ってたけど」


 純季は訥々と話し始めた。


「一人でいるのは苦痛じゃなかったし、むしろ居心地がよかった。だから意識的に他人と交流を持とうとはしなかったし、多分他の連中だって、俺には興味なんてなかっただろう」


 ひねくれた言葉選びが純季らしかった。


「でも・・・、入学してから一ヶ月くらいたった頃だったと思うけど、渋沢新に声をかけられた」


「渋沢新?」


 聞かない名前だった。


「一年生の時同じクラスだった奴。舞衣と俺は違うクラスだったから、接点はなくても無理ないよな」


 二年生になってクラスが別になって、それで疎遠になった。そういうクチだよ。そう言って、純季は私の方へ視線を向けた。


「新は舘岡先輩と仲の良かった生徒で、俺は新を介して舘岡先輩と知り合った。だから一年生のころは、新とも舘岡先輩とも仲良くさせてもらってたんだ。俺が先輩のところに見舞いに行く理由はそれだよ」


 背の高い純季から注がれる視線は、純季の乾いた言葉以上にその感情を吐きだしていた。


 疲れているようで、悲しげでもあって、何か特別な気持ちを抱えて純季がここに来ているのが私にはわかった。ただそれが何なのか、彼の視線や表情からだけでは、そこまでのことはわからなかった。


 それきり、純季は私に何も話しかけることはなく、私も純季に言葉をかけようとはしなかった。

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