69話 対席

 さっきから、情報量が多過ぎて理解し切れない……。影男と顔を見合わせる透明怪人を見比べて、透也は天井を仰いだ。

「幹部ならそう云えよ……」

「だって、訊かれなかったし」

「幹部らしい威厳的なものが無い」

 ショルメのダメ出しされ、透明怪人はしょげ返る。

「ワタシに魅力が無いって意味?」

「い、いや、そうは云ってない……」

 その様子を眺めて、影男がニヤニヤを顎を撫でた。

「何だか知らないけど、楽しそうだね。しばらくお世話になろうかな」

「勝手に決めるな!」


 そこでようやく、チェスが一段落したニコラが顔を上げた。

「要するに、おまえはボクを仲間にしておきたいんだろう?」

「君はお見通しだね、ニコラちゃん」

「ちゃん……!」

 ニコラは目を丸くする。

「そそそれは、お、女の子のご機嫌を取る時に、名前の後に付けるやつ――!」

「僕は女の子をお姫様だと思ってるからね」

「なら、何でも云うことを聴いてくれるんだな!」


 ……言ったからには断れないと、ニコラを背に乗せお馬さんごっこをしながら、影男は苦笑を透也に向けた。

「さっきの話だよ……あの女探偵が日下部伯爵の処に行った理由を考えたら、早く連れ戻した方がいいと思うんだ」


 そこまで言われれば、透也にも察しが付く。

 日下部伯爵が彼女を手に入れた理由――それは、魔能の軍事利用の研究に怪盗同盟の協力が得られなくなった為に、彼女を実験台にしようというのだろう。


 影男は、それを阻止する目的で此処に来たに違いないと、透也は思った。

 彼は確認する。

「――やっぱり、日下部伯爵は魔能使い、なのか?」

「そうだよ――それも、ちょっと特別な」

 直ぐにヘバった影男。床に伏せて長髪をニコラに弄ばれながら、顔だけを透也に向けた。

「仲間の証に教えておくよ、彼の魔能がどんなものか」


 ――往事渺茫おうじびょうぼう


「特定の期間や事象に纏わる記憶を消し去るものだ」

 そう云って、影男は起き上がり、ドレッドヘアになった髪を撫でる。

「霧生男爵もそうだったけど、日下部伯爵も、魔能の存在を一切悟られないタイプでね。幾ら明智探偵の感覚が鋭くても、不意打ちを喰らえばどうしようも無かっただろうね」

「なら、ボクがおまえと一緒に行けば助けられるのか?」

 ニコラがドレッドヘアを更にぐるぐると巻きながら訊いた。

「いや、失われた記憶は、魔能を停止したところで戻らないよ。だから僕が一人で彼女を連れ出したところで、何も出来ないんだ」

 影男はそう答え、透也に細めた目を向けた。

「彼女の記憶の鍵を解くには、君が必要なんだよ」

「なんで?」

 目を丸くする透也に向けて、影男は指を立てた。


「記憶の鍵が、恋心、だからさ」


 一瞬意味が解らず、透也は固まった。それから沸騰するように顔を赤くして叫んだ。

「ななななに云ってんだよ! そんなの、ある訳……」

「鈍いのは罪だよ」

 影男は動じない。

「ま、厳密に言えば、彼女が恋してるのは『怪人ジューク』だけどね。でも、君であるのに変わりは無い」

「ふむ、大体は理解した。だが、恋心が記憶の鍵となる根拠が欲しい」

 ショルメが厭に冷静に云う。すると、影男はフフフと嗤った。

「其れは君も見ている筈だ……君が結社を裏切った瞬間に」

「おまえらも知り合いなのか!」

 混乱の極みの透也の声は裏返っている。

「まあね、一応幹部として、あの場には臨席してたから」


 影男は語った。

 ニコラを黒い魔女へ引き渡す際、ショルメはニコラの身分証として、彼女の保護者役をしていたヒルダの写真を見せた。

 ――すると、黒い魔女の目の色が変わったから、影男は驚いた。

 そして彼は、彼女の和らいだ表情の中に恋愛感情を見た……。


「僕はその時気付いたよ。それまでの首領は、日下部伯爵の魔能に操られていたんだ。都合の悪い記憶を消し去って、書き換えられたんだろうね。けれど、恋焦がれる人を認識して、彼女の記憶の鍵が開かれた。それから僕には、首領が別人になったように見えるんだ」


 すると、大きな疑問が浮かび上がる。

 透也は眉を寄せて影男を見た。

「黒い魔女って、もしかして、同性愛者?」

 だが彼はキョトンとした。

「どうしてそうなるのかな?」

「だって、ヒルダって外国人の女だろ」


 それに答えたのはニコラだ。影男の髪で遊ぶのも飽きたのか、少し離れた処でチョコンと座っている。

「そんなこと、誰も云ってないぞ? ヒルダは男だ、日本人の」


 透也は凍り付く。

 彼の脳内に散乱していた疑問が、一気に集約していく感覚に眩暈を覚える。体を支え切れずに床に手を付き、激しい呼吸が肩を揺らす。

 そんな彼を心配し、リュウが駆け寄ってきた。

「透也……」

 小首を傾げる彼の相棒も、事態の重大性を理解しているのだろう。それ以上は何も云わなかった。


 一方、彼を取り囲む一同は困惑していた。

「どうした、何かおかしなことを云ったか?」

 ニコラが進み寄り、透也を覗き込んだ。彼は確認する。

「ヒルダって、痩せて無精髭を生やしたおじさんか?」

「そうだよ」

「何時も眠そうな顔をして、研究以外に興味が無くて、放っておいたら倒れるまで論文を書いてる」

「うん」

「食べるのは忘れても、珈琲だけは欠かさない」

「そうそう」



「…………本当の名前は、『蛭田ヒルタ』、なのか?」



 ニコラは満面の笑みを浮かべた。

「日本語読みをしたら、そうなるかも知れない」


 透也の左目から涙が溢れる。慌てて手で押さえるも、漏れる嗚咽を止めることは出来ない。

 膝を抱えて顔を伏せ、湧き上がる感情に身を委ねるしか無かった。


 そんな彼を眺める一同に、リュウが代弁する。

「ヒルダ――蛭田博士は、二十二世紀で透也と暮らしていた、ワガハイたちがこの時代に来るきっかけとなった人物でアリマス」


「生きてたんだ……生きてるのか、この世界で……もっと、もっと早く知りたかった……」


 蛭田博士が二十二世紀から時空転移しているとすれば、全ての辻褄が合うのだ。

 ステラの存在も、Mの装備も、ニコラが機械や日本のことに詳しい理由も。

 今も何処かで、機械を弄りならが論文を書いているのだろうと思うと、居ても立っても居られなくなる。


「しかし、彼は結社の研究者で、普段は施設に籠っている。この国には来ていないだろう」

 ショルメの言葉を、影男が否定した。

「いや、芝浦のアジトに忍び込んだ時、彼の名を聴いたよ」

 全員の視線が影男に集中する。

「彼は、兵器……つまりは、ニコラちゃんの代わりになる存在をもう一体造るよう、エドガーに命じられた」


 気まずそうに頭を掻いたのはショルメだ。

「諜報員もお役御免だな……」

「いや、僕はこの国に居るという根拠を掴んだまでで、何処に居るのかは知らない。彼への伝令役のMが、アジトから出て行く処までは確認したけどね」

「ふむ、なら俺の名誉挽回が出来る訳だな」

 ショルメは透也に顔を向けた。


「エドガーの船が横浜港にある」


「横浜に、博士が……」

 泣き腫れた目を透也が向けると、ショルメは顎に手を当てた。

「しかし、彼と君は真逆の立場になっている。師弟の再会は簡単にはいかないだろうな」

「いいさ、博士の無事が解っただけで」

「首領と蛭田博士って人は、どういう関係なんだい?」

 初恋の人の人間関係が気になるのか、影男が透也に訊いた。

「…………」

 少し考えた後、透也は自室から冊子を持ってくる。


 時空干渉理論。


 博士の論文の末尾にある、博士のものではない筆跡を彼に示す。

「もしかしたら、この人かもしれない」

「丸山、明子……」

 影男はそう云って、だが腑に落ちない顔を浮かべた。

「仮に首領も、君たちと同じように二十二世紀から来たとするよ……実は、その根拠となりそうな話も知っている。でも、君の話によると、蛭田博士は魔能を嫌っていたのだろう? しかし首領は、魔能をこの世界に広めようとしていた。これはどういうことだい?」

 それは透也にも解らない。そもそも、どう記憶を辿っても、「丸山明子」なる人物に心当たりが無い。

 彼はくしゃくしゃと癖髪を掻いた。

「解らねえ……何かボタンが掛け違っているような、そんな気がする……」


 一同は考え込んだ。

 そこに、客人にお茶を用意していた透明怪人が戻って来た。

「何みんなシケた顔してんのよ。囚われの女探偵を助けに行く話をしてたんじゃなかったの?」


 急に蒸し返され、透也は首を竦めた。

「確かに、それが最優先だよな」

「なら、ワタシが役に立つと思うわよ、カノジョの前まで連れてってあげる」

 湯呑みを配りながら、透明怪人は得意気だ。

「でも、いくら姿を隠した処で、相手は伯爵邸だぞ? そう簡単に侵入出来るとは思えない」

 透也の言葉に反応したのは影男だ。

「僕が屋敷内への侵入経路を作る。透明怪人と君が彼女を連れて来る。この作戦でいけるんじゃないかな」

 茶を啜る影男に、ショルメは横目を向けた。

「おまえが信用出来れば、な」

「大丈夫、裏切ったりしたらボッコボコだから」

 透明怪人がお盆片手に素振りを見せると、影男は苦笑を浮かべた。


 光学迷彩マントと透也の身体能力があれば、一人でも侵入は難しくないだろう。しかし、明智香子を連れ出す経路となると、影男の助力は助かる。

 それに、影男を牽制するのに、透明怪人の存在があった方がいい。


 透也が頷くと、影男は云った。

「決まりだね――決行日は明日。それでいいかな?」

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