行方不明者の写真

浅川

記憶の地層

 夕方のニュース番組で気になる速報が飛び込んできた。

 高校二年生の女子生徒が行方不明になったらしい。

 学校からの帰りと思われる姿が繁華街に設置されてある防犯カメラの映像に記録されていた、その様子がテレビに流れる。

 場所からして遭難というのは有り得ない。

 事故だったとしても直ぐに、遺体という形であったとしても発見されそうなものである。そうなると次に思い浮ぶのは誘拐か。

 既に行方が分からなくなってから一ヶ月が経過しているらしい。

 この度、俺の耳にも届いたのは警察が公開捜査に踏み切ったからだ。

 行方不明になった女子高校生の顔写真、身長、当時着ていた服装などの外見的特長、事件当日はどういう行動を取っていたか、確認が取れている情報を詳細に報じた。

 先ずは無事に見つかると良い、誰もがそう思うだろう。

 同時に俺みたいな関係のない市民は単純に背景が気になるもの。

 なぜいなくなったのか?

 山で遭難したというわけではない、人通りも多い街のド真ん中で忽然と姿を消した、事件性は高い。

 家族、身内からしたら迷惑極まりない野次馬根性も生まれてくる。

 行方不明者――その好奇心とも言える気持ちが芽生えた勢いそのままに俺は過去に起きた行方不明事件を調べてみた。

 行方不明者、とでも打って検索。

 トップに出てきたのは警視庁による情報提供を呼びかけているページや事件の捜索支援をしているサイト。

 こちらが求めているものと違った結果が出たので検索ワードを変えてみた『行方不明 未解決』と。

 タイトルからしてペーストしてまとめただけにしか見えないサイトが出てきた。この手のサイトはクリックしようという気が失せるのだが知りたい情報が手軽にという意味ではいいかもしれないと渋々そのページをクリックする。

 ざっと見た感じ幼い子供が多い気がした。

 小さい子供が急に居なくなるというのは迷子という形でよくあるが殆どはその日の内に見つかるものだ。

 それが叶わず長い年月、見つかることがないというのはどんな原因があるのだろうか。

 軽い気持ちで見てしまったが特に笑顔で写っている写真を見ると胸が痛む。

 彼ら、彼女達は未だに見つからない理由も謎のまま、発見されていないのだから。

 生きているとしたら何処で、何をしているのだろう。もう生きていないなら遺体は?

 どこかに真実は隠れているはずである。

 見たことがある写真が目に入ってきた。これは……。

 思い出すのにそう時間はかからなかった。この情報提供を呼びかけるチラシは俺が通っていた小学校、廊下の壁にも貼ってあったはず。

 あの時は深く考えていなかったけど、近くで行方が分からなくなったから貼ってあったのか。

 詳しく読んでみるとまさに目と鼻の先の隣町でいなくなっている。

 当時、小学二年生の女の子が友達と別れたのを最後に行方が分からなくなるか。

 この町内は自然の多い所だが迷うなんてことはないはず。どうして行方知らずになったのか。

 そんなことを考えながら写真をじっと見ていたらある記憶が呼び覚まされた。

 鼓動が少し速くなる。


 あれは俺が小学二年生の頃だったと思う。

 俺の通っていた小学校は理科室、音楽室、家庭科室といった教室が第二校舎にあり、各学年の教室がある第一校舎とは渡り廊下で繋がっている。

 昇降口にはバスケットボールに竹馬、一輪車などの遊具が置かれている。

 俺は昼休み、その遊具のどれかで遊ぼうと正面入り口から第二校舎に入ってみた。まだ低学年だったためこの校舎に入る機会はほとんどなかったはずである。だから興味本位というのもあったかもしれない。

 その中に入って感じたのは薄暗い、汚いだった。廊下の壁は穴が空いたように剥がれて、天井の照明も心なしか光が弱い気がした。

 床はおそらく木の板なのであろうが、その上から固まった墨をまぶしたような黒に染まっていた。

 中を見渡してみた時、右手の廊下のずっと先の壁に人の写真だと分かる紙が貼ってあるのが確認できた。

 カラー写真で、背景は赤色だったのでこの薄暗い校内では余計に目立った。それが何なのか気になった俺は……意を決してそこまで行ってみようと思った。

 だが靴もまだ脱いでない時だった。同じクラスの女子二人組も中に入ってきて「なにしているの?」と声をかけてきた。俺は「別に」などと誤魔化してその場を立ち去ってしまう。

 邪魔しやがってと思った。なにも恥ずかしい事はしていないのだが一人、誰にも気づかれずにやろうと思ったところに他人が割って入ってくると反射的になぜだか中断して逃げたくなってしまう。

 その後はあの写真の存在は気になりつつも、またあの場所へ行こうと思うことはなかった。また誰か来たらと考えると躊躇ためらうう気持ちもあったのであろう。

 だが遂にそのチャンスが訪れた。

 音楽の授業がある日。今日はいつも使っている教室が別のクラスが使うため、第二校舎の音楽室で授業をすることになった。

 音楽室は第二校舎の三階にある。あの廊下も通り階段を上ることになるのであの写真が何なのか拝見することができる。

 背の順で、二列になって音楽室へ向かう。つまり立ち止まって、その写真をじっくりと見ることはできないわけだ。

 おそらく一瞬で通り過ぎてしまうと思い、渡り廊下を歩き始めた頃から俺は唾を飲み込んで身構え始めた。見逃さないようにと。

 三段ある段差を上り第二校舎へ入る。陽射しを浴びながら渡り廊下を歩いて来たので中の薄暗さがより際立った。そのチラシ、写真は前方を歩いて左側の壁、一番奥に貼ってある。

 いよいよ来た――

 そう思って視線をその写真に移した時だった。

 好奇の目でその写真が気になった、それは過ちであると叱責されたように頭に雷が落ちたような感覚になり、全身にその電撃が走り痺れ始めた。

 その後は……。

 上手く言葉で言い表せない。

 言えるのは胸を圧迫されているような、何かに迫られている感覚だ。俺は本能的にこれは見てはいけないものなんだと察した。

 なぜだかカラー写真のはずなのに白黒に見えた。チラシに書かれている文字も日本語どころか世界中どこを探しても存在しないようなヘンテコな文字のように何と書かれているのかまるで解読できなかった。その文字もブルブルと震えて立体的に浮かび上がっていたような……。

 この時の俺は金縛り状態だったのかもしれない。

 僅か二、三秒の間に、もの凄い濃密な何かが襲いかかってきたのだ。

 廊下を過ぎ階段を上る時、踊り場にある正面の窓から入り込む太陽の光を浴びた。眩しかった。俺は放心状態になる。

 今のは一体なんだったのか? ずっとその言葉が頭を巡った。

 その後はどういう内容の授業を受けたのかは覚えていない全く。ただ授業が終わったらまたあそこを通らなければいけない、その恐怖で支配されていたのだけは覚えている。

 俺は下を向いて、目を瞑りながらそこを通り過ぎる。それでも何か異様なオーラのようなものは重力を持ち放っているようだった。もうあそこには行きたくないと心からそう思った。

 良かった、助かった。

 その切実な想いは叶えられて、第二校舎は俺が三年生に進級する年から取り壊しが決まっており新しく建て替えられることになったのだ。もうそんな校舎で授業が行われることもなかった。次に授業があるのは新しく綺麗に生まれ変わった時だ。

 あの校舎は小学校が創立された時からあったので印象通り、かなり昔からある古い建物。

 生徒の増加に対応するためにもう一つ、今現在メインで使われている校舎が建てられて第二校舎という立ち位置に変わった歴史がある。

 俺の両親がまだ子供の時からある校舎、その長い年月を経て醸し出される雰囲気で怪談のような話も幾つかあった。

 あの第二校舎のトイレには絶対に入らない方がいいと噂されていた。

 ある少女の名前を呼ぶと勝手にトイレの水が流れるとか。おかげで俺は第一校舎のトイレすら入るのに勇気が必要だった。

 第二校舎に用のあった女子二人が走って帰ってきた。はぁはぁと息を切らしながら血の涙を流した女の幽霊が出たから逃げてきたと言いやがった。

 これは今、思い出したらいかにも小学生が驚かしてやろうと思いつき言いそうな嘘で済むと思うが、当時の俺はまんざらでもなく信じていた。

 他にも学校の裏にちょっとした探検もできる小高い丘があるのだが、夕方十八時くらいになると包丁を持った男の老人が徘徊して運悪く遭遇したら刺されるかもしれないという話も聞いたことがある。

 話してくれた友達はみな本心はどうであれ真剣な眼差しだったな。

 幼い子というのは良い意味でも、悪い意味でも信じ込みやすい。一度、入り込んだら抜け出すのが難しいくらいに。 

 きっと本当は嘘、大したこともないのに。

 そういえば去年の夏、中学生から知り合った友人の裕太郎と久しぶりに会った時も変な話を聞いたな。

 ある日の深夜。その日はなかなか寝つけなかった裕太郎は夜空でも見ようとベランダへ出る。

 すると裕太郎が通っていた小学校からチャイムが聴こえてきたらしい。

 その音が学校から発せられたかどうかは別にしても、少なくともあのお馴染みのチャイムの音であるのは確かだそうで……近くに学校があるならそこからだろうと思うのは自然である。

 当然そんな夜間に小学校のチャイムが鳴るはずがない。一体なんの手違いで鳴ってしまったのか。想像しただけで恐ろしい。

 あっそういえば、その小学校の近くに小さな神社があるんだけど、そこのある道の先へ行くとそのまま帰ってこれなく消えてしまうという噂もあったな。

 これは誰から聞いたんだっけ……。

 こうして色々と思い出してしまったが……その中でもあの行方不明者の写真は今でも異質な体験と思う。

 そういう己の内面が生み出した産物ではない、外部からの刺激を受けて感じた恐怖、そうとしか言い様がないものがあったと断言できるから……。

 こんな十年くらい前の話でもこうして思い出すと、あの時感じた恐怖が蘇る。

 そう、記憶の地層からとでも言うべきか。

 そこの奥深くから、化石にならず僅かに残っている感情が噴き出すように……。



「ねぇ、この子、前に見なかった?」

「あぁ~見た、見た」

「うん、見たよね」



 ……この記憶は確か。

 ここは高学年の生徒が利用する下駄箱。

 そこの壁沿いにある掲示板にも……またあの写真は張り出されていたんだ!

 しかしあれから俺は小学五年生になりレイアウトも変わっていた。写真はカラーではないし赤い色の背景でもない。写真も小さくなり、それよりも新聞記事のような体裁で文章が長く記載されていたような。

 そのおかげでなんとかことができたんだ。

 それをまじまじと観察してあの俺より学年が下の女児三人組は何をそんなに騒いでいたんだ。

 この子、前に見なかった? だと。

 行方不明当時のその写真を見てか?

  この女の子は行方不明当時は小学二年生だった。俺が生まれた年に消息を絶った。俺が初めてあの写真を見たのも小学二年生。生きているとしたら歳が倍になって十六歳か。

 そこからさらに三年が経てば十九歳。成人間近。

 まだ存命しているならもう身体はすっかり大人だ。身長も伸びて、女性らしい体つきになり髪型も異なっていることだろう。

 そんな大人の女性と小学二年生時の写真を見比べて「この子、前に見なかった?」なんて果たして言えるのか? 

 すっかり外見が異なってしまっても瞬時に見抜くことができるとしたらそれは必死に会いたいと願い捜索している家族でもない限り気づくことはあるのか。

 そんなの幼い子供の言うことだし何かの勘違いだろう、それで終わるはずなのに……それでもあの純粋に騒いでいた様子を思い浮かべてみると、もしかしたらと思ってしまうのはなぜなんだろうか。

 それは……。

 またあの時のように胸が圧迫される。何語だか分からない文字、記号のようなものがブルブルと震えていて、重力が鋭く放てれて俺の頬に……。

 これ以来、俺はを真面目に考えるようになる。あるわけがないと思いつつ、ないと言い切る科学的根拠もないんだから。





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