これから描かれる物語

今晩葉ミチル

私が生きるために

「サーティフォー、今日もお願いね」

 部長はそう言って、私に分厚い資料を手渡した。資料には、交通事故で若くして命を落とした女性についてびっしりと書かれている。

「はい」

 私は短い返事をして、パソコン機器しかない無機質な部屋で、作業に取り掛かる。

 34サーティフォーとは、ここで付けられた名前だ。私は34番目のエージェントというわけである。

 私の役割は国家プロジェクト『AIメモリー』を成功させる事である。死んだ人間の思考をAI――人工知能――にして、蘇らせる事である。

 命を落とした女性の好きなもの、嫌いなもの、最も印象に残った記憶や思い出などを全て小さなチップに入力していく。

 そして、人工的に思考を創り直すのである。

 そのために、私は幼少期から科学者として躾られて、生かされてきた。

 来る日も来る日も作業に追われて休む時間もロクにない。


 私には、人間として生きる時間が与えられていない。

 AI同然に扱われている。


 『AIメモリー』を成功させる事だけが、私が生かされている唯一の理由だ。

 成功すれば政府の手柄にされるし、頓挫すれば私が完遂した作業が闇に葬られるだけだ。

 私は自分が生きるために、寝る間も惜しんで作業に明け暮れなければならない。

 私自身の存在が闇に葬られないように。


 そんな私も、安らぎを確保しなければならない。

 僅かな休憩時間にトイレに行き、スマホを開く。とある小さなサイトにアクセスする。誰も注目していないような、個人サイトであった。

 そこで連載中の物語を読み進める。

 タイトルは『僕の家族』。

 純粋無垢な主人公が恵まれた家庭で幸せに過ごす物語だ。

 私が味わう事のできない日常をくれる。人間扱いされない日々から、私の心を守ってくれる。小さな幸せをくれる。

 コメントを送り続けた。拙い言葉で作者を励まそうとした。

 作者から返信が来るたびに、飛び上がるほどに喜んだものだ。

 ある日、あとがきが書かれていた。

 即売会で出版社から声が掛かり、書籍化するという。心から祝福の言葉を送った。書籍化されてもサイトの連載は更新すると約束してくれた。

 嘘でも良かった。本当に幸せだった。


 しかし、そんな幸せは終わりが来る。


 ある日を境に『僕の家族』の連載が滞った。一週間ほど待ったが、続きが書かれなかった。

 何でもいいから情報が欲しかった。

 私は恐る恐る出版社のサイトにアクセスする。

 訃報に行きついた。同時に、『僕の家族』の書籍化中止のお知らせが書かれていた。作者は病気で亡くなっていたという。家族の意向があり、書籍化は断念されたという。

 私の頭は真っ白になった。

 トイレにこもっていると、部長から怒鳴られた。私は慌ててトイレから出た。放心していたが、作業をするしかない。

 『AIメモリー』の成功だけが、私の生きる理由だから。

 後日にさらに残酷な事が分かる。

 とある男性の資料が渡された。若くして病気で亡くなったという。

 『僕の家族』というタイトルで、個人サイトで連載をしていたという。

 幸せな家庭はすべて夢想で、作者は病弱で、暴力沙汰の絶えない家庭で育っていた事が分かった。


 私の頬に雫が伝うのを感じた。


 トイレに行ける時間になった。両目を拭って、個人サイトにアクセスした。『僕の家族』の作者のものだ。

 お悔みのコメントを書いた。決別しようとした。私はもう幸せも、心もいらない。『AIメモリー』を成功させるためだけの駒となるのだ。

 作者が死んだ事で、私の心も死ぬのだ。

 作者と自分に対する供養である。

 返信なんて期待していなかった。

 それなのに、どうしてだろう。

 コメントを書いた途端に、返信欄につらつらと文章が書かれたのだ。


 ”このメッセージが表示される頃には、僕はもう生きていないでしょう。

 いつもコメントをありがとう。最期に一つ言わせてほしいです。

 愛しています。”


 誰かがコメントすれば、自動的に返信するように仕掛けていたのだろう。

 このサイトにコメントするのは、今の今まで私一人だ。

 私の両目から大粒の雫が、口から絶叫が出た。

 部長からカンカンに叱られたが、確信した。

 私は心を捨てるわけにはいかない。


 あれから数年が経ち、国家プロジェクト『AIメモリー』は成功した。

 故人の思考が蘇って会話できる事に、不気味がる人もいたが、多くの人が喜んだという。

 『僕の家族』の作者の思考も蘇り、個人サイトの連載が再開された。

 作者はもうこの世にいないけど、私の心の中にいる。

 年老いて、指が動かなくなったら人工関節にして。腕が動かなくなったら義手にして。

 私は物語を読み続けて、コメントを書き続けた。

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