第9話 皇帝は見返りを求めない

「陛下、なにを仰っているのです?」


 クラウディアが困惑した声で呼びかける。アレックスが酷く傷ついているように見える。アレックスは振り返り、ふわりと笑った。


「すみません、今のは忘れて下さい」


 その時、アレックスは誤解しているのではないかと思った。自分とダスティンとの関係を――。


「陛下、あの、わたくし、あなたのお兄様とはなんでもないのです。だってあのお方はご結婚されているし、お子様もいらっしゃるのですよ?」


「別に私は、あなたと兄が不貞の関係だなんて思っていません。ただ……密かに想うことは自由だと思うんです。もう恋なんてしない、と思うよりも健全です」


「違うのです。わたくしはもうあのお方は過去のことだと思っています。今は友人以上には思っておりませんわ」


 そっとアレックスの手が、クラウディアの頬を撫でる。思った以上に冷たい指だった。


「兄が過去なら、今は? 今は――」


 どこか縋るような、真剣な眼差しに胸が打たれる。「今は、あなたが好き」という言葉を待ち望んでいるのはわかっている。


 もう恋はしない、何度もそう言ったではないかと思うが、今それを言ったらますます悲しい顔をさせてしまいそうで、言えなかった。


 言葉が出てこないクラウディアに、アレックスは悲しそうに微笑した。


「すみません、困らせて。あなたが兄を想ったままでもいい、百年でも待つと言って婚約を申し込んだのに、あなたと兄のツーショットを見ると、心がもやもやするのです。私は本当に最低な人間です」


「えっ……もやもやするくらいで最低な人間は、言い過ぎでは!?」


 普段の溺愛攻撃の連鎖にも困っているのだが、極端に真逆の方向へ思考が向かわれても、どう返していいものか、これもまた困る。


「昨晩崖から落ちた時、あなたは私を強く抱きしめてくれた。心配そうに名前を呼んでくれた。私を背負って崖を上ってくれた。とても嬉しかった。恋とは違うのかもしれない。でも、あなたに必要とされていると自惚うぬぼれてもいいですか?」


 黒曜石のような瞳が潤んでいる。まっすぐに見つめてくれる目の前の少年を抱きしめたくなる衝動に駆られる。


「必要です。あなたはわたくしにとって、かけがえのない主君ですわ」


「では、私が主君でなかったら? 単なる友人の弟であったら――」


「それでも大切な方です。あなたのことは、初めて会った時からずっと、大切に慈しみたいと思っていたのですから」


 その気持ちに嘘はない。初めて会った五歳の時から、なんて可愛らしい子だろうと思ったのだ。クラウディアにとって、アレックスは天使であり聖域だった。穢したくないのだ。


 徐々にアレックスの表情が温かい微笑みに変わる。


「慈しみとは、自分よりも弱い生き物を大切にする気持ち、ですよね……もうそれでいいです。私はあなたより腕力では劣っていますし……あ、そうか」


 何か考えついたのか、アレックスの瞳が輝きを増し始めた。クラウディアがよく知るアレックスが戻ってきた。


「そうだ。恋じゃなくていいのです。ペット……ペットなんてどうでしょう! 世の中には、言うことを聞かない夫や子供よりも、ペットの方が愛おしいというご婦人もいるのですよ。ペットという立場になれば、愛の世界では最強ではないでしょうか。私はペットを目指すことにします!」


(また見当違いなことを言い始めたわ、この子……)


 勢いに押されながらも、クラウディアの心の中に呆れる気持ちが広がっていく。それに構わず、アレックスはクラウディアの前にひざまずく。


「私をあなたのペットにして下さい。いえ、勝手にペットになります」


「……あなたは皇帝なのですよ? ペットなど、ご自分を安売りなさらないで」


「安売りではありません。私の地位、権力はこの大陸のトップ・オブ・トップです。見た目もSSS級ランクくらいにはなるでしょう。あなたの忠実な下僕でもあります。こんなに最高級ペットは私くらいですよ?」


「ご自身をペットとしてプレゼンなさらないで!」


 暴走する皇帝は誰にも止められない。甘えるようにクラウディアの手に頬ずりしている。


「あと、私があなたとの婚約を破棄し、他の誰かを愛することを望んでいるようですが――それは一度飼ったペットを身勝手な理由で捨てるのと同じです。一度飼うと決めたのなら、私が死ぬまで飼い続けて死を看取って下さい。それが婚約――ペットの飼育を決めた飼い主の義務ですから」


「……やっぱりお兄様との会話を盗み聞きしていたのですね」



 こうしてアレックスは、無償の愛を実現するために、自らペットになることを宣言したのだった。



◇◆◇



 翌日からアレックスは精力的にサツク温泉郷を視察した。温泉を支える湯守ゆもり達と会い、何人かをピックアップし、ヘッドハンティングをしている。


「帝都ニツコウにも温泉を湧かせます。前々からそのプロジェクトは進行していたのですよ。土魔法と水魔法を融合し、源泉を探らせます。彼らはそのニツコウの温泉の湯守に就いてもらおうと思ってね」


 馬車の中で読んでいた魔導書は、温泉の源泉を探索する方法を模索するためという。


「温泉は人々の心をリラックスさせ、健康を増進します。私は帝都をもっと栄えさせたいのです」


 夢をキラキラと語る十五歳の皇帝に、クラウディアは魅入られた。純粋に守りたいと心から思った。


「このサツク温泉郷も、もっとPRしましょう。これほどの湯量と効能を誇る温泉は、他の大陸にもそうそうないでしょう。近々、ここも領地替えですしね」



 アレックスは、サキタカ領主であるグラハム公爵をどこぞの地へ追いやり、代わりに自身の腹心をそこに置くつもりなのだ。


 今回の査察はそれが狙い――まったく油断も隙もない。




 兄や帝国軍騎士達に護衛されながら無事帰還を果たしたアレックスは、さっそく温泉が湧き出ている場所はないか、調査を始めた。


 その結果、山岳の湿地に質の高い温泉が湧き出ていることを発見。大規模な工事を行い、多くの人が気楽に楽しめるよう広い共同浴場を整備するとともに、富裕層も楽しめるような質の高い高級リラクゼーション施設も造り上げた。


 サツク温泉郷からヘッドハンティングしてきた湯守達も活躍し、帝都ニツコウは温泉地としても栄えることとなったのである。



【 Episode 1 ・完】


こんな感じでEpisodeごとに完結します。

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