第52話 マインド・ユア・ビスケット

「グラトニー?」


 聞き覚えはある。もちろん龍の名前としてではなく、キリスト教の“七つの大罪”のひとつとしてだ。

 「傲慢プライド」「強欲グリード」「色欲ラスト」「憤怒ラース」「嫉妬エンヴィ」「怠惰スロウス」、そして「暴食グラトニー」。

 暴食を司る悪魔は、悪魔の王サタンに次ぐ強大で邪悪な悪魔、“ハエの王”ベルゼブブ(あるいはベルゼビュート)だとかなんだとか。わたしはクリスチャンでもなく、宗教的なアレコレにもあんまり興味はないんだけれども。親友のひとりがオタ文化と中二病のオーソリティみたいな子だったのでいつの間にやら記憶させられていた。


 さて、その名を冠した暴食異龍グラトニーは。肉食恐竜のような巨体で恐ろしいと言えば恐ろしいのだけれども。表皮はビスケットみたいにフラットな質感の小麦色で、動きもどこかプヨンプヨンしてて生き物としての現実味リアリティが薄い。アリベリーテが言っていた“化け物”というのとも違う気がした。

 なんでか、初見の印象が少しだけ聖獣様コハクに似てる。


「もしかして、コハクの知り合い?」

「にゃ!」


 あんなの知らないって、いくぶん気分を害した感じで言われた。たしかに、ビスケット色の恐竜から“聖なる”って感じはしない。“戯画的カリカチュア”の方が近いか。子供が描いた怪獣の絵を立体に起こしたような見た目で、行動からこちらを襲って喰おうというような敵意を感じられない。


「リヴェルディオンの連中が連れてきたってことは、あいつらが召喚したのか?」


 リールルが忌々しそうに言う。どんどん近づいてくる肉食恐竜もどきを見ても、弓を引こうとはしない。

 正体がわからないながらも、敵というより“敵の敵”なのだ。彼女もアリベリーテも、明らかに射るのを躊躇ためらっていた。


「オオオオォ……ッ!」

「わ!」


 まっすぐ向かってきた暴食異龍グラトニーは、わたしたちの目前でスーパーマーケットの結界に阻まれる。バチバチと青白い魔力光が瞬き、体長10メートル近い恐竜の身体がバイーンと跳ね返された。先入観のせいか転がる様も、なんとなくコミカルに見える。


「おいカロリー、これは大丈夫なのか?」


 リールルが困った顔でわたしに訊く。


「……た、たぶん平気!」


 絶対大丈夫かといわれると返答に困るものの、結界が破られそうな感じはしない。弾き返されても暴食異龍グラトニーは諦めず、ぶつかってはコロコロと転がされている。危機感はない代わりに、わたしたちがイジメているような気分になる。こちらが被害者だというのに理不尽ではある。

 

「グォオオォ……ッ!」


 しばらく続けていた暴食異龍グラトニーは諦めたのか力尽きたのか、ガックリと倒れ込むと手足をジタバタし始めた。

 なに、その駄々っ子のようなリアクションは。その威厳のなさは、ドラゴンとしてどうなの?


「ガアアァ……ッ」


 苦しそうに身悶えながら、こちらにすがりつくようにして吠える。


「そんな顔されても、なにかを訴えているのかわかんないんだけど……」


 暴食異龍グラトニーの首に、金属の首輪が見えた。何度も見た、“隷属の首輪”だ。もちろん人間の首とは比較にならないほど太いので、金属の鎖で無理やりに延長させていた。懲りない連中だ。なんでも縛り付けて無理やり言うこと聞かせればどうにかなるとでも思っているのか。

 外してあげようかどうしようかと迷う。さすがにこのサイズの龍がコントロールを失ったらわたしの手に余る。どうしたものかと結界ギリギリで悩んでいるわたしに、転がったままの暴食異龍グラトニーが苦しそうな咆哮を上げた。


「グォオオォ……」


 その声を聞いて、コハクがこちらを見る。不用意に近付こうとしていたわたしに注意を促そうとしたのかと思えば、そういう感じではない。へんにょりと眉尻を下げて、呆れたような顔で首を振った。


「どうしたの、コハク。この子が言ってること、わかるの?」

「にゃあ」


 わかるみたい。しょーもないと言わんばかりの感じでわたしを見て、暴食異龍グラトニーを見て、またわたしを見る。


「……にゃ」


 ――こいつ、“お腹へったよー”って、泣いてる。


「え?」

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