見上げた空に
@harutakaosamu
1
ドアを叩く音が薄暗い廊下に射し込む朝の光を揺らす。
「
鍵は掛かっていなかった。
ドアを開けた瞬間、舞い上がる白と黄色の小さな羽毛と、薄暗がりの中ベットの下に転がっている鮮やかな黄色の小さな塊、そしてその上で恨めしそうに罵声をあげなからのろのろと起き上がる智也ーー俺と同じ顔が、目に飛び込んできた。
「ん、何だよ
ベットから足を伸ばして智也が蹴飛ばしたものは、不気味な転がり方をして仁也の足元までやって来た。
それは首を捻られ舌をだらりと伸ばしたインコの死骸だった。
智也が気合いとともに布団を蹴り上げる。黄色い羽根が薄暗くてだだっ広い空間に舞う。仁也は息を堪えた。
これが初めてではないのだ。窓は壊したかのように開け放たれ、窓辺に掛けられた鳥籠には青いインコが、昨晩片割れの身に何が起こったのか分からないというように首を傾げ嘴を鳴らしている。
「うるさい鳥だ」
智也の声と同時に黄色い塊が鳥籠にぶち当たり、そのまま窓から青い空へと飛び下りていった。鳥籠の中からはするどい悲鳴とばたつく羽音が、花びらのように散る羽毛とともに夏の光に反射する。
「今日の朝飯は何だ?」
智也の声で仁也は我に返った。
「あ、ああ。今日は父さんが居るからご飯だよ」
「あぁ、アレが居るのか」
呻きながら智也が頭を掻く。
「よくもまあ、あんなもん朝っぱらから喰えるよな。仁也、俺の為にパン焼いてよ」
「
「何年飯作ってりゃあ俺の好み覚えるんだよ、あのババアは」
「父さんの前で出来るだけ良い印象与えておきたいんだろ。俺もパン食べるよ、生臭い匂いが体中に付いちまった」
体に付いた羽毛を取り払いながら仁也は言った。無抵抗な羽毛が落ちていく。
突然、仁也と同じ顔が不安気に仁也を見詰める。自分も同じ表情をしているのではないだろうか。
「パン、焼いてくれるだろ?」
「ああ、……うん」
分かっている。自分達は父親に愛される素因を持っていない。今は亡き母親も、自分が産んだ双子を愛していたか疑わしい。父は母を愛していたのだろうか、母は父を愛していたのだろうか。
仁也が階下に下りると既に父親の姿は無く、のれんの奥から洗い物をする音だけが聞こえていた。
「おはようございます」気配に気付いて振り向いた淑乃さんが声を掛けてきた。
「おはよ」
「あ、あら仁也さんだったんですか。ごめんなさい、智也さんかと思ってしまって。あの、智也さんはーー」
返事の代わりに階段が不機嫌な音を立て始めた。淑乃さんの顔が強張る。
「俺達パン食べるから。片付けちゃって」
仁也は手早く厚切りのパンを二枚オーブントースターに突っ込んだ。
「生臭えなあ、早く片付けろよ! 何で朝から魚焼いてんだよ!」
のれんの向こう側から智也の怒鳴る声が響く。淑乃さんはしかめっ面をしながら慌てて食卓にある二皿の鯵の開きを取ってきた。のれんの向こう側では毎度の如く、智也が淑乃さんを詰る声が延々と続いていた。
「智也、何飲むの?」
「お茶」
「お茶って?」
「お茶って言ったら日本茶だろ」
「……緑茶な」
「あぁそうか、いや、ほうじ茶がいい」
淑乃さんに顔を向けると、「玄米茶と烏龍茶なら……」と、怯えた声が返ってきた。
「智也、ほうじ茶無いって」
途端にのれんの向こう側から智也が飛び込んで来た。
「何で用意しとかねえんだよ! そんな事も気付かねえんだったら出て行け!」
淑乃さんは洗い物を手にしたまま硬直している。仁也の目にふと包丁が映った。
この人は智也を殺せるほど強くない。多分逃げるか自殺するかーー母親のように?
「ちっ、しょうがねえなあ。仁也、紅茶淹れて」
「ああ、パン焼けたよ智也、はい」
ーー双子に冷たい父親に自殺した母親。自分の片割れの他に誰が自分達を愛してくれるというのか。
お盆を使わないまま器用に二人分のパンとバターとジャムを一遍に食卓に運んだ智也を追うように、仁也もなみなみと注いだ二人分の紅茶を持って食卓に座る。
「仁也、もしかして今日テストある?」
「あるんじゃない? もうすぐ模試だしさ」
智也は椅子に立膝をつきながらパンに齧り付いた。仁也も同じ格好でスマホを弄りながらパンを手に取る。鏡合わせのようだ。
「夏は気違いになるには丁度いい。脳細胞のひとつひとつが溶けてスライムみたいな腐った塊になっていくのがよく分かる」
智也が陽射しの中で笑う。
「母さんも五年前の夏に死んだ、いい例だ」
「ああ、そうだな」智也に同じ笑顔を向けて、仁也は言った。
ふと、後ろを通る淑乃さんを見る。
ひょろりと長い体を持った餓鬼二人。智也は今はもう淑乃さんに直接暴力を振るわない。皿を割り、料理をひっくり返し、テーブルや壁を叩く。様々な悪口雑言を並べ繰り返して、間接的に苦痛を味わせている。それを仁也は自分に関わりのないこととして無視して放置している。そんな淑乃さんは、告げ口や相談を俺達双子の父親にしない。理由は単純だ、彼女は俺達双子の父親に愛されたいのだ。この家から放逐されたくないのだ。もう信用なんてされてないのに誤魔化して、繫がり続けるために利用されている馬鹿な女。
「さて」パンくずを払いながら智也が立ち上がる。
「ちょっと早く行くか。役員会議の前打ち合わせ、やっときたい」
「あーあ、俺達まだ十五だぜ。こんなに今の内から苦労していいのかよ」
「外面だけはいいからな、俺達」
「お前が、だろ」
お互いに意地悪な笑顔を向け合う。
パンの焦げた匂いが喉にへばりつく。
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