第3話 ひとりよがりの恋
私はその後、予定通り友人宅でのお茶会に参加していた。
彼を追いかけても良かったのに、結局、他のものを優先するのはルーファスだけでなく私も同じ――いや、私の場合は逃げたんだ。
それなのに未練がましく、馬車に乗っている間も、着いてからもずっと、私はルーファスとアンジェリカ先生について考えていた。
アンジェリカ先生を殺したい理由。
本当に殺すつもりがあるのか、その確率。
彼女の正体。身分を隠す理由、ルーファスを指名する理由。
そもそも草稿は投稿小説などでなく、ルーファスへの恋文だったんじゃないか。草稿についてシャノンさんから、詳しく聞いておけばよかった。
でもそんな疑問は全部、ルーファスに問いただせば何らかの解決をみることは、本当は理解していた。
「パトリシア、今日はずいぶんうわの空じゃない?」
女学校時代に一番仲が良かった友人のエリカ声を掛けられ、私は応接間のソファに座っていたことを思い出した。
ふわふわの金髪が私と対照的な可愛らしい顔立ちの彼女は、見た目に似合わず、卒業後は一念発起して看護学校に進学した。
看護師として病院で知り合った軍人と結婚し、妻として家を守っているしっかり者だ。
「……え? そう?」
「そうよ。いつもなら市場調査とか言ってお菓子やお茶や、テーブルウェアのチェックを欠かさないのに」
エリカは悪戯っぽく笑うと、ほら新作のビスケットよ、と勧めてくれる。
「こっちがうちで焼いたので、これが最近人気のベーカリーの……」
「相変わらず詳しいのね」
「結婚するとおもてなしも増えるしね。……なんてね、パトリシアのところの雑誌にずいぶん助けられてるわ」
「ところで、みんなは?」
いつの間にか向かいに座っていた友人たちの姿が見えなくなっていたので問えば、さっき帰ったわよと言葉が返ってくる。
「あいさつも上の空だったものねえ。……何があったの?」
エリカは口がかたく、信用が置ける数少ない友人だ。
とはいえ、「婚約者が殺人を計画している」なんて言えるわけがない。
「……もし、もしね、仮定の話ね。エリカの旦那様に深い悩みがあって憔悴までしているのに、相談してもらえなかったら、あなたはどうする?」
「結婚を四回も先延ばしにしてるあなたの婚約者のこと?」
遠回しに言ったのにずばりと指摘されて、私はおずおずと頷く。
「うちは軍人だから、平時でも急な呼び出しで遠方に行けっていうのもよくあるのよ。戦争でも起こったら海外だし、何の作戦に従事してるかなんて軍事機密になれば教えてもらえないしね」
「……ごめんなさい」
「そうじゃなくて、私のことを信じてたってすぐに相談できない理由なんて幾つもあるってこと。逆に私の方が、彼が相談できない理由があるんだって考えるの」
彼女は私の前のお皿にビスケットを積んでいく。
「結婚したって職場は配慮してくれないし、相手の全てを把握して管理することもできないものね」
「……」
「だから、自分ができる範囲の問題にするの。相談してくれるように促して、いつでも相談していいよってポーズでいつまでも待つことは、自分でできるから」
「信じてるから?」
「というより、そうしたいから」
口に花の型をしたビスケットを運べば、更にお皿にもう一枚、絞り出しのものが乗せられた。
「あの……旦那様は軍人でしょう。……ごめんなさい、失礼な、変なことを聞くけど、たとえば人を殺したらって、怖くない?」
「怖いってひとくちに言っても色々あるでしょ。パトリシアは何が怖いの?」
積まれていくビスケット。
どうやら私にやけ食いでもさせるつもりらしい。
「私はじめは、夫のこと、どこかで怖いなって思ってたわ。戦ってくれることに感謝はしていたけど、怪我人を看てれば戦いそのものがない方がいいって思ってたし」
「うん」
「今は彼なりの信念で軍人をやってる、簡単に潰れないって知ってるから、それは怖くない」
「……知ってるから」
私はルーファスが自分に抱く気持ちを知らない。
何となく感じても、知らないことにしている。
知らないことを選んだ。
それは聞くことが怖くて――好きでも何でもないとはっきりするのが怖いから。
でも、もし知っていたら、アンジェリカ先生のことでこんなに不安にならなかっただろう。
「知れば怖くなくなる?」
「ある程度は。でも、彼が命のやりとりをする場所にいるのは、死ぬのは怖い。今は何があっても夫が健康で生きていてくれることが、一番の望みになっちゃった」
自分勝手よねと苦笑したエリカは、それでもどこか嬉しそうに見える。
それで気付く。
そう、エリカの言うように私が真っ先にひとりの社会人として考えるべきは――売れっ子作家……ううん、一人の女性が殺されようとしているのならその命を守るのが先なのに。
ルーファスのことばかり考えている自分に。
「私が怖いことは、望みは……」
脳裏に鮮やかに蘇るのは、書棚の列と机――大学の図書館。
彼が、そこに戻れなくなることが、一番怖い。
私が見たいのは、夕日の差す図書館の窓から離れた席で、資料を並べ、広げてページをめくる彼の穏やかな顔だから。
私がたどり着けない理想、きらきらしたものを持っている、本を傷つけないようにといつも整えられている指先が、血に染まって欲しくない。
だったら。
私は、パメラのように恋愛がうまくいかなくても、物語の名探偵のように鮮やかな解決はできなくても。
言葉に踏み留まらせる力がなくても。
無理やりにでも防げる可能性が、あるなら。
エリカは私が考え事をしている間に、テーブルの缶から手つかずのビスケットや他の菓子を軽く紙で包んでいた。
「ね、これ美味しかったでしょう? ぜひ婚約者に食べさせてあげて。賞味期限は今日まで」
「今日まで?」
「そう、絶対今日中に渡すこと」
「……ありがとう」
私は包みを受け取ると、急いで立ち上がった。突然足に血が通ってふらつく体を、エリカが支えてくれる。
「何に悩んでるのか知らないけど、言いたいことは言っちゃったほうが健康にいいわよ。私、いつもこれが最期かもって思いながら夫と別れてるの」
「……最期」
「あなたにもよ、パトリシア」
「あり……ありがとう、ごめんなさい、この借りはかならず返すから……」
「じゃあアンジェリカ先生の新刊に、サインちょうだい」
私は玄関で明るく笑ってくれるエリカに苦笑を返すと、駆けだした。
人波を縫って大通りで勢いよく手を振り辻馬車を掴まえると、私は銀貨を数枚、御者の手のひらに押し付ける。
「シティのオーウェル出版社、急いでください」
***
「どうしたんですか、パトリシアさん!?」
帰社したシャノンさんの声に振り向けば、目を丸くしている彼女の姿があった。
私はその時、他の社員の視線を浴びながら、机の引き出しを下から階段状に引き出して漁っているところだった。
机の上には封筒から引っ張り出した、ふたつの原稿がある。
ひとつはタイプライターで打たれた、当社の雑誌用のアンジェリカの死亡のお知らせ。
もうひとつは新聞社へ出す依頼――アンジェリカの死亡広告。
どちらも死亡の日付は、明日になっている。
「アンジェリカ先生の草稿、と、住所ください!」
咎められても当然だったが、彼女が呆然としているうちに勢いで押すことにした。
「ルーファスの未来がかかってるかもしれないんです、あと、今日どこで何を買ってきたかも教えてください」
「ああ、ええ。パトリシアさんにお会いした後、急遽ロウさんに百貨店の買い物の付き添いを頼まれまして……私はアドバイスくらいで、実際はロウさんが選ばれて」
何故か歯切れが悪い。何か気を遣っているそぶりに、強い調子で促す。
「何でも言ってください」
「手芸店のレースですよ。仕事の資料と言ってましたけど、あれは本当はパトリシアさんへのプレゼントでは」
「心配させて済みません。今はアンジェリカ先生へのプレゼントだって構いません」
私の言葉に再度シャノンさんは戸惑いつつも、金庫から住所を出してくれた。
それを手帳に書き写して間違いがないか二度確認すると、原稿と一緒に、革鞄に突っ込む。
「草稿の方は先生にお返ししたはずです」
「ありがとうございます。では私、これからすぐ退勤するので、机の整理と、これ、父によろしくお願いします。受け取らなかったら押し付けてきてください!」
「え!? パトリシアさん!?」
私は馬車の中で書いた手紙を机に投げるようにして、声を背中に聞きながら部屋を飛び出る。
待たせていた辻馬車が向かうのはもちろん、アンジェリカ・エアハートの仕事場だ。
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