10 退いて網を結ぶに如かず

 奈々香ななかちゃんが、大ウソつき?

 オレは、瞬きを自覚した。前にも、こんな風に己の睫毛が上下する様をくっきりはっきり感じたことがあったなと思う。

 オレが何も言わないでいると、取り巻きのやつらが、電線にとまった鳥たちのようにピチパチ好き勝手に話し始める。


「というか、まず態度が冷たいよねー」

「あの制服、宵波よいなみ女子だろ? 隣町って塾がいっぱいあるのに、わざわざ遠いこっちに来てる時点でちょっと察するっつーか」


 来斗らいとや、彼の取り巻きっぽい女子だけじゃなくて、顔見知りになった男子までそんなことを言い出したのに驚いた。目の前で積み重ねられていく雪村奈々香の話は、オレがこの一か月話してきた彼女と重ね合わせるにはなんだかずれている気がして、胸の中にもやもやしたものが広がっていく。

 確かにオレは、ここの塾に来たばっかりだし、奈々香ちゃんのことについてはオレより前からここにいる彼らの方が、知っていることが多いのかもしれない。知り合ったばかりで、まだオレには見せたことのない顔が、あるのかもしれない。

 それでも。

 いまのこの状況は、胸糞悪いなって思う。


(…………あ)


 ふいに、いつかの部活帰りの会話が、オレの頭の中をよぎった。


『もうあいつ誘うの止めたら? どうせこの先も誘ったって来ないだろ』

『いや、あの広瀬ひろせに限ってそれはないって。我妻と違って、本当に用事があるのかも怪しいし』


 ああ。あの時も胸糞悪いなって思ったのか、オレ。


「……あのさ」


 小鳥のお喋りが止まる。

 じっと集まった視線に、オレは真っ向から向き合った。


「オレはそれ、どういう意図で聞けばいいの? 正直、仲良くなった相手の悪口を聞かされてる感じで、すげぇ気分悪いんだけど」

「……悪口じゃなくて事実だし、俺のは親切な忠告だよ」


 来斗が、まっすぐにオレを見て言う。

 眉間にしわの寄った険しい顔は、取り巻きのやつらとは一線違って、オレを揶揄いたいとか、奈々香ちゃんに対する不満を吐き散らしたいとか、そういうのとは違う気がする。

 彼の言った『奈々香ちゃんは大ウソつき』という言葉をオレは受け入れられないのに、こいつが嘘を言っているというのもまた違う気がして、ただでさえパンク寸前の頭でこれ以上を考えたくなくなる。

 まあ、だとしても、だ。


「余計なお世話だっての」


 これがオレと奈々香ちゃんの話である以上、第三者にとやかく言われる筋合いはない。

 親切心からの忠告だったとしても、素直に受け入れる信頼関係が彼らとはない。これが来斗じゃなくて岡埜谷おかのやたちだったら、聞き入れたかもしれないけれど、それだってもしもの話だ。

 というか塾で彼女と再開して早々に、予想外に気まずくなって。やっと普通に話せる関係になれそうなのだから、変に水を差さないでほしいのというのが本音だ。

 吐き捨てたオレに、来斗は気を害したように眉をぴくりと動かすと、ふい、と俺から視線をあからさまに逸らした。


「……あっそ。別にいいけどね。後悔するのは君だろうし」


 別にいいなら、わざわざ言ってくるなよ。

 そう思ったけど、ぐっと飲み込んだ。なんかさっきから、オレ自身の沸点が低くなっている気がしてすげえ嫌だな。このままだと来世は瞬間湯沸かし器になってしまうかもしれない。無機物は嫌だな。早く父ちゃん迎えに来ねえかな。


 さっきまでやかましく喋っていたのが嘘のように静かになった取り巻きたちと一緒に、来斗は駅の方へと歩いていった。それを不服な気持ちを抱えたまま見送っていれば、携帯が震える。父親からのメッセージ、再びだ。


『渋滞です』


 そんな一言と共に送られてきた、絶望顔をしたよくわからないデフォルメの生き物のスタンプ。いやこれも初めて見たな。どんだけ買ってんだあのひと。


 というか、渋滞か。そっかあ。


 今度こそ深々とため息を吐いたオレは、自習室に戻ろうと踵を返した。思い出したくはないが、来斗たち塾生の一部がわらわらと出ていったあとだ、一人分くらいは席が空いているだろう。

 さみさみ、と冷え切った体を抱きしめるように中に入ろうとしたオレは、さきほど勉強が終わったのか、玄関に座り込み、靴ひもを縛っている一人の女子生徒の姿をみて、思わずぎょっとした。

 靴の上に蝶々をとまらせた女子生徒が顔をあげる。


「おつかれ、松井田くん」

「……おつかれ、奈々香ちゃん……」


 いつから、彼女はここに居たんだろう。

 にこり、と笑う彼女を見て真っ先にそう思ってしまったのは、その笑顔があまりにも完璧すぎたから――なんて理由ではなくて、単に数が少なくとも重ねてきていたオレと彼女の今までの逢瀬が理由だった。

 オレと奈々香ちゃんの担当の講師は別の人だ。けれど、授業が終わる時間帯は多少の誤差があれどだいたい一緒で、だからこそ今までこうして玄関先で会話をすることが出来た。

 今日は珍しくいつもの誤差の範囲を越えても玄関先に現れず、しかも自習室でも姿を見かけなかったから、急遽お休みしたのかと思っていたのだけれど。


「……もしかして、何か聞いてた?」


 もしも、オレの方が早く終わっただけだったら。

 来斗との会話を、彼女がここで聞いていたのだとしたら。

 笑顔を解いた彼女は、目を伏せて、唇だけで笑った。


「……大ウソつきだって」


 ばっかみたい。そう吐き捨てた彼女は、立ち上がると埃を払うようにスカートをぱしぱしと叩いた。それから外に出るから、オレは迷ったあと、彼女に倣って寒空の下へと踏み出すことを選ぶ。

 外に出れば、蛍光灯がてらてらと彼女を照らしていた。オレが外に出ると同時に振り返った彼女のポニーテールがしゃらりと揺れる。


「松井田くんは、さっきのを聞いて、どう思った?」


 さっきのは、間違いなく来斗の言っていた『大ウソつき』のことだろう。ああもう、本当に何だったんだあいつ。むかむかしながらも、オレはただ彼女の前で素直に口を開いた。


「……言ってることが、信じられないなって思った。奈々香ちゃんが嘘をつくようには、いまのところオレには思えないから」

「いまのところ、なんだ」

「うっ……」


 素直に言いすぎた。いやでも、仕方ないだろ。オレがいま知る彼女の姿は、巫女のバイトをしていた姿と、将来の進路をはっきり力強く言っていた姿なのだ。そこに嘘を見い出せと言われる方が困るし、特に後者は、絶対に嘘の言葉じゃないなって思うくらいに彼女の表情も、言葉も、真剣でまっすぐなものに見えたのだから。

 奈々香ちゃんは、言葉に詰まった俺を見て、困ったように小さく笑った。


「ごめんね、意地が悪かった。私と松井田くんが、ちゃんと話し始めたの、最近だもんね」


 ――まあ、いろいろ言葉で着飾ってみたけれど、つまるところ、まだ付き合いが浅いのだ、オレと彼女は。恋する手前、あんまりそれを認めたくなくてなんとか踏ん張っていたというのに。


「わかってんなら、あんまりオレをいじめんなよ……」

「うん。ごめんね。本当にごめん」


 ごめん。

 もう一度謝罪を重ねてから、奈々香ちゃんは空を見上げた。つられるように、オレも空を見上げる。

 冬の空は美しい。澄んだ空気がそらをぱきっと鮮やかに映して、星野ひとつひとつがくっきりと光輝いて見える。突けば星が次々と流れそうな夏の夜空と違って、どっしりと星の座に腰かけている。


「……嘘を言ってるつもりはないんだよ」


 やがて、力なく彼女の声が聞こえた。


「ただ、どうしても嘘になっちゃうだけ。……来斗にとって、嘘になっちゃっただけ」

「……つまり、どういう……?」


 言っている言葉の真意がわからなくて、オレは恐る恐る尋ね返した。嘘じゃないのに、嘘になる。なんか、難しい話だ。

 それよりも、奈々香ちゃんの「来斗」呼びの方が気になった。まさかここも幼馴染みとか言わないよな、なんて思う。それのせいで余計に、奈々香ちゃんの言いたいことが汲み取れないでいる。


「……松井田くんにとっても、私はいつかウソつきになるかも」


 首を傾げたオレに、奈々香ちゃんは諦めたように笑った。


「だから、今のうちだよ。私から離れるなら」


 その言葉に。その態度に。

 何でだか、オレは、広瀬晃太のことを思い出した。


 遊びに誘っても、いつも用事があると理由をつけて断る広瀬。

 あれを、佐藤も田村もあれは嘘だろって言外に訴えていた。

 あいつらがそう言いたくなる理由もわかるんだ。毎回毎回すげなく脈なく断られていたら、じゃあいいよって、もう誘わねえよってなる。オレも相手が広瀬じゃなかったら、たぶんそうなってもおかしくなかった。オレと遊びたくないんだろって。


 でも、でもさ。やっぱりオレにはあいつが嘘をついているようには思えない。嘘をつけるようには思えない。

 あいつが嘘をつけるのなら、神様はいると言いきったゆきちゃんの前で、俺たちの前で、わざわざ当て付けみたいに「神様なんていない」と吐き捨てるなんてことはありえない。


 ただ何かが言えなくて。それがオレには言えないことで。

 きっと、そういうものが奈々香ちゃんの中にもあって。


 それが、オレは、なんだかものすごく寂しくて。

 でも同じくらいに、なんだかとっても腹が立って。



「絶対に、嫌だ」


 オレはまっすぐに彼女を見て言った。


「せっかくこうして話せるようになったのに、それを手離せなんて、絶対にオレは嫌だ」


 躊躇いは無かった。恥ずかしさもなかった。

 ただ、こちらをあえて突き放すような、彼女自身のことは二の次のような物言いがとても嫌で、それがわかってほしかった。

 自惚れかもしれない。でも、それでも。

 驚いたように、奈々香ちゃんの目が丸くなった。


「……さっきのも、嘘かもしれないよ」


 ややあって、彼女の平べったい声が、小さく聞こえた。


「神様が見えるなんて、言いだすかもしれない。それでも? それでも私をウソつきだって見限らないって言えるの」


 神様が見える。言葉だけ捉えれば非現実的なそれが、なんだかオレにはすとんと胸に落ちてきた。

 それは、彼女の将来の夢が神職になりたいと聞いていたこともあったし、何よりオレと彼女の出会いが、あの場所で、あの質問から始まったからかもしれない。


 ――神様って、いると思う?


「うん。それでも」


 それが、絵に描いたような嘘でも。

 きっとオレは、奈々香ちゃんが相手だったらそれを、本当だと信じることが出来る。

 盲目上等、恋って、そういうもんだろ。


「……それこそ嘘だよ。絶対に嘘だ」

「じゃあ、信じてもらうまでだろ」


 怯えたように首を振った彼女に、オレは一歩踏み出した。


「奈々香ちゃんも言ってたじゃん。オレたち、まだ知り合ったばかりだって。なら、オレが本当にウソつきかどうかは、奈々香ちゃんがこれから判断してよ」


 ああ、オレ。いますぐに神社に行きたい。

 そうして、鈴緒を鳴らして、きっと今までで一番静かに願うんだ。

 オレのためじゃなくて、誰かのために神様に願うんだ。


「だから。……今度こそ友達から、始めませんか」


 奈々香ちゃんの瞳が、揺れる。


 拝啓、神様。

 テストは自分で頑張ります。

 この子との距離も、勝負も、やっぱりオレが頑張ります。


 だからどうか、目の前の彼女が。

 ついでに、意固地なままのあいつが。

 オレには想像のできない、見ることのできない心の内を、どうか誰かに話せるようになりますように。


 それが、オレが相手じゃなくてもいいから。


 いや、やっぱりオレが相手なら、嬉しいけどさ。

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