聖女ですがブラック企業に勤めてます。

前編

 どうしてこうなった。


「アリシアさん、午後の会議資料出来てる?」

「あ、はい。ただいま作成中です」

「アリシアさん、別件で頼みたいことあるんだけど」

「あ、後ほど……」

「アリシアさん、リンクステージ株式会社の湯船さんからお電話です」

「あ、いま出ます……」

「アリシアさん、今日終電何時まで?」

「あ、徒歩圏内です」

「オッケー。じゃあ行けるよね、残業」

「あ?」


 私はアリシア・アシュフォード。

 神と魔法が存在する世界『アースガルド』で暮らしていた聖女である。


 そして今はこの世界で、ブラック企業に勤めている。


 ◯


 私は生まれた時から三女神の加護を受けた聖女だった。


「おぉ、この子は……」

「光をまとっているわ……!」


 どこにでもいる農家に生まれた私は、光に包まれて生まれてきたらしい。

 父と母は私を女神に祝福された聖女として大教会へと引き渡した。

 教会で聖女として育てられた私は、やがて女神より与えられていた特別な力を開眼させる。


 周囲の時の流れを遅くする時の力。

 生命力を回復させる生命の力。

 身体能力を向上させる全能の力。


 これらの力を駆使することで、今まで数多くの人々を救ってきた。

 私は、選ばれし人間だった。


「聖女様、ありがとうございます。お陰でこの子の病気は治りました」


 もっと感謝しろ。


「聖女様、この間の助言のお陰で無事に隣国との外交もうまく行ってくれました」


 もっと私を讃えろ。


「あぁ、初めて聖女様にお会いできて光栄です。外見だけでなく中身まで美しいとは」


 もっと私を崇め奉れ。


 そのような思考を持っていたとしても決して口には出さない。

 なぜなら私は聖女。

 何を考えようと表に出さなければ決してバレることはないのだ。


 しかしもちろん、ただの聖女で終わるわけがない。

 私には野望があった。

 私を神として崇める神聖アリシア大国を建国するという野望が。


 私を称える民草。

 私に身を捧げる金髪美少年。

 私の智恵で潤う土地と収入、そして途絶えることのない富。


 やがては私の意のままとなる理想郷エデンを作って見せる。


 もちろんそんな私の思考を民は知らない。

 しかしながら筒抜けだった存在がいた。

 女神である。


『アリシア……アリシア……』


「ふがー、ふがー」


『アリシア、起きなさい』


 その日、眠る私の枕元に不思議な声が響いた。


「ううぅ……誰じゃ。せっかく人が気持ちよく寝とんのに」


 私が眠気眼ねむけまなこを擦りながら目を覚ますと、そこには世にも美しい三人の女性が立っていた。


『アリシア、ようやく起きましたか。二時間は起こしましたよ』

「えーと、何方様どなたさまでしょうか?」

『私たちはあなた達が三女神と呼ぶものです』

「はぁ、何の御用でしょうか」

『私たちは生まれた時からあなたのことを見守っていました。あなたのけがれた心の声を、ずっと耳にしていたのです』

「はぁ?」


 どうやら生まれながら私の思想はすべて女神により盗聴されていたらしい。

 女神は悪びれもせず続ける。


『あなたはまだまだ女神として未熟です。そこで私たちは考えました』

「考えるって、何を」

『あなたを修行に出すことにします』

「修行?」

『見知らぬ土地で暮らし、そして聖女としてふさわしい人になってください』

「え、嫌ですけど……」

『それでは行ってらっしゃい』


 反論する私を無視して女神はパンと柏手を打つと、私の意識を何処かへ飛ばした。



 次に目覚めた時、私は全然知らない土地にいた。



 硬い石に包まれた道と塀。

 鉄でできた高速で走る箱。

 見たこともない服装をした人々。


 私は、元の世界とは別の世界に飛ばされていた。


「はぁ? はぁああああああああああ!?」


 私は叫んだ。


「来たかい、聖女様」


 道端でオーガのように咆哮する私の肩を誰かが叩く。

 そこに立っていたのは一人の老婆だった。

 もちろん会ったことはない。


「待ってたよ、あんたのことを」

「えーと、あなたは?」

「あたしは梅原トメ。この世界で言う巫女で、あんたの言う『聖女』だよ。案内するからついといで」


 道すがらトメさんは詳しい事情を聞かせてくれた。

 彼女の生家は寺院で、生まれた時から神様の声を聞くことができたらしい。


「女の神様に頼まれたんだよ。聖女を行かせるから面倒見てくれって」

「はは……。で、これどこに向かってんです?」

「あんたの家だよ」


 案内されたのはボロ家だった。

 二階建てで、ドアが六つついている。

 集合住宅だろう。


「このアパートは私の持ち家でね。二階があんたの部屋だよ」

「めちゃくちゃ古いですね」

「築五十年は経ってるからね」


 するとトメさんは何やら紙を渡してくれる。

 どこかへの地図だった。

 ここから歩いて近いのが何となく分かる。


「明日からその場所で仕事しな。私が昔世話した子がやってる会社でね。話は通してある」

「はぁ……」


 仕事か。

 聖女のころも仕事はしていたが、椅子に座って来た人の悩みに答えるという楽なものだった。

 まさかこの私が勤めに出る羽目になるとは。


「じゃ、あたしゃもう行くよ」

「あのー、何でこんなに良くしてくれるんですか?」


 私が尋ねるとトメさんはニヤリと笑った。


「神様の言うことは聞いといて損ないのさ」


 現在進行系で私は損しているのだが。

 そんな異論を唱えたかったが、さっさとトメさんは帰ってしまった。


 ◯


「今日から一緒に働いてもらうアリシアさんです」


 次の日、私は地図に書かれた会社に来ていた。

 本来なら礼装スーツなのだそうだが、この会社は私服で良いらしい。

 ちなみに服はトメさんに貸してもらった。


 詳しいことはよくわからないが、こうなったらこの世界でのし上がるしかない。

 全知全能の私の力を使えば、民草の心を掴むことなど容易。

 仕事でも成果を出してあっという間にのし上がってやろうではないか。

 だが。


「アリシア・アシュフォードです。皆さん、よろしくお願いしますねぇ」


 私の極上の聖女スマイルにもかかわらず、室内はシンと静まりかえっていた。

 全員こちらをチラ見したあと、死んだ魚のような目で何かをカタカタと打っている。

 おかしい、思ったのと違う。


 前の世界ならば、私が笑顔一つ振りまけば老若男女問わず目にハートを浮かべていたというのに。

 今私の前にいる人たちは、まるで心が死んでいるかのように目が黒ずんでいた。

 困惑する私に責任者と思しき人が声をかける。


「さ、席について、アリシアさん。君の席は一番奥の窓際。木下きのしたさんの隣だから」

「は、はい……」


 言われるがまま窓際の奥の席へと座る。

 気を取り直そう。

 隣に座るメガネで三つ編みの女性にニコリと笑いかける。


「よろしくお願いします。アリシア・アシュフォードです」

「ども、木下です」


 仏頂面で彼女は言うと、訝しげに眉をひそめた。


「アリシアさん、外国の人ですよね? 日本語上手いっすね」

「え? えーと……たぶんそうです」

「何でこんな会社入ってきたんですか?」

「な、何で?」

「ここ、最悪のブラック企業ですよ」

「ブラック……企業?」


 言ってる意味がよくわからない。

 困惑していると「ま、いいですけど」と彼女は再び何かに向かってカタカタとボタンを押し始めた。

 そんな彼女に私は尋ねる。


「ところで、私、何やったら良いんでしょうか?」

「パソコンの電源つけてください。それあなたのなんで」

「パソコンって何ですか?」

「はっ?」


 ◯


 そんな訳で私の新生活が始まり、現在に至る。


 今やすっかり仕事にも慣れ、当初彼らがカタカタと打っていたものがパソコンであることを後に知った。

 そして私の勤めた会社が株式会社バベルという崩れた塔の名前を持つIT企業で、この世界の法を完全に無視するGGGトリプルジーランクの過酷な職場であることも知った。

 何で社名に崩れた塔の名前なんてつけるんだ。


 そして私は。


「ぐふふ、やはりこのカップリング、たまらないわねぇ」


 オタクになっていた。


 この現代世界に来て半年。

 聖女の『全知全能』の力を使うことで生活や基礎常識には素早く適応することができた。

 電子機器の扱いにも慣れ、スマホ端末を手にした時、マンガという文化に出会った。


 それが沼だった。


 もらった給料をほぼ費やし、ネットスラングを使いこなし、かつての聖女としての気品ある姿はもうない。

 更に最悪なことに私の持つ三つの聖女の力はこの過酷な労働環境に完全に適合した。


 周囲の時の流れを遅くする時の力は無茶な過密スケジュールをこなすことを可能にし。

 生命力を回復させる生命の力は無限に働ける精神と肉体を実現し。

 身体能力を向上させる全能の力はほぼ全ての仕事を一度でマスターさせた。


 それだけ仕事できたら他の会社行ったほうが良いっすよと隣の席の木下さんに何度も言われたが、私の戸籍はこの世界には存在しないのだ。

 身元不明の外国人を疑いもせず働かせるのはこのブラック企業くらいしかない。

 私はこの会社でなければ、まともに勤めることすら叶わないのである。


 更に言えば、私のスマホ契約はこの会社に勤め続けることを条件にトメさんにやってもらった。


 そう、私に逃げ道はないのだ。


 私がスマホを見ながらグフグフ言っていると、隣に誰かがやってくる。


「おはよっす。アリシアさん、またサボってマンガ読んでんですか?」

「おはよう木下さん。昨日はよく眠れた?」

「眠れるわけないでしょ。終電退社始発出社なんだから。こちとら睡眠四時間っすわ。アリシアさんは?」


 私は目から光を消して薄笑いを浮かべた。


「もう五日家に帰ってないわ」


 木下さんは「なんかすいません」と言った。


「んで何読んでんですか?」

「ハイキューよ。もう男の子たちの青春と友情が尊くて尊くて」

「あぁ、良いっすね。アニメもクオリティ高いっすよね」

「アニメ……? アニメ化してるの?」

「知らないんですか? 結構有名ですけど」

「まだその領域には足を踏み入れられてないの。戻ってこれなくなりそうだから」

「確かに……。アリシアさん声優ドハマリしそー」

「ところで今、Vtuberが気になっているのだけど」

「そこに手を出すと死ぬぞ」


 隣の席の木下さくらさんとは趣味が合い仲良くなった。

 何でも彼女はWeb小説を連載するのが趣味らしい。

 私のオタク知識はすべて彼女から得たものだ。


 彼女と緩い話をしていると部長が「アリシアさん」と手招きした。

 五日寝てないフラフラの体で部長の元へ行く。

 そろそろ帰宅命令が出るだろうか。


 徒歩圏内なのだからせめて一度帰ってお風呂だけでも入りたい。

 聖女の力で体臭を限界まで抑えているが、それでも無理がある。

 積み重ねた垢までは抑えられないのだ。


「何でしょう。帰宅命令でしょうか」

「いや、仕事をお願いしたくて」

「……」

「あの、笑顔のまま無言で立たれると怖いんだけど」

「何のお仕事をすればよいのでしょうか」

「ちょっと営業課から頼まれて」

「営業課って、いつも無茶苦茶なスケジュールで案件引っ張ってくるあの営業課ですか?」

「言うようになったねぇ。いやね、これから向かうのが我が社随一のお得意さんなんだけど、先方が女好きらしいんだよ。それで、商談を円滑に進めるためにきれいな女性に付き添ってほしいんだとさ」

「五日間会社に泊まり込みさせた女性社員にあなたはそんなセクハラ紛いの指示を出すんですね?」

「アリシアさん、殺意漏れてるから!」


 入社当初は清楚で優しいを貫いた私も、この会社の無茶苦茶な労働環境にはさすがにキレていた。


 民草の心を掴む?

 誰だそんな戯言吐いてるやつは。

 消し炭にするぞ。

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