5. 神奈川県三浦市の曼荼羅毒蜥蜴-10
貝塚と柿本、そしてハンター組合立川支部長の松永は約束の料理を作るためフラニスの館を訪れていた。
館に入った貝塚たちを待っていたのは、フラニスと見知らぬ男性だった。
男性の背の高さは貝塚と同じくらいで身長180センチほどだが、それだけに少し痩せ気味で肩や腰の骨格が細いのが目立った。
男性は人好きのする顔立ちをしていて、柔和な笑顔を浮かべている。
金髪銀眼で、地毛とは思えないほど長いまつ毛。
緩くウェーブした髪は柔らかく、動作に合わせてフワフワと揺れていた。
人種で言えば普通の人間にしか見えず、耳がエルフのように長かったり、半魚人のようにエラが首元についていたりしない。
だが、その整った顔立ちは完璧過ぎた。
人形を思い起こさせるほど左右対称な顔には日焼けやシミ、ほくろなどが1つも無い。
人間に似ているが異なる存在であると貝塚は判断し、何者かと穴が開くほど男性をジロジロと眺めたが、男性は気にする素振りもなくニコニコと笑顔を絶やさない。
男性はコックコートに似た上下黒の服を着て、グレーのロングエプロンをつけており、料理人かそれに関係する人物であることが窺い知れた。
よくよく見ればコックコートの左胸には銀糸で林檎の刺繍が施されている。
それを見た柿本は「林檎に関連する人物や店は何だろうか」と記憶を掘り起こそうとするが、答えはすぐに出て来なかった。
男性は細かな所作にも隙はなく、まるで経験豊富なウェイターや執事にも見えた。
だが、その体から発せられる底冷えする圧力は明らかに人間では無いと訴えかけてくる。
然るべき礼法を身に着け、人間に対してそれを振る舞うだけの度量を持った人外の存在。
松永と柿本の顔が緊張で強張った。
「はじめまして。私はニスロクと申します。お会いできる日を楽しみにしておりました」
そう言って男性は一礼した。
彼は右足を床を擦るように左足の後ろに引き、右手は腹部に水平に当て、左手は体から離して水平に差し出し、そして頭を軽く下げた。
その姿を見て貝塚は「ほう」と呟き、優雅ながらも隙のない仕草に目を細めた。
「えらく古風な挨拶の仕方だな」
ニスロクが行ったのはボウアンドスクレープと呼ばれるお辞儀だった。
女性がスカートをつまみ上げるお辞儀、いわゆるカーテシーの男性版である。
昔のヨーロッパでならいざ知らず、今の日本で見かけるようなものではない。
貝塚はニスロクの隣で退屈そうにしているフラニスをチラリと見る。
前回フラニスに料理を作った際、異世界の料理に詳しそうな奴を紹介してやると言われた。
それを踏まえれば、ニスロクが件の人物であることは疑いようもない。
貝塚はてっきり異世界の料理人を紹介されると思っていた。
だが、ニスロクが見せた礼の仕方は堂に入っていて、そんなものを異世界の人間が身につけているとは考えづらい。
となれば、考えられる可能性は限られている。
「神か悪魔か、それともその手下か。どれだ?」
貝塚の不躾な質問に対し、ニスロクは怒ることも無くニッコリと微笑んだ。
その笑顔があれば人間の世界でも余裕でやっていけるだろうし、カフェでも開けば彼目当ての客で繁盛するだろう。
そう思わせるだけの笑顔だった。
しかし、貝塚らはその笑顔に見惚れるどころか、警戒心を更に強くした。
こういった手合いは、大抵ろくでもない事態を招くと経験で知っているからだ。
「それでは僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。私の名前はニスロク。7つの大罪の1つである『暴食』を司る悪魔ベルゼブブ様に使える悪魔であり、地獄の料理長として任を拝しています。食に対しての探求者を名乗っておりまして、このたびは新たな料理を体験できると伺い、勝手ながら馳せ参じました」
そう言ってニスロクは胸に手を当てて軽く会釈した。
その丁寧な挨拶と内容のギャップに柿本は驚く。
役職で言えばかなり上位の悪魔である。
そんな存在がたかが人間に礼を示すとは信じられなかったのだ。
一方、松永の方は内心で「相手が悪すぎる」と悲鳴を上げた。
何の準備もなく出会ってよい相手ではなかった。
ニスロクがその気になれば、この場にいる人間3人くらい簡単に殺される。
こういった相手と会う際には、事前に交渉材料なり有利な状況を用意することが欠かせない。
神や悪魔との接触はそれくらい命がけの仕事なのだ。
そんな相手に対し、貝塚は抱いた疑問をそのままぶつけた。
「悪魔の料理人か。悪魔って言われると、こう、誘惑とか堕落とか思い浮かぶんだが、そういうのを頑張ってるって理解でいいのか?」
貝塚の偏見とも取れる質問。
ニスロクは笑顔を崩さず、冷静に答える。
「もちろんございます。私の場合ですと、美味による誘惑、美食による堕落を司っております。ただ生を繋ぐためだけの食事では無く、より美味な食事を求め続けるという形ですね」
「へー、悪魔の世界だとそれが一般的な考えなのか?」
大した意図もなく貝塚は再び疑問を示した。
言葉の裏や含みなどない、ただの反射的な質問だ。
ニスロクは苦笑しつつも首を横に振って否定し、残念そうな表情を浮かべた。
そして、一歩前に踏み出したかと思えば、急に早口になって流れるように喋り出す。
「我が主のベルゼブブ様は量がなければ食事満足度が低い、つまり味は良くとも腹が満たされなければ不満が残るとおっしゃられています。ですが私としましては、質の高さこそが満足に繋がり、新たな食への欲求を呼び起こすと主張しているのです!腹が満たされればそれ以上食べようとはなりません。確かに昔は満足な食事を得ることが難しく、味よりも量が優先されてきた事情も分かります。腹がはち切れんばかりにジャンクフードを詰め込む、その楽しさを否定するつもりもありません。しかしながら、料理の質を蔑ろにするのはいかがなものでしょうか。ましてや、食べ続けるために嘔吐するなど以ての外です。物足りないという気持ちこそが次の皿に手を伸ばす原動力になるのです。腹八分目で健康的な食生活を送るからこそ、日々の食事を美味しく感じることができます。腹を満たすだけでは駄目なのです。美味しいものを食べて幸せな気持ちで健やかな日々を送って欲しい!それこそが原点にして終点であるべきではないでしょうか!?」
ニスロクは喋りながらジリジリと貝塚の方に迫る。
2人の距離は今や無いも同然で、額がぶつかりそうなほどだ。
ニスロクの発する熱と吐息が貝塚に触れる。
貝塚も勢いに押されて口を挟めず、後ろにのけぞるしかできなかった。
(こいつ、悪事を企んでいるというより、善意が結果的に悪事に繋がっているタイプだな)
貝塚はニスロクの言葉を踏まえて、そう判断した。
日本の昔話でいえば、女の妖狐に甲斐甲斐しく世話をされた男性が駄目になるのに近い。
悪意がないからこそ相手の懐に簡単に入ることができ、当人が幸せなまま悪い方に転がっていくという、敵に回すと厄介な存在だった。
だからこそ隠し事を企んでいるようには見えず、悪魔と言われても信じられない。
フラニスの方が余程それらしく見える。
貝塚が冷や汗を流しながらニスロクと見つめ合っていると、松永が口を挟んできた。
「どうしてそこまで彼に期待しているのでしょうか?」
ニスロクの言動に1つ辻褄が合わないところがあった。
主張は分かる。
だが、なぜ貝塚にそこまで執着するのかが分からない。
戦闘能力や異能的な面で見れば、貝塚を上回っている人間は多く存在するが、これほどまでに悪魔に目をつけられている話は聞いたことがない。
「貝塚様は異世界の神に料理を提供し、対価を得ようとされています。つまるところ、それは美食による神の懐柔・堕落であり、まさに我々の理想の体現者として高く評価しております。ぜひこの調子で頑張って頂き、世界中の人類や神々を堕落させて欲しいとベルゼブブ様も期待しておりました」
ニスロクは右手を胸に、左手を天に差し出すようなポーズを取った。
それはまるで説法を行う牧師のような神聖さがあった。
「師匠は悪魔から期待されてたんですか......」
「もしかして、こいつは処理しておいた方がいいのか?」
ニスロクの答えを聞いて、柿本と松永は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
神や悪魔が平然といるこの時代では、悪魔に期待されるのは笑い話では済まないのだ。
松永は慌てて貝塚の方に目を向ける。
そこにはいまいち危機感を抱いていない男の姿があった。
「貝塚、お前から言いたいことはないのか?」
悪魔から見初められた人間が辿る道はどれもろくでもない。
命を落とすだけならまだマシな方で、地獄に堕ちるだけでは済まないだろう。
このままだとお前もその一員になるぞ、と松永は目で訴えた。
貝塚は顎に手を当ててしばし思案する。
「........................そうだな。個人的には味や質のどちらかというより、未知の体験や創意工夫をどれだけ盛り込めるかが重要だと俺は考えている。料理の評価は人によって違う。なぜなら、育った食文化や体質、健康状況によって味覚は左右されるからだ。だが、料理から得られる経験は代えがたいものだ。新しい食材に新しい調理法。盛り付けでもいい。そういった料理を食べて新しい経験がどれだけ得られるか。俺はそれが大事だと考えている」
「いや、そういう話ではないんだが...」
貝塚の見当違いの答えを聞いて、松永は膝から崩れ落ちそうになる。
しかし、ニスロクはその答えにいたく感動したようで、両手を胸の前で組んで満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしい!そういった新しい考えを取り込んでいくことも大切です。誘惑の道も弛まない改善が必要ですからね。やはり我々の目に狂いはなかった...」
高名な聖職者を前にした信者のごとく、憧れの目を貝塚に向けるニスロク。
それを見て危機感を抱き険しい表情をする柿本。
この先の対応を考えて頭を抱える松永。
松永がなぜ苦しんでいるのかよく分からず首をかしげている貝塚。
完全に収拾がつかないこの状況を打破したのは、1人だけ話に興味を持たなかったフラニスだった。
「......事情はよく分からんが、さっさと料理の準備を始めろ」
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