5. 神奈川県三浦市の曼荼羅毒蜥蜴-3
旧神奈川県の三浦半島は、大異変後もかつての形状を保持していた。
ただ、土地のほとんどは森林に埋め尽くされ、半島端の沿岸部の僅かな地域に小さな街があるだけだった。
かつてこの地に住んでいた人間はほとんど残っておらず、関東における人間の勢力圏外とされている。
そして、消えた人間に代わり、この地に住むのは頭部が魚の形をした半魚人と呼ばれる種族だった。
「このあたりの名物と言えばやっぱり魚だな。沿岸部だけあって新鮮な魚介類が豊富だが、貝や海老よりも魚の方が好まれてるぞ」
そう答える半魚人の男性―――貝塚たちでは性別の見分けが難しいが恐らく―――はそう答えた。
人間の顔面にカツオの頭部を貼り付けたような顔。
その姿を前に、貝塚たちは失礼ながらも違和感を拭いきれなかった。
鮮度の良さを示す透明感のある瞳は焦点がブレて、どこを見ているのかよく分からない。
筋肉が薄く硬そうな顔に浮かぶ表情に至っては、変化しているのかすら把握できない。
良く言えば艶のある、悪く言えば不気味にテラテラと青白く輝く肌。
夜中に出くわしたら悲鳴を上げても仕方ないだろう。
その姿に柿本は完全に腰が引けており、貝塚の後ろに半ば隠れていた。
いつもなら他種族に対して偏見は良くないぞと叱るところだが、今回ばかりは貝塚も大目に見ることにした。
貝塚らは半魚人たちの街に入ったところで嶋田と一旦別れたのだが、あちらも今頃は似たような状況にあるかもしれない。
手分けした方が効率的だと考えたが失敗だったのだろうか。
半魚人の男性が喋るのに合わせて、首元から赤いエラが艶めかしくチラリと覗く。
魚のエラとそっくりで水中で活動できそうだが、それでどうやって地上で呼吸しているのかは謎だ。
身につけている服も人間のものに近いが、水に濡れるのが当たり前なのか、マリンスポーツ用の服にどことなく似ていた。
男性が着ているのは着物のような上着と薄手のパンツ。
だが素材は布ではなく、撥水加工されたポリエステルのような素材を使っている。
人間よりも魚に近い種族であることは間違いなかった。
そんな彼の答えを聞いて、貝塚は素朴な疑問を抱いた。
「魚を食べていいのか?同族じゃないのか?」
「別物だ。お前たち人間も、猿を同種とは認めていないだろう。それに、魚だって普通に魚を食べているぞ。マグロがアジやサバを食べられなかったら何を食べるんだ?」
恐らく彼も言われ慣れているのだろう。
特に怒る素振りも見せず淡々と答えた。
「そういうものか...。酒って飲むのか?名産品があるなら買いたいんだが」
「食事酒としてはアルコール度数の低い酒が人気だ。取れたてで新鮮な生魚を捌いて酢とソースをかけ、プリプリとした食感を味わいながら、柑橘類で割った酒で流し込む。それがこのあたりの流儀だ。この街で酒が欲しいなら、食品店か雑貨屋に行けば見繕ってくれるだろう」
「刺身で食うのか...。骨や内臓ごと丸ごと飲み込むことを考えれば、そんなにおかしくないのか...?まあ、いいか。店はどのあたりにあるんだ?」
「うむ。雑貨屋で良ければ、この道をまっすぐ進めば左手に見えてくる。食品店も近くにある。雑貨屋で聞けば分かるだろう」
そう言って彼は道の先を指差す。
貝塚が目を凝らして見れば、確かに看板を掲げた店らしきものが遠くに見えた。
「それと別件なんだが、最近ここらで怪しい奴らを見かけたって話を知らないか?俺たちはその調査で来たんだ」
「怪しい奴ら?...ふむ」
半魚人の男性は顎に手を当て、口をパクパクとさせながら思案する。
悩むのに合わせて両目が別方向を向きながらグルグルと動く。
柿本の息を呑む音が貝塚の耳に入ってくる。
彼の答えを待っている間、なんとも言えない薄ら寒い何かが貝塚らの背中を通り抜けていった。
「山間部で見知らぬ集団を見かけたという話は聞いたことがある。狩猟の邪魔をされて難儀している者たちもいるらしい。すまないが、知っているのはこれくらいだ。こちらから接触したくない相手なだけに、さほど詳しい情報を持っている者はいないだろう」
この小さな街の住民に存在が知られているということは、その集団は本気で身を隠そうとしているとは思えない。
迂闊な素人集団なのか。
もしくは、邪魔者が来ても追い返す自信があるのか。
貝塚は後者だと考え、意外と面倒な相手かもしれないと警戒心を高めた。
「それはどのあたりだ?」
「あのあたりだ」
そう言って彼は海とは逆方向、山の方を指した。
道が整備されていない山間の険しさを考慮しても、貝塚の目算では徒歩で数時間程度で行けそうな近さだった。
これでは不安がる者たちもいるだろう。
というか、半魚人が集団で山で狩猟をする光景の方が怪しいのではないだろうか。
「なるほど。それなら俺たちも調査で山の方に行くことになる。もし、街の住人が俺たちを気にするようだったら、依頼で来ていることを言っても構わない」
「そうか。奴らの目的などが判明したら教えてくれ。悪いようにはしない。ついでに何とかしてくれるなら助かる。それと、あの辺りには曼荼羅毒蜥蜴が出るから注意するように」
「曼荼羅毒蜥蜴?」
聞き慣れない名前を聞いて貝塚が首を傾げる。
同時に、当たりを引いたかもしれないという喜びで目が輝き始めていた。
「全長5メートルくらいの、蜥蜴というかワニに近い見た目をしたモンスターだ。黒い皮膚に、黄色や赤、青など様々な色が散りばめられて、非常にカラフルだから見ればすぐに分かる」
「へー、流石海や湿地に近い森林地帯だな。名前に毒がついてるってことは、当然毒持ちか?」
貝塚の質問を肯定するように、半魚人の男性は深く頷いた。
どの民族や国であれ、毒持ちのモンスターは警戒対象だ。
注意を促すためにも、分かりやすい名称をつけるのが一般的である。
「牙や爪、尻尾、唾液、血液、内蔵。それぞれ異なる毒を有している。強さ以前に、とにかく毒の種類が豊富なので嫌われている。毒性はそこまで強くないが、種類が多いから全てを毒消しで対応するのも難しい。解毒魔法が使えないと、毒を受けたところに他のモンスターに襲われて致死率が一気に跳ね上がる」
「それは面倒だな...。だが、蜥蜴やワニなら味も鶏のようにクセがない可能性が高い。期待が持てそうだ」
「.........わざわざ毒持ちのモンスターを食べるのか?人間は悪食なんだな......」
食べることを前提に話を進める貝塚を前に、半魚人の男性が大きな目を更に見開き、文字通り口をパクパクと動かした。
分かりにくいが恐らく驚いているのだろう。
厄介な曼荼羅毒蜥蜴を狙って狩ろうとする者は、半魚人たちの中でも珍しいのかもしれない。
だが彼の目の前にいるのは、人間の中でも異常者に属する者だった。
「大型の魚だって、カサゴみたいに毒のヒレが生えた魚を食べるだろ。貝を食べる時に毒腺を外すのは珍しくない。それに、人間には『蓼食う虫も好き好き』という言葉がある」
「...蓼?聞いたことがないものだ」
「蓼というのは柳蓼と言う一年草だ。葉には独特の強い辛味があって敬遠されているが、その葉を好んで食べる虫がいることから生まれた言葉だな」
「なるほど。どういう意味を表すんだ?」
「大抵の生き物が嫌がる食べ物であっても、その気になれば意外と食えるという意味だ」
「違います」
貝塚が適当なことを言っているのに耐えかねたのか、背後に隠れていた柿本が声を上げた。
その指摘を聞いて、貝塚が勢いよく後ろを振り返った。
ジャリッという地面に足を滑らせる音を立てながら、右拳を少し突き出して仰々しくポーズを取る。
そして、信仰を説く聖職者の如く叫んだ。
「虫だけじゃなくて人間も食べるだろ!鮎の塩焼きには蓼酢が必要なんだよ!」
「それは分かりますけど、嘘を教えるのはよくありませんよ...」
「俺には蓼が受けた不当な評価を改める責務がある!虫だけじゃなくて人間も食ってる立派な食材だぞ!そう、これは食に関わる者として果たすべき仕事なんだ!」
「また変なこと言い出して……」
半魚人の男性を無視して騒ぎ始める2人。
男性は口をパクパクさせながら、人間は変わってるなと考えつつその光景を眺めていた。
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