4. 栃木県日光市の黒瑪瑙鰻-10
ケンタウロスの国から戻ってきた後、貝塚らはフラニスの屋敷へと訪れた。
約束の料理を振る舞うためである。
屋敷の主であるフラニスは、広々とした部屋に置かれたテーブルについている。
彼女の目の前には黒瑪瑙鰻が大皿の上に置かれ、照明の光りを浴びて黒い姿が宝石のように輝いていた。
頭と尻尾の下に5センチくらいのガラスの台が差し込まれ、全体が見やすいように持ち上げられている。
胴体の下にはなにも置かれていないこともあり、見る角度によっては空中に浮いているようだった。
普通の魚や鰻であれば、胴体の中ほどが重力に負けて弧を描くように湾曲する。
だが、黒瑪瑙鰻はピンと張ったまま曲がる素振りすら見せない。
その異様な硬さと美しさは、まるで彫刻のようだった。
「また変なモンスターを持ってきたな...」
フラニスは眉をひそめながら、黒瑪瑙鰻をスプーンで何度も叩いた。
叩くたびにカチン、カチンという高い音が響き渡る。
彼女の渋い表情がさらに深まりスプーンを放りだすと、スプーンが皿に当たってカランと軽い音を立てた。
そして、前回と同様に料理の完成品を試食するため、隣に座っている柿本へと目を向ける。
「...で、これはどうやって食べるんだ?まさか、歯ごたえを楽しめとは言わんだろうな?」
フラニスは驚くほど穏やかな笑みを浮かべる。
ただ、目は笑っていない。
回答次第では笑みも霧散するだろう。
突き刺すような視線に晒されながら柿本は冷や汗を流しつつ、必死に身振り手振りを加えて説明する。
「えーとですね...、こちらの黒瑪瑙鰻の身には毒性がありますが、高温で加熱することで無毒化することができます。ご懸念の身の硬さにつきましては、低温でじっくり加熱することで驚くほど柔らかくなります」
「ほう、2度の加熱が必要なモンスターなわけか。先に低温で加熱すると、高温で加熱した際に身がバラけてしまいそうだが」
「はい。おっしゃる通りです。そのため、まずは高温で調理する必要があります。この工程は下処理に必須ですから、出てくる料理はそこから更に手を加えたものとなります」
「なるほど...」
フラニスはテーブルに置かれたグラスを手に取り、炭酸水をグイッと飲み干す。
そして、何かを思案しながら指でテーブルをコツコツと叩く。
「...今回の料理のテーマなどはあるのか?」
「今回は香りに拘ると言っていました」
「香りだと?」
途端に胡乱げな表情をするフラニス。
泥臭さや生臭さを取り除けば、鰻自体にはあまり強い香りはしない。
一般的に鰻の匂いと思われているものは、そのほとんどが身やタレが焦がされたことで生まれた香りである。
そんな食材がメインだというのに、わざわざ香りで勝負しようというあたりが理解しがたかった。
「前回は食感で、今回は香りか。芸達者なことだ」
腕を組んでふんぞり返るフラニスを尻目に、柿本は空いたボトルを取って、フラニスのグラスに炭酸水を注ぐ。
フラニスは礼を言う素振りもなく、そのままグラスを手にとって一口飲んだ。
そして、なにかに気がついたのか、柿本に向かって口を開こうとする。
しかし、その瞬間を見計らったかのような絶妙なタイミングで、貝塚がキッチンから料理を運んできたため機を逸してしまった。
貝塚の手には大きなトレイがあり、その上には料理らしきものが並んでいる。
フラニスは言葉を飲み込み、大人しく貝塚の配膳を待った。
「さて、今回の食材は鰻...。ナマズっぽいが鰻らしいので、日本料理寄りにしてみた」
そう言って貝塚は2人の前に、柔らかい色合いの乳白色の長角皿を置く。
皿の右下隅には鰻の絵が描かれており、シンプルながらも遊び心が感じられるデザインだった。
問題は皿の中央に鎮座している奇妙なブロックの集合体だった。
白と黒、そして薄茶色。
表面は滑らかかつ艶やかで、光を反射してキラキラと輝いていた。
3種の小さく半透明なブロックが交互に重ねられ、色彩の変化を生み出している。
一辺ごとに3つのブロックで構成されており、まるで小さなルービックキューブのようだった。
「...どこが日本料理だ?」
恐らくゼリーかなにかの集合体である料理を前にして、フラニスは怒る元気もないとばかりに髪をかき上げて、気怠げに貝塚の方を向いた。
皿の中央に鎮座するブロックはまるで現代アートのようだった。
その異様な見た目は日本料理のイメージとはかけ離れている。
しかし、当の貝塚といえば、全く悪びれる素振りはない。
軽く肩をすくめ、口を開いた。
「鰻の煮凝りを日本料理と呼ばなくて一体なんと呼ぶんだ?イギリス式にぶつ切りにしたのを固めた方が分かりやすかったか?」
その言葉を聞いて柿本が納得したように頷く。
彼は箸を手に取って皿の上のブロックを1つ動かし、じっくりと観察していた。
「ああ、これ鰻の煮凝りですか。黒いブロックは黒瑪瑙鰻の身が詰まってるから、この色になってるんですね。薄茶色のブロックは身が入ってない、煮汁だけを固めたものでしょうか」
「正解だ恵」
「じゃあ、白いのはなんだ?」
フラニスが質問を投げかけると、貝塚はニヤリと笑って目を細めた。
その表情はサプライズが成功して欲しいと願う子供のようだった。
「食えば分かる」
その曖昧な返答に、フラニスは眉を吊り上げて貝塚を一瞥した。
しかし、彼女の鋭い視線が突き刺さっても貝塚が全く動じないのを見て、しぶしぶ箸を手に取った。
黒いブロックをそっと摘み上げると照明の光りがその表面を滑り、半透明なゼリーの中に隙間なく閉じ込められた、黒く細かい細切れ浮かび上がった。
色合いからして細切れは黒瑪瑙鰻の身だろう。
それが固められたことで、あたかも黒いブロックのように見えていた。
「日本料理のたまご寒天を黒くしたような見た目ですね...」
柿本はフラニスと同じように黒いブロックを観察しながら呟いた。
そのまま、躊躇うことなくブロックを口に入れる。
「...口に入れるとゼリー部分が溶け、煮汁と共に黒瑪瑙鰻の身と皮が口に広がります。普通のゼリーとは違って噛まなくても溶けるのは、鰻のコラーゲンで固められているからですね。煮汁は黒瑪瑙鰻を煮込んだ出汁に、酒、醤油、味醂を加え、生姜を強めに効かせたもの。確かに味付けは日本料理です」
柿本が食べたのを見て、フラニスもブロックを口に放り込む。
そして、じっくりと味わった後に口を開いた。
「...薄茶色の方は煮汁だけを固めたものか。身が入ってない分、まるでスープのように出汁を味わうことができる」
「この白いゼリーは柚子のジュースを固めたものですか。柚子の酸味と香りだけで煮汁の味がしませんから、他のゼリーとは別に作ったものですね。美味しいですけど、これだけ浮いているような...」
戸惑う柿本を見て、貝塚は笑いながら助け舟を出した。
「他のゼリーと一緒に食べてみろ」
その言葉に従って、柿本は白と黒のブロックを一緒に口に運んだ。
すると、表情が一変し、驚きに満ちた声が漏れた。
「黒瑪瑙鰻の身に柚子の酸味と香りが加わって、一気に華やいだ味わいに変わりました...」
同じようにフラニスも白と薄茶色のブロックを口にする。
煮汁に香りと酸味が加わったことで、スープとして先程よりも味に奥行きが出るとともに、鮮やかな香りが広がった。
「ブロック単体を味わった後、食べ合わせによって味が変化するのを楽しむ2段構えの料理か。メイン食材を味わいつつ、適度な酸味と香りで食欲を呼び起こす。前菜としては悪くないな」
フラニスの感想を聞いて貝塚は拍手をした。
「正解だ。柚子を煮汁に混ぜるより、こうして別々にした方が、それぞれの味や香りが際立つだろ?塩を振る時にはわざと濃淡をつけた方が美味しく感じるが、それと似たようなことをやってみた」
「柚子の香りと酸味を強くしたのはわざとか?」
「そうだ。単体で食べる分にはもう少し控えめでもいいんだが、合わせて食べるならこれくらい強調した方が美味いだろ」
得意満面な表情をする貝塚を見て、フラニスはほっそりとした顎に手を当てながら頷く。
そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ふむ、お前の性格の悪さが滲み出ている一品だな」
「なんでだよ!」
貝塚が抗議の声を上げると、フラニスは小さく鼻で笑い続けた。
「見た目で驚かせつつ、まともな味で一息つかせ、そこから味の変化で再度驚かせようと企む。緩急織り交ぜた嫌らしさが隠しきれていないぞ」
フラニスの評価を聞いて、貝塚はハァと大きくため息をついた。
「面倒くさい奴だな。素直に褒めろよ...」
フラニスはグラスを手に取り、炭酸水をもう一口飲んだ。
その瞳には、どこか楽しげな光が宿っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます