4. 栃木県日光市の黒瑪瑙鰻-1
ハンター組合立川支部内にある執務室は、木材を豊富に用いた落ち着いた雰囲気の空間だった。
入口の反対側の壁には多くの窓が存在し、外の光を豊富に取り込んだ室内。
執務室にはいくつもの机が置かれ、数人が忙しなく働いているが、ある種の秩序が漂っており騒がしさとは無縁だった。
そこで一人の男性が、部屋の中央に置かれた重厚な木製の机に向かって仕事をしていた。
彼はハンター組合立川支部支部長、松永完照(まつなが さだてる)。
38歳、身長175センチほど。
黒に近いブルーグレーの髪は整髪料で丁寧に後ろに流され、わずかに光沢を帯びている。
額に刻まれた細かな皺と、目の下に薄く広がる疲労の影が、彼の過酷な日々を物語っていた。
少し細身の体躯だが、背筋を伸ばし、堂々とした姿勢を崩さない。
その姿からは威厳と自信に満ちた雰囲気が漂っている。
低く落ち着いた声がその印象をさらに強め、権力と責任を背負う者の風格を際立たせる。
顔立ちは彫りが深く、鋭角的な鼻梁と引き締まった顎のラインが特徴的だ。
常に優しげな表情を見せているが、茶色の瞳に宿る鋭い眼光と短く整えられた口ひげが、落ち着いた成熟さと知的な印象を加えている。
彼は身体にフィットした、柔らかな仕立ての紺色スーツを身に着けていた。
薄い青のシャツがスーツの下で柔らかく光を反射し、ドット柄のこげ茶色のネクタイと控えめに輝く銀のネクタイピンがアクセントを加えている。
粗野な者が多いハンター関係者にしては珍しくフォーマルな服装をしていた。
これは彼の趣味であると同時に、渉外業務が多い立場ゆえの選択でもある。
彼こそ、文字通り立川支部の最高責任者だった。
**********
「支部長、こちらが先程届いた申請書になります。差出人はあの貝塚氏です」
「ありがとう。要件は?」
「次の調査にかかる金と物資の無心。それと現地ガイドなどの手配もです」
そう言って目の前に立つ女性は、憮然とした表情で書類を渡してくる。
彼女の声には微かな苛立ちが混じっており、書類を提出した人間に対して良い感情を抱いていないのが分かる。
私は万年筆を置いて顔を上げた。
「なるほど。いつものやつだね」
私は気にせず書類を受け取った。
しかし、彼女は不満げな様子でその場を離れようとしない。
彼女は20代半ばで、ハンター組合の制服であるベージュのジャケットと黒の膝下丈のスカートを身に着けている。
ただ、日頃の几帳面さとは異なり、後ろでまとめたセミロングの栗色の髪が若干乱れていることが苛立ちを暗示していた。
彼女は先日新しく雇ったばかりの秘書だが、雇い主である私にたかろうとしている貝塚が気に入らないのだろう。
申請書をチラリと見ると、説明欄には「欲しい物リスト。よろしく」とだけ雑に書かれ、後は長々としたリストが並んでいる。
全てを手配すればそれなりの費用がかかるし手間もかかる。
そこまでして貝塚を厚遇する必要があるのかと言いたいのだろう。
「彼を支援することは組合の方針に沿ったものだ。先日の調査報告書も内容的には問題ない。結果を出している以上、今回の申請も受理する必要がある。まあ、申請書はもう少し真面目に書くよう、注意してもいいとは思うがね」
私は書類を机に置き、背もたれに体を預けながら彼女と目を合わせた。
「でも木ですよ。殺人樹ですよ?食料の安定供給のためとは言え、他にやることがあるでしょう」
……確かにもっともな意見だ。
ただ、それを踏まえても組合には貝塚のような人間を支援する理由がある。
彼女の今後を考えれば一度きちんとした説明が必要だろう。
「モンスター食はすぐに人々に受け入れられたわけではない。それは分かっているね?」
「はい。私自身、最初は抵抗がありました」
何かを思い出したのか、彼女は僅かに眉をひそめた。
「実のところモンスター食は、食べる側だけではなく調理する側にとっても抵抗があったんだよ」
モンスターが牛や魚に似ているからと言って、誰もが喜んで食べようとしたわけではない。
見た目が似ているからといって、海老を食べる人間に外骨格のある昆虫を勧めても嫌がられるだろう。
「生まれ育った食文化に存在しない食材や料理を食べるという行為には、それなりに高いハードルがある。同じように、料理人の前にモンスターを並べても、食材として見ることに忌避を覚える者が多かったわけだ」
「おっしゃることはなんとなく分かります...」
彼女は首を傾げ、頬に手を添える。
昆虫を食べる食文化で育っていない者は、昆虫を調理しようとは考えないし、食材として見ることすら拒否する。
新しい食べ物に寛容な国であっても、それはあくまでも常識的な範囲でしかない。
そしてモンスターという存在は常識の外にいた。
ましてやモンスターは毒を持つことすら珍しくない。
トゲが生えた硬い甲殻に異臭を放つ体液、何と表現して良いのかすら分からない形状。
そんなものを前にして喜んで食べたがる人間の方が少なく、これまで慣れ親しんだ食材を優先するのは当然の結果だった。
「その結果、深刻な食料問題が起きて多くの死者が出た。目の前に食べられるモンスターが山程いるというのにね。モンスター食が広まったのは、人間同士で食料を奪い合った後。争いに負けた者たちが、背に腹は代えられず手を出し始めたことがきっかけだ」
私は彼女から視線を外し、昔を思い出すように天井へと漂わせた。
「未知の食材に手を伸ばせる料理人は少なく、そもそも食材といっていいのかすら不明なモンスターに、喜んで挑戦する料理人は極わずか。だから彼のような人間を支援しているということですか?」
「そうだね。大抵の料理人は、既に安全や調理手順が確認されたモンスターにしか手を出さないし、その多くは手軽に調理できるよう処理された部位を買うだけでしかない」
そう言いながら私は机の引き出しから分厚いファイルを取り出し、彼女へと渡した。
表紙には「食用モンスター処理マニュアル」と記されている。
ハンター組合では食用のモンスターの引き取りだけではなく、調理用食材への加工処理も行っている。
肉から骨や皮を分離することから始まり、毒を含む部分を除去し、必要とあらば特殊な工程も担当する。
これは知識不足の料理人に未加工のモンスターを売るのは危険であると共に、料理人側も下処理や加工する手間を嫌がるからだ。
自分で狩ったモンスターを市場で直接販売するハンターもいるが、過去に食中毒が頻発したため、食用の販売は厳しく制限されている。
私もその対応で各方面に謝罪に走り回ったことがあり、その頃を思い出して苦笑いを浮かべた。
「彼が厚遇されているのは単に挑戦心に溢れているというだけではないよ。彼は食材を選定するにあたって論理的なアプローチを踏襲しているし、データもきちんと残すようにしている。このマニュアルを作成するにあたって、彼の集めたデータはかなり役立った。加えて、食用以外の用途で当たりを引くことがあるから、分の悪い投資ではないんだ」
「その点は確かに評価しますが、それが厚遇する理由になるのでしょうか?」
彼女は渡されたファイルを抱えながら眉を潜め、半信半疑の表情を浮かべた。
「もちろんだとも。未知のモンスターを食べるということは、それこそ調査と言っていい。そして、未知のモンスターを食べて死人が出るのは避けられない。だからこそ次の死人を出さないために、少しでも多くの情報を残さなければならない。どの部位をどう調理して食べたのか。それが分かれば、次の挑戦者がより良い結果を残せる可能性は高まる」
我々は貝塚のような人間が命を落とすことも想定して支援している。
命を落とすよう背を押していると言われても否定はしない。
未踏領域を調査するハンターに似ていると考えれば分かりやすいだろう。
何もない洞窟かと思えば毒ガスが溜まっていたり、草原を歩いていたら突然毒沼に足を突っ込んでいたりする話は珍しくない。
ハンターという仕事自体が死のリスクと隣り合わせであるが、モンスターとの戦闘以外で死ぬハンターの割合は世間が思っている以上に高いのだ。
言外にそう伝えると彼女もちゃんと察してくれたようで、目を見開き、手を強く握り締める。
牛に似ているモンスターだからといって、同じように肉を切って焼けば食べられるとは限らない。
その味も牛と同じではない。
キャベツに手足が生えたようなモンスターを焼いて食べた報告書を読んだことがある。
その味は豚肉で、香りは苺、食感は綿あめだったという。
豚肉の濃厚な旨味と苺の芳醇な甘い香りが口の中で広がり、淡雪のように溶けていく感触。
報告者は「吐き気を催した」と記していた。
旧地球の人間の常識が通じる時代ではないのだ。
目の前に立つ彼女だけではなく、執務室にいる全員に聞こえるよう私ははっきりと言う。
「河豚やキノコの調理方法が確立するまで多くの犠牲者が出た。そして今、我々は同じことをモンスターでやっているわけだ」
貝塚と同じように未知のモンスターを食べようとしたものはいるが、命を落とす者も少なくない。
これまで貝塚は長期間にわたり様々なモンスターの食用化に成功し、関東における人間の食料事情の改善に大きく貢献してきた実績がある。
彼が生き残っているのにはそれなりの理由があり、だからこそ支援する価値がある。
彼女もそれを理解したのか、先程までの憮然とした表情は霧散し、自分の知識不足を恥じるように顔を強張らせて頭を下げた。
「申し訳ありません。つまらないことでお時間を取らせてしまいました...」
「気にしなくていいよ。むしろこういう疑問は早めに解消しておきたいからね。ましてや、彼は神との契約を結んだという話が出てきた。無下に扱うこともできないから周知しておく必要もある」
そう。
何があったのかは不明だが、貝塚は異世界の神との交渉に成功し、対価を引き出せる可能性がある契約を結んだのだ。
恐らく正式な契約ではないにせよ、これは由々しき事態である。
「神との契約はそれほどの価値があるのですか?」
「まだこの仕事に就いたばかりの君は知らないだろうが、基本的に人類は神に抗うことはできない。できることと言えば機嫌をとる、交渉する、騙す、契約で縛る、弱点を見つけて行動に制限をかけるくらいしかないね」
神々の争いに巻き込まれて東京と千葉の間に大地が生まれ、かつて存在した海は消えた。
そして千葉南の房総半島は半分ほど消滅し、今では荒涼とした崖が広がっている。
「神とは恐れ敬い、せめて何もしてくれるなと祈る存在だ。それゆえ味方に付ければ恩恵は大きく、契約で対価を引き出すことができるようになるのは大きな手柄と言える」
「彼が素直に対価を譲るとは思えません。レシピ寄越せとか言ってきそうですよ」
彼女の言う通り、貝塚は貝塚で交渉相手として面倒な存在である。
貴重なモンスター資源を提供する程度で交渉が成り立つならいいが、そうでないと途端に話がこじれるだろう。
正直、あまり考えたくない展開だ。
「…だからこそ、我々は彼に貸しを作らねばならないし、異世界のレシピなどを事前に集めて交渉材料を抱えておかなくてはならない」
「偉い人は大変ですね。彼の次の調査対象は何ですか?」
「………黒瑪瑙鰻らしい」
「この辺りでは聞きませんね。黒瑪瑙ということはブラックオニキスですか。黒くて艶のある鰻につけるにしても、華美過ぎる名前だと思いますけど。どんなモンスターですか?」
彼女の質問を聞いて軽い頭痛がしてきた。
質問内容のせいではない。
仕事に疲れたせいか、調査対象のせいだろう。
痛みを誤魔化すため額を軽く揉み、大きくため息をついて天井を見上げる。
「非常に硬い身体を持つ鰻に似たモンスターだよ。それこそ宝石のようにね」
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