復讐の精霊使いマフユ

道化道

第1話:若き精霊使い

 日はとっくに暮れ、夜の帳が世界を満たす。濃厚な闇が天上を埋め尽くし、星々は何にはばかることもなく輝き放つ。

 その中心に座するのは、新円を描くうるわしやかな金の月。柔らかに光る天体の見下ろす先では、遠き宙中へ届かんと我が身をそびやかす時計塔が立っていた。

 満月から降る淡い燐光に照らされて、闇の内に浮き上がる広壮な偉容。ただ見上げるだけで首には痛みが伴い、頂上を仰ぐことさえ容易でない。あまりにも高すぎて、全長を推測することさえ馬鹿らしいほど。そういう次元に存在する、驚異的な巨大高層建築であった。

 時計塔の遥か上方に位置付き、今も昔も変わらず一定に時を刻む盤上の針は、深夜に達した午前1時を指し示す。

 そんな巨塔の最上部、登るのは到底困難と思える天空との境界面に、年の頃17歳ほどの少女が一人立っていた。


 夜風に遊ばせる短い髪は桃色、夜空へ注ぐ瞳は悠久を思わす藍色。身長は150cm半ばあるかないかの小柄なもので、華奢な体に新雪へ等しい白皙の肌を持つ。

 身に着けるのは白いワイシャツと緑のリボン。その上から紺地に紅いラインの入ったブレザーを着て、上着と同色をした膝上丈のプリーツスカートを穿いている。吹き抜ける風に煽られ、はためくスカートから覗く健やかな脚が眩しい。

 可憐な少女だった。整った容貌は充分に女性としての魅力をそなえ、すれ違う異性が誰しも振り返るほどの美しさを秘める。理想的な形をした鼻梁や眉目の麗しさに、同性さえ嫉妬でなく陶酔と羨望から魅入るほど。珠玉の美貌と呼ぶに相応しい。

 それでいて凛然とした厳かさを漂わせ、か弱さや儚さは欠片も感じさせない。鋭く磨き上げられた切っ先に似た雰囲気を湛え、気安く話しかけることを躊躇わせる静かな迫力を伴う。

 その様は、美麗な装飾を凝らした硝子作りの剛剣と評するのが正しいか。

 瑞々しく澄んだ肢体と貌に凡常ならざる煌きを宿し、少女――マカベ・マフユは悠然と佇んでいた。

 もし落ちれば確実な絶命が待っている。重力に引かれるまま硬い路面へ叩き付けられ、全身の骨格諸共内蔵は破裂四散し、痛みに呻く間さえ得られず果てるは必至。

 にも関わらず、彼女は恐怖の色を微塵も覗かせていない。かような事に思考は向けず、胸を張って其処に立つ。見た目からは想像出来ない豪胆さの持ち主だ。

 それまで宵闇を映すばかりだった藍瞳が、不意に眼差しを下げる。前髪が風にさらわれなびく中、マフユは細首をも傾かせた。

 時計塔を最頂から見下ろし、遥か彼方に瞬く街都の灯を認め、柳眉を僅かに寄せる。


「こんな所に闇の精霊が?」


 形良い桜色の唇を震わせて、少女は息を吐くように呟いた。

 澄明な一声は流れ去る風に呑まれてすぐ消えたが、これへ応える者がある。


「間違いないわ。貴女だって感じるでしょう」


 マフユの傍らから返答が発せられた。甘ったるい調子の声音である。

 それと同時に少女の側方へ風が渦巻き、漆黒の闇中に突如として人の姿が浮かび上がった。

 無間の内より染み出すように現れたのは、金髪金瞳を有す長身痩躯の男が独り。

 マフユと比べて30cmも背が高い。年の頃は20代後半、黒を基調としたジャケット、ベスト、スラックスのスリーピーススーツを着込んでいる。光沢のある革靴を履き、妖しげ微笑をく美丈夫だ。


「アタシはさっきからビンビン感じてるの。濃ゆい霊子力が漂ってるわぁ。此処に同族が居るっていう、何よりの証拠よ」


 小指を口の端に当てて、甘い吐息を漏らす金髪の男。彼の名はチアキ。

 吊り上がった目尻と、高く通った鼻筋、凛々しい眉に、シミ一つない肌。顔の造作は非常に端整で、現役の男性モデルと言われても違和感がない。けれどその面貌には女物の化粧が施され、唇には艶の乗るルージュが綺麗に引かれている。

 塗布した香水の香りを豪放に撒き散らし、長身にしなを作るその姿。加えて用いるオネェ口調から、彼が如何様な種類の人物であるか判断するのは易いだろう。


「でも、この街は自然が少ない科学の都。そこに精霊が好んで居付くなんて思えない」

「あらあら、お堅いわねぇ。それを言うなら、アタシ達はどーなるのかしらぁ?」


 可笑しそうに口元を緩め、チアキは隣立つマフユを見る。

 彼の視線を受けた少女は、麗貌に憮然とした色を交えて反駁はんぱくした。


「それとこれとは違う。貴方は私が連れてきたんだから。誰が招いたわけでもない精霊が、機物中心の場所に留まるのは変だ」

「その考え方がナ・ン・セ・ン・ス。アタシ達みたいな精霊族はね、より心地良い場所を在所とするの。それが神秘の薄い物質主体な街だろうと、気に入る所であれば関係ないわ。マフユちゃんも精霊使いの端くれなら、それぐらい知っておかないとダメダメよぉ」


 コロコロと笑いながら、チアキはマユフの頬を指でつついた。

 薄紫の鮮やかなマニキュアが施された爪は、少女の肌を傷付けることなくプニプニと数度凹ませる。

 一方のマフユは耳元に吹きかかる甘ったるい囁きに眉根を寄せ、頬弄る相手の指を素早く払った。

 右手の甲でピアニストめいた長い指を弾き、不満そうに息を吐く。それは隣人に向けた嫌悪でなく、自身の無学に対する苛立ちの表れだった。


「私が未熟なのは事実よ。至らない所は今後学習していく」

「ウフフ、マフユちゃんは真面目ねぇ。そういう殊勝なトコが可愛いの。最近のガキはすぐ調子に乗るし、お馬鹿ポイントを指摘されると逆ギレだもの。イヤんなっちゃう。その点、貴女はホントーにイイ子よねぇ。だから気に入ってるのよ」


 まるで妹へ向ける姉のような面差しで、チアキはマフユへと笑いかけた。親愛の滲む金瞳と柔らかく開かれた唇は、自らの言葉が本心であることを肯定する。

 これを向けられた少女はとかく何を言うでもないが、相手の信義を疑いなく認め受け入れていた。

 趣味嗜好の奇抜さなど些事として、彼の存在そのものをあやまたず了承のうえ傍抱えるのは、常人ならざる度量の成せる業か。はたまた単に興味事以外を斟酌しんしゃくしない性格なだけか。

 どちらにせよ、二人の間に等しい信頼が結ばれている事は確かである。

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