第33話 親衛隊増員

 まだ院生である私達にルドルフを英語教室に通わせるお金は無かった。だから書店で買ってきたテキストや絵本を私や修二くんが読んであげたり、アメリカのアニメのDVDを見せたりしていた。ルドルフは私や修二くんがかまってくれるのが嬉しいらしく、特に文句は言わなかった。

 ただ、SHELの一般公開が近づきその準備で時間が厳しくなってきた。唯一救いに思えたのは、夏休みなので水曜日のバイトの演習がなくなったことだがそれは幻想だった。

「夏休み中も、来てくれないかな。まだ院試も終わりきってないしね」

 吉岡先生からそう電話で言われた私達は、今日も物理学校である。


 当然のことながら物理学校は私学である。国立と私立の違いの一つに、4年生までのいわゆる「学部」と「大学院」の定数の比率がある。国立の大学院は、基本的に4年生で大学院進学希望者が全員進学できるくらいの定数がある。実際には他大学からの志願者がいるので倍率は1倍を超え不合格者も出るとはいえ、基本的には希望者はなんとかなる。私学の場合、一部の上位大学を除いて院の定員はぐっと減る。理工系大学生の大学院進学率は上昇傾向であるので、私学の4年生は最初から他大学の大学院を狙うケースもある。


 私の場合はいい意味で母校の私立大学から追い出され、旧帝国大学の大学院に進学した。だから学歴としては旧帝国大学出身みたいになる。これを世に「学歴ロンダリング」というらしい。「ロンダリング」は言い過ぎにしても、たとえば大学受験で国立に不合格であっても、大学院進学時にもう一回チャンスがあるのはいいことだと思う。

 物理学校の場合、第一志望はもっと上の大学であった学生は明らかにいっぱいいる。その学生たちがもう一度大学院進学でチャレンジするのはとてもいいことだ。吉岡先生はそんな学生たちを応援すべくご自身の研究室を「予備校」と呼び、私達を助っ人として招聘しているのだろう。


 そのせいか吉岡研に顔を出したら知らない学生たちでいっぱいだった。大テーブルに広げられた過去問と思しき問題と格闘している。

「ああ、きてくれてありがとう。みんな、こちらが唐沢修二くんと、奥さんの杏さんだよ。修二くんは帝大を出て大学院から札幌国立大、奥さんは扶桑女子大からやっぱり札幌だ。今博士課程だけど、大学院大学に所属して東海村で勉強してる。だからふたりとも院試に関してはエキスパートだ。どんどん教わんなさい」


 少ししたら更に学生が増え、吉岡研では入り切らなくなった。

「先生、どうしましょう?」

「うん、教室を使う許可もらおう」

 先生は電話をかけ始めた。

「よし、教室取れた。204教室だ。飛田君、聖女様を案内してあげて。僕達はプリント類まとめてあとから行くから」


 夏休みの校舎は学生などほとんどおらず、がらんとしている。その空間に私達の足音が響く。扶桑で澤田先生とゼミをやり始めるとき、参加希望者がいっぱいで沢田研究室に入り切らなくなったことを思い出した。


 教室に入るとすぐに一人の学生が問題を持ってきた。その学生と話し合いながら黒板に問題を解いていく。解き終わって消そうとしたら別の学生から、

「今その問題解いてますから消さないでください」

と言われた。さらに2問解いたたところで黒板が足りなくなり、だれかが移動式のホワイトボードを持ってきた。


 あっという間に昼になった。私も一部の学生もエキサイトしていたが吉岡先生からストップがかかった。

「今日は1日中この教室つかう許可もらってるから、おちついて食事食べよう。みんな学食行こう!」

「あ、まだちょっと」

などと言っている学生に対しても吉岡先生は、

「まずちょっと落ち着こう、メシメシ!」

と強引に連れ出した。


 夏休み中だからいつもより大幅に利用者は少ない。扶桑の夏休みもそうだったが、白衣の学生、作業着の学生が多く、卒研とか院での研究に追いまくられているのが見て取れる。そんな状況であるのでキッチンから少し離れたところに行けば、かたまってみんなで座れる席は容易に確保できた。今日は暑いしパワーが欲しかったのでハンバーグカレーにした。

「お、気合入ってるね、聖女様」

 吉岡先生に言われた。

「はは、なんか頑張りたいときはハンバーグカレーにしちゃうんですよね」

「らしいね」

「らしい?」

「札幌でそうだったんでしょ?」

「そうですけどなんでご存知なんですか?」

「あ、SNS、知ってるでしょ」

 吉岡先生がスマホを見せてきたので拝見すると「聖女様親衛隊」である。先生もしっかりフォロワーになっていた。

「宮崎くんに教わってね」

 指導教官から伝わっていたのならしかたない。最新情報は今日で「聖女様は物理学校で指導中」になっていた。学生が何人かのぞきこみ、今日だけでフォロワーが20人増えた。


 午後には瑠夏ちゃん明里ちゃんも合流した。二人は吉岡先生に言われてバナナオーレと揚げ餅を大量に買い出してきた。もちろん夕方までしっかり勉強した。

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