2.『桜』は偽りの影に咲く

「はあ?」


 土下座する少女に、その場にいた人間すべてが目を丸くした。

 カナンとリンドウ、そしてなぜか捕まったままの子供も、突然現れてそんな行動をとった少女にただただ驚くしかなかった。


「お、弟って……あんたの? 本当かい?」


 さすがに包みを盗まれた当事者は、驚いているだけではいられなかったらしい。再び目を吊り上げた女性に、少女は再び深々と頭を下げる。


「申し訳ありませんでした! 私の目が行き届かなかったばかりに……お怒りはごもっともです。ご迷惑をおかけした償いになるかどうかはわかりませんが、どうぞ……」


 少女は軽やかに立ち上がると、怒りが収まらない様子の女性の手を無理やり取り、懇願するように頭を垂れた。


「やめとくれよ! そんなこと言って許されるとでも……!」


 女性が少女の手を振り払う。その瞬間、カナンは確かに見た。少女が女性の手のひらに何かを握りこませたのを。わずかだが金色の輝きを放つ、それは――。


「え……?」


 女性は自分の手を見てぎょっとした顔になる。怒りよりも驚愕が勝った瞬間を逃さず、少女はダメ押しとばかりに目元を潤ませ、切なげな声で訴えた。


「どうぞ、お怒りが収まるかどうかわかりませんが、これが私にできる最大の謝罪でございます。どうか、どうか……!」

「わ、わかったよ。そこまで言うんなら……ちゃんとその子にも言い聞かせておくれよ!」


 渡されたものを懐に収めながらも、女性はひどくうろたえた様子でその場を去ろうとする。リンドウが無言で布包みを差し出すと、女性は目礼もそこそこに走り去ってしまった。


「……さて、と。悪い子にはお仕置きをしないといけませんね。申し訳ありませんが旅の方、その子を連れて一緒に来ていただけませんか? おわびもしたいことですし」


 周囲の人々が興味を失って離れていくのを見計らい、少女がこちらに向かって手招きする。


 花が咲いたような笑顔には裏などなさそうだが、さすがに先ほどのやり取りを見るに、見た通りのお嬢さんではなさそうだった。それに……心なしか青ざめている子供を見下ろし、カナンは小さく首を横に振る。


「いや、それには及ばない。俺たちもただ通りかかっただけだしな。気遣いは無用だ」

「そうおっしゃらず。ここで帰らせてしまったら「ラン国」の民の名折れです。……きっと、大変な思いでここまで来られたのでしょう? せめて、少しでも旅の疲れを我が家で癒していってくださいな」


 少女は変わらずにこやかだったが、カナンは違和感をぬぐうことができなかった。少女の態度と弟だという子供の様子、そのちぐはぐさだけでも十分おかしさを感じるのに、やたら素性もわからぬ自分たちに構おうとすることも、何か――。


「……カナンさま。ねぇ、絶対これ、裏がありますよね」


 リンドウのささやきに、カナンは無言でうなずいた。ただの美人局かもしれないが、あまり関わり合いになりたくはない。


「そう言ってもらえることはありがたいが、先を急ぐ身。俺たちはこれにて」


 子供を少女の方に押しやり、カナンたちはその場を後にしようとした。だが、結果を言えばそれは失敗に終わった。


「――「ソウ国」のカナン」


 少女の低いつぶやきが、カナンの足を止めさせる。花弁がはらはらと舞い、緩やかに振り返った先で、少女の髪に揺れる『蘭』の飾りが不可思議な光を放つ。


「……。来ていただけますか? 私の『主』から、とても大切お話があるんです」

「……お前は……何者だ? なぜこんな回りくどい方法をとる」

「来ていただければわかります。それに、こんな往来で立ち話するような内容ではございませんでしょう?」


 少女の顔には変わらず笑顔が浮かんでいる。それを少なからず恐ろしいと思ってしまうのは、少女の自身の得体の知れなさと、背後にいるはずの何者かの意図がまったく不明だからだろう。


 だが、確かにこんな街中で話すような内容ではない。先ほどまでののんびりとした様子に戻りつつある通りを眺めて、カナンはゆっくりと額を押さえた。


「俺に選択の余地はあるのか?」

「もちろんありますよ? まあ、もしここで断られたら、少なからず後悔されるかもしれませんが……」


 少女は穏やかに笑って、子供の肩に手を置いた。子供の顔色はいまや、青を通り越して紫になりつつある。尋常ではない様子に顔をしかめ、カナンはそばにたたずむリンドウを見た。


「どうする」

「お心のままに。まあ、どうせだから火の中に飛び込んでみるのも一興かもしれませんね」


 リンドウは気のない様子で返して、花弁を手の中で回す、役に立たない助言に辟易しつつも、どうやら真の意味で選択肢はないと気づかされる。


「……いいだろう。どこへなりとも連れていけ」

「ありがとうございます! では、善は急げです。私たちの『家』へご案内いたしますね!」

「待て」


 カナンは改めて注意深く少女を観察する。整った風貌、乱れのない着衣、美しい所作……どう考えても、火の中に飛び込む程度で済むとは思えないが。


「客人をもてなすのに、名乗りもしないつもりか? せめてお前の名を教えてくれ」

「ああ、申し訳ありせん! 私の名前は……ええと、『サクラ』です!」


 『サクラ』――咲き乱れる花と同じ名の少女は、華やかな笑みを浮かべて一礼した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る