【短編】夜半だけの君と僕
十色
前編
最近の僕は、夜になると決まってこの公園に来るようになった。今の時刻は大体二十三時。一人の高校生が出歩いていい時間帯とは言えない。
でも、来るしかないんだ。いや、正確には『逃げ出すしかない』と言うべきなのか。一体何から逃げ出したのかと問われれば、『両親の喧嘩を見たくない』と答えざるを得ない。不仲なんだ、僕の父と母は。だから逃げ出す。お互いにお互いを罵倒し合う両親の姿なんて、目を逸らしたくもなるさ。悲し過ぎて、醜すぎる。
「ほんと、そんなに喧嘩ばかりするなら離婚でもすればいいのに」
ベンチに腰掛けながら、そう、一人ごちる。溜息を混じらせながら。でも幸いなことに、今は真夏だ。この時間帯でも寒さに震えることもない。むしろ、少し涼しくて気持ちがいい。
どうして僕がここを逃げ場にしているのかと言うと、静かなのだ。そこそこ大きな公園にも関わらず、僕以外に誰もいないから。夜だからではない。昼間に来た時も、誰もいなかった。
皆んなから忘れ去られた、寂れた悲しき公園。
だけれど、今日は違った。
一人の少女が突然、僕に話しかけてきたのである。少しだけ驚いた。何故ならば、声をかけられるまでその少女の気配に全く気付かなかったのだから。
「あのー、こんな時間に何してるんですか?」
その少女はいきなりそう言ってきたわけだけれど、しかし、それは僕が言うべきセリフだと思った。その理由は明々白々。彼女は学校の制服を着ていたからだ。つまりは高校生。もしくは中学生。どちらにせよ、女子である。こんな時間に、人気のない公園に一人で来るなんて、危険以外の何物でもない。
「何してるって、分かるだろ? 単なる時間潰しだよ。それ以外に、こんな寂れた公園に来る意味なんてないじゃん」
「あー、時間潰しでしたか。私と同じですね」
納得したかのように、その少女は腕組みをしながらうんうんと頷いてみせた。いやいや、ちょっと待て、少女よ。理由は同じなのかもしれないが、しかし、危ないって。話しかけた相手が僕のようなジェントルマンだったから良かったものの、もし危ない奴だったらどうするつもりだったんだ。
「あの、隣に座らせてもらっていいですか?」
「別にいいけど。でも、早く帰った方がいいと思うけど。ご両親が心配するだろうし、それにお巡りさんに見られたりしたら補導されかねないぞ?」
「大丈夫です。私の両親って基本的に放任主義なので。お巡りさんに見つかったら、全力ダッシュで逃げるからご心配なくです」
言って、ニコリと笑った少女だけれど、全力ダッシュで逃げるって……。お巡りさんが自転車かバイクに乗っていたらすぐに追いつかれるに決まってるじゃん。しかもニコニコしながら僕の隣にちょこんと座ってるし。警戒心ゼロかよ。
それにしても――
「な、なんですか!? 私の全身をなめるように見て! もしかして、アナタって変態さんですか!? だったらどんと来いです!」
「どんと来いってなんだよ……胸を張って言うことかよ」
「こ、今度は胸を見てるんですか!? あ! そっか! これが視姦ってやつなんですね。それもどんと来いです!」
「だからどんと来いとか言うな! あと視姦とか言うんじゃない! それに僕は変態なんかじゃないからな! それに胸を見てるとか言ってるけど、お前、胸なんかないじゃん!」
「胸がないとか勝手に決めないでください! ちょっと家に置いてきただけです!」
「お前の胸は脱着式かよ!」
なめるように見ていたということは否定しない。実際にそうしていたからだ。だけれど、見ていたのはこの少女の体ではない。彼女が身に纏っている制服だ。
その制服はこれまで見たことがなかった。制服に縫い付けられているワッペンには『藤崎第五中学校』と記されていたけれど、その中学校を僕は知らない。聞いたことがない。つまり、この辺りの学校ではないということだ。
しかし、余計に心配になる。中学生がこんな時間に外出するだなんて。普通ならあり得ないことだ。不良ならともかく。しかし見た限りでは、別に不良でもなく非行に走っているわけでもなさそうだし。
「ねえねえ、アナタの名前を訊いてもいいですか? ていうか教えて!」
そう言いながら、彼女は僕の袖口を引っ張った。なんか急に馴れ馴れしくなってるんですけど……。まあいいか。年下の中学生に腹を立てても仕方がない。だが、社会のなんたるかは教えておくことにしよう。
「そういうものはな、まずは自分の名前を名乗ってからにしろ。それが常識であり、礼儀ってもんだろうが」
「ああ、確かにそうですね。うっかりしてました。私の名前は
僕は項垂れて「はあー」と溜息をつく。はいどうぞってなんなんだよコイツ。さっきは警戒心ゼロと言ったけれど、撤回しよう。この南沢霞という女子中学生の警戒心はゼロを振り切っている。ゼロではなくマイナスだ。
「あー、分かった分かった。教えるよ。僕の名前は源五郎丸。
僕がそう名乗ると、南沢霞は目をパチクリとさせた。
「え? 妖怪ですか?」
「なんでそうなるんだよ! 確かに珍しい苗字だけど、僕は妖怪じゃない! れっきとした人間だ!」
薄々感じていたけれど、ハッキリした。断言しよう。
この南沢霞という中学生。コイツ、絶対におバカだ。
「うーん……なんだか面倒くさい名前ですね。改名してください」
「人の名前を面倒くさいとか言うなよな。というか南沢だっけ、お前中学生だろ? 僕は高校生なんだから少しは敬えよ」
「はあ。分かりました。源五郎丸様」
「……いや、それはイキすぎだ。『様』はやめてくれ」
「源五郎丸殿?」
「それも違う」
「じゃあなんて呼べばいいんですか! ワガママもいい加減にしてください!」
「逆ギレするなよ! いいよ、分かった。普通に源五郎丸さんでいいよ」
「分かりました! バカな源五郎丸!」
瞬間、僕の体は勝手に動き、気付けば南沢にチョークスリーパーを決めてしまっていた。
「どうして『バカ』を付けた! それになんで呼び捨てなんだよ! というかだな、南沢。バカはお前の方だ!!」
「ぎ、ギブギブ! 痛い痛い! それに、く、苦しい……」
何度も肩をタップしてきたので、さすがの僕もその手を解いた。うん、ちょっと大人気なかった。年下相手だというのに。
「はあ……はあ……し、死ぬかと思いました。でも、私のことをバカ呼ばわりするなんて失礼ですよ。これでも私、学校ではいつもテストは一番なんですから」
「い、一番!? お前が!?」
「はい! いつも一番です! 下から数えて!」
と言って、南沢はない胸を堂々と張ってみせた。一番下からって、それってビリじゃん……。舐めていた。コイツ、本当のおバカだ。
「何を考えてるんですか? 下から数えてもなんでも、一番は一番なんです。成績は廊下の壁に紙で張り出されるんですけど、引っくり返せばトップになるんですから」
「分かった分かった。もういいよ……」
「ところで源五郎丸様!」
「振り出しに戻ってるし!」
もう嫌だ! 帰る! すぐにでも帰る! このままだと、僕の精神力がゴリゴリ削られていく!
と、思っていたのだけれど。
「え!? え!? な、何してるの!?」
素早く僕の後ろに回った南沢は、なんのためらいもなく羽交い締めにしてきた。そして耳元でこう囁いた。
「今夜は寝かせませんよ?」
「どこのカップルの会話だよ! 中学生が口にするセリフじゃないっていうの! 帰る! 僕は帰るぞ!」
「無理です。覚悟を決めてください」
「なんの覚悟だよ! あと、どさくさに紛れて僕の色んなところをまさぐるな! セクハラだぞ! もう嫌だぁーー!! 誰か助けてくれーー!!」
――これが僕と南沢霞の、初めての出会いだった。
もうめちゃくちゃだよ!!
* * *
もう二度とあの公園には行かないようにしようと心に決めていた。あの南沢霞の相手をするのはさすがに疲れる。そう、決めていたはずなんだ。だけれど僕は、今でもほぼ毎日のようにあの公園に通っている。数週間も。そして南沢霞の相手をする。それがすっかり僕のルーティーンになっていた。
でも、どうしても不思議で仕方がなかった。まるで、何かに引っ張られているような気がするのだ。引き寄せられているような気がするのだ。あの公園に。
そして今夜も、その公園に僕はいる。
南沢霞と共に。いつものベンチに腰掛けて。
「ねえ、源五郎丸さん」
南沢はやっと僕のことを『さん』付けで呼んでくれるようになった。『さんを付けろよデコ助野郎!』と一喝してから。
「なんだよ南沢?」
「いきなりですけど、恋バナしませんか?」
「は? 恋バナ?」
南沢にしてはまともな話題を振ってきたな、とは思った。
当然と言えば当然なことだった。詳しく話を聞いてみたら、南沢霞は中学二年生だという。恋について語りたいお年頃といったところだろう。
「そうです、恋バナです。私って、その……恋というものをしたことがなくて。どういうものなのかなあって。それで人生の先輩であるゲンゴちゃんに教えてもらおうと思いまして」
「そうかそうか。でもな、南沢。今、ゲンゴちゃんって言わなかったか? ちゃんと源五郎丸って呼んでくれよ」
「えー、可愛いじゃないですかゲンゴちゃん。虫みたいで」
「人を虫と同列にして呼ぼうとするな! 確かにゲンゴロウという虫はいるけどな。でも、ちゃんと人間として僕を扱え!」
「それは困りましたね……」
「どこに困るような理由がある! でも、恋バナねえ……」
「ん? どうしたんですか、ゲンゴちゃん? なんか悩んでません?」
彼女の中ではすでに『ゲンゴちゃん』が定着してしまったようだ。でもな、僕は絶対にその呼び方を認めないからな!
まあ、それはとりあえず置いておこう。それよりも、恋についてだ。正直、困った。僕はこれまで、片想いはしたことはあるけれど、女子と交際をしたことがないからだ。僕には語れる恋バナなんて持ち合わせてはいない。
かといって、コイツにそれを話したりしたら、絶対にバカにしてくるに違いない。仕方がないから、ちょっと誤魔化しながら話すことにしよう。
「えーとな、恋とはな……」
「はい、恋とは?」
「恋とはな……えーと、こ、恋してるってことだ!」
駄目だ、無理。よくよく考えてみたら、僕は嘘をつくのが苦手だった。南沢もぽかーんとしながら僕を見てるし。
「なるほど、そういうことですか」
「え!? 今ので納得できちゃったの!?」
「いえ? ゲンゴちゃんが、これまで恋だったり恋人がいたことがないということが分かったということです」
ああ……穴があったら入りたい。恥ずかしすぎる。
「ねえ、ゲンゴちゃん? ゲンゴちゃんって十七才ですよね? 一体、今までどうやって生きてきたんですか? 恋のひとつも経験したことがないとか、ぶっちゃけあり得ないんですけど」
「も、もう、これ以上いじめないでください、南沢さん……」
「でもそっか。じゃあ、私の今の状況を話しても意味ないですね」
「今の、状況……?」
「そうです。あ、でも状況というか、心境かな? どうも最近、ある人に会うたびにドキドキしたり、嬉しくなったり、楽しいって感じたり、ずっと一緒にいたいなって気持ちになったりするんです。これが恋ってものなのかなと思ったんですけど」
恋を経験したことがない僕でも分かる。南沢が抱いているそれは、きっと恋というものに違いない。だって、片想いとはいえ、僕は誰かを好きになったりした時は、南沢と同じような気持ちになるのだから。
僕はそれを伝えても良かったのかもしれない。だけど、やめておいた。不思議と、今はそれを伝えるべきではないと感じたから。
「じゃあ、ちょっと考えます。それが『条件』らしいので」
「条件? 何の?」
「あ、いえ。ゲンゴちゃんは知らないでいいですよ、今は。とりあえず、今日は私、もう帰ることにしますね」
「え? でも南沢? まだ二十四時にもなってないぞ? いつもはもっと遅くまでここで話したりしてたじゃん」
「そうですね、そうなんですけど……ちょっとしっかり考えたくて。いえ、ちょっと違うのかな。しっかり整理をしたくて。私が抱いているこの感情について」
言って、南沢はベンチから腰を上げ、僕に背を向けて帰ろうと歩き出した。月夜に照らされ、姿をおぼろげにしながら。
が、僕は幻覚でも見たのだろうか。
公園を出た直後、南沢の姿がふっと消えたのだ。
まるで蜃気楼のように、ふっと。
* * *
自宅に帰った僕は、自室でパソコンを起動させた。そして検索サイトで『藤崎第五中学校』と打ち込んで調べてみる。ちょっとだけ、背筋に寒気が走った。
藤崎第五中学校は、僕が卒業した中学校なのだった。
【後編に続く】
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