やっぱり最初は〇〇かな
桐生空、17歳。僕と同じクラスの男子生徒で、カースト上位。クラスの中心的人物。
だけど陽キャという程騒がしい訳じゃ無いし、何かを率先してやるようなタイプでもない。ただ女子受けするくらいには顔が良くて、勉強も運動も軽くこなして見せるいわゆる秀才とか天才タイプ。そんな自分を鼻にかけるような性格でもなくて、レディファーストで、クラスで騒いでる男に見慣れていると別の生き物なんじゃない?って錯覚しそうになる、そんな人。
その人と何故か今向かい合っていて、僕は静かに混乱していた。
僕は基本的に放課後学校に残るようにしている。特別部活に入っている訳でも委員会の活動がある訳でもない。ただ家に早く帰りたくないという理由だけで図書室で勉強したり教室でのんびり過ごしている。
だけど桐生は違う。こいつは常にありとあらゆる場所に引っ張りだこだし、意味もなく放課後残るような事はない。間違いなくこの学校でも上位に食い込むハイスペック男がどうしてここにいるのか意味がわからないまま混乱していると桐生は僕を見て軽く首を傾げた。
「あの子の事好きだったの?」
「え、あ、ちが」
一年から同じクラスだった桐生と会話をするなんてこれが初めてだった。
イケメンは声帯まで格好いいのかと僻んでしまいたくなるくらい桐生の声は、なんというかいい声で。でも僕はというとまさか桐生と会話をする事になるなんて全く想定してなくて、咄嗟に出た声は眉を顰めてしまうくらい細くてみっともなかった。
「じゃあもしかして男の方?」
心臓が嫌な音を立てた。
「違うから‼︎」
脊髄反射みたいな速度で怒鳴ってしまって、今度は桐生が驚いていた。
心臓が壊れたみたいにバクバクと脈打っている、きっと今の言葉はただのジョークだ、わかってる。ジョークに決まってる。こんな反応をした方が怪しまれる。どうしよう間違えた、どうしよう、どうしよう、今ので僕が普通じゃないってバレたら。
乱れそうになる呼吸を必死に堪えながらもう桐生の方を向いていられなくて目線を机に下ろす。どうか僕が俯いている間に興味を無くして出ていってくれ、そう願ったのに神様はどうにも僕に冷たい。
桐生が歩き出す。
席の前で足が止まるのがわかって背中に嫌な汗が流れた。
そのまま桐生は僕の肩に両手を置いた。
ああ、終わった。僕は漠然とそう思った。
きっと僕はこれから桐生によってゲイであることを追求されて穏やかだった学校生活が崩壊していくのだ。でも不登校になったら親にまでバレてしまうから学校に来ないという選択肢は無いし、誰かに相談するなんて事もできない。
終わった、もう一度、今度は確証を持って胸中で呟いた。
「…じゃあ、女の子になりたいってこと…⁉︎」
──…。
「は? ひぃっ」
理解不能な言葉に思わず顔を上げた先に見えたのは桐生のご尊顔、の筈だった。
思いの外近い距離にあった桐生の顔は整っている。肌も綺麗だし少し眺めの茶髪がさらりと揺れて心なしかいい匂いもする。鼻だってすっと高いし唇の形だって良くてとりあえず全てにおいて完成されたパーツなのに、頬は何故だか赤らんでいるし鼻息もちょっと荒い。極め付けは目が見開かれていて若干血走っている。
異様と言っていい表情に、僕は素直にビビっていた。
「ああなりたいって事はさ、斉藤は女子の、女の子の格好に興味があるって事だよね…⁉︎」
正直何を言っているのかさっぱりわからない。
わからないけれど桐生が真剣かつ高揚している事はわかる。掴まれた肩が地味に痛い。
「マジか、マジか、まさかこんなところに理解者がいるなんて」
多分きっと僕は絶対に理解者じゃない。
でもここで「いえ違います」なんて言える程僕は肝が座っている訳でもなければこの状況を打開する事が出来る策が練れる程優秀でもない。
だけど今ここで「はいそうです」と言ってしまえばそれはまた大変な事になる。僕みたいな陰キャに女装願望があるなんて事故もいいところだ。一生消えない傷になる。ただでさえゲイであるという負い目があるのにその上女装趣味はちょっともう背負えない。
「…え、もしかして、違う…?」
どうしたものかと悩んでいた僕の両肩を掴んでいる指から少し力が抜けた。
はっとして意識を桐生に戻し、表情を見た途端僕は無意識にこう言っていた。
「違わないっ」
あれ、と思考と行動の乖離に違和感を覚えているのに口は勝手に動く。
「じ、実は興味があって、でも、ほら、僕はこんな見た目だし、そういうの認めるのも、ほら、なんか怖いし、だから、その」
桐生の綺麗な目が僕をじっと見ている。この言葉に嘘がないのか、それが本心なのか探ろうとするような、そんな目だと思った。その視線の強さに僕は早々に白旗を上げて頑張って発していた声は徐々に小さくなって最後はもうほとんど聞こえなくなっていた。
ああどうしよう、こんな時、ちゃんと普通の人だったらどう返すんだろう。
どうしたらいいんだろう。
答えの無い問いが脳を占拠しかけたその時、肩から離れた手が僕の両手を握った。
恐る恐る顔を上げてみると、そこにいたのはさっきみたいに目を血走らせた桐生ではなくて、ちゃんとイケメンの桐生だった。というかそれよりも手を握られている状況がやばい。手汗がとんでもない勢いで分泌されてしまう気がする。引いていた汗も再び背中を流れたし、心臓だってバクバクと脈打っているまま、顔だって熱くなっている気がする。
「あの、その」
「じゃあ俺の家行こうか」
「なんて?」
顔の熱も瞬時に引っ込んだ。
「俺の家、行こう。ブツは揃ってるからさ」
言うが早いか桐生はそのまま僕の手を引いて立ち上がらせた。
突然の事すぎて全く理解が出来ていない僕を置いて桐生は二人分の荷物を持って教室のドアから出て行こうとする。桐生は僕よりも頭ひとつ分は背が高い。それは桐生の背が高いという事もあるが単純に僕の背が低いからというのもある。
そして僕は運動が苦手な陰キャで、桐生はどの部活にも属していないけれどどの部活からも助っ人を頼まれるくらいの運動神経の持ち主だ。
つまり筋肉量も驚くくらい負けている。
「ちょ、ちょっと待って桐生…!」
「待たないよ、時間は有限だし、俺今すごいわくわくしてる。斉藤は傘とか持って来てる?」
普通に手を握られていたはずなのに今はもう桐生の手が僕の右手首を掴んでいる。絶対に逃さないという強い意志を感じる力加減と有無を言わせない言葉の強さに僕は魚みたいに口をパクパクさせていた。
悔しいくらいのコンパスの差があって僕は駆け足気味なのに桐生は優雅に歩いている。ゴリラも顔負けな力で僕の手首を掴みながら。
ああクソ。
今が放課後で、そして雨が振ってくれていて良かった。
そのおかげで校舎にも外にもほとんど人が居ないからこんな姿を見られずに済む。
足の速さに息が上がる。やっぱり桐生は問答無用で僕を引っ張って行って、傘を持っていない僕を同じ場所に入れてくれた。
でもさっき窓から見たカップルみたいに足取りは全然ゆっくりじゃなくて、ここでも桐生のペースに合わせないといけないから足元はすぐにぐちゃぐちゃになった。だけどさすがに息を切らすとわかってくれたのかペースが遅くなって「ごめん」そう呟かれたけどその頃の僕はもうただ頷くことしか出来なかった。
傘に弾ける雨の音を聞きながら肩の触れる距離で一緒の道を歩く。
会話は当然のように無かったけど、今でも飲み込めていないこの状況が実は少し嬉しかったりした。
「やっぱり最初はセーラーかな」
前言撤回。全然嬉しくない。
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