第10話 風音ちゃんとなら

「じゃあ、一人入ってくれる子が見つかったのね。よかったわ」

「ありがとうございます」

「私にできることがあったら、なんでも言ってね」


 私の話を聞いて、斎藤さいとう先生は穏やかに微笑んだ。

 三十代半ばの国語教師で、元演劇部の顧問だ。そしてありがたいことに、今もこうして私のことを気にかけてくれている。


 それに、また顧問もやるって言ってくれたし。


 先生は元々演劇が好きだったわけでも経験者だったわけでもない。押し付けられるように顧問になっただけだ。

 なのに今だって、私の演劇部再興を応援してくれている。


「それで、本当に堂嶋さんのことはまだ誘わないの?」

「……はい。ちゃんと演劇部が成立してから、玲央のことを誘いたくて」

「その気持ちも分かるけど……」


 先生は一瞬だけ私から目を逸らした。少しだけ間をおいて、続きを話し始める。


「演劇部がどういう流れでなくなったかは聞いた?」

「……なんとなく、ですけど。直接誰かに聞いてはいないので」

「だんだんみんなが部室にこなくなったの。その後ほとんどの子が退部届を出したんだけど、堂嶋さんからはもらってないのよ」


 丁寧に言葉を選んでくれているのが分かる。私を気遣ってくれているのだろうし、誰かを悪く言うこともない。


「葛城さんが気にすると思って言ってなかったけど、堂嶋さんはずっと葛城さんを待ってたわ。せめて、話だけでもしてあげたら? 最近の堂嶋さん、ずっと元気がないの」


 斎藤先生は今、玲央のクラスの担任を務めている。私よりもよっぽど、最近の玲央を知っているだろう。


「それに堂嶋さん、毎日のように私に葛城さんのことを聞くのよ」

「え?」

「あの子が素直じゃないのは、葛城さんもよく分かってるでしょう?」

「……それは、まあ」


 曖昧に頷くと、お節介でごめんね、と言って先生が立ち上がった。

 もうすぐ昼休みは終わる。私と先生の雑談タイムも終了だ。





 失礼しました、と頭を下げてから職員室を出る。教室に話し相手がいない私を気にして、先生がわざわざ呼んでくれたのだ。


 不登校になる前は普通に友達がいた。だけど主に仲良くしていたのは演劇部の子たちだから、今はほとんど話し相手がいない。


 別に、これはこれで楽だけど。


 今からでも頑張れば、きっとどこかのグループには入れてもらえる。私ならそれくらいはできると思う。

 だけど無理をする気にはなれない。


 勧誘の準備もあるし、勉強だってしなきゃいけないし。

 そういえば次の授業、英単語の小テストがあるんだっけ。あんまり確認できてないかも。


「……急ご」


 少し走ろうか、なんて考えたところで、あの、と後ろから声をかけられた。そこには予想外の人物が立っていて、ちょっとだけびっくりする。


「えーっと……風音ちゃんの、お友達?」


 短いボブヘアと幼い顔立ちが印象的な子だ。今朝も風音ちゃんと一緒にいたし、ハンカチは借りたままだ。

 だけどまだ、この子の名前は知らない。


「はい。賀来かく彩です」

「彩ちゃん。朝はありがとうね、ハンカチ貸してくれて。ちゃんと洗って返すから」

「別にそれはどっちでもいいです。それより先輩に聞きたいことがあって」

「……私に? もしかして、演劇部のこと!?」


 彩ちゃんは風音ちゃんと仲がいい。もしかしたら、一緒に演劇部に入ることを考えてくれているのかもしれない。


「演劇部のことっていうか……風音のことです」

「風音ちゃんの?」

「なんで、風音のこと誘ったんですか? 風音が押しに弱そうだったからですか?」


 見た目に反し、彩ちゃんは睨むような目で私を見つめた。まるで警戒心の強い猫みたいだ。

 友達を都合がいい相手だと思って利用するつもりなら許さない、とでも言いたいのかもしれない。


「……正直、最初はそうだったよ」


 真面目に話を聞いてくれる子なんて全くいない中、風音ちゃんはちゃんと私の話を聞いてくれたから。


「でも今は、風音ちゃんと一緒に頑張りたいって思ってる」


 今朝、風音ちゃんは勇気を振り絞って私を助けてくれた。

 そんな風音ちゃんを見て、私も頑張ろうって、改めて思えた。


「風音ちゃんとなら私、もっと頑張れる気がして」


 そうですか、と頷いた彩ちゃんの表情は暗い。どうしたの、と私が問うよりも先に、彩ちゃんは走り去ってしまった。

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