第17話 二十二年の間

 どうしてこうなった。


 戦場で膝をつき、上体と顎を反らしながら腕を天に掲げる。有名な映画のポーズ。

 いまの俺の心境を表現するとそんな感じだ。


 夜のファミレス。

 夕食時だけあって、店内はごった返している。親から離れて走り回る子供たちの嬌声が響く中、若干お通夜めいた空気を醸し出す一角。その四人がけのテーブル席に俺は座っている。

 対面にはショートの髪を後ろに流した同い年の女性。いや、ほんとに俺と同年代か? と疑いたくなるくらい容姿は若い。服装はくたびれ気味のパーカーにワイドパンツ。上下合わせても二千円もしない安物。だがゆるくまとめたシルエットが妙にこなれて見え、値段以上の雰囲気を漂わせていた。

 こいつは思春期からぐんとスタイルが良かったため、何を着ても似合うのだ。俺の母親が羨ましがっていたな。


 長沢四葉。


 幼馴染で元カノ。

 息子の彼女の母親。

 二十年以上疎遠だった彼女とこうして同じテーブルについているわけだが。


 はっきり言おう。

 気まずい。


 混んでいたため、六花の提案で俺たちは相席することになった。

 俺たちが入店した頃には六花と四葉はすでに食事を終えていて、テーブルの上には片づけ待ちの皿が並んでいる。


「じゃ、私たちでドリンク取ってくるので。行こ、良吾くん」


 と軽い調子でそう言い残し、六花は良吾を連れてドリンクバーへ向かった。親子の立場が逆転し、俺は一瞬すがるような目で良吾を見た。良吾は俺に見向きもせず言われるがまま六花の後についていきやがった。あいつほんとに尻に敷かれてるんじゃないか。

 残された俺は四葉と二人きり──という、あまりにも居心地の悪い状況。


 目の前に座る彼女は、テーブル上の空いた皿に目を落としていた。わざと視線を外しているのがわかる。こちらに話しかけるそぶりも一向に見せない。俺も何も言わずに水の入ったグラスをいじる。


 耳に入ってくるのは周囲の談笑と食器の触れ合う音と店内BGM。この場だけ違う重力が働いているみたいだ。


 これ以上黙っているのも不自然すぎるし、耐えられない。俺はグラスを置き、低い声で口を開いた。


「……さっきは悪かった」


 四葉が顔を上げる。話しかけられるとは微塵も思っていなかったようだ。


「え?」


「初めまして、とか……その、つい口から出ちまった。条件反射みたいなもんだ」


 彼女は一瞬だけ目を丸くして、それから小さく首を振り、


「ううん、謝らなくていい。あれでよかったのよ」


「よかった?」


「あの子たちに、私たちのことを知られなくてすむじゃない」


 彼女の口調は落ち着いていたが、ほんのわずかに視線が揺れたのを俺は見逃さなかった。


「よかった、てそんな言い方……」


「だったら、慎二は言える? 昔この人と付き合ってました、って」


 返す言葉を失う。確かに言えない。そうしたら最悪別れた顛末まで話すことになりかねない。俺だって息子にそんなことは……。


 四葉はゆっくりと背もたれに寄りかかった。


「お互い平穏にやってきたんでしょ。余計な波風なんて立てないほうがいいよ」


 そう言われて、少し考えた。

 二十年前のことなんて、とうに過去になったはずだ。けれど目の前にいる彼女は、あの頃の面影を残しながら、俺の知らない時間を生きてきた。今さら何をどう説明できるというのか。


「つまり、このまま初対面ってことで通すわけか」


「うん、そうしたい」


 彼女は、まるで打ち合わせ済みの台本を読むようにあっさりと言った。


「いいのか?」


「うん」


 その声に迷いはない。俺は短く息を吐いた。


「……わかった。そうしよう」


「ありがと」


 彼女はふっと笑った。笑顔に見えるが、その奥に少しだけ安堵の色が混じっているのがわかる。

 その顔を見て、胸が少しだけ痛んだ。自分を守るための嘘なのか、それとも俺のための方便なのか、判断がつかない。


 間が空き、俺はつい口をついて出してしまった。


「……元気だったか?」


 自分で言っておきながら、なんで今そんなことを聞くのかと内心で驚く。

 四葉も急に振られたせいか、きょとんとした表情を浮かべた。


「その、なんだ……久しぶりだろ、顔見るの」


 卒業式に顔を見かけたものの、何も言うこともなく離れた。その後は上京し美大に受かり子供が生まれたことしか俺は聞いていない。それだってずいぶん昔の話だ。もう思い出すことはないはずだったのに。


「え、ええ。そうね。二十年、くらい」


「正確には二十二年ぶりだな」


 軽く茶化すと、四葉は下唇を少し噛んだ。なんだ?


「……そっか。そうだよね。になるよね」


 短く答えた彼女の声には、笑いとも溜息ともつかない響きが混じっていた。

 それ以上は続けられず、また沈黙が落ちる。


 店内には人気バンドの曲が流れている。曲名は『悲しいことなんてない』。やはりこのボーカルは表現力と感情の引きつけ方が半端ない。歌声を通して曲の感情を表現し、聴き手の心に響いてくる。ただ音の軽さはいただけない。俺は重い方が好みだがスリーピースのガールズバンドに求めるのは厳しいか。


「びっくりしちゃった……」


 再びの沈黙を破ったのは四葉のほうだった。


「まさか六花が慎二の息子さんと、知り合いだったなんて」


 知り合いというか付き合っているんだがな。


「良吾のやつ、家に上がったんだろ」


「玄関で挨拶してくれてね。ただ、私その時良吾くんの顔見て慌てて家出ちゃったの」


 やっぱりあいつ四葉に会っていたのか。外れてほしい懸念ほど当たりやがる。


「慎二は? 六花とは顔見知りっぽいけど、どこで会ったの?」


「昨日だよ。俺の家に良吾が連れてきてな」


「そう……」


 この様子だと娘からは何も聞かされていないらしい。


「知らないのか、うちの良吾と六花さんが付き合ってるの」


「えッ!?」


 四葉は信じ難いものを見る目になった。ああ、気持ちはわかるよ。俺がお前の立場ならそんな反応にもなる。

 そのまま取り乱すかもと身構えたが四葉は徐々に落ちついていった。


「……六花、良吾くんとお付き合いを」


 平常心になったというより気力が減ったみたいだ。まるで空気の抜けた風船のように。


「親子だからかもな。自然と好みが似ることだってあるだろ」


 俺は目を逸らしつつ言った。窓からはあのボロいアパートが見える。いくつか部屋には明かりがついていた。ちゃんと人住んでんだな、あそこ。まぁ苦学生にはちょうどいい物件か。

 のうのうとしていたら、


「昔の、私たちみたい、だったね」


 少しぐずついた声が聞こえてきた。視線を戻すと、片手で顔を覆うように四葉は二度三度涙を拭っている。

 玄関で並んだ二人を見た時、確かにアルバムに収められている俺たちのツーショットが頭をよぎった。あのアルバムは実家の奥に仕舞われたままだろう。もう誰の目に触れられることもない記録だ。

 俺は無言でハンカチをテーブルの上に置いた。手が離れてから、四葉はハンカチにそっと手を伸ばした。


「ごめん……」


 謝るなよ、と心の中で呟く。


「洗ったら返すから。六花に良吾くんへ渡しておくように言っておく」


 使ったハンカチを折りたたみ、はぁ、と四葉は息をついた。


「もう会うのはやめよう、てあの日、私が言ったんだものね」


「そうだな……」


 同意した途端、二十年以上前のあの日の空気が、ふとテーブルの上に蘇った気がした。

 だが今は、あの頃とはまるで状況が違う。

 子供同士が付き合っているのなら、また顔を合わせる機会もあるだろう。

 最も学生の恋愛なんて、少しのきっかけやすれ違いで、あっけなく終わってしまうものだ。

 だからこそ、そこまで深刻に構える必要はない……と、そう自分に言い聞かせた。


 それでも。


 できることなら、あの二人の恋が長く続いてくれたらと、心のどこかで願ってしまう。

 俺と四葉が辿り着けなかった場所まで、息子たちには行ってほしい──そんな淡い期待が、胸の奥で燻っていた。


グラスを煽り、飲み干す。

カコン、とグラスの中で氷が虚しく音を立てた。


ああ。

いま無性に、三恵のコーヒーが飲みたい。

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