【架空攻城戦短編小説】機巧城砦奇譚 -籠城姫の勝利への方程式-(9,633字)

藍埜佑(あいのたすく)

●第1章:『叡智の目覚め -籠城の火蓋-』

 暗雲が城塞の尖塔を覆い、アルトシュタイン城に長い影を落としていた。厚い石壁の向こうでは、反乱軍の松明が無数の星のように瞬いている。城内で最も高い塔の展望室に立つ少女は、敵の数を正確に把握しようと目を凝らしていた。


「およそ三千……いいえ、三千二百四十六。配置から見て、歩兵が約二千、騎兵が八百、投石機部隊が残りという構成でしょうか」


 長い銀髪を風になびかせながら、アイリス・フォン・ヴィンターハーフェンは冷静に状況を分析していた。わずか十六歳とは思えない鋭い眼差しが、包囲網の隙を探っている。


「姫様、敵の布陣の確認が終わりました」


 背後から響いた声に振り返ると、そこには赤銅色の短髪を持つ騎士が立っていた。レイラ・ブレイズハートである。彼女は姫騎士団の団長として、アイリスの右腕的存在だった。


「ありがとう、レイラ。他の騎士たちも集めて」


 アイリスの声には、年齢以上の威厳が漂っていた。


 数分後、展望室には残る四人の姫騎士たちが集まった。月光を浴びた甲冑がほのかに輝いている。


「作戦会議を始めましょう」


 アイリスは大きな作戦机の前に立ち、地図を広げた。


「私たちの現状を整理します。城内の兵力は、あなたたち五人の姫騎士と、二十名ほどの衛兵。食料は一ヶ月分、真水は井戸があるので問題なし。そして……」


 アイリスは意味ありげな表情を浮かべた。彼女の銀髪が静かに揺れる。


「この城に伝わる『機関の書』の存在」


 姫騎士たちの間で、ざわめきが走った。それぞれの瞳に、期待と不安が交錯する。


「機関の書……」


 レイラが低い声で呟く。赤銅色の髪が月明かりに照らされ、彼女の表情に翳りを作っている。


「あの呪われた書物ですか?」


 マリエルの声には、明確な警戒が滲んでいた。彼女の祖父は、かつてその書を探し求めて狂気に陥ったとされる。


「アルトシュタイン家に伝わる禁忌の書。三代前の当主は、その解読を試みて命を落としたと聞きます」


 シャーロットが補足する。その凛とした横顔に、僅かな緊張が走る。


 キャサリンは無言で、ソフィアは不安げに自分の長い白銀の髪に触れている。古来より、機関の書に触れた者の末路は決して良いものではなかった。


「まさか、本当にあるというのですか?」


 シャーロットの問いかけに、アイリスは静かに頷く。


「ええ。父上から託された鍵で、先ほど地下の古い書庫を開けてみたところです」


 アイリスは懐から一冊の本を取り出した。


 古びた革表紙には、得体の知れない紋様が刻まれている。それは幾何学的でありながら、どこか有機的な曲線を描いており、見る者の目を惑わせた。


「あの紋様は……」


 レイラが息を呑む。彼女の母が残した手記に、確かにその紋様の記述があった。そして、その手記の最後のページには、判読不能な走り書きだけが残されていたという。


 アイリスがページを開く。黄ばんだ羊皮紙には、精巧な図面と古代文字が所狭しと記されていた。インクは、まるで今書かれたかのように鮮やかな漆黒を保っている。


「これを解読して活用すれば、戦力差を補えるかもしれない。でも、それには時間が必要」


 アイリスの声は、微動だにしない。


「姫様」


 マリエルが一歩前に出る。


「この書は……本物なのでしょうか? あるいは、偽物か罠かもしれません。歴史上、偽りの機関の書によって滅びた家系も……」


「それに、仮に本物だとしても」


 キャサリンが言葉を継ぐ。


「この書の力を扱える者が、本当にいるのでしょうか。過去の記録では、解読を試みた者は必ず狂うか、あるいは非業の死を迎えたと」


 アイリスは静かに微笑んだ。その表情には、迷いの欠片も見られない。


「この書に記された言葉は、数字で書かれている。数学という、普遍の言語でね」


 彼女は一枚のページを指さす。そこには、複雑な方程式が幾重にも重なっていた。


「私には見える。この式の意味が。そしてその先にある真実が」


 アイリスの瞳が、月明かりに輝く。それは、まるで古の技術者たちの意思を受け継ぐかのような、凛とした輝きだった。


 姫騎士たちは、言葉を失う。彼女たちの不安は消えていない。しかし、アイリスの確かな意志の前で、それを口にする者はいなかった。


 城の深部で、何かが呟くような音が響く。それは歯車の軋みか、あるいは……。


 窓の外では、敵軍の包囲網が着々と縮まっているのが見えた。彼らの指揮官である伯父のヴィルヘルム・フォン・ヴィンターハーフェンは、アイリスの父の座を狙う野心家だ。数日前、突如として反乱を起こし、領内の主要拠点を次々と制圧していった。


 アイリスの父は辺境の視察中で不在。この城には、アイリスと忠実な家臣たちだけが残されていた。


「時間稼ぎをしながら、態勢を整える必要があります」


 アイリスは姫騎士たちを見回した。


「シャーロット、あなたは城の北側の防衛を。マリエル、東の塔を。キャサリン、西の壁を。ソフィア、南門を。そしてレイラは私の護衛を」


 それぞれが頷き、担当を確認する。全員が十代後半から二十代前半の若さだが、その眼差しには揺るぎない決意が宿っていた。


「姫様、敵が動き始めました!」


 見張りの声が響く。アイリスは再び窓辺に立ち、夜空を見上げた。


「では、始めましょう。私たちの戦いを」


 月明かりの下、静かな決意の言葉が囁かれた。アルトシュタイン城の籠城戦は、こうして幕を開けたのである。

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