七階の廊下


 『ドライブインやまざき』を後にして、オーナーに鍵を返し終えた那海は、佐伯が運転する車に揺られながらこの案件から手を引くべきか考えていた。


 モキュメンタリーとして実在しそうな怪異を生み出す話だったのに、この周辺にはもうすでに恐ろしいものが存在しているからだ。


 どうやらオーナーも二階には不気味な気配を感じてはいたらしいが、無意識に否定し、遠ざけていたのだろう。一階に比べて二階の黴が多かったのも、オーナーが換気を怠っていたからかもしれない。


 しかし那海の質問により、記憶が質感を伴ってしまったのか、途端に口数が減った。那海たちが発見した茶碗や箸に気味悪がったのも演技ではなさそうだ。もしかすると、オーナー自身も目にしたことがあるのかもしれない。


 だとすれば、あの儀式は一体、何を意味するのだろう。


 ありきたりな推理をすれば、座敷牢に閉じ込められて死んだ者を弔う儀式だ。しかし、仮に『ドライブインやまざき』で誰かが死んでいたとすれば、間違いなく明るみになる。オーナーとしても知らぬ存ぜぬでは通せない。


 テーブル・ターニングのように簡易的な交霊術の可能性もあるが、それにしてはシンプルすぎた。あれだけ強い気配を持つなにかが、茶碗に溜まった海水と箸だけで呼び寄せられるとは思えない。


 今の那海には、何もわからない。


 ただ、底知れぬ闇に足を踏み入れている感覚はあった。もう『ドライブインやまざき』を後にして一時間ほど経つが、那海の身体の芯には寒気が未だ残っている。


 仮にこのまま調査を続け、情報を継ぎ接ぎし、『山奥の幽霊屋敷』の話まで絡めてしまうと、取り返しがつかない事態に発展するかもしれない。


 違法建築された建物のように怪異が進化してしまえば、那海たちに危険が及ぶ可能性が高い。なにせ『シーサイドマンションうみねこ』と『那多部岬』と『ドライブインやまざき』を繋げていない段階でこの有様だ。


 とはいえ、投げ出すことも難しい話だった。


 佐伯から渡された法外な前金を受け取った以上、逃げ道を奪われたも同然である。ここで那海が手を引いてしまえば、反社会勢力と関わった噂をネットで流されるかもしれない。下手したら、くららと共に拉致されてしまう可能性も考慮すべきだ。


「――だからぁ、凄かったんですよ! ぴちょんって音がして、変な気配が追いかけてくるようなカンジだったんです!」

「へぇ、いいねいいね。やっぱり追われるシチュエーションって定番だよね」


 運転しながら目を輝かせる佐伯からは、危険な雰囲気は感じられない。


 『ガランド』の活動や事故物件ビジネスを知っているあたり、この手のオカルト話が好きなのは本当なのだろう。だからこそ、那海の胸中ではあるひとつの疑念が渦巻いていた。


 佐伯はすべて知っていて、別の目的のために那海たちを誘導しているのではないか。


「……佐伯さん、もしかして『ドライブインやまざき』に何かが出るって知ってました?」


 那海は単刀直入に質問し探りを入れる。


 後部座席からルームミラーを盗み見るが、佐伯の笑顔の裏は読めない。そもそもが胡散臭く、常時怪しいのだ。どれだけ那海が違和感を抱いても、佐伯から真相を突き止めるのは困難だろう。


 佐伯はそんな那海の思考を知ってか知らずか、へらりと笑い、わざとらしい抑揚をつけて答える。


「まさか、初耳だよ。それに、あの場所を見つけたのは僕じゃなくてくららちゃんでしょ」

「まあ、そうですよね」


 那海は受け入れるしかなかった。


 たしかに『ドライブインやまざき』を怪しい場所として拾い上げたのはくららだ。佐伯を疑うよりも、くららの異能ともいうべき不運で大ハズレのクジを引いたと考えるほうが腑に落ちる。


 どうせ逃げられないのなら、不幸をひっくり返して幸運にできるよう集中するほうがいい。


 那海は半ば言い聞かせるように結論を下し、窓の外を見る。気がつけば、車は『シーサイドマンションうみねこ』の駐車場に到着していた。太陽の日差しを浴びても陰鬱だった建物は、深夜の宵闇に紛れるともはや巨大な墓標のようだった。


「それじゃ、次は幽霊屋敷の調査ってことでいいのかな?」

「はい。数日後にまた連絡します」


 那海とくららは佐伯に礼を述べ、後部座席から下りる。アスファルトを踏んだ瞬間、どっと重力が増したような気分になった。


 二人はエンジン音と共に去っていく車を見送りながら、同じタイミングで大きな息を吐く。


「ヤバかったね、ホント。あのまま追いつかれたら、どうなってたんだろ」

「怪異に追いつかれる話は基本的に気を失いがちだから、そのまま朝を迎えてたかもね」

「あ、言われてみればたしかに『気がつけば朝だった』パターンばっかりだよね」

「まあ、怪異に襲われて何かあったら語り手として矛盾しちゃうから。後遺症が残るくらいだとボロが出ちゃうし、失神くらいが落とし所としてちょうどいいんだよ」

「なんか、その手の話をあんま信じてなさそうな言い方じゃん」

「そうだね。ついさっき肯定派になったけど」


 那海たちは重い足取りでエントランスを抜け、エレベーターを待つ。こんな日くらいは大浴場で疲れを癒したいところだが、やはり衛生面が気にかかるので、部屋のバスタブを使うしかない。


 入浴剤を買って帰れば良かったなと那海が後悔していると、くららが「ねえ」と呼び掛けてくる。その表情はいつもの楽観的なものと異なり、真剣な色を纏っていた。


「あの座敷牢に居た人が餓死してたらさ、辻褄は合っちゃうよね」


 やがてエレベーターが一階に下りてきて、ゆっくりと扉が開く。二人はそのまま乗り込んで、七階のボタンを押下した。


「でも飲食店で監禁致死傷罪なんて起きたら、間違いなく全国ニュースになるよ」

「やっぱりそっか。警察がいるもんねえ」

「……警察」


 そう呟いた途端、とある可能性が那海の頭に現れて、急激な寒気に襲われる。


「もしかしたら、警察沙汰にならない可能性があるのかも」

「えっ、どゆこと?」

「……那多部岬に町民が集まってたとき、警察関係者が一人も居なかった。この町では目撃者全員が共犯になって、事件の隠蔽を繰り返してきたのかも」

「そんなの不可能、だよね?」


 くららの問いかけは、どちらかといえば否定してほしいようなニュアンスを含んでいた。


 那海は肯定とも否定とも捉えられる声を漏らす。


 鄙びたリゾート地を包み込む陰鬱な空気が、有り得ない可能性も現実に変えてしまうような気がした。


 だが、警察とギャングが癒着した国ならともかくここは現代日本だ。この路線で話を引っ張ると、動画の味が陰謀論になってしまう。 


「……ごめん、今のは忘れて。二階にあった座敷牢は、なんらかの降霊術で使ってた場所なのかも。だから、誰も死んでいないのに何かが居る。食器の件もあるし、そう考えた方が辻褄が合うかな」

「じゃあ『ドライブインやまざき』の怪異を食で繋げる作戦は変更して、なんか呼び寄せちゃってる的な話にする?」

「……そこはもう少し考えてみる。降霊術によって怪異が引き起こされてると断言しちゃったら、誰が何を呼んだのかって部分も整えなきゃいけないし」


 エレベータの扉が開き、七階に辿り着く。


 あと一歩のところで繋げきれない歯がゆさを覚え、那海は乱暴に髪を掻きむしる。


 資料集めがこんなに順調なのも、怪異に近い現象が発生してしまったのも初めてのことなので、那海の中で選択肢が狭まっていた。このままでは視聴者に想像の余地を残せないのだ。


 『ドライブインやまざき』の二階には触れず、当初の予定通り食で繋げてしまえば楽ではある。しかし、あれだけの出来事を削ってしまうのは勿体ない。いっそのこと、モキュメンタリーではなく実録動画を制作したほうが伸びるかもしれない。


 那海は思考を働かせながらエレベーターホールを抜け、廊下へと向かい、右に折れる。


 そこで、違和感を覚えた。


「なに、この水滴」


 くららも気がついたらしく、その場でしゃがみ込んで廊下を凝視している。


「誰か来たっぽいね」

「でも、エレベーターホールの前は濡れてなかった……」


 那海はそこまで言いかけて、気づいてしまう。


 なかば反射的に左右を確認すると、水滴の跡が西階段と東階段を繋ぐように点々と続いている。そして、じぐざぐに折れるような痕跡は、各部屋へ訪問した事実を物語っていた。


 那海の脳裏によぎるのは、注意喚起のビラに記された不審者の姿だ。水滴が垂れるビニール袋を揺らしながら702号室を目指す姿がありありと目に浮かんでしまう。


 那海は後ろにいるくららを手で制しながら、部屋に向かって一歩一歩進んでいく。


 『シーサイドマンションうみねこ』の各部屋は、廊下から見ると玄関部分が窪んでいる。本来ならば傘や自転車を置いても導線が確保できる有難いスペースなのだが、今に限っては死角が憎らしく思えた。


 人の気配は感じられなかったが、真夏の夜にもかかわらず水滴が蒸発していないあたり、訪問からそう時間は経っていない。不審者が玄関付近で息を殺して佇んでいる可能性も否めなかった。


 二人の呼吸が廊下に響く。


 LEDに取り替えられたばかりであろう照明も、那海の不安を拭うには心許ない光量だった。けれど、このまま廊下で立ちすくむ訳にはいかない。


 ひとつ間を置いて、那海は飛びかかるように玄関を覗き込む。そこには誰もおらず、702号室の扉があるばかりだった。


 那海は安堵の息を吐きながら、視線を落とす。


「……っ」


 そして、声にならない声を漏らす。


 扉の前には、件の不審者が長時間留まっていたかのように大きな水溜まりが残されていた。


 

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