那多部岬
「こんな人、那海だったらグーパンで追い返すよね」
「私はそこまで過激派じゃないけど」
「じゃさ、法律が無い国に住んでたとします。確定申告で立て込んでる時期にこの人が来たらどうする?」
「前提がズルくない? 法が無いなら普通に殴るよ」
くららの軽口にツッコミを入れつつも、那海はこの注意喚起の扱いについてどうすべきか悩んでいた。どうしても拭いきれない疑念があるのだ。
「佐伯さん。これは仕込みじゃなく、実際に配られた注意喚起のプリントですよね?」
那海たちの動画はあくまでも実在する材料を恣意的に組み立てたものであり、材料そのものを捏造するのは活動方針に反する。
しかし、物件を売り出したい一心で佐伯側が色々と仕込んでいる可能性は否定できなかった。
「もちろん。『ガランド』のチャンネルでヤラセなんてしちゃったら興ざめでしょ?」
佐伯は真面目な表情で答える。
モキュメンタリーホラーは、人によっては単なるヤラセとも捉えられる。だからこそ那海たちはリアリティにこだわるのだが、佐伯もその辺りの線引きは弁えているみたいだった。
もっとも、弁えているからこそ過剰にならない範囲で仕込まれてしまう可能性もある。この注意喚起を動画に組み込むのは、保留にするべきだろう。
「えー、じゃあそのまま動画に使えるじゃないですか! 何も起きないって言ってたのに!」
一方くららは思わぬ拾い物と言わんばかりに、満足気に両手を挙げていた。たしかに、この手の目撃情報を利用するのはモキュメンタリーの定番でもある。実際に配られた用紙であれば、強力な武器になるだろう。
那海はグラスの水で唇を潤してから、注意喚起の内容について精査してみる。
汚い靴を履き、水の滴るビニール袋を手に提げている訪問者はかなり不気味だった。インターホンではなく直接呼びかけられるあたりも、悪い想像を掻き立てられてしまう。
だが、この人物の目的がいまいちわからない。訪問販売の類であれば、身だしなみは整えるはずだ。赤い眼鏡といった癖の強いアイテムも選ばないだろう。
「でもさ、この人の目的ってなんだろね。宗教に入りませんかーって感じなのかな」
くららも同じところが引っかかるようで、梟のように首を傾げている。
「……宗教勧誘にしても妙だけどね。健康状態に不安がある人を狙う手口は実在するけど、前提として口が上手くなきゃ話にならないから」
宗教勧誘の基本は、闇の中で藻掻き続ける人間に一筋の光を見せることだ。
離婚、怪我、家族の死、借金などで不幸のさなかにいる人間に優しい言葉をかけ、毟り取るのが常套手段だ。高齢者だらけのマンションで『要領を得ない』という烙印を押される人間に遂行できるだろうか。
「じゃあ、この人を使う意味なくない?」
「だからこそ不気味ではあるけどね。むしろ、整合性が取れない人間を怪異の入口に立たせたほうが自然だし」
那海はそう言いながら、背もたれに体重を預ける。今のところ結論は出せそうになかったが、この不審者を動画に組み込むならあとひとつ何かが欲しい。
とりあえず、注意喚起は後回しにしたほうがよさそうだった。
「……じゃあ、もともと予定してたパーツについて決めよっか。もう資料ってまとめてある?」
「とーぜん。ずっと電車でヒマだったし」
くららがリュックサックからノートパソコンを取り出し、テーブルの上にでんと置く。
『ガランド』の動画は前後編に分けて投稿するのが基本であり、前編は言わば前振りにあたる。
那海が現地で蒐集した怪談や、ネット掲示板の書き込み。雑誌の記事やインタビュー、張り紙など日常生活と地続きになった情報を切り取り、怪異へ繋がる道を舗装していくのだ。
その作業と並行して、付近で起きた死亡事故や殺人事件も調べている。舞台を明かさないとはいえ、視聴者の考察で特定されたほうが動画は盛り上がる。そのために、手がかりとなる事件や事故を背景しているわけだ。
しかし、今回くららが纏めた資料には事件や事故の記述はなく、どこにでもあるタウン誌の観光記事とインターネットの噂話だけで構成されていた。『シーサイドマンションうみねこ』以外の場所は従来と同様に伏せるつもりだったので、那海は困惑してしまう。すると、くららが神妙な面持ちで口を開いた。
「『シーサイドマンションうみねこ』の周りには心霊スポットが三つあってね、まずは投身自殺が多いって噂の
「一件もないの?」
「うん。表もウラもぜーんぶ調べたけど、なんにも出てこなかった」
那海は困惑してしまう。
くららは、ダークウェブに潜む情報であろうと容易く引き上げてくる知識の持ち主だ。彼女をもってしても見つけられないとなれば、殺人事件や自殺自体が存在しないのだろう。
「そんなこと、ありえる……?」
那海の疑問はもっともだった。
心霊スポットのように噂だけが先行する場所と違い、崖や岬といった景勝地には必ずといっていいほど自殺者がいる。
それにもかかわらず、一件も見つからないのはあまりにも不可思議だった。
那海は得体の知れない恐怖を覚えつつ、ひとまずくららが用意した資料に目を通してみた。
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