049【刹那の光の中で】

 沈黙の光芒がSOLARISを照らした。


 閃光が収束した瞬間、巨像の建物ほどもある手がハルツキへ向けて振り下ろされる。

 数千体の人形たちが津波のように押し寄せてくる。

 完璧な隊列を組んだ銀色のドレスが、死の舞踏を描いていた。


 ユキヒラが絶望的な叫びを上げる。

「ハルツキ!」


 巨像の手が地面を粉砕した。

 土煙が舞い上がり、爆風が仲間たちを吹き飛ばす。


「だめだ…間に合わなかった…」

 カズハラの声が震える。


 タカミネが涙を流す。

 Scarlet Bladeの面々も、絶句していた。


 しかし──


    ◇


 廃墟となったビルの屋上で、一つの影が立っていた。


 黒色のコートが夜風になびく。

 月明かりが黒髪を照らしている。

 その足元で、ハルツキの語り手である黒猫が、艶やかな毛並みを風に震わせながら、静かに夜に向かって鳴いていた。


 ハルツキは、別のSOLARISにいた。


『量子的錯誤、正常に実行されました』

 シフターの声が、静かに響く。

『存在状態:重ね合わせ継続中』


 ハルツキの瞳に、新たな光が宿っていた。

 境界認識機能の凍結により、彼は自身の存在を自在に編集できるようになっていた。


「シフター」

 彼の声は、機械的な冷静さを帯びていた。

「新規パラメータを設定する」


『お聞きします』


「空間座標の抽象化レベル:最大」

「時間軸の重ね合わせ幅:0.02秒」

「観測者効果の制御権限:記述士優先」


『警告:実行中の量子的錯誤により、現実への影響は不可逆となる可能性があります』


「承認」


『了解しました。量子的錯誤システム、全面展開します』


    ◇


 黒猫が鳴いた。


 短く、鋭い警告の声。

 それと同時に、街全体の空気が変わった。


 巨像が振り返る。

 銀色の瞳が、ハルツキのいる建物を見つめた。


「そこにいたのか、記述士」

 アルゲンタムの声が街に響く。

「だが、逃れることはできない」


 巨像の腕が、ハルツキに向かって伸びた。

 建物を握り潰すほどの巨大な手が迫る。


 その瞬間──


 ハルツキの姿が、ゆらめいた。


 一つの姿が五つに分裂する。

 回避する可能性。

 迎撃する可能性。

 消失する可能性。

 反撃する可能性。

 そして、突進する可能性。


 0.02秒間の現実の重ね合わせ。


 巨像の手が空を掴む。

 観測の瞬間まで、ハルツキの位置は確定しない。


 量子的錯誤が収束した時、彼は既に宙を舞っていた。


    ◇


 重力を無視した軌道。

 建物から建物へ、まるで見えない足場があるかのように跳躍を続ける。


 銀色のドレスを着た人形たちが追跡を開始した。

 屋上から屋上へと飛び移り、完璧な連携でハルツキを包囲しようとする。


 しかし、彼らが到達する度に、ハルツキは既にそこにいない。


「位置情報:不確定」

「移動パターン:予測不能」

「捕捉確率:0.003%」


 人形たちの通信が混乱していく。


 ハルツキは物理法則の隙間を縫って移動していた。

 「ここにいる」と「あそこにいる」の境界線上を、まるで綱渡りをするように。


 黒猫が彼の肩に飛び乗る。


 ハルツキは頷いた。


    ◇


 ハルツキは巨像の足元に着地すると、その巨大な体を駆け上がり始めた。

 膝から太腿、腰へと、まるで山の斜面を登るように疾走する。

 

 銀色のドレスを纏った人形たちが四方八方から襲いかかってくる。

 しかし、ハルツキは首を僅かに傾けて刃をかわし、

 一歩横にずらして突きを躱し、

 軽く身を沈めて薙ぎ払いをくぐり抜ける。

 

 最小限の動作で、最大限の回避。

 まるで何事無かったかのように、巨像の胸部へと駆け上がっていく。

 建物ほどもある美しい顔立ちが、目の前に迫った。


 最後の跳躍。


 ハルツキは巨像の顔面に向かって飛んだ。

 建物ほどもある美しい顔立ちが、目の前に迫る。


 慈愛に満ちた微笑み。

 しかし、その瞳には深い狂気が宿っていた。


「なぜ抵抗する、記述士」

 アルゲンタムの声が、ハルツキを包み込む。

「私の愛の完成を妨げることに、何の意味がある?」


 ハルツキは答えた。

 空中で、風に髪をなびかせながら。


「永遠を繋ぎ止める銀の鎖より、魂を照らす一瞬の光を」


 シフターを巨像の額に向ける。

 青白い光が充填されていく。


「アルゲンタム、あなたを解放します」


 しかし、その時──オデットとの戦闘の記憶が蘇った。


 頭部への攻撃は効果がなかった。


 なぜ?


 その瞬間、戦場の向こうにユキヒラの姿が見えた。

 仲間たちを守るように立つリーダーの背中。


 記憶が蘇る。

 黄昏時。

 灯台の下での、あの言葉。


『人間が生きる上で、1番大切なものはどこにあると思う?』


 ユキヒラが自身の胸の中央を叩く姿。


『ここにある。深く、暖かで、常に拍動する魂』


「ああ、そうか」


 ハルツキは空中で身を翻った。

 重力に逆らうように下降軌道を変更し、巨像の胸部へと向かう。


 白い翼が広がる心臓部。

 そこにこそ、真の核があった。

 魂の在り処に。


    ◇


「シフター、改訂を開始する」

『改訂システム起動』

「対象『永遠を描く人形の指先』

『準備完了しました』

 ハルツキの声が、宙に響いた。


「刹那の光の中で 銀の人形たちは問い」


 それはトリガーの詠唱であり、同時にアルゲンタムへの語りかけだった。


「形作られし 永遠の姿は散り」


 巨像の胸部に、光が収束していく。


「時を超えて 記憶は囁き」


 不完全で、曖昧で、それでも確かな記憶の中に。


「壊れることなき 不完全さを愛す」


 最後の詠唱が響く。


「見よ 語らいの光の中で 朽ちることなき 問いかける愛を」


 トリガーの詠唱が完了した瞬間──

 ハルツキは引き金を引いた。


 青白い光が、胸部の白い翼を貫く。

 改訂の力が巨像全体を包み込み、ゆっくりと変化させていく。

 光の風が巨像を包み込んだ。


    ◇


 静寂が戻った時、巨像はゆっくりと膝をついていた。


 胸部の白い翼に、美しい亀裂が走っている。

 まるで氷の彫刻が、内側から光を放ちながら割れていくように。


 ハルツキは地面に着地した。

 黒猫が彼の足元で、満足そうに尻尾を振る。


 人形たちの動きが停止し、街の存在値システムが機能を停止していく。


「終わった…」

 ユキヒラの声が、安堵に満ちていた。


 しかし、ハルツキは知っていた。

 これは終わりではない。

 真の改訂は、これから始まるのだと。


 量子的錯誤の余韻が空気を震わせる中、ハルツキはアルゲンタムと対峙した。

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