第17話 幽霊船を見た
それは奴隷も商人も冒険者も寝付けない夜のことだった。
ヒルデダイトの軍船は荷物を下ろすと、ミツライムの騒動を避けて、一隻、また一隻と港を離れていた。船を見送る民衆は誰ひとりいない。深夜のことだ。
船はそうして、夜の闇に消えていくわけだが、後には海をたゆたう波がその痕跡をかき消すようにうねるばかり。
船の上、波に揺られながら、
愚痴というものを同じ海に垂れ流す男がひとり。男というより奇妙な生き物と言ったほうが良かっただろうか。
「ミツライムの灯りが懐かしいわい」
王冠を被ったぬいぐるみのガラスの目には表情は映らない。祭りの喧噪もそこにはなかった。
対岸にあるのは祭りではなく暴動だろうに、ぬいぐるみは祭りとばかりにはしゃぐ声を出す。
「軍船が入れ替わり港に入っていっておるわ。これだけ武器を奴隷どもに供給すれば、ミツライムもただではすむまい、お前もそう思うじゃろ」
とぬいぐるみの王は読む。
「どうでもいいじゃん」
話しかけられた少女は軍船の上でひねくれていた。
「まだ拗ねておるのか?」
「いいところだったのにさ。なんであたしが本国に帰されなきゃいけないカナ」
というのが少女の機嫌の悪い理由だった。それは蛇のように髪を結ったエキドナ。
「アホかぁ」
ぬいぐるみの王、ムルムルは煽った。「お前がファラオの神殿に乗り込んで、勝手に兵士を殺してくるからじゃろが。あんなことをしでかしておいて、もしお前がヒルデダイトの将校だとバレたら、それこそ始末におえんわ。強制送還は当たり前じゃ」これは、「まあ、わしと同じよ、くふふふふ」という結末だった。
ムルムルのほうは、一度ミツライム軍に捕まっている。「顔を見られているわけじゃから、その後の帝国行事には一切参加せてもらえんわな」というところだ。
「君と一緒にしないでよ。あたしのほうは騒がれたって良かった。どうせ最後はみんな殺すつもりだった。ベリアルも言ってたよ。最後には火に呑まれて消える国、それがミツライムだって。神も怪物も関係ない。あたしが殺すだけ」
「この戦闘狂め。相手はミツライムの神じゃと言うのに、なんかその辺でメシでも食ってくるとでもいうような言い草じゃ」
「あたしはそのために来たんだよ」
「順番というものを考えんか。いきなりはまずかろうが。本当なら奴隷とミツライム軍を戦わせて、わしらが戦場を支配する予定じゃった。ミツライム軍が強ければその力を削ぐ。つまりその時に、ミツライムの神とやらを暗殺する手筈じゃったわ。真正面からはまずかろうが」
「その計画、破綻してたカナ?」
「お前がぶち壊したんじゃろが」
「あたしじゃない。放っておいたら、どっちみち、あいつらがやってた。白い奴と黒い奴」
エキドナが不満を言えば、
ムルムルも不満だ。
「あいつらってのは、オルトニスとウバルをやった奴らか。思い出すだけで不愉快じゃ」
「わくわくするじゃん。あいつら強い」
「それにしてもあいつらは何者じゃ? 憎たらしいのは、あいつらよ」
かつてムルムルを捕まえた犯人は、赤頭巾の賢者に白装束の剣士、赤い髪の女子にひょろい金髪の男。
ムルムルはそれを思いだして、地団駄を踏んだ。
「あいつらのせいで、わしはアザゼル様の演説の時もひとりあのお立ち台にあがれんかった。他の将校が英雄のように扱われる中でわしだけがカヤの外じゃ。これじゃあ椅子の上に置かれたただのぬいぐるみ」
「子供たちの前で踊れたじゃん」
「それとこれを一緒にするな」
「だいたい君はどこかに隠れていて、魔法アイテムを使うのが趣味だったでしょ。キマイラとか、火の鎧とかさ」
「火の鎧。そういえば、まだその余興が残っておったわ。あいつら、上手くミツライムに隠れておるのかも知れんがそれも明日で終わりじゃな。なにしろ火の鎧があるて、あれとベヒモスが融合すれば魔神の誕生よ。何が起こるかわしにもわからん」
ムルムルは呪いの言葉を紡いだ。
ついでに言っておくなら、
「明日の朝見ておれよ。祟りがどういうものか思い知らせてやるわ。奴隷が武器をもち、ミツライム兵士と壮絶な戦いを繰り広げる世界がくる。最後には誰も生き残れんのじゃ」
ムルムルはそう予言した。
「くふふふふ、ふぁ」と笑い始めれば、焼ける町の匂いが鼻先を掠める中、この笑い声もまたおどろどろしい雰囲気となるだろう。
と思ったが、目の前をスタスタと歩いて行くエキドナがいれば雰囲気などぶち壊しもいいところ。
「エキドナ? 今、いい雰囲気じゃったじゃろ」
ムルムルは、「今のちゃんと聞いとったか?」と不審に思って確認してみた。エキドナは船の外に身を乗り出すようにして、海を眺めていた。夜の海だ。ムルムルには何も見えやしないというのに――。
「あの船——」
エキドナが言うのは、首都ラムセスの灯りが見えるか見えないかの洋上のこと。
「船なんかあるか?」
「たくさん船が集まってる。その中に大きなのがある。帆船だ。ミツライムの漁師じゃない」
「お前良く見えとるな。そんなもんあるのか?」
「貴族の船じゃなさそう。かと言って商人ってわけでもないカナ?」
それならムルムルには思い当たることがある。
「今ミツライムはオプト祭のまっただ中じゃ。商船もくれば、貢ぎ物も集まってくる。それをねらって海賊どもが来るのも毎年のことじゃ。夜にまぎれて、これから襲う船でも吟味しておるのじゃろ。もし海賊どもがこちらに来ても、ここにはエキドナ、お前がおる。そもそもこの船はヒルデダイトの軍船じゃ。こちらに喧嘩を仕掛けてくる間抜けがおるとは思えんが」
「あれが海賊?」
エキドナはその時、臨戦態勢だった。
シャン
彼女は槍を立てた。
「海賊じゃなければ、幽霊船団じゃろ? そんな噂も聞いたことがあるわ」
「幽霊船。そのほうがしっくりくる。ムルムルはここに幽霊船が集まっているって知ってた?」
「海賊じゃろ。そんな奴らが暴れておれば、ミツライム軍が動くのじゃから、それを見ておれば、わかるわ――」
わかる。
それを言おうとしてムルムルは確かに何かがおかしいことに気がついた。海賊がいるなんて今の今までムルムルも知らなかったことだ。
これは周囲に海賊の被害にあった者がいないからこそ。噂も立たないし、軍も動かなかったことを意味する。
「あいつら何か嫌な雰囲気」
エキドナにそう言わせる要素は他にもあったかもしれない。
「ふうむ、やはりどう考えても海賊じゃ。強盗しようとしたが、いつもと違って帝国の軍船があったから、手が出せないだけじゃ。宝を奪った海賊なら、討伐してわしらが財宝を頂くのもいいが、襲撃前の腹を空かせた貧乏な海賊を襲ったところで、わしらに何の利益がある?」
ムルムルは、「若いもんはわかっとらんの」と呟いた。
しばらくして、
「まあ、いっか」
エキドナは満天の星空を仰いで寝転んだ。結局何が起きようと軍船の足が止まることはない。この軍船のその先は地平の向こう。朝があるだけ。そして広がる海原には、朝が来るのを妨げるものはもう何もなかった。
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