【書籍化します】色欲にまみれた悪役貴族への転生 ~無限に沸き起こる性欲を相殺するため死ぬほど努力します~

猫飼いたい

Ⅰ章

第1話 レオナルド・E・ブチャプリオ

 自身が、レオナルド・E・ブチャプリオ当人であると自覚するのに、しばしの時間を要した。


 意識が霞がかかったように朦朧として、五感が現実と虚構の狭間でふわふわと宙を泳いでいる。

 まるで深い眠りから覚めたばかりのように、思考は混沌としていた。


『オークスレイヤー』


 その名を聞かない者はいない——少なくともエロゲを嗜む者たちの間では。

 紛れもなく一時代を築いた金字塔的な作品だ。

 ストーリー、キャラクター、イラスト、全てが洗練され、プレイヤーを異世界へと誘う傑作。


 そして何より予測不能な展開に、多くのファンが心を奪われた。

 ストーリー性に富んだ良質なエロゲ——そんな評判が耳に入る度に、俺も興味を惹かれずにはいられなかった。


 レビュー記事や、ネット上の熱狂的な書き込みに、その作品への関心は日に日に高まっていった。

 掲示板では「神ゲー」「抜きゲーなのに面白い」といった言葉が飛び交い、その評価の高さは疑いようがない。


 だが、そこには致命的な壁が存在する。


 『凌辱』というジャンル。

 それは俺にとって越えられない一線だった。


 イチャラブ至上主義を掲げ、純愛こそ至高と信じて疑わない俺にとって、その作品は蓋を開ける前から既に守備範囲外。

 ストーリーの中心に「凌辱」を据えた作品は、どんなに高評価を受けようとも、俺は心の底から楽しむことができない。


 評判の高さも、その壁を乗り越える理由にはならなかった。


 ——そう、本来ならば。


 運命の悪戯とでも呼ぶべきか。


 数年の時を経て、中古ショップの片隅で投げ売り同然の価格で転がっているそれを見つけた時、俺の理性は些細な好奇心に負けてしまった。

 埃を被った箱に「五百円」のシールが貼られ、ぽつりと佇んでいた。


 これも巡り合わせ。

 名作と謳われる作品に触れる機会だ。


 選択を一つ間違えば、作品タイトルの由来たるオークどもや、吐き気を催すような竿役どもにヒロインたちが凌辱の限りを尽くされる。

 そんなシーンを求めて購入するファンが大多数なのだろうが、残念ながら俺にはそんな趣味はない。

 それでも、作品の評価の高さに惹かれ、物は試しにプレイしてみようと購入に至った。


 しかし物語が進むにつれ、俺の心は荒ぶった。


 可憐なヒロインたちの運命に同情し、遂には最後までプレイする気力すら失せてしまう。

 彼女たちの笑顔が消えていく様を見るのは、想像以上に辛かった。

 ヒロインの絶望的な最期、主人公の無力感、そして何よりヒロインたちが被る数々の辱めに、俺は画面を直視できなくなっていった。


 マウスを握る手にも力が入らなくなり、何度もゲームを閉じては、また再開するという悪循環。

 プレイする度に胸がえぐられるような痛みを感じながらも、しかしストーリーに魅せられ、彼女たちの結末が気になって仕方がなかった。


 その中でも特に、反吐が出るほど忌み嫌ったキャラクターがいた。


 レオナルド・E・ブチャプリオ。


 整えられた艶やかなおかっぱ頭。

 つやつやと光る髪、不気味な満足感に浸るかのように微笑む姿。

 たっぷりと贅肉の詰まった二重顎に、今にも破裂しそうな風船のような肉体。

 艶かしい笑みを浮かべる唇の端には、常に唾液の跡が光っている。


 そして何より、底なしの性欲を持て余す変態性癖の権化とでも言うべき存在。

 美しきものを汚し、穢すことに快感を覚えるという倒錯した嗜好は、俺の怒りを買うに十分だった。


 女性キャラクターという女性キャラクターに対し、ありとあらゆる策を弄して懐柔を図る。

 甘言、詐欺、脅迫、時には暴力すら辞さない執念深さ。

 金銭で釣り、地位で誘い、弱みを握って脅す。


 そして最も卑劣で効果的なのが、レオナルド唯一の切り札たる、催眠魔法。

 この邪な力を以てヒロインたちを誑かし、最終的には性奴隷へと貶める。

 自らの王国と称する屋敷の中で、無数の女性たちを思うがままに弄ぶ。


 屋敷の地下には秘密の部屋があり、そこには彼の趣味の痕跡が数多く残されていた。

 薄暗い照明の下、壁に掛けられた鎖や道具の数々が、訪れる者の心胆を寒からしめる。


 そして物語は進み、いつしか主人公の怒りが頂点に達し、制裁の時が訪れようとした瞬間、卑怯にも催眠状態のヒロインを肉盾に使う、その外道ぶり。

 最後の最後まで卑劣な手段を選び、自らの欲望のために他者を犠牲にすることを厭わない。


 そんな存在に、俺は転生してしまったのだ。


 ──その時、だった。


 耳に飛び込んできたのは、か細い啜り泣きの声。

 目の前の光景が、現実とは思えなかった。

 長大な食卓の上に横たわる一人の女性。


 白い肌が、照明に照らされて儚げに輝いている。

 艶やかな黒髪が食卓に広がり、彼女の繊細な顔立ちには涙の跡が生々しく残っていた。

 震える睫毛の下からは、時折大粒の涙が零れ落ちる。


「……え?」


 誰だ、この女性は……?


 頭に着けたカチューシャが、彼女がメイドであることを物語っており、表情には言葉では表せない屈辱と恐怖が入り混じっていた。


「……お赦しください……レオナルド様」


 懇願するその声に、背筋が凍る。

 震える唇から漏れる言葉は、絶望の淵に立つ者のそれだった。


「……ぁ……っ」


 自分から発せられた声が、やけに高い。

 喉の奥から絞り出されるような、子供特有の甲高い声色。

 違和感が全身を駆け巡る。


 心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。

 頭が混乱して、思考が上手く繋がらない。

 体が自分のものではないような感覚に、目眩がした。


「……お赦しください……」


 その祈るような言葉は、紛れもなく俺に向けられたものだった。


 レオナルド——彼女は確かにそう呼んだ。


 聞き間違いなどではない。


「……!?」


 そして瞠目する俺の前で、信じ難い光景が広がっている。

 食卓に横たわる彼女は、着衣を奪われ、その身に海鮮や食材が所狭しと並べられていた。

 赤身、白身、海老、烏賊。


 色とりどりの刺身が、彼女の肌の上で芸術作品のように配置されている。

 新鮮な魚の香りが漂い、料理としては見事な出来栄えだが、その「器」が人間であることが、この状況を歪なものにしていた。


 彼女の唇は震え、瞳には恐怖と共に深い絶望が宿っていた。

 身体の震えを抑えようと必死なのか、指先に力が入り、爪が掌に食い込んでいるのが見える。


「俺は一体、なにを……」


 その時、記憶が鮮明に蘇った。

 己の醜悪な所業が、まざまざと脳裏に蘇る。


 大の偏食家である俺は、普段から肉以外口にしない。

 野菜も魚も受け付けず、執拗に拒絶し続けてきた。

 シェフがどれほど工夫を凝らそうとも、頑として口にしようとしなかった。


 そんな俺が、今日に限って——。


「こうすれば魚も食ってやるぞ!」


 シェフに向かって下卑た笑みを浮かべながら言い放ち、メイドの服を乱暴に剥ぎ取ったのだ。

 記憶の中の自分の声は甲高く、その笑い声は狂気じみていた。

 思い出す度に、自己嫌悪の念が込み上げてくる。


 うら若き乙女の体を器と見立て、刺身を並べさせるという暴挙。

 冷たい刺身が触れる度に、彼女の肌が震え、泣き声を堪えようと唇を噛む姿。

 それを見て悦に入る自分の姿が、フラッシュバックのように鮮明に思い出される。


 記憶の中の自分は、幼い容姿にも関わらず、その目は忌まわしい色欲に満ちていた。

 所謂、女体盛り。

 その一言に集約される背徳的な行為に、俺は自分自身にドン引きし、目眩すら覚えた。


 部屋を見渡すと、端の方に数人の人影。

 執事にメイド、シェフらしき人物たちが、息を殺して縮こまるように立っていた。彼らの表情には同情の色が濃く、中には最初から目を伏せている者もいる。


 老執事の顔には諦めの色が浮かび、若いメイドは小刻みに震えながら壁に背を預けていた。

 全員が、この場に立ち会うことを恐れているようだった。

 誰も進み出て、止めようとはしない。


 彼らの表情からは、こういった行為は初めての出来事ではないことが見て取れた。

 日々繰り返される屈辱的な命令と、それに従わざるを得ない無力感が、彼らの姿勢や表情に深く刻まれていたからだ。


 周囲の視線が、俺の次なる行動を固唾を呑んで窺っている。

 沈黙が重く部屋に漂う中、俺は声を絞り出した。


「……き、興が削がれた。もういい、片付けろ……」


 端に控える者たちに向かって、震える声で指示を飛ばす。

 予想外の言葉に、一同が目を瞬かせた。

 レオナルドらしからぬ言動に、驚きと戸惑いが交錯する表情。


 彼らの反応から、普段のレオナルドならば決してこのような中途半端な形で「遊び」を終えることはないのだと察せられる。


 束の間の静寂の後、素早く他のメイドたちが駆け寄る。

 刺身を丁寧に取り除き、横たわる女性の体を優しく拭き始める。


 当のメイドの表情には、恐怖と共に、困惑の色が浮かんでいた。


「……悪かったな」


 メイドの裸体から必死に目を逸らしながら、精一杯の謝罪の言葉を紡ぐ。

 その場の全員が、まるで幻を見たかのように俺を見つめていた。

 レオナルドから謝罪の言葉を聞くというのは、彼らにとって初めての経験だったに違いない。


「……レ、レオナルド様……?」


 目の前のメイドは、懐疑的な声を漏らした。

 今まで受けた仕打ちからは想像もつかない態度に、彼女は混乱しているようだった。


 その反応に耐えかね、俺は逃げるように部屋を後にする。

 足はもつれ、よろめきながらも、必死に出口へと向かった。


 背後から「ぼっちゃま!」という案じるような老齢の男の声が追いかけてきたが、聞こえないふりをして足早に立ち去った。


 十歳そこらの分際で、何という下劣な発想力か。

 性豪レオナルドという悪の種子は、既にこの年齢で芽吹いていたのだ。

 その幼い体に宿る邪悪な欲望は、年齢不相応なまでに歪んでいた。


 見た目は無邪気な子供でありながら、その内面は最も邪悪な大人にも劣らぬ暗黒を秘めていた。


 今はまだ子供の悪戯程度で済むが、年を重ねる毎にエスカレートし、最終的にはメイド全員を性奴隷に貶めるという末路を辿る。

 館内の女性たち全員が、彼の催眠術の犠牲になり、人形のように従順に命令に従う悪夢のような結末。


 まさか自分が、そんなレオナルドに転生してしまうなんて。

 前世で嫌っていたゲームの人物に生まれ変わるという、ありえない状況に頭を抱えたくなった。


 俺は確信する。

 今後俺を待ち受けているのは——紛れもない死。

 主人公の手によって、あるいは時の運命によって、惨めに打ち倒されることが確定している。


 ゲームの中で見た通りの結末が、容赦なく俺を待ち受けている。

 奴隷にした女性たちに復讐される末路、あるいは主人公の剣に貫かれる結末。

 どちらにしても、レオナルドには救いがない。


 そんな暗澹たる気分を抱えながら、俺は重い足取りで、自室への廊下を辿った。


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