第8話 負ける戦はいたしません

「――これから貴様の取り調べを行なう。容疑は、リシャール殿下に対する傷害罪と、ソンブレイユ公爵令嬢に対する名誉棄損罪だ。どうして殿下に暴行を働いた? 聖女に嫉妬したか?」

「……」

「おいっ! 何とか言えっ!!」

「……」

「貴様、ふざけるなよ?」

「黙秘権を行使します」

「は?」

「貴方様は平民牢の責任者でいらっしゃいますよね? それ相応の地位にある方が取調をしてくださるのでなければ、黙秘いたします」

「貴様、で何様のつもりだっ!? 俺が誰なのか、知っているだろうがっ!」

「平民牢の責任者かと」

「近衛騎士団長だっ!!」

「であれば、ますます信用できません」

「なんだと!?」

「法を軽んじる方を、どうして信頼できましょう?」

「は?」

「刑法典第225条第1項――身分による留置施設の区別。ほまれ高き近衛騎士団の頂点にいらっしゃる御方がご存知ないわけ、ありませんよね?」

「王族に傷を負わせた罪人に法が適用されるかっ!!」

「お言葉ですが、殿下が傷を負った直接の原因を作ったのはでソンブレイユ公爵令嬢になったリリー嬢です。それに、私は“罪人”ではなく“被疑者”です。この留置場にいる者全て、罪が確定するまで“罪人”ではございません。そもそも、貴方様は王都の治安維持を担ういち役人にすぎないはず。それなのに、神か裁判官にでもなったおつもりですか?」

「はっ、可愛げがない。“魔力なしのガリ勉令嬢”がっ!! 殿下が貴様を忌避きひするのも理解できる」


『ガリ勉令嬢』ですって!? 初耳だわ。

 成績首位をキープしていただけはある異名ね。

 これってある意味、誇りに思うべきなんじゃない!?


「まぁ、いいだろう、それほど不満なら貴様を貴族牢へ移してやらんわけでもない。来いっ!」

「それには及びません」

「は!?」

「平民牢だとか貴族牢だとか。そんな些事さじに構っている暇はありませんので」

「些事だと!?」

「こんな不合理な区別があること自体がおかしいのです。それに――法を遵守し国民の命と権利を守るべき立場にいる近衛騎士団長が未成年を相手に権力を濫用するなど、厚顔無恥にも程がありますわ」

「おのれっ、貴様!!」

「負ける戦はいたしません」

「は?」

「ロワーヌ侯爵家の家訓です。侯爵家の威信にかけて貴方様の遵法精神の欠如を追及し、糾弾いたします。今度の勤務先は、きっと空気の良いところになるのでしょうね。“次”があれば、ですけれど」

「っ!! クソ女がっ!! ………誰なら信用できる?」

「……女官長様ならば」

「はっ。女なんかに任せられるかっ!」

「女性は優秀ですよ? 男性と同じくらいには」

「ふざけるなっ!!」

「どうやら平行線のようですね」

「貴様など、ここで野垂れ死ね!」


 それから再び牢に入れられた。

 春といってもまだ3月だ。

 頭からシャンパンを被ったせいで身体が冷えて震えが止まらない。

 意識がだんたん朦朧としてきて、うとうとしていたら、必死に私の名を呼ぶ声がした。


 あぁ、やだな。もうこのまま眠りたい。でも、何か大事なことを伝え忘れている気がする。


「仕方ないなぁ」

 そう思って、重く感じる瞼を少しだけ開いた。光など入らない地下牢にいるはずなのに、顔を照らす灯が眩しすぎて痛みを感じる。


「デルフィーヌ様っ!! あぁ、なんて痛ましい」

「……女官長様? 来て、くれたのですね」

「デルフィーヌ様!! いったい、何が起こったのです? どうしてこんな事に――」

「一度しか、言えそうにな……いから、よく……聞い……お菓子……ナッツ…オイル…」

「っ、まさか! 聖女様がお渡しになったお菓子にピーナッツオイルが使われていたのですね!? だからデルフィーヌ様は殿下がお召になるのを防ごうとして――」


 リシャール殿下はピーナッツアレルギーを持っている。

 ごく限られた者にしか共有されていないが、殿下の乳母を務めていた女官長は知っている。

 王族の命に係わる情報を信頼できない者に話すことはできない。暗殺に使われぬとも限らないからだ。

 だから、信用ならない騎士団長に打ち明けるわけにはいかなかった。


 女官長が事の経過を理解してくれた様子に安心して頷くのが限界だった。

 それから急に寒さを感じなくなったと思ったら、地下牢に横たわる私と鉄格子を両手で握りしめながら必死に私の名を呼ぶ女官長の姿を上空から見ていた。


 あれ? 私、自分で自分を見ているわ。

 もしかして、私、死んじゃった? これ、“幽体離脱”ってやつ!?

 あぁ、そうか。

 肉体を離れたから、寒さも痛みも感じないのね。

 でも変ね。

 結局、殿下に私が“ディー”だと気付いてもらえなかった心の痛みまでは、無くなってくれないみたい。


 そう思った瞬間、私の魂は未来に飛んで、全然別の風景を眺めることになった。


◇◇◇

「ん……」

 最下層の使用人が使っているような質素なベッドの上で目覚める私。

 その知らせを受けたリリー嬢とリシャール殿下がやって来る。


「デルフィーヌ様、一命を取り留めたようで何よりですわ。私の治癒魔法が効いたようで、良かったです」


 貴女の治療魔法が効いたですって!? 冗談はよしてちょうだい! この、大噓つき!!


「デルフィーヌ嬢」

「リシャール殿下……」

「まぁ! 王族を名で呼ぶなんて礼儀知らずね。“殿下”とお呼びなさい。それにリシャール様、彼女はもう平民ですから“ただのデルフィーヌ”ですわ」

「……?」

「事件の直後、ロワーヌ侯爵が君を除籍した」

「『事件』って、あれは殿下を助けるために――」

「デルフィーヌ様! いえ、もう“様”は不要ですわね。デルフィーヌ、貴女は王族に対する傷害事件を起こした罪人なの。貴族籍をはく奪されたくらいで済んだのだから、リシャール様の温情に感謝なさい!」

「女官長から極刑だけは免じてほしいと直訴があった。それに、君が妃教育に熱心に取り組んでいたことは知っていた。これはせめてもの――」

「私は、殿下を害するようなことは何もしていません!」

「デルフィーヌ! 許可なく目上の者わたしたちへ話しかけるのはマナー違反よ。何度もそう教わったでしょう?」


 私が以前、リリーに何度か注意したことのある言葉だ。


「……処刑でないのなら、国外追放ってやつかしら?」

「目上の者には敬語で。そう習わなかった?」


 これも以前、私がリリー嬢に伝えた言葉だ。


「明日の朝、第三騎士団が国境まで君を送り届ける。王国を出たら、二度とこの国に足を踏み入れることは許されない」


 殿下は、今でも私のことを名前あるいは「君」と呼び、国外追放であっても騎士団の護衛を付けると言ってくれている。これが元・妃候補だった私に殿下ができる、最大限の譲歩なのだろう。

 ここで私がごねちゃうと、彼を困った立場に置いてしまうことが分かったから。だから、素直に従うことにした。


「……分かりました」


 殿下は私が頷いたのを見届けると、1人部屋を出て行った。

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