第三十話


「助かってよかった。もし死なれたら目覚めが悪かった」

 文句のひとつも言ってやろうと病室を訪れると、ベッドに横たわるネグリスは、神妙な面持ちでこちらを見上げた。

「マーヴ先生が死んでたら、お前の血をしぼりとるところだった」

「目がマジすぎて怖いんだが」

「いいからお前はさっさと回復しろ。そして俺のかわりに血を提供する側になれ。搾り取られる大変さを思い知れ」

「分かったよ。分かったから、ベッドを蹴るなよ!」

 ネグリスの体からも光は見えない。院長の話では、あと数日様子をみて退院だと聞いている。だがそのあとは、例のカルト教団の関係者として警察の取り調べが待っていた。

 新たなバジリスク患者は今現在、いない。表面上は、嵐が過ぎ去ったように見える。

 けれど、このまま平和に終わるはずがない、

 壊滅した村の写真が、そのことを物語っていた。


「そろそろお前が関わってきたことすべて話せ。ノスウェト研究所でお前らが回収した血と目玉は何に使うんだ」 

「俺は下っ端も下っ端だったから、下働きだけでほとんど教えてもらえなかった。だから本当に知っていることは少ないんだ」

「そもそも、どうしてあんな謎集団に加入したんだ」

「俺のすっげーだめなところがでまくりだから、あまり話したくない」

「俺の赤目、また見せてやろうか?」

「悪夢を見てしまうのでやめてください、お願いします」

「だったら早く話せ」

 つかの間、ネグリスは黙り込んだ。しばらくは言い出しにくそうにほぞを噛んでいたが、やがてため込んだものを吐き出すように、長いため息をついた。

「俺さ、落ちたくせに、ウィーベル大学の学生のふりをして授業を受けていたんだ。最初は、そんなつもりなかったけれど、どんな奴がこの大学に受かったんだろうって偵察のつもりで行ったら、普通に門をくぐれて、広い教室で授業の開始前にでくわして、いいなと思って眺めていたら後ろからやってきた先生に早く席につけとせかされて、授業が始まった」

 ネグリスは遠い目をした。

「夢だった大学生活が、現実みたいに思えた。あの場所に自分がいることが、嬉しくてたまらなかった。みじめな気持ちになりながらも、俺は何度も通い続けた。毎朝、人波に紛れてキャンパスに入って、教室の隅っこで講義を受けた。最初は、それだけで満足だったんだ。でもある日、たまたま隣に座った学生が話しかけてきてさ。気さくな奴で、話も合って、次第に一緒に昼飯を食う仲になった。本の話とか、くだらない雑談とか、たわいもないことを語り合えるのが、たまらなく嬉しかった」

 ネグリスは静かに目をふせた。

「俺ってここらへんだとみんな院長の息子って知っているから、どこに行っても院長の息子という目で見られる。でもあいつは違った。ただの俺として接してくれた。初めてだったんだ、そんなふうに付き合える友だちができたのは。でも、本当は俺は学生じゃない。ただの部外者だ。いつかバレるんじゃないかって後ろめたさを抱えながら通い続けた」

 ははっとネグリスは軽く笑った。

「そんなある日、そいつがボランティアサークルの説明会に行かないかって誘ってきた。正直、気が進まなかったけど、やたら楽しそうに話すもんだから、しぶしぶついていった。で、実際行ってみたら、気のいい人たちばかりでさ。その日から、孤児院で人形劇をやったり、文化交流のイベントを手伝ったりした。こんな俺でも役に立てることがあるんだって思えたし、いろんな人と交流してためになった。でもなにより楽しかったのは、活動のあとにみんなで行く打ち上げだよ。酒場でバカみたいに騒いで笑ってさ。本当に楽しかった」

 けれど、その笑みは長くは続かなかった。

「でも、ある日のことだった。いつもの酒場で飲んでいる時に、誰かがふと口にしたんだ。『今度の学長選挙、どうなると思う?』って。最初は軽いのりだった。『どうせ学長の再選だろう』『カルバト教授にもがんばってもらいたいよな』って。でも仲間の一人が急に真顔になっていったんだ。『お前らを信用しているから話すけれど、今の学長は隣国のフィレッダ国と裏でつながっている』って。表向きは中立をうたっているのに、実際は違う。王子が入学したのも、その一環だって。俺には大学の内情なんて関係ないと思ってた。そもそも学生ですらないし、ただ聞き流してた。でも」

 彼の表情がこわばった。

「王子は、本当は無能で学力もないくせに裏口から入学したって聞いた瞬間、頭が真っ白になった。俺が受験した年は、王子もいた。あいつのせいで落ちたんだって、思い込んだ。気づけば、怒りと憎しみに突き動かされてた」

 ネグリスは皮肉げに笑った。

「このままでは大学の自治が危ない。俺たちの手で、未来を守ろうって誓い合った。それからだよ、サークルの雰囲気が変わり始めたのは」

 ネグリスはゆっくりと息を吸って、吐いた。

「最初は『教育の中立性を確保せよ』と書いたビラ配りとか、新しい仲間を勧誘した。でも、ある日、内部告発があってさ。フィレッダ国から金銭支援を受けている教授のリストが手に入った。それを見た途端、みんなの怒りが爆発した。“やっぱりつながってたんだ”って。それから空気が一気に変わった。爆弾を作ったり、教室に立てこもったり、活動は次第に過激になっていった。賛同者もどんどん増えて俺もその流れに積極的に乗ってた。王子を潰したくてたまらなかった。あいつを大学から追い出すのが正義だと思い込んでいたんだ」

 彼は目を伏せた。

「でも、大学の対応は冷ややかだった。“学生による迷惑行為”として片づけられて、それで終わり。焦ったよ。このままだと学長が当選して、俺たちのやってきたことが全部無駄になる。もっと大きなことを起こさなきゃって思い始めた。大学が無視できなくなるレベルの事件を引き起こすしかないって。俺たちの存在を無視できなくするんだって。そこからは秘密主義になっていった。最初の頃と違って、人数が増えていたのもあったけれど、誰がどこで何に関わっているのか、全然分からない。計画がバレないように情報を分散させるためだと言われながら、何のためにやるのか分からない作業とか明らかに犯罪だろうってこともあった」

「ノスウェト研究所にいたのも、その流れなのか?」

「そう。あそこは拠点の一つだった。作戦に使うための物資の運搬のために行くことになった。なのに、いざ行ってみたら、防護服を着せられて、あの部屋に連れて行かれて、ラシールの手伝いをしろって言われた。一緒に連れて来られた仲間たちも、みんな何も知らされてなかった。話が違う、って慌てた。逃げようとしたとき、床に転がっていた死体の一つが目に入った。知ってる顔だった。俺たちの仲間だった。裏切ったらこうなるっていう、無言の脅しだった。そこからは、あまり覚えてない。現実感がなくなって、ただ言われたとおりに、機械みたいに動いてた」

 ラカムの町を思い出す。ラシールたちによって恐怖に支配されたあの町は、よい隠れ蓑になっただろう。

「でもお前らが侵入してきただろ。だから撤収することになったんだ。作戦の決行日が近いこともあったらしい。突然のことで、現場は混乱してた。俺も急いで逃げようとしたら、建物の中に逃げ遅れたヤツを見かけた。危ないぞ、早く逃げろって声をかけようとしたら、その男、学生でもないし、あの教団の信者でもなさそうだった。でも、どこかで見たことがある顔だったんだ。どこだっけって考えていたら、その男が俺の方に向かって怖い顔で走ってきた。慌てて逃げようとしたけれど、あっという間に追いつかれて、腕をつかまれた」

 ネグリスは一息ついた。

「必死にもがいたけれど、あの男は腕を放すどころか、さらに強く掴んできた。でも、突然、ぱっと体を離されたんだ。それで俺はそのまま馬車に飛び乗って逃げた。でも、すぐに一緒に乗ってた奴が『お前、傷があるぞ』って言ったんだ。右腕を見たら、血が滲んでた。あの男にわざと傷つけられたんだ。ああ、感染させられたんだってすぐに分かったよ。みんな青ざめた顔をして俺を見た。あの病気にかかったらどうなるのか、みんな痛いほど知っていた」

 ネグリスは少し沈黙してから、ゆっくりと語り始めた。

「すぐさま馬車から降ろされて、置いて行かれた。楽に死ねるようにと餞別として爆弾を渡されてさ、俺は呆然としてた。このまま死ぬんだろうなって。でも、その時、親父ならきっとなんとかしてくれるって思ったんだ。それから歩いて病院まで行った。それで今、こうして生きてる」

 ネグリスは顔を上げた。

「だから、俺はどんな計画があるのか、ほとんど知らない。役に立てなくて悪いな」

「いいや、いろいろ分かったよ。話してくれてありがとな」

 そう言って立ち去ろうとすると、ネグリスがぽつりとつぶやいた。

「お前のこと、大学でも有名だったから、前から知っていた。王子の毒味役として入学したけれど、バカだから授業についていけなくて赤目と自称して、サボっているやつだって」

「その話は初耳だが、あながち間違っていないな」

「でも、勘違いしてた。ほんとに赤目だったし」

「俺もお前のこと、恵まれた人生を棒に振ってよく分からないカルト教団に入った馬鹿な奴だと思ってた。でも違った。言いたいことを言っても反応がすぐに返ってくる、なんか面白い奴だ」

「なんだそれ、ひどくない?」

「お互い様だ」

 ネグリスはははっと笑った。

 その顔を見て、ふと考える。人はいつか死ぬ。そして、死んだらそこで終わりだ。でも、命が続いている限り、こうして言葉を交わすことができる。ほんの少しの時間でも、お互いの印象を変えられる。それは、生きている人間にだけ許された特権なのかもしれない。

 


「大学が無視できなくなるレベルの事件を起こすのが目的。そして、決行日は近い」

 入院部屋へ歩きながら、ネグリスの話を反芻する。

 バジリスク感染者の血液を集めていたのは、ウィーベル大学の学生だった。

 だが、学生の手だけで、ここまでの事態を引き起こすことが可能だろうか?

 ふと、疑問が湧く。背後に、もっと大きな力が働いているのではないか。

 金銭や物資、そして甘い言葉で学生たちを誘導し、犯罪へと引きずり込む。

 そんな可能性は十分にあり得る。もしそうだとしたら、その背後にいる連中の目的は一体何だろうか?


 本当に大規模な事件を引き起こすつもりなら、タイミングが重要になる。

 最も効果的な瞬間、最も混乱を引き起こす瞬間とは――。


 その時、壁にかかっているカレンダーが視界に入る。

 その日付を見た瞬間、心臓が一瞬止まったような感覚におちいった。


 ――学長選挙まであと二日に迫っていた。

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