第二十八話
「例の赤い光は見えるか」
「見えません。消えたようです」
防護服ごしに院長のほっとした雰囲気が伝わる。
その様子を横目に見ながら、ベッドの上で点滴を受けているネグリスに目をやった。
視線に気づいた彼は顔をしかめ、こちらを見返してくる。
「助けたられたって何も話さないぞ。バーカ!」
グチグチと文句を言う幼稚な姿を見て、やっぱりこいつを助けるべきではなかったと心の中で毒づいた。
ネグリスの回復はマーヴ先生に比べて異様に早かった。
一回の血清投与ですぐに火は鎮火し、症状はすぐにおさまった。まだ感染初期だったことに加え、もともと若くて健康だったというのもあったかもしれない。 まだ経過観察は必要だが、このまま回復できる見込みが非常に高かった。今のところ、彼がコルム病院に来るまでの道中で、他にバジリスク患者が現れたという報告もないのも幸いであった。
だがそんなこととは関係なく、ネグリスは不機嫌そうに唇をとがらせていた。
「そもそも、お前らが研究所に来なければ俺は感染しなかった。お前が俺を助けるのは当たり前なんだよ。感謝なんて絶対しねぇ!」
「別にお前の感謝なんて、みじんもいらないけどな。でもさあ、毛嫌いしている相手の血が自分の体の中に流れているってどんな気持ち?」
挑発するように言うと、ネグリスは眉間にしわをよせ、露骨に嫌そうな顔をした。
「そりゃあもう、お前が俺の臓器にすみずみまで行き渡っているって感じ? まじ気持ち悪い。耐えられない。吐きそう」
「んだとコラっ!?」
思わず胸ぐらをつかみそうになったが、隣の院長がいる手前、ぎりぎりと歯をくいしばって堪えた。
(なんで俺はこんな奴のために、マーヴ先生のための血を分けなきゃいけなかったんだ)
本来なら今日は、マーヴ先生の輸血日だった。それがこいつのせいで一回分が延期になってしまった。 隣で院長が「うちの息子がすまない」と申し訳そうな顔をしているのもめんどくさい。 むかっ腹がたつ。こんな奴、さっさとくたばっちまえばよかったんだ。
顔も見たくないと、さっさと隔離部屋を出ようとしたら、防護服の裾をつかまれた。ネグリスの手だった。
「なんだよ」
いぶかしげなに振り向くと、ネグリスは何か言いたそうに口を動かしていた。しかし声になっていない。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
そう言って、俺はそのまま手を振り払って病室をでた。
「ただでさえ体調が悪いのに、気分まで最悪だ」
「そうかそうか」
アルバートは穏やかにうなずきながら、筆を動かしていた。俺がベッドに寝そべり、端に座ってアルバートが絵を描く。この病院に来てからというものの、それが二人の定位置だった。
「もしあいつが悪化しても次は絶対に断る。とんだ骨折り損だった。これでマーヴ先生の状態が悪化したら血を抜いてやる」
「それ、僕でも大惨事になるって分かるから、やめた方がいいと思うよ」
「そもそも、お前があのとき余計なことを言わなければ、あんな馬鹿げ判断しなかった!」
憤慨してアルバートを指さすと、スケッチブックから顔をあげ、静かにじっと俺を見つめてきた。
「なんだよ、俺の顔になにかついているのか?」
「君って、基本的に醒めているからね。怒っているのがめずらしいと思って」
「怒ってねーよ!」
言ってしまってから、自分の子供じみた言動に、嫌悪がこみあげた。視線をそらし、布団に潜り込む。最近、布団だけが何も言わないでよりそってくれる唯一の友だちだった。
ネグリスのことを考えるだけで、平静でいられなくなる自分が心底嫌だ。もっと自分は冷静な人間なはずだと言い聞かせる。 だというのに、胃の中のムカムカはいつまでたってもおさまりそうになかった。
「今は何を描いているんだ」
このままではあいつのことを考え続けそうで、回避すべく話題を変えれば、アルバートはうーんとうなった。
「マーヴ先生だよ」
アルバートを横目で見れば、なんともしっくりしない顔をした。
「なにか、気になることがあったか?」
「何か伝えたいことがあるような顔をしているけれど、分からなくてね。描いてみれば分かるかと思ったが、さっぱりだ」
マーヴ先生の状態は変わらないままであった。 呼びかけに反応はある。指先も動かせるようになった。 けれど会話をすることはできない。 基本的にぼんやりとしているが、ふいに意識が明確に浮かび上がる時がある。そのときは決まって、アルバートのいうとおり、なにか伝えたいことがある目をする。けれど何をして欲しいのか分からない。先生が何を望んでいるのか分からないもどかしい気持ちと、分からない自分へのいらだちがあった。
「見てもいいか」
「どうぞ」
体を起こし、スケッチブックを受け取り、パラパラとめくる。
「なんだろう。この絵を見ると『か』って言っている気がする」
「そしたら、こっちは『う』かな」
アルバートが言う。言われたらそう見える気がする。
「これは『ん』か?」
「かうん……?」
「……もしかして肝臓か?」
マーヴ先生はあの例の肝臓標本が見たいのだろうか。
隔離部屋には原則、どんな品も持ち込み禁止だが、明日の面会時に持って行けないか院長先生に頼んでみるか。
やるべきことがあると、それだけで少しだけ気が楽になった。
夜、見回りの目を盗み、防護服に着替えて隔離部屋に侵入すると、ネグリスは起きて待っていた。
『夜、二人だけで話したい』
あのとき、ネグリスは声にださずにそう言っていた。 無視しようかと思ったが、逃げたと思われたら癪だったので、来てしまった。
「お前、感染者だからわざわざ防護服着をこっそり拝借する羽目になったんだ。これでたいした用事じゃなかったら、ベッド蹴るからな」
やっぱり、こいつは好かない。顔を見るだけでも湧き上がる感情が、自分でもどうしようもなく持て余してしまう。その根源に嫉妬があると知ってしまえばなおさらだ。
――父親に愛された息子
それをどれほど切望していたのか、否応なく自覚させられた。
そんなこっちの思いを知らずに、ネグリスは俺を見ながらじっと黙っていた。
「なんだよ、なんか言えよ」
「赤目を見てみたい」
「はあ?」
思いもよらぬ言葉に、まじまじと目をみはった。
防護服にゴーグルをつけた状態では確かに、見えない。
見えないが、わざわざ見たいという奴はそういない。この病院では気を遣われているからか話題にでない。たまに「あ、見てしまった」と視線をそらされる程度だ。初対面の時に見たいといったアルバートは例外中の例外だ。
「そんなことのために呼んだのか?」
「別にいいだろう。減るもんじゃないし。もったぶってないでゴーグル外せよ」
あえて素肌をさらさせて、感染させる気か。いや、こっちは感染済みだと知っているはずだ。
なんの目的があるのか分からない安い挑発だったが、あえて乗っかろうとしたのは、八つ当たりにも近い感情ゆえだ。
「あとで文句いうんじゃねえぞ」
ゴーグルを外し、にらみ付ける。
瞬間、ネグリスは息をのんで瞬きもせず赤目を凝視し続けた。
魅入られたように大きく見開かれた黒色の瞳に食い入るように見つめられ、ぎょっとする。
すぐさま目をそらされるかと思っていたのに、思いもよらぬ反応に困惑した。
「これが――本物なんだ」
熱に浮かされたように、ネグリスはつぶやいた。
「本物?」
思わず反応すると、ネグリスははっとして目をそらした。
「なんでもねぇよ。想像以上に不気味だな。目が合っただけで呪われそう」
「うっせえな。百万回ぐらい言われてきたよ」
「ふーん、いろいろと苦労してんだな」
意外な言葉に、目が点になる。
―― なんでこんな奴に、こんなことを言われなきゃならない?
「お前みたいな、環境の恵まれた奴には分からねぇだろうよ」
吐き捨てるように言うと、へらっとネグリスは笑った。
「そうそう、それ。俺ってすごく恵まれているわけ。 立派な父親、まわりの人間も、もれなく優秀。こう見えて、俺ってば小さい頃は秀才って呼ばれて期待されててさ、将来はこの病院つぎますって宣言していたの。なのにまさか大学落ちちゃってさ。お金があって勉強も出来る環境が整っているのに、どうして落ちたかと聞かれたら俺の頭の出来が悪かったと言うしかない。でもみんな優しいから、そんなことないよって慰めてくれるし、別にこの道じゃなくてもいいよって言ってくれるわけ。かえって哀れだよ。そりゃあ、顔向けできなくて家出するよ」
「お前の苦労なんて知ったことかよ。期待に応えられずに勝手に押し潰れただけだろう」
「そうだよ。親父の願いをかなえるための努力が足りなかったし、なにより頭が足りなかったった。そうやって自分を追い詰めて、生まれた時からずっと見てきたはずの場所に居場所がなくなったと思ってしまったんだ」
「居場所がないぐらいなんだ。俺なんて、実家じゃ死んだことになっているし墓もある」
「お前、墓があんの? おもしろすぎだろ。クソうける」
「うけんじゃねえよ。かわいそうにって同情しろよ」
「いや、まじで底抜けにかわいそうだわ。なにやったらそうなるの? 話なら聞くけど」
「お前の同情は心の底からむかつく」
「同情しろって言われて同情したら、むかつくって言われるの理不尽すぎるだろう」
「うるせぇ。お前のご希望どおり、赤目を見せた。用が終わったなら帰るぞ」
背を向けた俺に、ネグリスの声が背後から聞こえた。
「待て。まだ終わってない」
振り返ると、ネグリスはバツの悪そうな顔をしていた。
「その、なんだ。助けてくれて、ありがとう。もうだめかと思った」
あんなに毒づいていたのに、いきなり正直に言われて思わず面食らう。
「どうせ死ぬならって、やけっぱちになっていた。今思えば、精神状態がだめだめだったって分かる。でも、どん底の時って、本当にどうしようもないんだ。だから、今まで支えてくれた人たちを簡単に裏切ってしまえる」
そう自嘲気味にネグリスは言った。
俺とこいつは全然違う。
こいつがやろうとしたことは到底、許されるべきではない。
けれど、居場所がなくなってしまったときの絶望と空虚さを俺は知っている。
あのとき、俺にはマーヴ先生がいたから、なんとか自分を見失えずにすんだ。
何か一つ違えば、なんて考えたくない。
「お前のこれからなんて知ったこっちゃないが、せいぜい助けてくれた人たちに見捨てられないようにすれば? そういう人がいたから、今、生きているわけだし」
言いたいことを言って、今度こそ、部屋を出る。
そのままこっそり部屋に戻ろうとしたら、前方から人影が見えた。
院長だ。俺の姿を認めるなり、走ってきた。 やばい。
こっそり防護服を持っていったのがバレたか。しっかり寝ないと血がつくれないと小言がいわれるかもしれない。
けれど、距離が近づき、その青ざめた顔を見た瞬間、ぞわりと嫌な予感がした。
「何か、ありましたか?」
「マーヴの容態が一気に悪化した。今すぐ来て欲しい」
それは、俺が最も恐れていた事態であった。
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