第十八話
目が覚めると同時に、全身を鈍い痛みが襲ってきた。
頭が重い。顔が腫れているのか、視界はせまくぼやけている。ゆっくり呼吸を整えて手を動かそうとしたら、冷たい縄の感触が伝わった。手首が固く縛られていた。
あの男らに捕まったのか。防護服は脱がされ、普通の服を着せられている。
痛みに耐えながら、周囲の状況を確認するべく体を起こそうとしている最中、服の隙間から見えた腕にいくつもの赤い点が散らばっていた。
――虫に噛まれたあとだった。
全身が凍り付く。サルの死体が、マリーの姿が、赤い光景が頭に広がる。
俺も、ああなるのか? 最悪の想像をしてすぐに首をふった。
あの虫に噛まれたのは確かだが、発症するかは分からない。まずは、目の前の事態に対処しよう。頭を切り替えろ。考えるのはそれからだ。
「お、ようやく起きたか。中々目を覚まさないから心配したよ」
聞き慣れた声が聞こえた。
顔をゆっくり向けると、アルバートは壁にもたれて座っていた。
彼もまた縄で手を縛られ、顔にはなぐられた形跡があり青紫に腫れている。
「アルバート、大丈夫か?」
背中がいたむ。声をだすのも一苦労だ。だが、アルバートはいつもとあまり変わらない様子で、腕をしばられたまま器用に肩をすくめた。
「君ほどひどくはない。絵師だと言いっても聞く耳をもたないから参ったもんだ。しかし、僕には強行突破するなと言っておいて、いきなり彼らに向かって走り出したからびっくりしたよ。何かあったのか?」
「サルの死体についていた虫が、男たちを襲おうとしていた。多分、あの虫に刺されると例の病気に感染する。お前は刺されていないのか? 赤い点が体についていないか?」
アルバートは体を右に左に折り曲げひととおり見回した。
「それらしきものはないようだ。あの防護服のおかげだね。脱がされてしまって残念だ」
心から安堵する。少なくとも彼は無事だ。だがあの場にいた男たちはどうだろう?
「ここはどこだ?」
どうにか体を動かしながら、あたりを見回す。暗い石造りの部屋だった。
「どこかの建物の地下だろうね。あれから目隠しされて連行されたんだ。おそらく、彼らの本拠地だと思うよ」
逃亡は、現状では不可能だ。
手首に食い込む縄は太く、しっかり結ばれている。無理に動かそうとすれば手首に食い込んだ。時間をかけてもどうにもならなそうだ。
足音が響いた。複数だ。
音がする方へ視線を向けると、扉が荒々しく開かれた。
男たちが数人、部屋に入ってくる。彼らは何も言わず、近づいてきた。
「立て」
腕をつかまれ、無理矢理ひきおこされる。アルバートも同じように立たされ、抵抗する間もなく、押し出されるように歩かされた。
一歩歩くごとにじんじんと体が嫌み、頭がずきずきと痛い。足元がよろつきそうになると、小突かれた。
階段を登り、いくつか廊下を通った先に、重そうな扉が前に現れた。
男たちは左右に散らばると、うやうやしく頭を下げ、扉を開いた。
部屋は、それほど広くはない。
そう感じたのは狭さゆえではなかった。
壁や天井に緑色の布や札のようなものが至る所に飾られ、垂れ下がっている。森のように緑に染まった部屋は、異様な圧迫感があった。
緑色の天幕の中心に、男が一人座っていた。
男もまた緑の布に身をつつむ。奇怪に笑う緑色のお面をつけていた。
彼はゆっくりと俺とアルバートを見くらべた。
「お前たちは何者だ?」
少し甲高い声であった。
「絵師ですよ。何度も言っているけれど」
アルバートは投げやりに答えた。見るからに興味がなさそうな醒めた目をしている。てっきり、こんな部屋は今まで見たことがないと興奮するものかと思っていた。
彼の絵心がかき立てられる基準は死に近い光景だと言っていたが、この部屋は彼の審美眼にそぐわなかったようだ。
居心地の悪さゆえに居るだけで寿命がじわじわ削られそうだが、彼の基準がいまだに分からない。
「その絵師とやらが、あの研究所でなにをしていた? 一体、なにを企んでいる?」
男は疑わしげに低い声で問い詰めた。
「人を探していたら、あの研究所に足取りがあると聞いたので入りました。ただそれだけですよ」
「探し人はマーヴという名前か?」
男の正体が分からない以上、下手に情報はだしたくない。けれど、その名を聞いた瞬間、反射的に男の顔を見てしまった。しまった、と思ったときにはもう遅かった。
俺の反応を見た男は鼻でわらった。
「やつならここにはいない。病を恐れて逃げたよ」
「マーヴ先生に限って、それはありえない」
その言葉が口をついて出た瞬間、部屋の空気が変わった。男の雰囲気が鋭くなる。
「なんだと?」
俺の言葉が気に障ったかのように、不快感がはっきりと声にでていた。
「たしかにマーヴ先生はめんどくさいことからとことん逃げる人だ。けれど、先生は恐怖と好奇心を天秤にかけたとき、間違いなく好奇心を選び取る。だから命欲しさに逃げるなんて、絶対にありえない」
「事実は事実だ。奴はこの町を見捨てた。けれど正しき道を選び取ったとも言える。この町はいずれ未知の病によっていずれ死に絶える。これは天罰なのだ」
男は低い声で言い放った。
「天罰?」
「そうだ。あの研究所は神の怒りに触れる研究をしていた。トエルト国と同じ過ちを犯したのだよ。神に近づこうとした者の末路は常に同じだ。ゆえに彼らと同じ道を歩まぬよう、神に許しを請い、祈らねばならない」
「違う。天罰なんかじゃない。病気は、解明し対処するものだ。祈っても命は救われはしない。そしてあの病気の原因は、神ではなくおそらく虫だ」
「なんだと?」
「まだ仮説の段階だが、病気になったサルの血を吸った虫に刺されると、人も同じ病気に感染する。あの飼育室には、原因となる虫が多数いた。俺たちを捕まえた男たちがどうしている? もし虫に刺されているなら、彼らは今、非常に危険な状態にある。今すぐに病院に行けば、まだ助かるかもしれない」
「なにが虫だ! 神を恐れぬ不届きものめ!」
怒声が室内に響き渡る。背後の男たちが息をのんだ音がした。
「お前たちは疫病の使いに違いない。言葉を弄して混乱を引き起こす気だろう。そうはいくものか!」
「違う! 俺はただ……」
「黙れ黙れ! 貴様の舌は毒だ。こいつらを閉じ込めろ。この疫病の使いを放って置けば、町にさらに穢れをよびこむことになる!」
男が命じるや、荒々しい手が俺の腕をつかんだ。
「離せ!」
縛られた腕では思うように動かせず、必死にもがいてもたいした抵抗にならない。
引きずられるように歩かされ、何度もよろけそうになる。それでも相手はかまわず歩みを緩めず、引きずっていく。石造りの廊下には照明はほとんど灯っておらず、足元すらおぼつかない。
ふいに足が止まる。目の前には、重く閉ざされた鉄の扉があった。
さび付いた蝶番が不気味な音をだして扉が開かれると、中へと突き飛ばされた。
体がよろめき、バランスを崩す。
なんとか足を踏ん張ろうとするが、手が使えないせいで支えきれない。
そのまま肩をから床へと倒れ込み、鈍い痛みが走る。
背後で扉が閉まり、続けて鍵がかけられる音がはっきり聞こえた。
暗い部屋に、ひとり残される。アルバートとは別々の部屋に閉じ込められた。
最悪だ。
「ここからだせ!」
立ち上がり扉に近づき叫ぶが、返事はない。
部屋の中は薄暗く、ほとんど何も見えなかった。
なのに、腕の赤い点だけははっきり見えるようであった。
恐怖がじわじわと心に忍び寄ってくる。
――俺が血を吐いて倒れるまで、あとどれくらい時間がある?
静寂の中、奥歯をかみしめる。
今はそのことを考えるな。焦るな、落ち着け。
まず、この状況を打破する方法を探し出せ。
けれど、必死に頭をめぐさせるも、答えは一向に見つからない。
ただただ時間だけが過ぎていった。
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