第七話
額には汗がにじみ、手のひらは冷たく冷えていた。急がなければと思うのに、かえって足がもたついてしまう。
大学に着いたら王子に拝謁しろと父から厳命されていたのに、遅刻するというとんでもないへまをおかしている。役目を辞され、このまま実家に帰れと言われたらどうしようか。
頭の中の構内地図を頼りに、庭園を通り抜け指定された温室へと急ぐ。やがて石畳は途切れ、林に囲まれた道に踏み入れると、足元の感触が変わった。木立は日差しを遮り、空気はひんやりと静けさを帯びる。
そのまま駆け抜けていけば、視界がふいに開けた。林を抜けた先にはぽっかりとした広がる空間があった。そこに佇むのはドーム型の温室だった。
温室の扉の両脇には、二人の護衛が立っていた。揃いの制服に身を包み、微動だにせず直立している。遠目でも、鍛え上げられた体躯だ。彼らは遠くから走ってくる俺の姿を認めると、冷ややかで鋭い視線を向けてきた。
ぜいぜい肩で息をしながら歩み寄ると、左側に立つ背の高い男があからさまに眉をひそめた。その表情には隠そうとしない嫌悪が浮かんでいた。
「ロクス・リヴィウスか?」
「そうです」
「顔面をぶちのめされたくなければ、さっさと入れ」
苛立ちを含んだドスの低い声に、思わず体がこわばる。だが、このまま帰れと言われないだけでもマシだ。情けないと思いながらも、どこかで安堵した。
男が無言で扉を開く。次の瞬間、熱気がぶわりと吹き出し、体にまとわりついた。息をするだけでも、湿気が喉に流れ込み足が止まる。けれどすぐに後ろから小突かれ、よろめくようにして中へと押し込まれた。
ドームの中は、暑く歩いているだけで汗がにじみでるほどであった。あたり一面には、見たこともない奇妙な植物が生い茂り、嗅ぎ慣れない匂いが鼻をつく。天井近くまで伸びる巨大な葉を仰ぎ見ていると、赤黄色の鳥が飛んでいくのも見えた。あまりの鮮やかに息をのむ。話に聞く、熱帯の鳥だろうか。
小道は温室の中央へと続いている。進みながら、この先にいる人物のことを考える。
フィレッダ国の王子といえば、世継ぎの王太子オリアルの名が思い浮かぶ。誇り高く、不屈の戦士であり、臣下や民からの信頼は厚い。その名声は国境を超えて響いている。けれど今日会うのは彼ではない。
第四王子であるユーリア王子。
その名は、ほとんど知られていない。極端に情報が少なく。正妃の子ではない、という噂を聞くだけだ。
(四番目なら、そうだろうな)
王太子以外の王子など、世継ぎに不幸があったときのスペアだ。むやみに多ければ、権力争いの火種にさえなる。だから叛意がないことを示し、目立たず、ひっそりと生きる道しかない。きっと、ユーリア王子も同じだろう。俺はそんな人生に親近感をひそかに抱いていた。暗い目をして、己の存在を卑下する。そんな若者に違いない。
だからこそ、その光景を目にした時、道を間違えたのかと思った。
道の先の木造のテーブルにいたのは、俺の想像とはまるで正反対の姿だった。
金髪の少年――間違いなく王子だろう――が、腰ほどの大きさもある金色の鳥に髪を引っ張られている。なのに半ば嬉しそうに「いたたたた」と慌てているのだ。もし制服を着ていなければ貴族令嬢と見間違える美しさなのに、やっていることは村の少年と同じなのがちぐはぐである。
金色の鳥は容赦がない。
肩まで伸びる艶やかな金髪をぐいぐいひっぱり、時折、小さな足で少年の頭を蹴りつけている。だが、少年は怒ることなく、抵抗らしい抵抗はせず、なすがままだ。
傍には、銀髪の長身の護衛がいた。鍛え抜かれた体は、対人戦では大いに活躍するだろう。だが、今はどうして良いのかわからず、鳥相手にただオロオロとしている。王子から手をだすなと命じられているのかもしれない。とはいえ、このままでは王子の金髪がひと束ほど持っていかれそうで、さすがに見ていられない。
何か鳥の目を引くものはとポケットを探ると、金の刺繍で家紋をふちどったハンカチがあった。義理の母に「大切にするように」と持たされたものだが、王子がハゲ頭になるよりはいいだろう。
そっとテーブルに近寄り、鳥の視界にそのにハンカチを映り込ませた。次の瞬間、鳥の動きが止まった。
そのままハンカチをそっとテーブルに置くと、鳥は少年の髪の毛をパッと放し、とんとんと飛び跳ねながらこっちに近づく。そして迷いもなくハンカチを加えて飛び去った。
温室に静寂が戻る。
少年は名残惜しそうに鳥の消えた方を見送ると、ふっと息をつき、こちらに向き直った。
「助かった。ありがとう。頭にあの鳥がとまってくれたと喜んでいたら、いきなり髪を引っ張られてあの有様だ。しかし、見たことがないほどの鮮やかさな色合いだ。あの鳥は何の種類だろう」
「ヨムカの一種ですね。ちょうど巣作りのシーズンだったのでしょう。オスは豪華な巣を作るとメスにモテるから、綺麗なものに目がない。襲われたのも、金髪が巣に最適だと思われたからでしょうね。図鑑でしか見たことがなかったが、あんな珍しい鳥が放し飼いにされているなんて、さすが生物学の権威といわれるウィーベル大学だけある」
「生き物に詳しいのだな、ロクス・リヴィウス」
その名を呼ばれ、はっとする。王子とタメ口で話してしまった。護衛の視線が鋭くなる。さっきまでの慌てぶりは消え去り、目が据わっていた。
「誠に申し訳ございません」
すぐさまその場にひざまづき頭を下げると、柔らかな声が返ってきた。
「頭をあげて欲しい。僕はあなたと同じくこの大学の学生の一人だ」
恐る恐る顔をあげると、からっとした笑顔の王子がいた。
「も、もったいないお言葉です」
「これからよろしく頼む」
言葉と共にユーリア王子は手を差し出してきた。
走ってきたせいで、手は汗ばみ、土で汚れている。ためらっていれば、彼はさっと両手で俺の手を包みこんだ。
思わず息をのむ。俺の想像していた王子とは、まるで違っていた。
毒味役と聞けば仰々しいが、やることといえば人より早く食事をとるだけのことだった。
朝早く寮に届けられる朝食を食べ、昼も早めのランチをとり、そして夕食と続く。もちろん初めのひと口はさすがに緊張したが、何もない日が続けばただの日常へと変わっていく。メルクから羨ましそうに「ちょっとくらい王族の食事とやらを分けてくれよ」といわれる始末である。無論、やらない。
王子の食事は食堂の厨房に新設された一角で作られている。大学側も並々ならぬ気の入りようを感じるが、肝心の食事内容は王族御用達の豪華絢爛なものではなく、栄養バランスの取れた健康的なメニューだった。
それ自体は良い。だが毒味薬用の分量はあくまで毒味程度で、とてもじゃないが腹は満たされないので、結局、毎食追加の食事をとっている。
王子の拝謁はあの日以来ない。
同じ教室で護衛に囲まれる背中を見るだけだ。近づく機会はほとんどない。けれど、たまにふと目が合う時がある。そんな時、彼は分け隔てのない柔らかな笑みを向けてくる。
あの一件以来、妙になつかれているようで特別視されていると思うと少し嬉しいが、周囲の護衛たちから睨まれるので手をふるのだけは止めて欲しい。
彼の噂は学園内をよく飛び回っていた。入学寄付金で新しい建物が新築予定だとか、教室で常に真ん中の席についているのは狙撃防止だとか、やっかみもあれば、褒めたたえる声もあった。
そんな王子の真偽不明の噂で驚いたのは、人前でブーツを脱いではいけないしきたりがあることだ。
話によれば、フィレッダ国の祖先が国の土台を築くため、巨人を騙してその足を借りたという。だが後からだまされたことに気付いた巨人は「王家の子孫の足を見かけたら、地を震わす」と呪いをかけたそうだ。それ以来、王家の者は人前では素足を隠さないといけないそうだ。
それが今でもしきたりとして続いているのが、なんとも不思議で不合理さを感じる。けれど、考えてみれば、この毒味役も同じなのかもしれない。
王子が毒を盛られる可能性など、どれほどあるのか。
古から続くしきたりの一つで、必要性があるからやっているというよりは、形式的にやっているだけではないだろうか。もしそうならば、俺の存在は、しきたりの型にはめるために外見を整えただけの空っぽなものになってしまうが、毒味役に深いこだわりがあるわけでもないのでまあいいかと思う。
それよりもこれからの大学生活の方だ重要だ。ルームメイトのメルクは癖が強いが悪い奴ではなそうだし、陰険で冷たいと想像していた王子は、人がよさそうで、思っていたより大学生活は円滑にすすみそうだ。これからの日々は。悪くはないかもしれない。
――けれど、その期待が長く続くことはなかった。
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