第13話 突然現れた人でない何か
町へ着くと、昨日と同じように人で溢れかえっていた。どこ見ても人だらけで、気分が悪くなる。
時間はまだ、昼時にもなっていないのに、ガヤガヤと騒いでいてうるさい。通り過ぎる人たちは、僕を見るとチラチラと見て来ながらボソボソと呟いている。いくら、新しい着物を着たとしても、僕が異質なことには変わりない。
「志水くん、行くよ」
昨日と同じように雪之丞の手に引かれながら、僕は歩く。
「町に何があるのか、大体のものを紹介していくね」
歩きながら、雪之丞は江戸の町にある店を紹介してくれた。
ご飯を作るのに欠かせない。
野菜を売る——八百屋
豆腐を売る——豆腐屋
味噌を売る——味噌屋
魚を売る——魚屋
そして、食べ物を食べるところ。
蕎麦屋、寿司屋、天ぷら屋とか。
着物を買う古着屋や、下駄屋、足袋屋、呉服屋だとか、他にも沢山ありすぎてどれがどれだか分からない。
「ざっと、この町にある店はこれくらいかな」
「たべものの匂いがいっぱいだ!」
シロは、食べ物に夢中みたいでさっきから、クンクンと鼻を動かして匂いを嗅いでいる。
僕は、食べ物の匂いと、人の匂いが入り混じって、さっきからずっと鼻が痛い。雪之丞もシロも、よく平気でいられるな、と思う。
「少し、休もうか」
雪之丞は、大通りから外れた狭い道に入ると、地べたに腰を下ろしていく。僕も倣って雪之丞の隣に腰を下ろして、シロは僕の隣にお座りをした。
「疲れたかな? 大丈夫?」
疲れたと言われれば、疲れたような気がしたから、首を縦に振ってうなずく。
「町にはたくさん人がいるから、疲れるよね。志水くんがもう少し町に慣れてきたら、今度は町で遊んでみようか」
歯を見せるように笑う雪之丞に、僕は少し不思議な気持ちが浮かんだ。
「雪之丞は、どうしてそこまでするの? それに、僕のことを異質だとは思わないの?」
雪之丞が目を丸くしていて、ハッと気がついた。
心の中で思っていたことを、また、ポロッと吐き出してしまった。
自分がさっき、どう口に出したのかも覚えていない。これは、少しまずいような……。雪之丞の顔を見ることが出来なくて、足元を見つめる。
「思わないよ」
雪之丞は、ぽつりと呟いた。
その言葉に、びっくりして顔を見上げると、雪之丞は僕を真っ直ぐと見つめていた。
「志水くんが放っておけないんだよ。それに、誰もが君を忌まわしいだとか、気味が悪いというけれど、俺は、そうは思わない。ただ、感情を知る手伝いがしたいだけだよ」
そんな言葉は、今まで聞いたことがなくて、開いた口が塞がらない。
これもきっと、都合のいい夢の一部なんだ。だから、考えるな。
「そ、っか……」
ああ、どうしてあんな言葉を口に出してしまったのだろう。雪之丞の言葉をどう受け止めたらいいか分からなくて、また足元を見つめる。
「ごめん、急にびっくりするよね。でも、きっといつか、感情を知れるからね。それまで、手伝いをさせてね」
いつも通り温かな声で喋る雪之丞の声を聞くと、不思議と耳に入ってくるし、顔を上げてしまう。今まで変わらずに、にこっと笑顔を僕に向けていた。笑顔を見る度に、僕の気持ちは落ち着いていく。
ああ、早く感情を知りたい——。
そんなことを考える余裕ができてしまうくらいに。
「よし、じゃあ、家に帰ろう」と、雪之丞が立ち上がった時。
ヒューっと、周りの空気が寒い冬のように冷え冷えとしたものに変わっていく。同時に誰かがこちらを見ているような気がして背筋がぶるっと震えた。
視線を感じた方向に顔を向けると、大通りの真ん中に全身が透けて足がない、人ではない何かが立っていた。
それは、山で何度も見た奴と同じだった。
陽の光が何かを照らすけれど、光すらも透けてしまうから、そこだけが異様に明るくなっていた。なのに、大通りにいる人たちは、目もくれずに歩いている。
あれは、普通の人には見えていないのか——。
じゃあ、僕にしか見えていないということなのか。
何かは、首が折れ曲がってしまうほどに、地面を見つめていたけれど、急に顔を上げた。真っ黒に落ち窪んだ穴は、僕の方を見ているようだった。
その途端に、何かは、ふよふよと浮きながら、こっちに近づいてきた。
反射的に、懐の中に隠し持っている小刀を鞘から引き抜いて、刀身を向ける。目がない何かには、小刀が見えてないはずだから、その隙を狙って素早く首を斬ろう。
何かとの距離は思ったよりも、あっという間に手を伸ばせば触れられるぐらいまでに迫っていた。鋭い爪は真っ直ぐ僕に向けられていて、このままだったら皮膚を引き裂かれてしまう。
「ギャァアア!」
だから、素早く首を斬り落とした。
何かは、サラサラと塵になって消えていった。
ふっ、と、短く息を吐くと、同時に、冷え冷えとしていた空気は、元に戻っていた。
「きえていったね、アイツ!」
さっきまで、ガルルルと唸っていたシロだったけれど、今はヘッヘッと舌を出しながら息をしている。シロが落ち着いている時は、もうこの周辺にさっきの何かはいないということだ。
これでようやく、長く息ができると思った時、ハッと気がついた。
しまった、ここは山じゃなくて、町中だ。しかも、雪之丞がいたことをすっかり忘れていた。いくら、雪之丞が僕の見た目を悪く思っていないにしても、見えないものを相手にしていたと知れば——。
気味悪く感じるだろう。
僕は、おそるおそる雪之丞を見ると、目を見開いてこちらを見ていた。その目から、特に何も感じなくて、今までとなんら変わりない。だけど、閉じられていた口が、ゆっくりと開口していく。
何を言うのだろう……。
今度こそ、僕を気味悪がるかな。
——あれ。僕は何で、雪之丞の言葉を気になっているんだ。
頭の中で浮かぶ疑問に、首を捻っていると。
「驚いた……」と、雪之丞がボソッと呟いた。
「志水くんも、あれが——物の怪が見えるんだね」
「ものの、け?」
初めて聞いた言葉に僕は首を傾げて、雪之丞を見つめた。
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