第9話 友達

宇歩うほ、帰ったのか」

 先輩が、僕の上から起き上がる。

 僕のほうは槍の切っ先を向けられて身動きできない。

 少しでも身動きしようものなら突き刺されかねない状況。

 市内の私立女子中学校の制服を着ている。顔は琴吹先輩に似ているが、背丈が小さい。そして眼鏡がないせいか目力が強い。


「いったい、何をしてたんですか!」


 宇歩さんが怒号を放つ。

 ああ、姉妹だ。

 つい数日前の先輩の一喝によく似ている。


「なにって――勉強だが?」

「勉強? これが?」

 ちらっとテレビを一べつする。

 退き口破壊の勝利画面のままだ。


「ああ、歴史を学べるゲームなんだ。そんなものがあるとは私もつい先日知って――」

「ゲームするのに抱き着く必要がありますか!」

 ですよね。

 ないですよ。

 ここだけ見れば、クソみたいな言い訳に違いないでしょ。

 そして矢面にさらされているのは僕。


「たしかにご学友と勉強する、とは昨夜聞きました。珍しい、と思ったんです。お姉さまがご学友を招いたことなんてなかったのに。しかもパパとママがいないタイミングだなんて――嫌な予感がして戻ってみたら、まさかこんな腐れド陰キャと――」


「宇歩」


 風のように音もなく、先輩が妹さんの間合いに入り込んだ。

 槍の柄を掴んだ先輩が妹さんのほうに押し込む。押し返そうとする腕を槍の柄ごと外側に回し込み、絡めとる。柄に脇と肘を極められた形になり、右半身が浮かされ、そのまま畳に組み倒される。

 奪い取った槍で腕を巻き取ったまま畳に押さえつける。

 眼前に槍の石突を突き立てた。


 先輩は、足元に伏す宇歩さんに顔を近づける。髪が垂れ、顔が見えない。


「私は、友人と勉強をしている、と言ったんだ」


 鋼の刃よりも冷たい声が、宇歩さんに突き刺さる。


「――――っ」


「私も少しはしゃぎすぎてしまったのは認める。タイミングも悪かったな。だが、友人を侮辱されるのは、断じて許せん」


 槍を振り払い、鴨居にかけ直した。拘束を解かれても、宇歩さんは立ち上がらない。体を丸めて小刻みに震わせている。


「小田くん、すまない。妹が失礼した。場所を変えよう」

「で、でも――」


 宇歩さんの顔は乱れた髪に隠れて見えないが、あれは泣いているのでは――?


「いいんだ。しばらく頭を冷やさせる」

 戸惑う僕に変わり、先輩はスイッチ一式を片付ける。

「これはこのまま外していいのか?」

「あ、はい、自動でスリープになるので……」


 片づけはすぐに終わる。僕はリュックを背負い、無言で立ち去る先輩を追おうとした。

 最後に倒れたままの宇歩さんをちらりと見る。


 目が合った。


 乱れた髪の隙間から燃え上がるように黒く輝く瞳が、僕を射貫く。


「――ぃ」


 見えない氷の刃先を腹に抉り込まれたかのような、とてつもない悪寒が走る。

 本能的に逃げ出した。


 燃えるような怒りをぶつけられたことはあったけど、凍えるほどの憎悪を向けられたのは初めてだった。


「どうした、血相変えて」

 玄関で先輩に声をかけられて、ようやく呼吸ができた。

「あー、いやまあ……」

 あなたの妹が怖すぎる――とは言えず、ひったくってきたリュックの確かめる。口を開きっぱなしのまま走ってきてしまった。スイッチは入っているし、忘れ物は多分ない。あっても戻りたくない。


「あの、妹さんはいいんですか?」


 玄関を出ていく先輩を追いかけながら尋ねる。


「あの子は、少し私に甘えすぎるきらいがある。少しは反省してくれればいいが」

 さっきのあの目はちょっと反省には程遠い気はする。

 それより気になったことが、つい口をついた。


「あの先輩」


 声をかけてから、はっとした。

 動揺して声をかけてしまったが、こんなことを聞いてもいいものか。

 広い庭に敷かれた石畳の道を立ち止まり、先輩が振り返って小首をかしげる。

 僕の言葉を待っていた。


「えっと……僕たちは、友人なんでしょうか?」

「うん?」

「だって先輩は生徒会長で、四学年も上で、僕に至っては腐れド陰キャなのは間違いなく――」


 両手で頬を挟まれる。

 むっとした表情で唇を尖らせる。


「いっただろ。私は、私の友人を侮辱することは許さない」

「ふ、ふみまへん」

 痛いくらいの力で顔を挟まれて、うまくしゃべれない。

「もっとも、面倒な先輩に付きまとわれてる、と君に思わせているのなら話は別だが」

「そ、そんなことないです」


 手を振り払い、否定した。

 正直、最初はそう思わなくもなかった。

 でも、やっぱり人とゲームのやるのは楽しい。

 普段はクールな先輩だけど、ゲーム中はリアクション大きいからおもしろいし。


「よかったよ、私の片思いじゃなくて」


 表情を緩めて、僕の頬から手を放した。

 その手を自分の胸に当てる。


「私は、人だ」


 僕のほうを指さして「君もね」。


「人と人がお互いに友人だと思えば、それは友人だと思うが?」


 たしかに、そうかもしれない。

 この人が僕をそう思ってくれるのなら、それに応えたい。

 僕は無言でうなずく。


「さて、ゲームの続きだが」

「え? やるんですか?」

「やらないのか!?」

「そういう空気じゃなくないですか?」


 妹さんを叱責して、僕を友人だと言ってくれて。改めてこの人はすごい、と思ったのに。


「あーうー、気になるんだよぉ、せっかく大勝利を収めたところだぞぉ、ここでおあずけだなんて殺生なぁぁ」

 涙目になってるよこの人。


「やるっていっても……どこでやるんですか?」

「う、うーむ」


 先輩は顎に手をやり考える。


「家にはさすがに戻れない……その辺でもご近所さんの目もあるし……喫茶店は、知り合いがくるかも……歴史の勉強してるのがばれる……」

 二人でゲームやってたら歴史云々じゃなくて別の疑惑が生まれそう。


「そのへんの茂み……とか?」

「アホですか?」


 やべ、本音出ちゃった。

 またむっとされた。けど、今度はふてくされてるように伏し目がちだ。


「じゃあ小田くんは何か代案はないのか」

「そう、ですね……」


 人目が避けられて、二人でゲームができる場所。

 個室で、時間制限も緩ければなおよし。


 先輩がぽんと手を打つ。


「ラブホテルが最適解か?」

「は?」


 なんとおっしゃいました?


「ラブホテルだ。知らないのか?」

「し、知りませんよ!」

「通常利用の目的は男女の肉体的交友だな。宿泊はもちろん、休憩という数時間プランも用意されている。その目的上、客への一定の秘匿性は担保されている――うってつけだな。まるで我々のために用意されているかのような施設だ」

「いやしかし――付き合っていない男女が入るのは問題では!?」

「宿泊が安価なため友人同士で利用した、と人から聞いたぞ。友人関係でも利用するのは問題ないわけだ」

 この人、ずれてる!

 しかし妙に理路整然としてるから論破が難しい!


「ぼ、僕は中学生なのでそういった場所に出入りするのは――」

「黙っていればバレやしまい」


 なんて生徒会長だ。


「たしか駅の裏手側にあったな。そうと決まれば急がねば」


 もうこの人、ゲームのことしか考えてない。

 ああ、もうダメだ――

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