手記。事実として。

副島桜姫

経緯

幼少期より、言葉を言うとなじられる環境で育ちました。

なので、メールやお手紙でしか言えません。


一度しか呼称を言いませんが、あの、私を産み落とした女――つまりは、生みの母親です。以降、Hと呼びます。


 名前も言いたくないので、イニシャルではなく、母親の頭でHです。


 ちなみに、物心ついた時には何故か私を憎んでいた長男は、昏君(フゥンチュンだったか、フォンチュンだったか、覚えておりませんが、日本語では「ばかとの」が意訳として近いです。本当に、副島という国の王ですから)と呼びます。


 父親は、馬鹿でしたがまともでした。少なくとも、私を娘と認識していました。


 2024/11/25に救急車で病院に運ばれ、入院しましたが、その前、倒れたと言っていた前金曜日の夜ですが、実は、倒れるまで時間がありました。


 足が崩れた状態で、まだ上体は起きていたんです。

 その時、スマホは持っておらず、スマートウォッチから精神科主治医に連絡、動けない旨伝えました。


 その時の私は、施設に入るにも入院するにもHの同意書が必要と言われ絶望し、主治医にも、「ご迷惑おかけしました」と言いました。

 主治医も、どうしようもないと言っていました。


 そのまま、放置されれば、三日水を飲まなければ死ねると思い、倒れこみました。

 ところがまあ、床に長時間転がっていても意識はあるし、眠気もこないし、安らかにとはいきません。


 身体中が――とくに床に接している部分が痛くなり、謎の痛み(腹部がいきなりどこからでも痛くなる)も始まりました。


 その時思っていたのは、最後の小説を書きあげた後でよかったということでしたが、別の小説を書いていた時に、感想としていただいた、「同じ悲惨な立場の人がいきなり幸せになれば、それは嫉妬するでしょうね」というものから、結局気づいてしまったんです。


本当に、なぜあの時気づいたのかわかりません。末期の勘でしょうか?


すべての辻褄が合いました。


Hは、私を産んだ際、女というだけで、Hが実家で受けてきた境遇と、嫁入り後の家で最下位につけられて虐められている境遇よりさらに酷い境遇になり、Hの慰めになるものと、私を認定したんです。


ところが、そうはならなかった。

Hは所詮、教養のない嫁。私は絶対権力者の祖母の孫。

男尊女卑が酷い家とはいえ、嫁より孫でした。


それを知ったとき、Hは私を復讐の対象とし、今まで自分が受けてきた仕打ちはすべて私が償うべきと思ったんでしょう


 飛躍しすぎていると言われるかもしれませんが、こう考えると全て辻褄が合うんです。


 最初は、度が過ぎる男女差別と思っていました。

 次に、使い物にならない、お金にならない子供に「投資」して、失敗したからだと思いました。


 ですが、どうもおかしかった。


 最初の違和感は、年齢も覚えていませんが、枝郷という奥別府の村落にいたころ。

 あの時は、祖母の目も父の目もあり、Hは可愛がっているふりをしていました。


 ですが、私が欲しがっていた玩具のミシンを、やっと買ってもらえた(誰が買ってくれたのかはわかりません。それこそ、祖母や父かもしれません)時。


 「危ないから、気を付けないと取り上げるよ」とHに言われ、私は気を付けました。


 ところが、何故か、枝郷の山奥まで従姉のSが来て。


 Sは、Hがとてもかわいがっていました。いつもSちゃんSちゃんと言っていました。


 そのSが来て、玩具のミシンを触らせろと。


 私は、気を付けないといけないから、と断ろうとしましたが、Sは、Hが良いって言った!と主張し、弄ります。


 そして、どうやったかは本当にわかりませんが、ミシンの針が降りる場所に(普通、無理矢理入れないと入りませんが)指を入れて針を下ろし、針を指に刺して、「ケガした!」と言い張ったのです。


 可愛いSが怪我をした。


 その事実をもって、Hは玩具のミシンを取り上げます。

 もちろん、Sちゃんが勝手にやったと言いました。


 散々なじられた挙句、危険物であるミシンは、無理矢理取り上げられ、何故か、(今思えば、対象年齢になっていないはずですが)私より二歳年下の祖母の孫のTと、その更に年下のNに引き渡されました。


 普通、危険物は捨てます。

 なのに、私よりよっぽど危険が分からない年齢の従妹姉妹に渡されました。


 当然、姉妹は、祖母の長男の子です。何かあればHが危ないです。


 つまり、ミシンは危険物ではない。取り上げたかったのだと。


 私が大喜びしていた様子が、よほど気に入らなかったのでしょう。

 以降、何年経っても、この子に玩具のミシンは与えないでくださいと、危険だと言い続けました。


 誰と出かけるときも、玩具のミシンには触らせないで。Sちゃんに怪我をさせたから。と。


 最初の違和感でした。




 次いで、クッション事件です。

 

 あれだけ富んでいた伯父の事業が倒産し、父とHと三人兄弟だけで竹の内に引っ越しました。(借家)


 監視は父のみ。やりやすくなり、Hの理不尽な怒りはいよいよ始まります。


 ある日、可愛いクッションを見せられました。

 Hは、お手伝いが上手くできたらくれると言いました。


 私は信じて、お手伝いを頑張りました。聞いていたよりも仕事の多く、Hができないと怒鳴るお手伝いでしたが、クッション欲しさに頑張りました。


 そして、一週間でしょうか?

 それくらい経ったころ、Hがクッションを持ってきました。

 Hは私の好きなものが分かるようで、本当に欲しかったご褒美を受け取ろうとしたら、Hはクッションを上に持ち上げ、触らせませんでした。


 そして。

 「このクッションをきみちゃんが持つのはおかしいから、なになにちゃんにあげる!」


 約束が違うと泣きました。

 叩かれました。


 おやつも抜くと言われた挙句、結局クッションは消えました。


 なになにちゃんは、近所の子でしたが、クッションのことは聞きませんでした。なになにちゃんのお部屋にお邪魔しても、ありませんでした。


 消えたクッションだけではなく、


 厳しく指導されたお手伝いを


 続けろと言われました。


 クッションがないと言ったら、また言葉責めです。

 終いには、父親に叱ってもらうと言い出し、結局お手伝いは続きました。


 兄弟も見ていました。

 兄弟は、お手伝いは私がするものと刷り込まれました。





 小学校に上がった頃、また違和感が。


 ランドセルは新品でした。

 ですが。


 上履きは男女共通でした。


 そして、


 昏君が履きつぶして穴の開いた上履き。


 昏君の着古した古着。


 もちろん、泣きました。

 昏君が見ていました。

 普段から私が憎い、消えろ、死ねと言っていたくらいです。愉快だったでしょう。


 結局、昏君のお古で学校に行かされました。


 昏君は、自分のものがお下がりで私に行くと(Hが吹き込んだのかもしれませんが)思ったら、


 自分の持ち物すべてに、ど下手なひらがなで、油性ペンで


 (昏君のフルネーム)


 と書くようになりました。


 Hと昏君の連携で、私は学校で、


 (昏君のフルネーム)と呼ばれました。


 昏君が、枝郷に居たころに、私を、伯父の家の階段から故意に理由なく突き落としたときに、死んでおけばよかったです。

 そうすれば、昏君は責められたでしょう。







 学用品にも新品はありました。

 水彩絵の具セット。女子は赤でした。

 粘土板。


 ところが、どういうわけかわかりませんが、


 昏君は自分のものがあるのに


 私がまだ名前も書いていないそれらを学校に持っていき


 粘土板は、おそらく、砂かセメントに擦りつけたのでしょう。


 水彩絵の具は、パレットは染みだらけ。絵具は、チューブを破らんばかりにねじられて却ってきました。


 泣くと、Hが激怒。


 贅沢言うな! 返しただろう!


 なんで私のものを持っていくのか、わかりませんでした。当時は。







 雪の日の冤罪。


 当時、よく覚えています。

 雪の降る寒い日でした。


 夕飯前に、お風呂に入って、パジャマに着替えて寛いでいたら


 Hがやってきて、冤罪を言いました。


 私は何も知らないですから、やっていないと言いました。

 

 そうしたら、


 家の外に放り出されました。


 鍵をかけられ、玄関のドアを叩きながら、必死にやっていないと言いました。叫びました。


 この時は、私がやったと誤解していると思ったのですが。


 Hは、私がやっていないことは知っていました。

 私が察して、やってもいないことを必死に、やりました、ごめんなさいと叫ぶと、玄関が少し、チェーンをかけて開き、


 反省したら入れてあげる。と


 本当に、やってもいないのに、わけもわからず謝り続けました。

 Hは愉快だったでしょう。


 雪が降る中、パジャマに靴下。髪は濡れて。


 そうしたら、Hにとっての誤算が起こりました。


 父親が予期せず帰宅し、玄関を開けながら

「何しよんのか?」

 と聞いたのです。


 Hがやったことを言えればよかったです。

 ですが、Hの洗脳で、父親はとにかく怒る、怒ると叩くと仕込まれていました。


 Hは、父親を見るなり表情を戻し、

「何しよんの? はいらんね?」

 と、玄関を開けました。


 Hに逆らってはいけないと、この時、学習しました。







 Hは、演技も上手いです。

 私に服を縫って、可愛がっているふりをしました。


 昏君の古着に、手縫いの服。


 しかも、手縫いの服は、これでもかというほどダサくて。


 わざと、やっていたのでしょう。


 結局、手縫いの服のせいで。

 おかまが雑巾で女装したと言われ続けました。


 ついでに、服も買えない貧乏人と。


 そりゃあ、昏君の名前が下手な字で油性ペンでフルネーム書かれた、穴の開いた上履きで、擦り切れた古着で、どこのデザインかもわからない手縫いの服で。


 まさか、家に金があるとは思わないでしょう。








 昏君は、家庭科の裁縫道具にも、下手な字で平仮名で、名前を書きました。


 当然、当時男子は中学校で家庭科がなかったので、それを押し付けられました。


 クラスメイトが分かっていて、面白そうに笑います。

 家庭科の先生が来て、


 早速忘れたのか?


 違うと言いました。信じてもらえないかと思ったのですが、クラスメイトが(意図はわかりませんが)


「きみちゃんの家はビンボーで買えません!」


 それを聞き、古着と上履きを見て、家庭科教師は納得したようです。


 親に買ってもらえと言われました。





昏君が中学に上がると、当然テストがあります。

Hは、昏君のテストの結果が良いと、ステーキを焼きました。

昏君は、「嫌味食い」と呼んでいたのですが、あげようか? あげようか?


 やっぱりあげない!


 と、楽しそうに、美味しそうに食べていました。


 私は中学に上がって、学年10位でした。

ステーキはなかったです。


 次も10位でした。

 担任が家庭訪問で褒めました。


やはり、ステーキがないので聞きました。


あんたに焼かないけん理由があるの?


 逆らえませんから、これで終わりです。








昏君が帰宅部でした。

なので、私も部活に入らないと言いました。


Hは、美術部に入れと言い出しました。

いつでもやめていいからと。


そして、数日のうちに、花瓶に活けろと何故かチューリップを買ってきました。


嫌々やっているので、適当に花瓶に挿したら


「ここはどうなるの? バランスが悪いでしょ!」

Hが激怒し、


「美術部に入れば、こういうセンスもできるのよ!」


逆らえないので入りました。


部員がおらず、とんでもないところでした。

やめさせてくれと言っても、やめられません。


ある日、美術部の必要なものでお金がいると言いました。


「どういう出費? 続くの?」


そんなことわかりません。

お金が惜しいならやめさせればいいのに


きみちゃんにお金使わされた!!


と、騒ぎながらお金を出しました。


結局、部員がおらず、部長までやらされました。


美術は大嫌いになりました。

そもそも、小学校の水彩絵の具と粘土板も、美術の範囲です。







幼稚園から、虐められていました。

そりゃそうです。可愛がられていない子など、虐めの的です。


最初、幼稚園の頃は、必死にHに助けを求めました。

結果、ひどくなり、Hは助けてくれない。Hに言ってはいけない。


耐えるほかないと学習しました。







小学校のころ、冬です。鼻をかんだら、周りにクラスメイトがたかって、


はなかんだ!

こいつはなかんだ!


鼻をかんではいけないと学習しました。


でも、鼻水は出ます。


トイレの個室で隠れてかんでいたら、クラスメイトが知っていました。

トイレに入ると皆、笑います。


中学のころには、皆が、トイレの個室を覗いていることも知っていました。


耐えるしかないです。


ある日、二人、現場をおさえました。


どう言い訳するのかと思ったら


私たち、次は体育なの! 邪魔しないで!!


はいはい。解放しました。Hに言うそうなので。


トイレ覗かれたって、誰にも相談できないんです。








普段、Hや昏君から言われる言葉。

普通に言うことだと思っていました。


中学校で、少し仲良くなった子がいて。


その子のお友達と話したとき、普段昏君に言われている単語が出ました。


そうしたら、その子は号泣し。

仲良くなった子が私を引っ叩き。


なんでそんな酷いこと言うん!?


訳が分からない状況でした。

でも、ひとつ、確かなことがありました。


号泣して、お友達に可哀想と慰められているその子が、羨ましかった。

あの子になりたかった。


クラスメイトと話してはいけないと学習しました。





勉強したこと以外は、学校生活で覚えていることがありません。

そして高校を決めるとき、私は、別府商業がいいとHに言いました。


少しは自我があったのでしょう。就職して一人で暮らしたいと。


Hは、


昏君がそこにいるのに、あんたが入ったら嫌がるでしょ!


激怒。


結局、青山に入らされ、虐められました。








高校も、同様です。

クラスメイトと話してはいけない。

咳をしてもいけない。

友達がいないから、ノートも借りられないので、学校も休めない。


その割に、テスト前だけ「友達」はできます。

私の学習時間を使って勉強を教えさせる友達。


何人いたかも覚えていません。


ただ、鬱陶しかった。


そして、そいつらの誰かに、代わってほしかった。









高校のころ、小説を書くことを覚えました。

楽しかった。


なので、Hに、


将来小説家になりたい。と。


言ってしまいました。


Hは、


「うちはお金がないから、医大の看護科に行って」


私は中学のころから、看護師さんには失礼ですが、


看護は3Kだから嫌!


と言っていました。


Hが看護師だったので、予防したつもりでした。


嫌だと言ったので。


Hは、父親に、


私が医大の看護科に行って看護師になりたいと言っている。


と、嘘を吹き込み。


教師もサラリーマンですから、生徒がいい大学に行くと高評価なので。


Hの言葉のままに動きました。


何故か、お給料をすべて、Hに貢ぐことまで決まっていました。恩返しだそうです。









適性がないのに、医大の看護科に受かりました。

地獄でした。


日々、嫌なことばかり学び。


レポートが家では資料がなくてできないので、朝5時前の始発のバスに乗って、夜11時過ぎの終バスで帰宅。


大学に早く行って勉強し、遅くまで残って勉強し。


暗闇の未来。

Hに貢ぐ未来。


それしかないのに。


父親が、遊びまわっていると罵り。

Hは、要領の悪い子と嘲り。


鬱病になりました。

診断書を持って帰ると(特殊な病なので、と、医師がつけてくれました)、これまでにないほどキレられました。


Hは分かってやっていますが、父親も、


金出して希望校に行かせたのに!


です。


そもそも、入学したら、


奨学金です。借金です。


申込金額が大きすぎるので、流石に大学からHに聞いて来いと言われ。


Hは、


「昏君が安心して卒業できる。弟も好きな学校に行ける」


昏君が通っていたのは、酷く偏差値が低くて、遊べて、それでいて金食い虫の極みの学校です。


ずっと、言い出せませんでした。

昏君を学校辞めさせれば、私が医大行く必要ないだろう。お金ができるから。

高校の時、ずっと言いたかった。


言えば、追い出された、一言。


結局、両親の収入が大きすぎるので奨学金の審査に落ちて、ほっとしたのも束の間。

Hが復讐してきました。


私が落ちるように書いたと。


私もそうしたかった。

でも、したら追い出されるのでできなかった。


逆らったら追い出されるんです。








結局、医者の言うように休ませることになりましたが、その直後。


大学の同期から、大丈夫か大丈夫かの電話がひっきりなしに。

そして、禁句の「頑張れ」「応援してる」「頑張れば治る」連発。


この人たち、精神看護学んでいます。

禁句だと知っています。


それを言ってやめてもらいました。


そうしたら、


鬱病になったきっかけは?

今の希望は?


ピンときました。

実習の患者です。


実習に協力してくれる患者に言うことです。


人を教材にするなら、学生課に言う。

その一言でぴたりとやみました。








そういう経緯もあって、医大に入院はきついだろうと、心療内科のような科でしたが、先生が地元の病院に紹介状を書いてくれました。


紹介状の病院には、Hが同伴していきました。


医師は、医大に始発と終発で電車とバスで通わせたという一言だけで、


そんなことすりゃ病気になるわ! 見ろ! 一生治らんから、お前、面倒みい!


Hは、


この病院はダメ。


そう言って、紹介状なしで、Hのシナリオを信じた病院に入院させました。








以後。


父親は精神病を認めない、サボり認定。

Hは分かっててやっている。


地獄でした。


部屋は、納戸になっていました。

狭い納戸を、私の部屋と呼ぶようになりました。


そうして、


病気だから、月5千円あげる。


受け取ったことが、間違いでした。









鬱病の薬で太りました。

ダイエット地獄ですが、辛いので、語ることがあったら、いずれ。


それより大きな問題が。


服が入りません。


Hに買ってといいました。


Hは、


5千円あげたでしょ!


激怒。


小学校のころ、確かに言っていました。

5千円お小遣いもらったら、ノートも鉛筆も自分で買うのよ、と。


病院への交通費。

衣類。


特に診察費は、何故か(今考えれば当然ですが)、自立支援医療(医療費がかなり安くなる)をHが拒否。

私が三割を、5千円から。


足りない。


そう言えば、追い出される。


そういう時、Hがいつもの調子で


リボ払いできれば足りるわ。


はっきり言って、覚えていました。

高校のころ、教師が、善意で授業で、


脱線するけど、お前ら、サラ金手を出すなよ? 地獄で?


忠告してくれました。


私の手元にあったのは、保険証。

そして、税金を逃れるため、Hが勝手に自営業に籍を入れたという事実と、


何故かHが置いていった、知らなかった、自営業の住所と屋号。


生きるには、他になかった。

追い出されると。


知らなかったのですが、在籍確認というものがあったと後で知り。

Hは知っていたのだと。


結局、借りたお金の利子を借り、雪だるま式で。

7万円になったところで、Hに告白。


何故か、自営業の職場で発生していた、金品盗難まで被せられました。


どうやって、車で40分かかる職場で金品を盗むのか。


父親が、身内の犯行だったと警察に謝罪し、被害届を取り下げ。


地獄です。


私の借金の補填として。


5千円がなくなり。


一度は返したお金をまた借り。


Hは、嵌った私に、ただ借金を与えて返させ。


私は、お金はもらえないけど、借金すれば親が出すと学習しました。


そんな時、パワーストーンが運命を開くと言われ。


特に指輪が絆だと。


そういう広告をチェックし、そういう店に行くと貴金属の高いものを勧められ。

借金をして買って、借金が怖くなって売って。

足りない分は、Hが無言で補填。


小学校二年の時から、自殺できればと思っていました。

実行したのは、鬱病が確定して、しばらくして。


Hの機嫌うかがいに疲れたのと、父親の働け圧。


それに負けて。


大量服薬。


楽になれると思っていました。


目が覚めて、生きていると知ったときは、地獄でした。


借金まで重なり。


罪悪感もあって。


何度も大量服薬。


なんで、しなないのか……ほんとうにわからなかった。


そうするうちに、Hの言動に疑問を感じるようになりましたが。

すでに借金体質。

そして、借金をHが出していて。


誰にも言えなかった。


そうするうちに、父親が自殺。

原因は、煙草を1日60本吸いたいばかりに治療拒否したC型肝炎から癌化。その苦しみだろうと。


はっきり言って、異常ですが。


働け圧が消えたとほっとしました。


分かっていなかった。


Hをとめるものが何もなくなったとは。









どうして。


親は子供を里子に出して捨てられるのに。


子は親から縁を切れないのだろうか。




どうして。


親は子供の名前を決めるのに。


子は名前を変えられないのだろうか。







私の名前は、忌み名。


Hは祖母にいびられていた。


祖母も、女の孫はいらないと言っていた。


その祖母が、自分の字の字体の一部とはいえ、女の孫に与えるわけはない。


昏君は、祖母が出生届で字を書き間違えて違う字になったが、本来は父親の字が与えられる名前で。


弟は、母に一字もらって。


まあ、Hが、私が憎くて、勝手に憎い祖母の名前を一部使ったのでしょう。






Hは、私が扱いがおかしいことに気づくと。


私は(私の祖父母でHの両親)に、小さいころから内職させられて、遊ぶ暇もなかった。

遊んでる子が羨ましかった。

成績がよかったのに、金目当てで看護学校に行かされ、辛かった。

嫁いだら、出が卑しいとか、学歴がないとか虐められた。

だから。


そこで言い返した。

自分が酷い目にあったから、他人を酷い目に遭わせていい法律があるなら言ってみろ。


Hは、本当に、私に復讐していた。

それには当時気づかず。


親子として接していて。


ふと口に出た。ボロが出た。


結婚申し込んでくる人がたくさんいたの。なんでお父さん選んだんだろう。


普通、考えれば分かる。

母と兄に虐められている次男に嫁げば、自分も虐められると。


要するに。

次男で、金持ちだった。


実際、金目当てに、祖母に取り入ろうと山を登ってくる人がたくさんいたそうです。


幸運の壺を売る宗教は、実入りが良くてよく来ていたらしい。

祖母の死後、幸運の壺はガラクタと判明。いくつもあったそうです。


そもそも、伯父が事業失敗して破綻したら、祖母の権威は失墜した。


自分が伯父に虐められる立場になって、祖母はHに謝罪したらしい。


その、祖母の失墜が、私が5歳のころ。

祖母が謝罪し、Hは受け入れ、私に復讐する意味はなかった。


それでも、一度復讐対象にした、自分より下のものが、上に上がる理由にはならなかった。


私が大量服薬を繰り返していたことも知っていた。そう、娘が心配だと医者に取り入っていた。


しかし、まあ。


父が死に、借金漬けの私の補填をしていたら困るので。

お金がないと私を生活保護にして、グループホームに入れた。


そうして、私は、当時Hを信じていたので。

グループホームは終の棲家ではないと言われたと最初に言ったが。


Hは、一生そこに居ろと。


グループホームの管理人から説明してもらうと。


逆ギレ。


そうしてHとの電話で聞くのは、どこに旅行に行ったとか、今度どこに行くからその間電話するなとか。


こっちは、働けないのに、入ったグループホームが就労を条件とするところで。

働いては疲れて眠り。

B型就労支援とはいえ、本当につらかった。

家畜以下の扱いで、権利も奪われて。(これは辛いので、明記しない。主治医が知っています)


トラブルになって困っても、お前が悪い。


その頃、私はHの洗脳が薄れて、Hに逆らうことを覚えていた。


Hは、父の遺産相続の際、私の権利も守ると言い、H一人が遺産を持つことに同意した。


詐欺を前提とした契約は無効。


Hが、私が帰りたがっていた家を勝手に売った際、その言い争いになり、結局、生活保護を解いてHが面倒見ることに。


だが、昏君が自分が建てる家に入れないと言ったため、Yビルに移住。


はっきり言って、Yビルは良い場所だった。

ここなら一生居てもいいと思った。


まだHを信じていたので、それをHに言ってしまった。


Yビルは、生活保護の人間も住んでいて、Hが死んで仕送りがなくなっても生きていけるし。


そう思っていたら、Hが勝手に、お金出しているからと、私を家賃のめちゃくちゃ高い他のビルに引っ越させた。


娘のため。


その建前と、人を騙す微笑みと涙で。


結局、Hは破産、出せない金を出させたと、何故か破産が私のせいになっていた。


父の死後、借金の補填はさせておらず、Hの我儘で使った金だけ。

しかも、昏君が、破産を成立させるために数百万払ったとか。

規模が違います。


Yビルに戻せとHに迫るが、義務はない。と。


高い家賃に、Yビルに空きができるまで耐えられず、Uビルへ。


奇しくも、Hが住む昏君の宮殿と、徒歩12分。


まだHを信じていた愚かな私は、


体調が悪いときはいつでも駆けつけて付きっ切りで看病する。


という、Hのデマを信じ、Hにずっと救援要請を送っていた。


返事は、眠い。昼寝する。


いい加減、私がキレた、2024年8月。

法的に争うと言うと、やってきた。


看病と称し、一日何も食べていない人間に、脂ぎったチキンカツ、脂のチャーハンなど、嫌がらせのものを持ってきた。


炊飯器に白米が残っているからお粥作って。


それを何回か言ったら、Hも逆ギレ、ただし、おくびにも出さない。


調味料入れはレンジの下だと言ったのに、台所を漁って塩の袋二つを見つけ出し、


粥と言っていたが。


炊飯器のご飯に、たっぷり塩を溶かした湯をかけただけのもの。


ちょっと、床にこぼした、と言っていた。


粥を出したら、さっさと帰ったので、


勝手に帰るな。完全看護。

トイレ介助と入浴介助、あと病院に連れていけ、と。こちらがメール。


返事はない。


ようやく立ち上がってトイレに向かうと、床に違和感。


塩の海だった。


素足についた塩を落とす体力もないのでそのまま横になると、当たり前だが、ベッドの上全体に広がり。


目にも入った。


ここまでされても、Hは親だからと救援要請。


ずっと返事はなく。


警察を呼ぶとメールすると、


夜中にやってきて床の塩を拭き取り、


トイレ介助もお風呂もするで?

ただ、私潰れるから。殺人罪。


その時のHの卑劣な笑顔に、ようやく、Hは私を憎んでいると悟る。


そんなことしかできないなら、鍵を置いて出て行って。


そうメール。口を聞くのも嫌だった。


するとH。


ヘルニアだのガラスの腰だの言っていたのが信じられないほど、機敏でしっかりした動作で、


お役に立てずに申し訳ありません!


初めてだった。

Hが謝ったの。


そうして、俊敏に鍵を持って部屋を去り。


鍵を返せとメールしても、返事なし。


何度もメールするうち、


たとえ体調悪くて救急車呼ぶことになっても、あんたが鍵の交換代を出さないと乗れない。殺人罪。


と送ったら


何故か救急車呼んだ。


救急隊を使って部屋に侵入し、目的を果たすと救急隊に


娘が迷惑おかけしました……。


と、涙と笑顔。

男騙すのが本当に上手い。


こっちは警察に電話したが、警察もHが何か言った後だった。


お母さんは大事にしなさい。


は?


お母さん、って、誰?

昏君の母親なら知ってますが。



余談。

実家に金がないと売った家の売り上げは、全額、昏君が宮殿作る前金になっていた。

私にも権利ある家を騙して売って、得た金。

金の六分の一は要らない。家を返せ。




警察も、母親に愛されて育ったであろう男性ばっかり入ってきて、言ったことが。


トイレ行けないなら、箱にビニール張って使ったらどう?


……は?

ベッドの上、不安定なマットレスの上で起き上がってしゃがむ?


そんなことできるならトイレまで歩ける。


この発言からしても、完全にHの味方。


全員追い出した後、どうにか動いて、翌日知ったこと。


当時、入手が非常に難しかった5キロの米袋、しかも開けたばかりの中に、のこり一つの塩の袋を開けて、逆さにして、米袋に入れてあった。


流石に、もう一度警察に言ったが、


勝手に家を出て、都合が悪くなると勝手にお母さんを頼ったのが悪いんじゃない?


…………誰の話?

完全に、警察はHの虜。


本当に、特に男騙すのはプロだから。


これでHと縁を切ったと思ったら、


11月に、グループホームへの入居も、入院も、Hの同意書が要ると。








どうして、親はいくら子供を虐めても、


忌み名をつけても、


里子に出すこともできるのに、


子は縁を切ることもできないの?








お願いだから、コレを、私の親と呼ばないで。

入院時、どうしても必要だと、でないとアレの名前を書くと。巻き込みたくなかった伯母の住所氏名電話番号を、巻き込んですまないと電話して、同意もらって伝えたけど、


アレの連絡先も病院に伝わった。



アレ、親ですか?


一度でも愛しましたか?


憎かっただけでしょ?



11月に、事故に乗じて死のうと思ったときに、わかってしまった。


自分が受けた仕打ちを、何故か私に償わせようとしたと。





アレを親と認識する人がいるなら、私は死ぬしかない。


アレを


忘れて。


記録も消して。


緊急連絡先じゃない。

親じゃない。


昏君の親。





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