第4章:記憶に潜む亡霊 —— 蓮見の秘密
図書室の奥に、使用頻度が低い古書を保管する書庫がある。その一角で、冬華(とうか)は久々に視線を上げた。暖色の照明が無数の背表紙を照らすが、そこにいるのは自分だけではなかった。長い髪を後ろで束ね、分厚い本を小脇に抱えた女子生徒――蓮見(はすみ)が、黙々と背表紙をなぞっては何かを確認している。
冬華が目を止めたのは偶然ではない。ここ数日、蓮見は図書室で頻繁に見かけるが、その立ち居振る舞いがどこか人目を避けるように見えたからだ。学園内で“特別クラス”への参加者が続々と発表され始め、ざわつく空気が広がっている一方、彼女だけは今までと変わらぬ静けさをまとっている。しかし、その動きには隠された意図があるらしい、と冬華は薄々勘づいていた。
「……何か探し物?」
隣の棚から顔を出して声をかけると、蓮見は一瞬ビクリと肩を震わせた。視線だけが冬華を捕える。細い眼鏡の奥で、感情の見えにくい瞳が静かに揺れた。
「あ、冬華さん。……ううん、別に。読む本が多くて、つい片づけがてら探していただけ。」
いつものように小さく笑って返すが、その表情はどこかぎこちない。読書家としての蓮見を学園内で知らない者はいない。しかし、ここ数日の行動は単なる“読書好き”の範疇を超えている気がする。実際、彼女は自分の部屋や誰もいない教室で、古い文献らしきものに没頭している姿を何度も目撃されているのだ。
冬華は心の中で逡巡した。これまで蓮見とはそこまで親しいわけではないが、先日、彼女がさりげなく「学園の歴史には興味はある?」と問いかけてきたことがある。それを機に、もしかしたら蓮見もこの学園の闇を探っているのではないかと感じたのだ。そして、こうして図書室の片隅で再会したのも、何かの縁なのかもしれない。
「ねえ、蓮見さん。私、この前……“特別クラス”の資料を読んでみたんだけど、あまりにも情報が少なくて。過去にどんな研究をしていたのかとか、詳しく知りたくて。」
そう切り出すと、蓮見は軽く瞬きをし、鼻先まで上げていた本をそっと閉じる。壁際にある椅子を指し示してから、小声で囁いた。
「ここで立ち話もなんだし、ちょっと座りましょうか。」
こうして二人は背の低い書架の裏手にある小さな丸テーブルへ移動した。人目につきにくい場所だからか、周囲の雑音はほとんど聞こえない。静寂の中、蓮見は分厚い本とノートをテーブルに載せる。
「私ね、この学園には“封印された研究データ”があると思ってるんです。普通は図書室にもそれほど開示されていないんだけど、昔の新聞記事や断片的な論文を寄せ集めると、どうも“特殊な力を持った子どもたち”を対象にした実験が行われていた形跡がある。」
「特殊な力……つまり異能を研究していたってこと?」
冬華の問いに、蓮見は頷く。すでに冬華も、“特別クラス”や能力者の存在についてはある程度把握している。それでも、この学園の“過去の研究”を正面から語る人は少ない。それを語ろうとする蓮見は、まるで研究者のように淡々としていた。
「そう。しかも、その研究は今も継続している可能性が高いわ。むしろ近年になって一層本格化しているのかもしれない。だからこそ私たちのような“力を秘めた生徒”が集められているのよ。でも……今回、冬華さんにも教えておきたいと思ったのは、過去の文献で“七つの瞳を持つ被験体”という記述を見つけたから。」
“七つの瞳”――。聞き慣れないフレーズに、冬華は思わず息を呑んだ。直後に頭をよぎったのは、亜矢斗のことだ。彼が誰にも話せない秘密を抱えているのは周知の事実だが、それが“七つの瞳”と結びつくのだろうか。
「蓮見さん、その“被験体”っていうのは……?」
「何十年も前から、学園では能力者の可能性を持つ子どもを集めていたらしいの。そのなかで、異常に大きな力を示した被験体が存在した――論文ではそう書かれているのに、途中で記述が途絶えてしまう。何か重大なトラブルが起きて、研究が中断されたか、あるいは闇に葬られたのかもしれない。」
蓮見はノートを開き、鉛筆で書き加えたメモを冬華に見せる。そこには日付と論文タイトルらしき断片が列挙されている。真偽は不明だが、「暴走」「制御不能」「施設全壊」などという物騒な単語が並んでいて、彼女が相当量の資料を読み解いているのが伝わってくる。
「“七つの瞳”というフレーズが、何度か登場するの。まるで多重人格のように複数の意識を持っている、あるいは目に見えない位相を切り替える力がある――そんな仮説まであったみたい。だけど、最終的な報告は見つからない。そこで私は“記憶干渉”の力を使って、もう少し核心に近づこうと思ってるのよ。」
さらりと口にした“記憶干渉”の四文字。冬華は蓮見が何を言っているのか、一瞬理解が追いつかなかった。だが、その言葉には強烈な引力があり、その能力の意味するところを想像してゾッとする。
「記憶干渉……って、具体的には?」
「他人の脳内にアクセスして、記憶を“読み取る”か、断片的に“書き換え”ることができるの。さすがに大掛かりな改変はできないけど、短期記憶を混乱させたり、過去のトラウマを追体験させたり……そういうことなら可能。最近は精度が上がってきたから、相手に気づかれずに深層の記憶を見ることもできるわ。」
ぞっとする能力だ。冬華は鳥肌が立つのを感じつつ、蓮見が自分や周囲の人間の記憶をどこまで見ているのか、想像するだけで恐怖が湧く。ある意味では“解析眼”を持つ真琴や、“振動操作”の円よりも、人格そのものを揺るがす危うい力と言えるかもしれない。
だが、蓮見の目を見れば、そこに悪意めいたものは感じられなかった。それどころか、彼女自身もこの力に苦しんでいるような陰りがある。周囲には決して積極的に公言しないのは、使い方を一歩誤れば取り返しのつかない事態を招くと理解しているからだろう。
「……怖いと思う?」
蓮見がふっと自嘲気味に微笑む。冬華は返答に詰まったが、嘘は言えなかった。
「正直、すごく怖いよ。そんなこと、誰かにやられたら……でも、蓮見さんは私に危害を加えるつもりはないよね?」
「あら、冗談はともかく、そう思われても仕方ないわね。でも、わかってほしい。私だって好きで覗いてるわけじゃないの。使い方を間違えれば“自分”まで壊れてしまう危険があるし。だけど、この学園に漂う闇を突き止めるには、誰かの記憶の中を探るしかないこともある。」
蓮見は静かに本を閉じ、長いため息をつく。冬華には、彼女が何を犠牲にしてまで学園の秘密を探ろうとしているのか、想像もつかない。もしかしたら家族の問題や、学園に恨みを抱く何らかの理由があるのかもしれない。けれど、そこを深く追及するのは躊躇われた。
それでも一つ気になることがある。蓮見が掴んだ「七つの瞳を持つ被験体」の話が、亜矢斗に繋がるという示唆だ。亜矢斗自身も、大きな力をコントロールできず、過去に暴走した――そんな噂は冬華の耳にも入っている。
「……蓮見さん。もし、“七つの瞳”が亜矢斗のことだとしたら、何がわかるの?」
冬華が意を決して尋ねると、蓮見は静かに頷き、声を落とす。
「実は、つい先日、彼の脳裏を少しだけ探ったの。気づかれないように浅い部分をかすめただけだから、すべてがわかったわけじゃない。でも――断片的に見えたの。廊下に血痕が広がり、誰かが倒れている光景。それから、暗闇の中で“何か”が暴れ回り、亜矢斗自身が苦悶の表情で叫んでいるイメージ。たぶん、あれが過去の暴走の記憶なんだと思う。」
蓮見は視線を伏せたまま続ける。
「気になって調べたら、ここの旧校舎で大きな事故があった形跡が見つかったの。外部には一切公表されていないけれど、昔の新聞の片隅に“校舎の一部が爆発した”という小さな記事があって、その直後に謎の転校生が失踪したと噂されている。……それが亜矢斗かどうか、断言はできないけれど、状況からして可能性は高いわ。」
冬華は背筋に寒気を覚えた。確かに亜矢斗は、過去に一度この学園を去っている。そして最近になって戻ってきた。“二度目”の学園生活だと彼自身が言っていた。過去に何か大きな事件を起こし、それを理由に退学のような形で処分されたのだろうか。そうだとすれば、なぜ再び呼び戻されているのか。
「私たちがこうして探っていること、彼は知ってるのかな……?」
冬華がつぶやくと、蓮見は少しだけ眉をひそめる。
「亜矢斗くんは気づいていないと思う。少なくとも私が“記憶干渉”をしたことには。でも……もし彼が自分の過去を正面から向き合おうとしていないなら、私が無理やりその記憶を引きずり出すのは良くないってわかってる。だから今は、必要最低限だけ。だけど、いずれは彼自身も過去と向き合わなきゃいけない日が来るはず。」
蓮見の声には、どこか自嘲気味な響きがあった。自分の能力を駆使して他人の記憶を探ることが彼女の“義務”のようにも聞こえる。その原動力は何なのだろうか――冬華はそこに強い興味を抱くが、踏み込みすぎてはいけない気がした。
かわりに問いかける。
「……あの、蓮見さんは、どうしてそこまで学園の過去を追いかけるの? ここに何があるのか、確かめたいってこと?」
すると、蓮見は一瞬うつむいたが、意外にもすんなり答えてくれた。
「私の母が昔、ここの研究員だった可能性があるの。母自身はもう亡くなっていて、詳しいことは直接聞けない。でも母の日記や残された書類を読んでいると、この学園に深く関わっていたのは間違いない。それで、ここでどんな研究をしていたか知りたいと思って……。私が“記憶干渉”の力を持って生まれたのも、もしかしたら母が関わっていた実験の副作用かもしれないし。」
その言葉には切実な響きがあった。彼女もまた、失われた何かを求めている。だからこそ危険を承知で記憶を探り、学園の封印されたデータを暴こうとしているのだろう。おそらくは、自分の出生の秘密にも関係している。
蓮見は続けて、ややぎこちない笑みを見せる。
「本当は、こんなこと冬華さんに話すつもりはなかったんだけど……。あなたが今、亜矢斗くんや円さん、真琴さんたちと関わりながら学園の謎に近づいているのを見て、“もしかしたら手を組めるかもしれない”って思ったの。」
冬華は小さく息を飲んだ。正直、蓮見の能力は恐ろしい。しかし彼女が今の状況を一人で乗り越えるには、あまりにもリスクが高いだろう。味方を得たいと思うのは自然なことかもしれない。
「私で良ければ、協力するよ。蓮見さんが何か大変なことをしようとしているなら、できる限り手を貸したい。私もまだ自分の力を把握できていないけど、それでも共通の目的があるなら……」
まだ言い切る前に、蓮見は軽く頭を下げ、「ありがとう」と口にした。図書室の奥にある書庫は相変わらず静まり返っており、誰も二人の会話を邪魔しない。少し不思議な空気が流れる中、蓮見はそっと席を立ち、手元に置いたノートを冬華に手渡す。
「これ、私がまとめたメモ。まだ断片しかないけど、“七つの瞳”や過去の事故について、ざっくりと記してある。今後、何かあったら参考にしてくれると嬉しい。それと……実はもう一つ、気になる場所があるの。」
そう言って蓮見はノートの最終ページを開く。そこには旧校舎の図面らしきものが手描きで書かれている。現在使用されていない校舎が学園の北側にあり、そこの地下に「隔離棟」と呼ばれるエリアが存在する、という記述だ。
「この隔離棟で過去に大きな事故が起きたらしいの。亜矢斗くんが失踪した、もしくは“七つの瞳”が暴走した現場かもしれない。ただ、普段は鍵がかかっていて、職員しか立ち入れない。もしかすると、そこに昔の研究データや記録が残されているかもしれない。いつか、私たちでこっそり調べられないかな……って思ってるの。」
容易ならざる提案だ。しかし、冬華もここまで来ると、いずれはそういう行動が必要になるだろうと予感していた。学園内部の限界を超えた秘密を暴くには、危険を冒して踏み込むしかない。問題は、いつ、どのように行動するかだ。
「危ないよ。でも、私も、その場所に行くしかないとは思ってる。もう少し情報を集めて、準備したほうが良さそうだけど……」
「ええ、焦りは禁物ね。理事長や藤田先生、それから政府筋の職員たちも、私たちが勝手に動くのを警戒しているはず。どんな罰則があるかわからない。だから慎重にね。」
蓮見は念を押すように言い、すっと立ち上がった。ノートを冬華に預けたまま、手元の本を抱えなおす。もう行くのか、と冬華が視線で問うと、蓮見は軽く笑って応じる。
「これでも結構忙しいの。“記憶干渉”を駆使すれば、いろいろなヒントが手に入るかもしれないから、また面白い情報があったら教えるね。でも……最後に一つ忠告しておく。私の能力を決して甘く見ないで。下手に近寄りすぎると、私のほうもコントロールできなくなる可能性があるから。」
それは警告のようでいて、自分自身を戒める言葉のようにも聞こえた。冬華はうなずき、蓮見を見送る。書庫の扉が静かに閉まると、そこにはしんとした空間と、預かったノートだけが残されていた。ページを繰ると、生々しい言葉が並ぶ。「血まみれの廊下」「旧校舎北棟、地下」「七つの瞳」「暴走」「制御不能」――。改めて恐る恐る読んでいると、思考がぐらつく。亜矢斗がこの秘密の中心にいるのなら、いずれ冬華も直面せざるを得ないだろう。
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夜半。冬華は自室で、蓮見からもらったノートを再び開いていた。亜矢斗の姿はまだない。彼は最近、どこかへ出歩いていることが多く、部屋に戻る時間が不規則だ。部活らしいものもないし、何をしているか気にかかるが、聞けばきっと「探るな」と言われるだろう。
(暴走……七つの瞳……)
ページをめくるたび、血なまぐさいイメージが浮かんでくる。もしこのまま亜矢斗が学園の“再教育”で力を増幅させられたら、再び何か悲劇が起きるのではないか――そんな不安がぬぐえない。そう思いながらページをパラパラとめくり終えると、ノートの最後のほうに蓮見自身の走り書きが残されていた。
*「……私はこの力が怖い。けれど、母の残した謎を解き明かさない限り、きっとどこかで後悔する。だから、あの“暴走”が何によって引き起こされたのか、突き止めたい。記憶の奥に潜む亡霊を、いつかは正面から目覚めさせる必要があるのだろう……」*
冬華はその文面を読み、蓮見が抱える苦悩を感じ取る。能力というのは単に便利な力ではなく、人間を壊しかねない両刃の剣だ。亜矢斗も、円も、真琴も、そして蓮見も、それぞれの事情を抱えている。自分もまだ自覚できない力があるというが、そうした重荷を背負う準備はできているのだろうか。自問しても答えは出ない。
ほどなくして、ドアが静かに開いた。亜矢斗が戻ってきたのだ。彼は相変わらず無口で、疲れたようにベッドに腰を下ろす。冬華はタイミングを見計らい、意を決して話を切り出す。
「おかえり。……ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ああ、いいぞ。」
めずらしく素直に答えが返ってきた。冬華は思いきって、蓮見の話と“七つの瞳を持つ被験体”のことを切り出そうか迷ったが、まだ直接ぶつけるには早い気がした。代わりに、学園の過去の事故について、ある程度ぼかした形で尋ねてみる。
「この学園、昔から能力者を集めてたって知ってる? しかも、誰かがすごい大きな力を暴走させた事件があったんじゃないかって。旧校舎で事故が起きたっていう話もあるみたいだけど……」
すると、亜矢斗はピクリと反応し、しばし沈黙した。やがて、何か覚悟を決めたように口を開く。
「そうか。おまえ、もうそこまで聞いてるのか。……たしかに、旧校舎で大事故があったのは事実だ。オレがここを去るきっかけにもなった出来事だ。」
冬華は胸が騒ぐ。やはり亜矢斗が、その事件の当事者なのだろうか。しかし彼は、それ以上は言葉を濁してしまう。あえて明言はしないものの、その表情から察するに、重い責任やトラウマを背負っているのは間違いない。
「……もし、昔のことを思い出すのが辛いなら、無理に話さなくてもいいよ。でも、私で力になれることがあるかもしれないし、言ってくれたら何か変わるかもしれない。」
冬華の言葉を受け、亜矢斗はわずかに眉間にしわを寄せる。そのまま沈黙が数秒流れ、やがて、彼はまるで独白するように低い声で告げた。
「オレは今、自分の力を確かめるために“特別クラス”に参加してるが、正直、それは過去を清算するためでもある。あの事故で何人かが傷ついた。学園が隠蔽したから表沙汰にはなっていないが、罪悪感はずっと消えない。オレがもっと早く力を制御できていれば、あんなことにはならなかったんだ……」
そこまで吐き出すと、亜矢斗は言葉を切る。彼の声には後悔と苦しみがにじむが、それでも耐えているのが伝わる。冬華はそれ以上追及しないことにした。きっと、亜矢斗自身のタイミングでしか語れない真相があるのだろう。今無理やり問いただせば、彼を余計に追い詰めてしまうだけだ。
静まり返った部屋の空気の中、冬華はそっと口を開く。
「わかった。ありがとう、話してくれて。無理しないでね。……でも、何かあったら言って。私、どうにか力になるから。」
すると、亜矢斗は苦笑を浮かべ、どこか安堵したように小さくうなずく。ベッドに横たわり、彼は天井を見上げたまま、一言だけ付け加える。
「オレがこうしておまえに言えるのは、“今度こそ暴走しない自信”が少しずつ芽生えてきたからだ。円や真琴との特訓もあるし、特別クラスの実践訓練で、力の正体を把握しつつある。……ただ、この先に何が待っているかはわからない。理事長や政府が何を企んでいるのか、まだ見えないしな。」
暗い闇を抱えながらも、亜矢斗は自らの道を切り開こうとしている。冬華は、そんな彼の姿勢にかすかな決意を感じ取った。自分だけが蚊帳の外になるのは嫌だし、同じように何かを背負っている仲間たち――蓮見も含め、一緒にこの学園の秘密を暴いていくことをあらためて心に誓う。
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翌日。学園では特別クラスの“合同訓練”が午後に組まれていた。新入生から上級生まで、能力を認められた生徒たちが校舎裏の専用フィールドに集まる。亜矢斗、真琴、円、そして蓮見の姿も確認できた。冬華はまだ正式な“能力者”として認められてはいないが、見学許可を得て参加している。藤田先生や他の職員も何人か立ち会い、理事長は高みから様子を見下ろしているらしい。
この訓練の狙いは「能力の制御と向上」とのことだが、実質的には生徒同士の能力を比較し、学園側が潜在能力を査定する場でもある。蓮見の「記憶干渉」の場面は外からは見えにくいが、円の「振動操作」は視覚的にわかりやすく、振動波がターゲットに当たるたび、空気がビリビリと震えるのが見て取れる。一方、真琴は自分が前線に立たず、解析眼を使って他の生徒の行動を指示するという形をとっており、まるで戦場の司令官のように場をコントロールしていた。
その端で、亜矢斗は薄手のグローブを嵌め、集中を高めようとしている。冬華は少し距離を置きながら、複雑な気持ちで彼を見つめた。もし本当に“七つの瞳”が彼の力なら、ここで表出する可能性だってある。でも、今の亜矢斗は必死に踏みとどまろうとしているように見えた。
隣に立つ蓮見が小声で囁く。
「冬華さん、あまり近づかないほうがいいかも。亜矢斗くん、かなり力を使いそう。気配が少し荒れてるわ。」
「えっ……そうなの?」
「ええ。記憶干渉で感じるの。彼の意識が高ぶると、周囲に何かしらの精神的な“ノイズ”が飛び散るのよ。制御しきれなければ、暴走状態に近い領域へ一気に落ちる可能性だってある。」
恐ろしくなる一方で、冬華は彼を見捨てるわけにはいかないと思った。蓮見からノートを預かったときにも感じたが、誰もが“亡霊”のように自分の過去や力に囚われている。もし今ここで何か大きな事故が起これば、すべてが後戻りできなくなる。
促されるまま下がっていく冬華。すると、そのタイミングを見計らったかのように、職員の指示で“実戦形式”の小テストが始まる。複数の生徒が一斉に能力を行使し、ターゲットを撃ち合ったり、防御したりする要領だ。亜矢斗は深呼吸をして、右手を胸元に当てた。彼がどんな能力を使うのか、周囲はまだ詳しく把握していない。見届けようとする視線が集中する。
バチッ……!
急に周囲の空気がざわめいた。小さな閃光が走り、円が振動波を放って一人の男子生徒の盾をはじき飛ばす。そこへ別の能力者が炎のようなエネルギー球を投げ込むが、真琴の解析眼からの指示で別の生徒が素早くカウンターを繰り出す。そこに混じって、亜矢斗は無言で前へ踏み込み、一瞬、瞳が鈍い光を帯びたように見えた――冬華はそう感じたが、確信はない。
そのとき、亜矢斗の体から奇妙な圧迫感が放たれた。視界の端で蓮見が小さく息をのむ。どうやら彼の精神エネルギーが波打ち、制御を逸脱しかけているのだろう。短い時が止まったような静寂が訪れ、一瞬後、亜矢斗が大きく右手を突き出した。その掌から、まるで空気の層が歪むような“衝撃”が放たれる。そして、前方の障壁をいとも容易く吹き飛ばした。
「な、なんだ……!?」
周囲の生徒や職員が驚きの声を上げる。亜矢斗自身も驚愕の表情だ。それが自分の意図した力なのか、あるいは思わず漏れ出た力なのか判別できないような面持ちをしている。やがて、彼は急に頭を押さえてうずくまり、苦しげに息をする。暴走の兆候かもしれない――冬華は焦るが、数秒後には彼の様子が落ち着き始め、事態は回避された。
職員の号令で訓練は一時中断となる。周囲は騒然となり、蓮見も目を伏せて悔しそうな表情を浮かべる。おそらく、今の衝撃波はほんの一端に過ぎないのだろう。もし亜矢斗があのまま力を解放してしまえば、再び大事故が起こる可能性があったかもしれない。
茫然と立ち尽くす冬華の耳に、蓮見の低い声が届く。
「今のが……“七つの瞳”の断片なのかしら。記憶の中で見えた血塗れの光景が、蘇らなければいいけれど……」
冬華はその言葉にゾクリとする。まだ“ほんの断片”でこれだ。もし亜矢斗が完全に暴走したなら、どれほどの惨事を引き起こすか想像もつかない。やがて、遠くから藤田先生が走ってきて、訓練を打ち切り、生徒たちを解散させる。職員同士が何やら慌ただしく話し込むが、具体的な指示はまだ出ない。理事長の姿は見えないが、どこかでこの状況を把握しているはずだろう。
冬華は、肩を落としながら立ち去る亜矢斗の後ろ姿を見つめ、呆然とした。力が制御できていると信じた矢先、あの異様な衝撃波。そして苦しそうに頭を抱える彼――このまま、いずれ彼が完全に“七つの瞳”を開放してしまうのだろうか。そう考えると胸が痛む。
(記憶の亡霊……蓮見が言っていたものが、彼を引きずり込もうとしているのかもしれない。)
その“亡霊”は、ただの過去の悲劇にとどまらず、現在の学園の“研究”とも深く結びついている可能性がある。亜矢斗が再び暴走する前に、あるいは学園が“兵器”として彼を活用しようとする前に、なんとか真実に辿り着かなければならない――冬華は改めてそう思いを強くする。
蓮見は一歩近づいてきて、「大丈夫?」と囁くように問いかける。冬華はこくんと頷きながら、拳を固める。
「うん……蓮見さん、私、やっぱりあの“隔離棟”に行くしかないと思う。亜矢斗の力が完全に暴走する前に、過去に何があったのか、知りたいから。」
蓮見もまた、決意をにじませるように目を細めた。そして、声を潜めて返す。
「わかった。私も、あなたに協力する。ただし、くれぐれも慎重に。藤田先生や理事長が目を光らせているし、他にも誰が敵か味方かわからない。でも……だからこそ、今のうちに動かなきゃいけないのかもしれないわね。」
こうして二人は目を合わせ、かすかにうなずき合った。その背後では、真琴や円、ほかの能力者たちが騒ぎを気にしつつも解散準備をしている。誰もが胸に不穏なものを抱えているのだろう。“特別クラス”とは名ばかりの危うい研究の場に、自分がどう関わり、何を選択するのか。冬華は薄暮の空を仰ぎ、じわりと広がる不安を呑み込むように息を吸う。
(記憶に潜む亡霊が、きっと亜矢斗だけじゃなく、わたしたちすべてを巻き込もうとしている――)
そんな予感が胸を締めつける。だが、歩みを止めるわけにはいかない。蓮見の“記憶干渉”、そして彼女が追いかける母の謎。さらに“七つの瞳”をめぐる過去の研究データ。おそらく、そこに学園の隠された真実があるはずだ。それを明かさずにいては、亜矢斗も、冬華自身も、誰も救われないだろう。夕闇迫る学園の敷地を後にしながら、冬華はあらためて固く拳を握りしめた。
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